こちらは、2016年6月の「日本公演」に先立つ、2015年9月の「パレ・デ・スポール(ドーム・ド・パリ)」公演からの映像です。

 

この曲、「je voyage "私は旅する"」(2003)をデュエットしているのは、1969年生まれの「実の娘」、カティア・アズナヴールで、翌年の日本公演にももちろん参加して、その歌声を聴かせてくれました。

 

 

このライヴは、「日本国内盤」のCDとしても発売されています。

 

こちらは「DVD」(「輸入盤」)となります。

 

 

 

二人は、もちろん、「テレビ」でも「共演」しています。

 

 

次に挙げている映像は、どちらも、2003年から翌2004年にかけてのものということで、「80歳」の「記念」ということでもあるようです。

 

こちらは、当時のオーディション番組、「Star Academy」への「ゲスト出演」の模様ということで、「2003年12月6日放送」というデータも記されています。

 

こちらは「オリジナル録音」です(2003年録音/発売)。

 

 

「オリジナルアルバム」はこちら。

 

こちらは「大全集」です。

 

 

これまでの記事

 

 

 

まず初めに、この度、相次いで「逝去」が報じられた、三遊亭圓楽師匠(六代目)、アントニオ猪木両氏のご冥福を、謹んでお祈りしたいと思います。

 

 

「私たちの世代」にとっては、お二方ともとても懐かしく、また、「印象に残る」活躍をされていたとも思います。

 

 

「圓楽師匠」と聞くと、どうしても私は、「先代(五代目)」(1932-2009)の顔が思い浮かび、「六代目」は、私の中では、やはりまだまだ「楽太郎」という「イメージ」も強いのですが、「その名」を「受け継ぐ」のが「当たり前」の世界ですから、そんなことも言ってはいられません。

 

 

ただ、今回の訃報は、あまりにも「突然」のことであり、まさに、「声も出ない」くらいの「驚き」でした。

 

 

しかも、「先代」と「同じ」ご病気で...。

 

 

この後も、「その名」は「受け継がれる」のでしょうが、何だかもう、あまり、「ピン」とは来ないかも知れませんね...。

 

 

「アントニオ猪木」さんは、「政治家」としても印象は残りましたが、「本業(プロレスラー)」としての「全盛期」を見て知ってもいますから、やはり、今回の「突然の訃報」には驚きました。

 

 

最近では、病床での姿にも少し「衝撃」を受けましたが、それにしても、本当に「突然」のことで...。

 

 

猪木さんは、「100万人に数人」と言われる「難病」と「闘って」いましたが、ついに、力尽きてしまいました...。

 

 

本当に、「人生」というのは「分からない」ものです。

 

 

 

2日のうちに、相次いで「訃報」を聞くことになったこのお二方...。

 

 

 

あらためてご冥福をお祈りしたいと思います。

 

 

 

合掌...。

 

 

 

三遊亭圓楽(六代目)(1950.2.8-2022.9.30)

 

アントニオ猪木(1943.2.20-2022.10.1)

 

 

 

今回のお二方の「訃報」は、まさに、ちょうど「4年前」の、このシャルル・アズナヴール(1924-2018)の、「突然の逝去」の「衝撃」を「思い出させる」ものでもあり、この記事を書く準備をしていた私にとっても、「動揺を隠せない」ニュースとなりました...。

 

 

2018年のシャルル・アズナヴールと言えば、その「2年前」、私も、「初めての参戦」を果たした、「92歳」での「奇跡の来日公演」(当時は、「最後の日本ツアー」とも言われていました...)の「再現」というかたちで、「誕生日」である「5月22日」を「はさむ」ように、「21日」に「大阪」、「23日」には「東京」という日程で、「94歳」での「日本公演」が行なわれるはずでした...。

 

 

ところが、「直前」になって、ご本人が「腕を骨折」という「アクシデント」に見舞われたため、このように、「9月」に「延期」となっていたものでした...(今思えば、これは、「天からの警告」だったのかも...)。

 

 

当初、「5月23日」の「東京公演」に「参戦」を予定し、すでに「チケット」も「入手」していたのですが、「延期(振り替え)」となった「9月」の日程では、どうしても都合がつかず、やむなく「キャンセル」を「選択」しました。

 

 

そして、「9月17日」(東京)、「19日」(大阪)の「両公演」は「無事」に行なわれ、私自身は、やはり参戦は出来なかったものの、「まだまだ元気で、感動的だった」というコメントを「多数」聞いていたことで、

 

 

「やはり、シャルル・アズナヴールはスゴイ...」

 

 

との「思い」を、まさにいだいていたところでもあったのですが、そんな中で、「突然」聞いたのが、その「訃報」だったのです...。

 

 

 

「当時」の記事

 

 

 

この「日本公演」は、図らずも、アズナヴール自身にとって「生涯最後の公演」となったものでもあり、私は、「著しい喪失感」にさいなまれました。

 

私は、「世紀をまたいで活躍」した、「生けるレジェンド」で、「世界最高のエンターテイナー」の、その「最後の公演」に行くことが「出来なかった」のです...。

 

 

やはり、フランスから日本への「移動」に際しては、「約12時間前後」という、「物理的な時間の壁」があります。

 

いかに日々を「元気」に過ごしていたとしても、やはり、この「(移動)時間」というのは、「身体的」にも「大きな負担」となって現われても来るものです。

 

 

現に、同じく2018年の7月に「来日公演」を行なった、「映画音楽の巨匠」としても知られる、「ジャズピアノの重鎮」、ミシェル・ルグラン(1932-2019)も、その、わずか「半年後」には「他界」してしまいました...。

 

 

そのようなことが「続く」ようなことになれば、やがて「日本」は、「鬼門」として見られかねないという「危惧」が、私の中にもありました。

 

 

ジュリエット・グレコ(1927-2020)は、「来日前」に「脳血管障害」を「発症」したために、逆に、「急逝は免れた」と言ってしまっても「良い」くらいですし、アダモ(1943-)も、2020年1月の「最後の日本公演」を「強行」していたとしたら、「その後」、どうなっていたかは、まったく想像がつきません...。

 

 

 

結局、この「偉大なレジェンド」、シャルル・アズナヴールの、私にとっての「最初で最後の公演」は、この「2016年」のこととなりました。

 

 

それでも、とても「90歳」を過ぎている人のコメントとは「思えない」くらい「かくしゃく」としたものであり、「実際のステージ」でも、その「若々しさ」に「圧倒」されてしまったぐらいです。

 

 

「当時」の記事

 

 

 

この公演にしても、「もしあの時、ジュリエット・グレコの "最後の公演" が "中止" となっていなかったら...」、「ユトリロさんの誘いがなかったとしたら...」と、「たられば」ではありませんが、

 

 

「その時」ばかりは、

 

 

「不思議な運命(縁/絆)でつながっていた」

 

 

ということを、「実感」してもいたのです...。

 

 

 

それでは以下に、その「je voyage "私は旅する"」(2003)の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

 

この曲を「デュエット」で歌っている、アズナヴールの「実の娘」、カティア・アズナヴール(1969-)は、「3番目の妻」との間に生まれたということですが、アズナヴール自身が書いたその「詞」には、まもなく「80歳」になろうとしている「父親」の、ある種「達観」していると思える心境と、まだまだ「若く」、「明日」を信じて、「前」へと進もうとする「娘」の心境が描かれており、それらを巧みに「混ぜ合わせる」かたちで、とても「感動的」な「名作」になっていると思います。

 

 

 

そして最後に、やはり「この曲」も載せておくことにしましょう...。

 

 

1967年に発表されたアルバム、「entre deux reves "2つの夢の間に"」に収録された曲、「emmenez-moi "世界の果てに"」は、2015~2016年の公演でも「ラスト」に置かれていた、「ノスタルジック」ながらも、「壮大な夢」を描いた「名作」であり、ただ聴いているだけでも、その「想い」が「かき立てられる」ような気がします。

 

 

再び、2015年9月の「パレ・デ・スポール(ドーム・ド・パリ)」公演からの映像でどうぞ!!

 

 

この曲についての記事(「歌詞対訳」も載せています)

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

それではまた...。

 

 

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je voyage  私は旅する

 

Katia:dis, que fais-tu la, mon soleil, sur ce banc,

le regard perdu sous tes cheveux d'argent

 

カティア:ねえ、何をしているの ベンチの上で 私の太陽さん

そのロマンスグレーの髪の下で、虚ろな眼をして

 

Charles:je regarde fuir mes ultimes printemps

emportes par mille chevaux blancs

 

シャルル:私は、最後の春が去って行くのを見ているんだよ

たくさんの白馬によって運び去られる、最後の春を

 

je voyages, je voyages, vers les lieux benis de ma vie

de voyage en voyage, a travers erreurs et acquis

sans bagage, par images, par le reve et par la pensee

de voyage en voyage, sur les vagues de mon passe

 

私は旅する、旅をする わが人生の祝福された地に向かって

旅から旅へ、いくつもの失敗を通して手に入れた

荷物を持たず、イメージで、夢で、そしてその思いで

旅から旅へと、過ぎ去った日々の波に乗って

 

Katia:ce voyage dans les limites de vos regrets, de vos remords,

est-ce un refuge, est-ce une fuite, ou bien une aventure encore?

 

カティア:この旅は、あなたの心残りや後悔の限り続くものなの?

それは身を隠す場所? 逃げること? それともまた新たな冒険なの?

 

Charles:sur l'eau calme de mon age, ou l'orage ne tonne plus

de virage en virage, vers mes plages de temps perdu je voyage

 

シャルル:穏やかな水面のような私の歳では、もう、雷鳴が轟くこともない

曲がり角から曲がり角へと 失われた時の浜辺へと向かって、私は旅を続ける

 

et toi jeune fille, aux sources de ta vie

fugueuse a seize ans, que fais-tu par ici?

 

そして君、若い(わが)娘よ これからの人生の出発点にいる君よ

16歳で家出をした君 こんなところを通って、何をしているんだ?

 

Katia:je vais au devant du comprendre et savoir,

voir la vie de l'envers des miroirs

 

カティア:私は理解をし、知るために前へと進むわ

鏡の裏側の人生を見るために

 

je voyage, je voyage et je cours pour aller de l'avant

de voyage en voyage, sac au dos, cheveux dans le vent,

parfois folle, parfois sage, refusant les idees recues

de voyage en voyage, dans l'espoir de trouver un but

 

私は旅する、旅をする 前へと進むために走っている

旅から旅へ、リュックを背負い、風に髪をなびかせて

時には激しく、時にはおとなしく、常識などにはとらわれず

旅から旅へと、希望の中で、目的を見つけるため

 

Charles:tu es l'enfant d'entre deux guerres, d'un monde cru,

au desarroi d'hommes et de femmes de misere,

sous le joug du chacun pour soi

 

シャルル:君は、2つの戦争の間に生まれた子だ この生々しい世界で

男たちの動揺と、女たちの悲惨

人は、それぞれに屈辱を受けている

 

Katia:de rivage en rivage, pour des greves a decouvrir,

de mirage en mirage, vers les rives de l'avenir

 

カティア:岸から岸へと、見つけ出される砂浜のために

幻から幻へと、未来の岸辺へと向かって

 

Charles et Katia:je voyage, je voyage, un peu plus de jours et de nuits

de voyage en voyage, a travers reve et insomnie

par temps clair, ou d'orage, d'un pied leger ou d'un pas lourd

de mirage en mirage, par la memoire et par l'amour je voyage

 

シャルル&カティア:私は旅する、旅をする もう少しだけ、昼も夜も

旅から旅へ、いくつもの夢と、眠れない夜を通して

晴れた空か、それとも雷雨か 軽やかな足取りで あるいは重い足取りで

幻から幻へと、思い出によって、そして愛ゆえに、私は旅をしている

 

(daniel-b=フランス専門)