リーかあさま記念館のブログ -78ページ目

もはやそこへ行くことは出来ないのか?

草津温泉街の中心から約3キロ離れた場所に国立療養所栗生楽泉園(以下:楽泉園)がある。
 
この楽泉園内に霜間(下間ともいう)という大変日当りの良い場所があります。
 
楽泉園が開園する前ここ霜間にはコンウォール・リー女史(以下:リー女史)が設立した「霜間愛友会」というキリスト教のサークルがあった、リー女史はここへ度々馬に乗って訪れていた。リー女史がここ霜間で描いた水彩画があります 大きな山々の下が現在工事中の八ツ場ダム建設地と思われます
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一昨年私バルナバ★うっP-はここを訪ねてみることにしました、道は楽泉園内の通称自由地区(下地区とも呼ばれ湯之沢から移転した人たちが住んでる場所)から入ります かつて楽泉園に勤務していた私は途中から道が崩落のため途絶えていることは知っていたけど いきなりの熊笹の藪・崩落箇所はさらに増えている・倒木・さらに熊が出る雰囲気とすっかり様変わりをしてもはやここまで状態だったのです、 ご覧のとおりです
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この先にはリー女史が行った聖バルナバミッションのホームがありました(参考:中村茂監修:写真集・コンウォール・リー女史物語P27)
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このホーム以外にリー女史が宿泊した家もありました、リー女史が宿泊した家は大変質素でしたがジョークを込め「霜間御殿」と名付けて気に入っていたそうです、 この御殿の鍵はリーかあさま記念館に展示しておりますご来館頂いた際は見てください、 御殿の写真も保管してありますが現在展示はしておりません 是非鍵とともに展示したいですね。
 
本日も10:00~15:00まで開館します 皆様のお越しお待ち申し上げます。
 
 
              (担) バルナバ★うっP-  でした

少女時代に大きな影響を与えた人とは・・・・・

大正~昭和の戦前まで草津温泉・湯之沢集落でハンセン病者たちへ救済活動を行ったコンウォール・リー女史(以下:リー女史)、その献身的な活動は病者たちから「かあさま」と呼ばれた。
 
当時は不治の病だったハンセン病、そんな病者たちになぜリー女史は生涯をかけまた全財産をつかってなしえたのか?
 
父を早く亡くしたため母の影響もありました、しかし英国での少女時代の13歳のころG・H・ウィルキンソン牧師との出会いが大きな影響を与えたことは間違いのない事実であろう
その時の牧師の言葉です、リー女史15歳の時です
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特に外国伝道についても強く影響を受けたそうです。
 
 
女流小説家でもあったリー女史、その内容はウィルキンソン牧師の影響が出ていると言われております。
 
 
ウィルキンソン牧師はこの方です、この写真はリー女史の遺品のアルバムに収められております。
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リーかあさま記念館では、このいきさつ・言葉・写真・もパネルにて展示してありますどうぞご覧ください。(写真については本物の展示ができればと思います)
 
 
本日の草津温泉は雨です、頌徳公園内にあり聖バルナバ教会に併設の「リーかあさま記念館」へどうぞお越しください。
本日も10:00~15:00まで開館しております、入場料は無料です。
 
                 (担)バルナバ★うっP- でした

一人たたずむコンウォール・リー女史

洋館の前にたたずむ一人の女性、静かに瞑想をしているのか? あるいはもう再びここへ帰ってくることはないこの地に思いを馳せているのか? あるいは湯之沢の谷間の人々のこと思っているのか?   場所は英国のハイ・リー 
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               (参:写真集・コンウォール・リー女史物語P38)                                                                湯之沢での喜寿祝賀会を開きコンウォール・リー女史(以下:リー女史)の長寿を祝ったその年の12月静養のため4回目の帰国をした。
 
 
帰国後年老いたリー女史は温暖な兵庫県・明石市に移り住んだ、ずーっとずっと湯之沢の病者たちのこと心配しながらこの世を去った、享年84歳。 人々に寄り添った人生であった。
 
ハイ・リーのこの家は父の死後から住んだ家です、今でもこの家ほとんど当時のまま現存しております、現在のこの家の写真(撮影:中村茂先生)がリーかあさま記念館に展示してあります是非ご覧ください。
 
本日の草津温泉は雨です、こんな日は記念館巡りがおすすめですその中にリーかあさま記念館も含めていただければ幸いです、本日も解説員一同お待ち申し上げます。10:00~15:00が開館です。
 
 
                (担)バルナバ★うっP-  でした