シリーズ 今日は何の日?
今日7月8日は104年前 当時草津町の山本町長から群馬県知事に 湯之沢移転請願書 が提出された日です。

(参:風雪の紋P403)
104年前は明治43年、すでに湯之沢集落が行政公認のもと形成されて23年の時を経ていた(コンウォール・リー女史(以下:リー女史)が聖バルナバミッションを開始する6年前である,このときリー女史は英国宣教師としてすでに来日しており東京付近で活動を行っていた時期です)
では、その移転先はどこか?
滝尻原でした、この滝尻原は現在リー女史が病者とともに眠る墓地がある場所でありリー女史の絵本(中村茂監修)の中に描かれている運動会の場所でもあります。
その後三上千代が服部ケサとともに日本人の手によるハンセン病者救済の為に鈴蘭村を作り救済活動を行った場所でもあります(服部けさは滝尻原での夢現実前に亡くなっております)
現在は国立療養所栗生楽泉園の職員官舎となったおります。
(担) バルナバ★うっP- でした
草津温泉のリーかあさま記念館は休まず開館します
いつもご来館ありがとうございます。
さて、当リーかあさま記念館は火曜日は休館日となっておりましたけど7月22日から8月末まで毎日OPENいたします。
7月16日~9月1日は毎日OPEN
時間は10:00~15:00
但し日曜日は12:00~15:00
(突発的事項により臨時休館もありえます、このブログでお知らせいたしますがその際ご理解お願い申し上げます)
さあ、間もなく夏休みが始まりますよね とっても涼しい草津温泉へいらしゃってください。
草津温泉は年間の平均気温が7.6度、最高気温の年間平均もなんと19.6度でさらに湿度が低い 年に数回の30度超えがあろうものなら草津町民は「暑い!暑い!」の連発 そんな草津温泉です。

では失礼いたします。
(担) バルナバ★うっP- でした
あの頃の「米一表の価格」は・・・・
天明後米一表価格表なる物があります、天明から昭和42年までの約100年間の価格表です。

天明といえば、リーかあさま記念館のある群馬県・草津温泉のお隣の嬬恋村では浅間山の大爆発で未曾有の大惨事が起こった年です、(古い!)
ごはんといえば日本人の主食、そして日本の物価の指数として重要な位置を占めてきました。 時代劇で良く使われることば”年貢”や”百姓一揆”つい最近でも”米騒動”等等・・・・
さてさて、米一表ってどんな単位なのか? 容積であったり重量であったり又時代とともにそれらの解釈は変わっていったようです。
まづは明治時代この表を参考に

そこで! コンウォール・リー女史(以下:リー女史)が歩んできた人生の中での価格はどうだったのか? (リー女史の人生の大半は英国ですが・・・・) なお、大雑把ながら概ね明治時代あたりは米一表の単位は60キロ?、一銭は200円?くらいで想像してください
今から157年前江戸時代末期の安政4年です、リー女史が生まれた年です、1円までにはまだまだ遠い!

明治20年、湯之沢集落誕生

リー女史の初来草(来草とは草津に来て頂いたときに使う草津用語です)は大正4年、聖バルナバミッション開始は大正5年です。

ちなみに、リー女史が来草してすぐに気に入って購入した「リー女史の丘」(現在のリーかあさま記念館がある場所でコンウォール・リー頌徳公園)は一丁六反(4800坪弱)は破格の3800円で購入しました。
昭和16年はリー女史が生涯を終えた年です。

草津温泉でのリー女史の食事はどうだったのでしょうか?
残念ながら彼女はごはんが苦手だったそうです、うどんは昼食に通訳の井上と食べたそうです。
英国人なのでパン食がメインだったのですね。
(草津温泉でのリー女史の家の賄い婦の通称”おしん”が焼いたパンは固くて美味しくなくリー女史がよく指導したとの逸話も残っております・・・リー女史この件に関してはオ・キ・ノ・ド・ク様でした)
本日の草津温泉は冷たい雨が降っています来草される方寒くない服装でお越しください。
リーかあさま記念館よりお知らせです、火曜日も間もなく開館のお知らせいたしましたがまだ決定しておりませんので明日は休館させていただきます、ご迷惑おかけします。
(担) バルナバ★うっP- でした