引っ越し物語~その① | いつかまた

いつかまた

【2024年1月より】
自分の好きな事や楽しいと思う事をたくさん書けたらよいなぁ
自分らしく生きていくために

1991年2月10日に結婚式を挙げ披露宴をした私たち

なので私たちにとっては2月10日が結婚記念日👫

33回め【去年書いたけど入籍は1月14日】

この日にむけて覚え書きとして書いておこう❤️


まず我が家は結婚して15年間で7回の転居を伴う家族同伴の転勤を経験しました

その後は単身赴任となり、自宅マンションを購入しての引っ越しと前回実家から新居への引っ越し、その他主人の単身赴任先への小さな引越等含めると10回以上の引越を経験しました


結婚を決めた時に「4月に転勤があるだろう」と言われてて私は3月末で10年勤めた銀行を退職しました

主人の会社は内示と言うのはなくていきなり転勤の辞令が出る会社でした

だいたい順番でそろそろとなり3月1日と8月1日に辞令が出て1ヶ月後には新任地に赴任でした

この時予想はハズレて4月の転勤はなく、私は憧れてた専業主婦になりました


呑気に毎日過ごしてたある日主人から電話がきて『山形だって』と

『なんのこと?』旅行行くの?くらい呑気な私

『転勤❗』

あー💦今日が辞令だって朝話してたけどすっかり忘れてた😱

転勤族の奥さんになった自覚がまだ無かった頃ですね


1️⃣山形ってどこ⁉️主人も北海道から出るのは初めての経験

東北なのはわかるけど行ったことないし😅

まず地図?ガイドブック?を買いに本屋さんへ行ったのを覚えてます

父と母も結婚は喜んでくれたけど実際転勤で地元を離れる事になった時は寂しそうでした


私は大人になって引越の経験もなく主人は引き継ぎとか送別会で忙しいので初めての転勤で引越もはじめてだらけでした😓

主人の移動中の着替え(普段着)を段ボールに入れて避けておいたのがいつの間にかトラックに積み込まれると言う失敗をしてしまったのもこの時でした💦

スーツとかYシャツは👜に入れてたので大丈夫でしたが😅


私たちは出会ってすぐ結婚して旅行にもほとんど行ってなかったので山形では休みがあればトライブに出かけて新婚時代を楽しみましたね💑


アパートのベランダで育てたイチゴ🍓が実をつけたと大喜びの主人😆パジャマなのはご愛嬌


羽黒山に出かけた時の写真ですね😁

主人は神社仏閣が好きだったので喜んで連れていってくれました🚗💨


主人の両親も私の両親もこんなことがなければ訪ねる機会のなかった山形に遊びにきてくれました

主人の両親は福島に縁があったので福島に足を伸ばして案内しました

1992年10月に山形で長男が誕生しました🚼

妊娠当初に切迫流産しかけて入院してたので「北海道に里帰り出産しないで山形で生みなさい」と言われ母に来てもらいました


【転勤引っ越しの我が家】

辞令が出て見ず知らすの赴任地での住まいを決めて引越やさんを手配して⬅️ここまでは会社経由で資料は送られて来ました

荷造りに関しては主人をほぼあてに出来ませんでした

引越しギリギリまで仕事をしてたしほぼ毎日送別会と言う飲み会🍻だったので私1人でした

転入する時は赴任休暇中なので一緒でしたが私のテンポとあわず揉めましたね😫

と言うのも「出る時は期限(引っ越しの日)が決まってるけど入ったあとはゆっくりやればよい」と思ってる私と、家のなかに段ボールが積んであるのが嫌な人だったのでとりあえず段ボールを開けまくるんです‼️

はじめての引越が8月末の山形でまだ暑かった🥵

北海道育ちの私には耐えられない暑さと、知らない土地にきて誰も知り合いのいない憂うつさで作業の手がすすみませんでした


その後私たちは引越の荷ほどきの度にケンカ😠言い合い?することになりました

毎回『次の引越は一緒にいかないから❗』と心に決める私でした、とさ😅

まぁ結局主人のおかげで早く荷物が片付き、我が家には【明かずの段ボール】は存在しませんでしたね😁

不満だったのはとりあえずで収納するのでそれを使いやすく入れ替えたりする作業は大変でした💦