草津温泉&湯之沢で使われた用語解説 第3弾!
草津温泉限定のローカル語の紹介です、室町?~昭和の戦前?と思われます。
知っている言葉がありますか?
■異人花
霜間(現:国立療養所栗生楽泉園の敷地)に咲いているマーガレット(白花デージーの花)のこと、これはコンウォール・リー女史(以下:リー女史)がここに植えたもので当時の人はここのマーガレットを”異人花”と呼んだそうである。
■めしの種
宿に泊まる客のことを宿主がそう呼んだ、現在でも意味は違えど使われることがありますネ
■ほうそう
梅毒の異名、草津温泉にはこの病気の湯治客が多かった。
■ささ湯・・・(一つの治療法?)
こんな歌がありました
♪ 江戸のほうそう草津のささ湯なり ♪ や
♪ 江戸でやみ笹湯をこひて草津まで ♪ です。
江戸のほうそうなら草津のささ湯でなければ利かないという意味です。
ほうそうがすんだあと、米のとぎ汁に酒を注いで赤手拭にひたして軽く拭ってやったり、笹の葉を浸して振りかけたのである。
”ささ”は酒、”湯”は草津温泉のこと? ハンセン病の治療にはこの方法が用いられたのか?不明です。
■ヤソの坊主の説教
キリストの説教のことを揶揄してこう呼んだ。
■部落加盟金 (※部落というコトバは現在使われておりません)
湯之沢で払った、現在の町会費。
■お灸屋
温泉と共に草津温泉独特の治療法”点灸”をする旅館のこと。
いかがでしたか? リー女史もこんなコトバで会話したのかな?ちょっぴりタイムスリップでした。
リーかあさま記念館の回りにはすっかり秋風が木の葉を運んで来ています

こうなると”記念館の主役”が登場します。
この気になる木です名前はわかりません、この実は食べられるのかもわかりません、記念館の片隅に大きな実がいっぱいぶらさがってます。

リーかあさま記念館は本日
10時 ~ 15時まで開館しております
皆様のお越しお待ち申し上げます。
(担) バルナバ★うっP- でした
暗黒時代の湯之沢にあった”友情物語”!!
普段明るい性格でお客にも愛されていた男が急に無口になった。
この男Hと言い、湯之沢の旅館で番頭をしていた。急に無口になったのはHの病気(ハンセン病)が悪化して旅館から番頭を辞めて欲しいと言われたからである、大正6年コンウォール・リー女史(以下:リー女史)が聖バルナバミッションを開始した翌年である、湯之沢は暗黒の時代から脱皮しようとしている頃であった。

湯之沢の写真 教会?
Hは明日からの生活に困るし故郷にも帰れない、ここ湯之沢のとどまるには部落加盟金や家賃も前払いしなくてはいけない
ついにHは自殺を考え行方不明になってしまった。
湯之沢へ来る湯治客やここの住民に愛されていたHを皆で探し出し、彼の自殺を未然に防いだのです。
みんなで今後のHの生活方法を考えた
Hが病気になる前の職業は洗濯屋だったのか!
ここ湯之沢で洗濯屋はど~よ!という話になり
資金は彼を愛する人々が提供した・・・・・さらに彼らはクビになった旅館に行き「Hを使うだけ使ったのだから金を出せ!」 旅館は五円だしたそうです(多分大金?)
この集めたお金で開店したHの洗濯屋は大当たり!!お店大繁盛!!
さらにうれしいことに、Hの病気が段々と治っていった、信仰は嫌いだったHだがその後阿部千太郎の説教に感動して熱心な信者となった。(※阿部千太郎は聖公会ではないが、光塩会から招かれ伝道説教、聖書講義をしたことがある)
Hという男とリー女史どんな会話をしたのか?気になりますネ。
本日は、湯之沢であったハッピーストーリーでした。
こういう出来事が湯之沢の中心からその後”喜びの谷”へと変わる光となって行ったのかと思います。 いかに世が変わり時代が変わっても変わらないものがあるってことを教えて頂いたお話と思っております、

リーかあさま記念館は本日は休館日です、ご迷惑おかけしますがヨロシクお願いいたします。
(担)バルナバ★うっP- でした
今日は何の日シリーズ⑬・・・・高原の風はまだ逆風だった
リーかあさま記念館へ昨日もたくさんの ご来館いただきありがとうございます。 Itiren様ご一行の方々、元聖バルナバ教会の日曜学校の生徒さん他今後のご来館お待ちいたします。
本日は今日は何の日シリーズです⑬回目です、ご覧下さい。
88年前の今日大正15年、軽井沢~草津温泉の間に草軽電鉄が開通し東京からは勿論軽井沢かのアクセスが格段に飛躍した。残念ながら湯之沢へと向かうハンセン病者には乗車拒否をこの会社や草津温泉の上町(湯之沢以外の草津町)の一部がこの乗車を強化し徹底的に拒んだのである。勿論これに抗議し湯之沢では住民大会が開催された。その後県警も調停に乗り出し悪条件ながらもこの一定の条件下で協定をみたのです。その後国鉄の長野原線(現:JR吾妻線)が開通し”速い!安い!快適!”には勝てづその使命を終えたのです。
さて、湯之沢ではまだ逆風であったがこのちっちゃな電車は通称”カブト虫”と呼ばれ四千尺の高原の風の中を駆け抜けていたのです。これは浅間高原で描かれた一枚の油絵です

コンウォール・リー女史(以下:リー女史)が初来草の大正4年に工事が始まったのです、三上千代、服部けさもこの頃は信州沓掛駅(現:中軽井沢)で草津温泉行きの馬の背に乗り揺られ続けるとこのあたりに到着、ここは浅間山を左手に見て遥か遠くに草津白根山が見えるあたりである。
軽井沢~草津温泉の間のこの路線で最も印象の無い駅として”小代駅”がある、今は寂れている

ここを、リー女史やネテルソン、マギルそしてヒューレット、ポールラッシュ等が大勢高原、谷間と目まぐるしく変わる車窓を見ながら湯之沢へと向かっていったのである。
こちらリー女史らが草津温泉に第一歩を踏み出した草津温泉駅跡とそこに残る記念碑です

この電車は草津町の有志の方々の努力も勿論ですが、湯之沢のハンセン病者の投資もあったこと申し添えたいと思います。
草軽電鉄の映像があります、こちら草津テレビの力作ですご覧下さい。
3連休の最終日、草津温泉は大変混み合っております、時間に余裕をもってお出かけください。
間もなく10時ですリーかあさま記念館がOPENしますお出かけください。
(担)バルナバ★うっP- でした