「ふざけるな!!」

je ne peux plus me taire...(もう黙ってはいられない...)

昨年1月の「シャルリ・エブド」に始まり、8月の「thalys(タリス)号車内銃乱射事件」、11月の「13日の金曜日」、そして、今回の「ブリュッセル同時多発テロ」...。

1995年3月20日は、東京で「地下鉄サリン事件」のあった日(私は前日まで静岡に。知人は、その日東京にいました)。それについても何かコメントを、と思っていた矢先にこの「テロ事件」...。それも、日本人も「重体」だというニュース...。当然許せない事件ですが、何より...私の「人生の師匠」であるジャック・ブレル(1929-78)の故郷が「メチャクチャ」!!
これは「一大事」です...。

4月8日は、ジャック・ブレルの誕生日です。なので、私も、4月に入ったら、彼についても書こうと思っていたところでした。現在連載中のダニエル・バラボワーヌ(1952-86)が「歳の離れた兄貴」みたいな存在なら、ブレルは「親」も同然です。
こんなことで、「違うかたち」ではありますが、「前倒し」で彼のことを書くなんて、本当に「不本意」なこと、この上ありません。今日は、別のテーマで、「先週のふりかえり」を書くつもりでした。ブレルについては、改めて資料を見直した上で、「慎重」に書くつもりでしたが、そうも言っていられません。この話題よりも、個人的に「楽しかった」話題を優先する気にはとてもなれませんでした。ですので、細かい「不備」については、ご容赦ください。

連日報道されている、ブリュッセル北部のスカールベーク(スハールベーク)地区は、まさに、ブレル出生の地です。幼少時には、モレンべーク地区にも住んでいたこともあります(ブリュッセルの記念館「edition jacques brel」で販売されている資料によります)。スカールベークと言えば、映画「JCVD」(「その男ヴァン・ダム」)の舞台でもあり、その街並みを見ている人は、意外に多いはずです。それが、「テロリスト」の温床だったとは...。

私は、ブリュッセルの国際空港(ザベンテム空港)は利用したことがありません。「当分行けないなあ」と思っているところに、「全日空」の直行便が就航しましたが(過去には、「サベナ・ベルギー航空」が、直行便を出していました)、時期としては、まさに「最悪」でした。それに、私は、ロワシー(パリ・シャルル・ド・ゴール空港)からパリ入りして、パリでの「連泊中」に、「Thalys(タリス)」(知人や家族には、「新幹線」と説明します)でブリュッセルまで往復する方が「魅力的」に思います。アムステルダムから入る手もありますが、「オランダ語」は、フランス語以上に不安です。ですから、アントウェルペン(アントワープ)や、ブルッヘ(ブリュージュ)、ヘント(ゲント、ガン)といった、フラマン語(オランダ語)圏へは足を延ばせていません。

初めてブリュッセルを訪れたのは、2008年10月9日。彼の「没後30周年」の記念の日でした。
10月のブリュッセルは、想像以上に寒かったです。
世界遺産「グランプラス」から「小便小僧(マヌカン・ピス)」へ出て、その角を左に曲がって坂を上ると、「ヴィエイユ・アル・オー・ブレ」という広場に出ます(「州庁舎」のすぐ近く)。その一角にあるのが、記念館「edition jacques brel」です。ちょうど、そのときに「展示替え」を行ない、当館監修で出ているDVD「j'aime les belges!」が、その「音声版図録」に当たります。「ミュージアム」(という規模)ではなく、「エクスポジション」(展示)とのことですが、私のような「心酔者」にとっては、まさしく「聖地」なのです。

自分たちだって、「聖地(メッカ)」を攻撃されたらイヤでしょうが!!

パリやブリュッセルといった、古くからの建物が残る「純ヨーロッパ風」の都市というのは、、とても「魅力的」です。しかし、「攻撃」を受けてしまっては「台無し」です。
現在の情勢では、「quand on n'a que l'amour "愛しかないとき"」のような歌をもってしても「空しい」ことが多々あります。ダニエルも、「人種差別」や「偏見」とも「真正面」から向き合って、「援助」すらしていたのに...。

「自爆犯」たちというのは、「あの世」で、本当に「神」に会えているのでしょうか?
自分たちの信じていた「神」に会えず、指導者を「あの、嘘つき野郎!!」と罵ったところで、「命」は返ってきません。ダニエルの「petit homme mort au combat」(1985)や、ジョルジュ・ブラッサンス(1921-81)の「mourir pour des idees」(1972)のような曲には、そのあたりを鋭くえぐる「力」があります(ここでも「改めて」採り上げてみたいですね)。

ここに挙げたブレルの3曲は、今回の事件で、「とっさ」に浮かんだものです。「正しくはない」かも知れませんが...。

「バスティーユ」を破壊したところで、何も変わってはいない

「未来」は、何も望んじゃいない 「火」も「血」も「戦争」も...(「la Bastille」)

列車は「轟音」とともに「脱線」。それは、多くの「理想」を持った若者が、線路に「爆弾」を仕掛けたから...
それは、まったく予期せぬ「死」。「懺悔」もなく、「赦し」もなく...(「le diable, ca va」)

人々は、このような「調べ」を奏でていた。「戦争」が目を覚ましたとき...
人々は、このような「調べ」を奏でていた。「戦争」が起こったとき...

いつもより「青い」空のもとで、この1940年5月、「統制のとれた」ドイツ人たちが、私の「ベルギー人気質」を踏みにじった...(「mai 40」)

こんな内容で申し訳ありません...
(daniel-b=フランス専門)