アメリカ・インディアナ州、「インディアナポリス・モータースピードウェイ」において、現地時間5月28日(日本時間5月29日深夜)、伝統のある「世界3大レース」の1つ、「第101回インディアナポリス500マイルレース(インディ500)」が開催されました(最大で、「40万人」もの観客を集める、「一大イベント」です)。
アメリカの「戦没将兵追悼記念日」(5月の最終月曜日)の「前日」に開催が定められている、この「インディ500」。今年は、何と言っても、同日開催の「F1(フォーミュラ・ワン)モナコGP」(モンテカルロ市街地コース)を「欠場」し、この「インディ500」へ「電撃参戦する」と表明した、現役F1ドライバー、「フェルナンド・アロンソ」(1981-, スペイン出身)が、話題の「中心」となっていました(このことについては、4月19日付けの記事で書いています)。
http://ameblo.jp/daniel-b/entry-12267073669.html
「F1モナコGP」も、「世界3大レース」の1つですが、こちらは「ストリート」。高速走行の難しい「市街地」を駆け抜ける、「テクニカル・コース」となっています。対する「インディ500」は、とにかく、その「スピード」が魅力の「オーバル・レース」。1周2.5マイル(約4km)を、約40秒(平均時速約370km)で駆け抜けます。
インディアナポリス・モータースピードウェイは、1909年に開設された、歴史のあるサーキットです。日本で言う「重要文化財」に相当する、アメリカの「国定歴史建造物」にも指定されています。
1961年に、路面が「全面改修」となりましたが、当時の社長(現社長トニー・ジョージの父)の強い要望により、スタート/フィニッシュラインの1ヤード(約90cm)のみ、「歴史遺産」として、従来の「レンガ敷き」のまま残されました(実際には、レースに支障を来たさないように、特殊なコーティングが施されているということです)。このため、ハコ車のレースである「NASCAR」では、別名でもある「ブリックヤード」の名称が用いられ、「400マイル(約640km)」のレースが行なわれています。
さて、私自身、本当に「久々」となる、「モータースポーツ観戦」。それが、今回の「インディ500」でした。
1周が「2マイル」を超す「オーバル(楕円形サーキット)」は「スーパー・スピードウェイ」と呼ばれますが、今回、予選の模様を見ていても、アクセルを「ベタ踏み」のまま周回するという状況でした。「ポールポジション(予選トップタイム)」のスコット・ディクソン(1980-)は、232.164mph(平均時速約370km以上)となっていて、佐藤琢磨(1977-)も、日本人過去最高となる、「予選4番手(2列目インサイド)」という、絶好のスタートポジションをゲットしています(F1から参戦のフェルナンド・アロンソは、すぐ隣、予選5番手からのスタート。2人は、「チーム・メイト」となります)。
直線区間は、手前側(ホームストレート)と、反対側(バックストレート)で、各1km、ターン(コーナー)の傾斜(バンク)が「約9度」です。周回数は200周(500マイル=800キロ)で、おおよそ、30周から33周(約120キロ~130キロ)のうちに、「ピット作業(給油・タイヤ交換)」が必要となります。
サーキット社長、トニー・ジョージの「スタート・コマンド」により、各車一斉にコースへと入りますが、スタートは、「3列縦隊」(「インディ500」独特です)による「ローリング・スタート」(アメリカでは、こちらが「主流」)です。「パレード・ラップ」として3周した後、「ペース・ラップ」で1周し、隊列が整えば「グリーン・フラッグ」が振られ、「レース・スタート」となります。
注目のフェルナンド・アロンソですが、参戦するのが、マイケル・アンドレッティ(1962-, 彼は、現役時代、「CART(チャンプカー)のドン(首領)」的存在でした)のチームからで、コーチとしては、何と、あの、「ジル・ド・フェラン」(1967-)がついているという...(私の、「尊敬するドライバー」です。2000年、2001年、「2年連続」で、当時「激戦」だった、「CART」の「シリーズ・チャンプ」に輝いています。2001年、「もてぎ」のパドックで、「間近に」彼を見ましたが、その「偉大なオーラ」に、目がくらみそうでした...)。
こうした「事前情報」に、いろいろ驚かせられながらも、いよいよ「スタート」です..。
「F1」において、「2度のシリーズ・チャンプ」(2005、2006年)に輝いている「ベテラン」とはいえ、アロンソは、「オーバル・レース」においては、「ルーキー(新人)」の扱いです。しかし、「万全のサポート体制」ゆえか、「天性の資質」なのか、彼は、オーバル・コースでも、「F1」とまったく変わりない、「クレバー」で、「大胆かつ、安定した」、「キレキレの走り」で、「トップ」を走行します。
53週目、アロンソが「トップ」を快走する中、大変大きな「アクシデント」が発生します。1999年のCART最終戦、フォンタナ(カリフォルニア)で「事故死」した、グレッグ・ムーア(1975-1999)や、2003年の最終戦、テキサスでのケニー・ブラック(1966-, 1999年の「インディ500」ウィナーで、2001年「もてぎ」のウィナーでもあります)などを思い出させる「大事故」に、本当に「凍り付きそう」な想いでしたが、この日の「ポールポジション」でもあった彼、スコット・ディクソンは、「大事」には至らず、インタビューにも元気な姿で応じて、私たちを「安心」させてくれました。2001年、「CART第3戦 ナザレス(ショート・オーバル)」にて、「トップカテゴリー」としては「史上最年少での優勝」となった彼は、これまで、「CART」「インディカー」を通じて、「トップドライバー」として活躍してきました。私としても、「彼の活躍」にはいろいろと「思い出」がありますから、「無事」で、本当に「何より」、でした...。
この事故により、「フルコース・イエロー(・コーション)」がかかります(「ペースカー(セーフティカー)」の先導により、「減速」して走行。コース上の「障害」を取り除くためのもので、「F1」でも行なわれることがあります。「ロード/ストリートコース」では、「F1」同様、「ローカル・イエロー(部分徐行)」もありますが、「オーバル」では、「超高速」であるゆえに、必ず「フルコース・イエロー」となります)。しかしながら、コース上の「保安設備」にまで「破壊」がおよび、それを修復するために、「レッド・フラッグ(赤旗)」が出され、レースは「一時中断」となりました。
「レッド・フラッグ」が出されると、レースは「中断」で、基本的に全車「ピット」へ戻りますが、この間、「作業」は、一切することが出来ません。「オーバル・レース」で最も頻度の高い「赤旗中断」は、「降雨」によるものですが(低速でも「スピン」が続発して「危険」なため、ほぼ確実に「中断」となります)、この例では、2000年のCART最終戦「フォンタナ500マイル」が思い出されます。この時は、同時に「日没中断(サスペンデッド)」ともなったため、翌日「続き」が行なわれたのですが、長時間の中断のため、「エンジン故障」が続発し、完走はわずか「6台」という「超サバイバルレース」となりました(ジル・ド・フェランは、数々の「ピンチ」を切り抜け、「3位」でフィニッシュ。大荒れに荒れた「最終戦」で、「奇跡」とも言える「シリーズ・チャンプ」獲得でした)。
最近のマシンは、「浮き上がり防止」のための対策は取られているとのことでしたが、今回のスコット・ディクソンのケースでは、それでも「追い付かないほど」だったようです。本当に「ヒヤッ」としました...。
約20分の中断の後、レースは再開されました。
その後も、事故がいくつか起こり、レースはやはり、「荒れた展開」となってきました。「フルコース・イエロー」がほとんどない(あるいは「まったくない」)、レースも中にはあって、何度か見たこともありますが(2001年の「もてぎ」は、確か「2回」でした)、「荒れる」時には、本当に「荒れ」ます。
レースも「終盤」に差し掛かると、「エンジントラブル」も目立つようになってきました。「残り30周」の、最後の「ピット」のタイミングで、「フルコース・イエロー」がかかり、ここで、ほとんどのドライバーが「ピットイン」しました。
172周目の「リスタート」の後、179周目に、琢磨が「2番手」に浮上しましたが、続く「180周目」...。
「あ~あ...」
「ホンダエンジン」...。
心配されていたことが「現実」となってしまいました...。
「オーバル・ルーキー」とは思えないほどの「走り」を見せていたアロンソの「ホンダエンジン」が...。ここでついに...。
本当に、「残念なこと」ではありましたが、観客の温かい「スタンディング・オべーション」に、私も、「救われた思い」がしました...。
「会見場」ではない、「直後」のインタビューも、「F1」とは勝手が違うでしょうが、気さくに応じてくれました(表情も「穏やか」だったですね...)。私としては、「F1」よりも、「こちら」で走ってくれたらいいのにな...、なんて、思ったりもしました。
そのインタビューの直前ぐらいに、またしても「ヒヤッ」とする「多重クラッシュ」(184周目)が起こり、「9回目」の「フルコース・イエロー」となってしまいました。「原因」はさまざまですが、「終盤」には、こういう「クラッシュ」をよく見た覚えが...。やはり、「気がはやる」のも、「原因の1つ」かも知れません...。
残り「11周」で「リスタート」となり、ここからが「本当の勝負」となりました。
こうなってくると、やはり「ベテラン勢」は強いです。気付けば、いつしか「琢磨VSエリオ・カストロネベス」の「トップ争い」に...。
エリオ・カストロネベス(1975-, チームペンスキ-)も、かつては「ホンダ」で走っていましたから、日本でもおなじみのドライバーの1人です。2001年当時は、ジル・ド・フェランのチームメイトでしたし、当時の「チーム・ペンスキー」は、特に、「ロード/ストリートコース」で「最強」でした。次週行なわれる、「デトロイト・ベル・アイル・パーク」(公園内の周回道路を利用した、「ストリートコース」)は、2000年、彼が「CART初優勝」を遂げた、「思い出のコース」でもあります。この時に、フェンスによじ登って観客の声援に応えたことから(「喜び」を爆発させたことから)、彼は、「スパイダーマン」とも呼ばれていました。それ以降、これは、「優勝時」のパフォーマンスとして、すっかり「有名」となったのです。
「インディ500」でも、すでに「3回」も優勝しているカストロネベスを相手に、琢磨も、一歩も退きませんでした。残り「5周」でトップに立ってからは、ついに、その座を譲ることはなく、守り切りました!!
何と、「日本人」として、初めての「インディ500」制覇です!!
「優勝者」しか入ることの出来ない、「インディアナポリス」の「ビクトリー・レーン」に、彼と彼のマシンが初めて入ることになりました。もっとも、琢磨は、2013年に「ロングビーチ」(ストリートコース)で「インディ初優勝」を果たしていますので、これが「2勝目」ということにはなりますが、それにしても、こちらは「世界のビッグタイトル」の1つですよ!
本当に、「スゴイこと」だと思います...。
「アロンソ」を追って、久々に「レース中継」を見ましたが、そのおかげで、思いもよらない「歴史的瞬間」に立ち会うことが出来ました(「録画」ですけどね...。かつては、「リアルタイム」で見ることが出来たのですが...)。
琢磨は、2004年に、このサーキットの「ロードコース」(「オーバル・コース」も一部使用しますが、周回の方向は、「逆向き」となります)で開催された、「F1アメリカGP」でも、当時の、「日本人最高位タイ」となる「3位フィニッシュ」で表彰台に上がりました。彼にとって、このサーキットは、「縁がある」、というか、「ラッキープレイス」なんじゃないでしょうかね。
今回のレースでは、バディ・ラジア(1967-)といった「レジェンド」の姿も見ることが出来ました。
他にも、「知った顔」、「懐かしい顔」が何人も...(「ペンスキーチーム」のオーナー、ロジャー・ペンスキーが、10年前とほとんど変わらない姿だったのには、本当に「ビックリ」!!)。
「インディ500」。その「魅力」をすべてお伝えすることは、とても「難しい」です。
それでも、「少しだけ」でも伝えることが出来たのなら、私としても、とても「嬉しい」と思います。
長くなりました。それではまた...。
(daniel-b=フランス専門)