この曲の「ベスト」とも言い得る「絶唱」が、この、「パンタン」でのライヴのもの(1981年11月)。

 

正確には、「隣接」する、「ラ・ヴィレット公園」(パリ)内にあった、「ジャン・リシャール・サーカス」の常設大テント劇場、「イポドローム・ド・パンタン」での公演です(1981年10月28日~11月21日)。

 

その後の「再開発」により、現在、この地にあるのが、「ゼニット・パリ」です。

 

「DVD」と「CD」の「テイク(採用音源)」は、この曲の場合「異なって」はいますが、どちらも、「素晴らしい」歌唱です。

 

また、「曲順」も異なっています。

 

 

 

1978年2月、オランピア劇場公演でのライヴ録音も、記憶に残る「絶唱」と言って良いでしょう。

ぜひお聴きください。

 

「オリジナル盤」に、「追加曲」を加えたバージョンのCDです。

 

「2004年」に「初CD化」されたこちらの「オリジナル盤」は、「現在」では、「入手が困難」となっているようです。

 

 

こちらは、この当時(1978年)の、「ドキュメンタリー映像」からです。

 

 

 

こちらは、1987年9月の、「シャトレ劇場」での公演からの映像です。

 

この頃になって来ると、「重い」イントロに引き続き、そのまま、この曲が「オープニング曲」として歌われるようになりました。

 

歌詞にも「アレンジ」が加えられ、以降、「短縮版」で歌われています。

 

 

「CD」は、「2枚」に分けて発売されています(「曲順」は、やはり「DVD」と異なります)。

 

こちらは、その「後半部分」となる「Vol.2」です(CD)。

 

 

こちらは、現在では、ほとんど聴かれることが「ない」かも知れません。

「オリジナル録音」です(1972年9~10月録音/11月発売)。

 

「劇的」な「コーダ(終結部)」は、この録音ではまだ聴くことが出来ません...。

 

こちらは、「大全集」となります。

 

 

これまでの記事

 

 

さて、来たる11月24日は、フランスを代表する「偉大な女性歌手」、バルバラ(1930-97, 本名モニック・セール)の「命日」に当たりますが、その前に、「11月13日」は、あの「大事件」から、ちょうど「5年」...。

 

 

それも、「あの年」(2015年)と同じく、「13日の金曜日」に当たっているのです!!

 

 

そう、まさに「その日」は、パリで、あの「同時多発テロ」が起こった日なのです!!

 

 

以下は、「関連記事」です(「テロ当日」は、「アメブロ」にエントリーする「以前」のことでした)。

 

2016年1月27日付け(「最初期」の記事ですが、「当時の想い」を書いています)。

 

この記事を大幅に見直し、「歌詞対訳」も載せたものがこちらです(2019年11月11日付け)。

 

事件からちょうど「半年」の、2016年5月13日も、「13日の金曜日」でした。

この記事では、ブラッサンス(1921-81)の、「mourir pour des idees "信条のために死す"」(1972)の「歌詞対訳」を載せています。

 

 

「2015年」は、年明け早々の「1月7日」から、パリでの「シャルリ・エブド襲撃事件」が起こるなど、「不穏」な空気に包まれていました。

 

「日本人」2人が、「テロリスト」に「殺害」されたという、「衝撃的」なニュースもこの頃のことで、「テロの脅威」は、日本でも「現実のもの」になりつつあるという、「不安感」も感じられていた頃でした。

 

次いで、「8月21日」には、オランダ・アムステルダムから、ブリュッセルを通ってパリへと向かう、国際高速列車(欧州の「新幹線」)、「Thalys(タリス)号」車内において、「銃乱射事件」が起こりました。

 

この時は、幸い(?)にも、「アメリカ軍関係者」が乗車しており、その「2人」が「中心」となって、「犯人」を取り押さえたため、被害は「最小限」(負傷3名)に抑えられましたが、その「状況」から、乗客全員が「殺害」されていた可能性も否定できません。

 

私も、ジャック・ブレル(1929-78)「生誕の地」であるブリュッセルに、「この列車」を使って、パリから、「2度」往復していますので、決して「他人事」ではありません。

 

また、「11月13日」の事件の後、この列車に乗る際にも、「手荷物検査」が行なわれることになりました(2015年12月より)。

 

関連記事(一覧)

 

 

この事件をテーマとした「映画」も作られました。

 

「15時17分、パリ行き」(2018年アメリカ/クリント・イーストウッド監督)。

 

まさに、「実話」です。

 

 

映画公式サイト

 

 

しかし、「攻撃の手」は、これで止むことはありませんでした...。

 

 

そして「起こった」のが、「11月"13日の金曜日"」の、あの「テロ事件」だったのです。

 

 

その当日、私は「夜勤」でしたから、翌朝出勤して来た同僚から話を聴いて、「初めて」、事件を知ることになりましたが、大変な「ショック」でした。

 

フランスはもともと、「イスラム社会」にも「寛容」で、「支援」もして来たという「認識」があるだけに、まさか、これほど「牙」をむくことになろうとは、「想像」すらしていなかったのです。

 

あの「バタクラン劇場」での「89名」の観客をはじめとした、多数の「犠牲者」。また、「負傷者」も数多く出ることとなり、まさに「信じられない」、「地獄」のような有様でした。

 

 

「ヨーロッパ」も、まったく「安全」ではなくなってしまいました...。

 

 

こちらは、その後行なわれた、「追悼式典」の模様です(2015年11月27日)。

 

フランス出身のソプラノ歌手、ナタリー・デッセイ(1965-)が、今回の曲、「perlimpinpin "ペルランパンパン"」(1972)を歌っています。

 

 

こちらも、同じ式典からの映像のようです。

 

カメリア・ジョルダナ(1992-)、ヤエル・ナイム(1978-)、ノルウェン・ルロワ(1982-)の3人で、ジャック・ブレル(1929-78)の「quand on n'a que l'amour "愛しかないとき"」(1956)を歌っていますが、このわずか「4ヶ月後」に、その「ブレル生誕の地」である、「ブリュッセル」までもが、「標的」とされてしまいました...。

 

「2016年3月22日」についての記事。

 

 

というわけで「今回の曲」です。

 

バルバラは、やはり、「1975年」まで続いた、当時の「ベトナム戦争」からこの作品の着想を得たようですが、「反暴力」(特に「子ども」への)を訴えるこの詞は「普遍性」を持ち、現在でも、こうして「歌い継がれ」ているのです。

 

詞の中に登場する「バティニョル公園」は、バルバラの「生家」のすぐ「近く」で、パリ「17区」にあります。

 

また、このバティニョル公園からもそう遠くはないところに、マーティン・ルーサー・キング牧師(1929-68)の名を冠した公園がありますが、その一角に、この曲を「記念」して、「ペルランパンパン庭(農)園」というスペースが作られたということです。

 

周辺の地図です(「Google Maps」)。

 

 

この「ペルランパンパン」という言葉は、少し説明が難しいのですが、「いんちき」とか、「まやかし」といった意味があるそうです。

 

その昔、「香具師(やし)」が「手売り」していた「いんちき万能薬」のことを、「poudre de perlimpinpin」と言っていたようで、日本で言えば、「ガマの油」がそれに当たるでしょうか。

 

また、フランス発のキャラクター、「バーバパパ」の「昔の名前」だとも解説されています。

 

それはともかく、バルバラは、その「音の響き」から、「ペルランパンパン」という言葉を使ったようですが、むしろ、「幼い頃の楽しい思い出」のひとつとして、ここには登場しているようです。そして、それが「奪われる」ことを「嘆いている」、と解釈することが出来ると思います。

 

ここで言う「ペルランパンパン」とは、もしかすると、日本でもよく見かけるような、「内服薬」の袋を真似た、「お菓子」(「駄菓子」)のことだったのかも知れません。

 

これなら、「公園の屋台」でも、「売っていそう」ですね...。

 

 

バルバラは、

 

「私は、自分の身の上に起こったことしか歌いません。

社会的な事件を歌ったものもありますが、それは、私の"心"が体験したことで、すべてが"実話"なのです。

音楽家でなければ、私は、ルポ作家になってたでしょう...」

 

と、「最後の来日」(1990年9月)の際、このようにインタビューに答えていました。

 

また、この当時は、「天安門事件」(1989年6月4日)にも、心を痛めていた様子でした...。

 

 

そうした「想い」の「すべて」が、この詞には書き表されていると思います。

 

 

1980年代後半以降には、一部が「省略」されて歌われることも多くなりましたが、この作品の持つ「パワー」は、いささかも「ダウン」することはありませんでした。

 

とても「重い」曲には変わりありません...。

 

 

以下に、その歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

歌詞の「バージョン」としては、「オランピア1978」で歌われたものを「採用」しました。

 

「オリジナル」と異なり、「劇的」な「コーダ(終結部)」も書き加えられ、「パンタン1981」も、概ね、このバージョンにて歌われています。

 

 

今年は、「生誕90周年」でもありました...。

 

それではまた...。

 

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perlimpinpin  ペルランパンパン

 

pour qui, comment, quand et pourquoi?

contre qui, comment, contre quoi?

c'en est assez de vos violences!

d'ou venez-vous, ou allez-vous?

qui etes-vous, qui priez-vous?

je vous prie de faire silence!

pour qui, comment, quand et pourquoi?

s'il faut absolument qu'on soit

contre quelqu'un ou quelque chose

je suis pour le soleil couchant

en haut des collines desertes

je suis pour les forets profondes

 

誰のため? どうして? いつ? そしてなぜ?

誰に対して? どうして? 何に対して?

あなたたちの暴力にはもううんざり!!

「どこから来た?」 「どこへ行く?」

「お前は誰だ?」 「誰に祈っているんだ?」

お願いだから静かにして!!

誰のため? どうして? いつ? そしてなぜ?

もしどうしても、

「誰か」や、「何か」に「反対」しなくてはならないとしても

私は、何もない丘の上から見る

沈み行く太陽や

暗く、深い森には「賛成」したい

 

car un enfant qui pleure

qu'il soit de n'importe ou

est un enfant qui pleure

car un enfant qui meurt

au bout de vos fusils

est un enfant qui meurt

que c'est abominable d'avoir a choisir

entre deux innocences

que c'est abominable d'avoir pour ennemi

les rires de l'enfance

 

なぜなら、泣いている子どもは

どこから来ようと

泣いている子どもに変わりはないのだから

あなたたちの銃の先で

死んでいく子どもは

やはり、死んでいく子どもだから

なんて忌まわしいこと! 

二人の純真な子どもの

どちらかを選ばなくてはならないなんて

なんて忌まわしいこと!

子どもたちの笑い声を

敵に回さなくてはならないなんて

 

pour qui, comment, quand et combien?

contre qui, comment et combien?

a en perdre gout de vivre

le gout de l'eau, le gout du pain

et celui du perlimpinpin

dans le square des Batignolles

mais pour rien, mais pour presque rien

pour etre avec vous et c'est bien

et pour une rose entrouverte

et pour une respiration

et pour un souffle d'abandon

et pour un jardin qui frissonne

 

誰のため? どうして? いつ? そしてどれくらい?

誰に対して? どうして? そしてどれくらい?

生きる希望を失えばいいの!!

水の味や、パンの味や

それから、バティニョル公園での

あの「ペルランパンパン」の楽しさですらも

何のためでもなく、ほとんど何のためにもならないけど

あなたたちと共にいて心地よいためには

そして、咲き始めたバラのためには

呼吸のために

吐息のために

そして、震える公園のためには

 

(ne) rien avoir, mais passionnement

ne rien se dire, eperdument

mais tout donner avec ivresse

riche de depossession

n'avoir que sa verite

posseder toutes les richesses

ne pas parler de poesie

ne pas parler de poesie

en ecrasant les fleurs sauvages

mais faire jouer la transparence

au fond d'une cour aux murs gris

ou l'aube n'a jamais sa chance

 

何も持たず、しかし情熱的に

何も言い合わず、まったく

でも、陶酔した心ですべてを与えましょう

「何も持たない」という豊かさ

「真実」以外、何も持たずに

すべての「豊かさ」を所有すること

詩について話すのはやめて

詩について話すのはやめて

野に咲く花を踏みつぶしながら

でも、夜明けの光が決して届かない

灰色の壁のめぐらされた中庭の奥で

透明な心を躍らせましょう

 

contre qui, comment, contre quoi?

pour qui, comment, quand et pourquoi?

pour retrouver le gout de vivre

le gout de l'eau, le gout du pain

et celui du perlimpinpin

dans le square des Batignolles

contre personne et contre rien

contre personne et contre rien

et pour toutes les fleurs ouvertes

et pour une respiration

et pour un souffle d'abandon

et pour ce jardin qui frissonne

 

誰に対して? どうして? 何に対して?

誰のため? どうして? いつ? そしてなぜ?

生きる希望を再び見い出すため

水の味や、パンの味や

それから、バティニョル公園での

あの「ペルランパンパン」の楽しさも

誰に対してでもなく、何に対してでもなく

誰に対してでもなく、何に対してでもなく

すべての、咲こうとしている花のために

呼吸のために

吐息のために

そして、震えるこの公園のために

 

et pour vivre passionnement

et ne se battre seulement

qu'avec les feux de la tendresse

et riche de depossession

n'avoir que sa verite

posseder toutes les richesses

ne plus parler de poesie

ne plus parler de poesie

mais laisser vivre les fleurs sauvages

et faire jouer la transparence

au fond d'une cour aux murs gris

ou l'aube aurait enfin sa chance

 

そして、情熱的に生きるため

戦う時には

「優しさ」という火だけを武器に戦いましょう

「何も持たない」という豊かさ

「真実」以外、何も持たずに

すべての「豊かさ」を所有すること

詩について話すのはもうやめて

詩について話すのはもうやめて

野に咲く花は、そのままにしておきましょう

そしてついに、夜明けの光が届く

灰色の壁のめぐらされた中庭の奥で

透明な心を躍らせましょう

 

et vivre, vivre passionnement

et ne se battre seulement

qu'avec les feux de la tendresse

et riche de depossession

n'avoir que sa verite

posseder toutes les richesses

rien que la tendresse

pour toute richesse

aimer, aimer avec ivresse

et vivre, vivre avec tendresse

vivre, vivre avec ivresse

rien que la tendresse

pour toute richesse

donner, donner avec ivresse

 

そして生きる、情熱的に生きる

戦う時には

「優しさ」という火だけを武器に戦いましょう

「何も持たない」という豊かさ

「真実」以外、何も持たずに

すべての「豊かさ」を所有すること

「豊かさ」のために必要なものは

ただ、「優しさ」だけ

愛しましょう! 愛しましょう! 陶酔した心で

そして生きましょう! 生きましょう! 「優しさ」を持って

生きましょう! 生きましょう! 陶酔した心で

「豊かさ」のために必要なものは

ただ、「優しさ」だけ

与えましょう! 与えましょう! 陶酔した心で!!

 

(daniel-b=フランス専門)