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ねじまき鳥クロニクル

今朝、やっとこさ読み終えることができた。



全部で1000ページを超える、超・長編小説だった村上春樹のねじまき鳥クロニクル。フィクションのお話ではよく、登場人物が空を飛んだりビームを出したり、現実世界の中で不思議な力を持っていたりするけれど、氏の小説では空を飛んだりどこか遠くへワープしたりするのが夢の中だったり精神世界の中だったりして、物語に入っていける。氏の小説のそういうところがとても好き。好きというか、素直に憧れる。


どうやったらあんなお話が書けるのだろう。井戸に入ってみるべきかしら。

やらされている、卒業研究

中間発表も無事終わり。



自分の発表は終わったモンで、大きな混乱もなく、とりあえず一安心。担当教員は進行度についてかなり厳しく考えていて、その意見はまさしくその通りだから、今日はこれから怒られに行かなければ。


で、友達の研究なんかを見ていると、結構おもしろそうなことをやってたり、技術的にも高度なことに挑戦していたりする。僕は自分が苦手なこと、たとえばプログラミングが得意な人とか、デザインのセンスがある人とかは、友達もそうじゃない人もすごく尊敬している。でも一方で「どうしてその研究をしているの?」とか、「その研究をやる意味はなに?」みたいな、至極真っ当な質問に答えられる学生って少数で、つまりみんなが卒研をやる動機の本音は「卒業するため」に卒研をやってるということだ。


まぁたしかにその通りだとは思うけど、そうなると結局「(担当教員に)言われたからやりました」ってことになるわけで、研究そのものに対する自主性や独創性って失われやすい。よく、学校と大学の違いは教えられるか自分で学びにいくかだ、ということを聞かされるけど、大学を卒業する年度になってもこれだもの、せっかく高い技術と能力を持っていても、自分で考えることをしない、言うなれば「道具」みたいな人って思われても仕方ないのではないか。


せっかく好きなこと研究しろってなってるんだから、専門分野で、自分が興味を持って取り組めるべき研究をするべきだと思う。僕の場合は自分の興味のある政治を、担当教員に協力してもらってうまく研究に結びつけられたから、面倒だけど研究を進めるのはあまり苦痛ではない。卒業するために嫌々卒研を進めて、中間発表で上述の質問をされて嫌な「間」を作り出している友達や一部の人たちを見ていると、もったいないって気しかしない。


超上目線だけど。そんなふうに思う。

中間発表

寒いから、ダウンジャケットを着て寝てる。



今日から大学で卒業研究の中間発表が行われる。どうも研究室(の所属する教員のグループ)ごとに発表条件が多少…というかだいぶ異なるみたいで、こんなところで大学の教員の力関係を見せられるか、とも思ってしまう。


発表時間は10分与えられてる他所に比べて、うちは5分。一方で、他所と違って教員もあまり見に来なさそうだから、割とフランクな雰囲気の中で行えそうなのはいいことだけど。ついでに、みんながほとんどデフォルト状態でも当然のように用意しているパワーポイントは、僕は「なんとなく同じってヤだな」ってガキっぽい理由で一枚も用意してないけど、あ、これについては僕が悪いか。少し不安。


研究内容については、それなりにやってきているので大丈夫かなと安心はしているので、あとは資料もなにも使わないプレゼンテーションがどこまでうまくいくか。早く終わらせて遊びに行きたい。