リーかあさま記念館のブログ -57ページ目

蜂起!!

湯之沢を牛耳っていた「宿屋組合」と「温情団」。
 
 
今日はこの2団体のうち「宿屋組合」に立ち向かった「共同自炊会」の話です。
 
1まづは、「宿屋組合」・・・・とは?
 
明治の中頃から湯之沢旅館の申し合わせによって組織されたものである
 
その目的は?
同業の統制は勿論、湯之沢の政治・経済の両活動に貢献した・・・
 
事務所は?配置は?
地蔵坂の下にあり、事務員一名と評議員が10名いた。
 
2「宿屋組合」の実態は?
 
・草津町の行政区に入っているということは、納税の義務がある。
 税金の集金は「宿屋組合」の仕事、集金された税金は湯之沢の還付金
 として7割も返ってきた・・・・しかもこのお金の使い道をも決めていた。
 
・ハンセン病者がいると聞けば何処へでも「客引き」にいく。
  あの手この手を駆使しておどしてでも連れてくる。
 
・この組合は勝手に規則を作った
 〔一例〕泊まっている宿を出て世帯を持とうとすると高額集金した      り、この宿を出て家を借りる場合は一年分の家賃前納!!等
   (高い宿代の為世帯をもって安く滞在したいと考える者出現)
 
 
3で、どうなるか?
 
組合の大きな脅威に旅館にとどまることの出来ない者が増え、彼らは一人また一人と流浪の旅にでる、あるいは収容所(公立療養所のことと思われる)に入るしかなかったのである。
 
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                      湯之沢のイメージです
 
 
4ここで蜂起する者が出た!!
 
この暴圧に耐え切れないと有志8名が立ち上がった!
 
不当な束縛に対して住み心地の良い湯之沢に戻そうとしたのです。
 
この会「共同自炊会」であった。
 
 
5彼らは「共同自炊会々則」を作りこれを示し必死の覚悟での運動だった。
  しかし「宿屋組合」には阻害された。
 
6「共同自炊会」は仕方なく下の原(現:国立療養所栗生楽泉園内)に家屋を新築しこの団体設立に向けた!
 
              すると
 
7「宿屋組合」は不利を悟ったのか、その後居住者の便宜を図るなど少しの軟化を見せた
 
8当時の下の原は草津温泉街から離れすぎであり湯之沢にとどまれる者は多少の苦痛は忍び下の原へ行く者はあまりいなかった。
 
 
結果、この計画は実現することはなかったが
 
ちいさな蜂起であったが、湯之沢に一石を投じたことには変わりはない
ある意味彼らの犠牲的な行動は「宿屋組合」をほんのちょっぴりですが制したのかも知れない。
 
 
過日、ここ湯之沢での事業を断念したベルトランのお話をさせていただきましたけど、このときの反対者であった「宿屋組合」の実態をお分かりいただければと思います。
                   (文参:御座の湯口碑)
 
 
コンウォール・リー女史来草前のことでした。
 
 
リーかあさま記念館は本日は臨時開館しております。
    10時 ~ 15時 ですお待ち申し上げます!!
 
今朝6時の開館前です、快晴です!
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紅葉が始まった草津温泉:公園をサ・ン・ポ!

昨日は東京からバイクでお越しのお客様ご来館ありがとうございました、無事帰られたでしょうか? 次回もお越しお待ちいたします!。
 
草津温泉の紅葉も始まっております、見た目1割に届くかどうかの紅葉ですが写真でお楽しみください。
 
今朝のコンウォール・リー頌徳公園界隈の紅葉の紹介です。
 
 
聖テモテ館跡 この辺りで最も紅葉が早い楓です。
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ここ頌徳公園は楓が多くあり楓公園と呼ばれたこともある
10月には見ごろとなり”お見事!”の一言になります。
 
 
 
何やら工事が始まっている
 
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コンウォール・リー女史(以下:リー女史)の胸像前です、大きな段の上に胸像はあるので歩きやすくするために四段の階段を作っております
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リー女史の胸像付近もこんな感じになってきました
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うるしの紅葉がはじまりました
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聖バルナバ幼稚園跡地の楓です
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紅葉が始まったそんな中 大きなヒマワリが天に向かって咲いている、平和館跡地ですご近所のNさんが育てています
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平日ですが明日は祝日のため草津温泉は今日も混雑が予想されます、気をつけて来草ください。
 
リーかあさま記念館は本日も10時から15時まで開館しております
   ご来館ください。
 
尚、明日火曜日ですが10時~15時まで臨時開館しておりま    す、明日もが来館お待ちしております
 
 
              (担) バルナバ★うっP- でした
 
 

そこは湯之沢児童たちの楽しみの場所だった

明治から昭和の戦前、草津温泉にはかつてハンセン病者が暮らした「湯之沢集落」があった。
 
ここに暮らす児童の為に「寺子屋」がありやがて「望学校「ができた。
  本日は大正末期から昭和の時代の湯之沢の子供たちのお話です。
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                      写真は昭和10年10月
 
ここに暮らしこの学校に通う児童たちにとっての楽しみの場所があった、現在でもその場所は存在している。大谷地の池である。青空が広がっている今朝の草津温泉です。
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ここは、湯之沢から最も手近な散歩道の先にあった。今朝は湯之沢からこの大谷地の池(おおやちのいけ)へ行ってみた。
湯之沢の一番下部、湯川の案内板が見える、この森の奥が大谷地の池である、夕食後には湯之沢住民もこの湯川辺りから小さな落葉松林を抜けていったという。
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今では”大谷地公園”となっている、当時”一軒屋”と呼ぶ者もいた。
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湯之沢からこの道を歩いてきたのか?
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当時も今もここは観光客が訪れている(あまり知られていないので少ないです) まだ朝早いのでお客様は鴨だけでした(イエイエ住民かもしれない?)イメージ 6
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・・・・・望学校の先生が後日思い出としてこんな話を残している。・・・・・
 
8月のある日ここで児童をボートに乗せた、初めて乗るボートに児童たちは大騒ぎ!とびっきりの笑顔を見せた。
 
山に生まれ山に育ち、なおかつ特殊な環境におかれた児童に新しい経験をさせた先生はいつも 子供たちに学問を教え、見聞を広めさせてあるいはこれから社会に出て行く子供に自分の知っていること全部教えたい・・・・っと思ったのです。
 
 
・・・・・・・・・また、この学校の卒業生から・・・・・・・・・
 
「湯之沢では病気の子供でも小学校に入学できうれしかった・・・・」
 
 
学校は、多くの方々の寄付等により校舎、グランド、オルガン等を備えコンウォール・リー女史が開設したものです
 そして湯之沢に暮らしている能筆な者、算術達者な商人、雑誌記者たちが教師ととなり工事をした湯之沢住民共々と築き上げていったのでした。
 
 
 
紆余曲折で開設された湯之沢の学校について近日中? このブログで詳しく紹介したいと思います。
 
 
 
昨日ご来館いただいたEさんと韓国からの方ありがとうございました、次回のお越しお待ち申し上げます。
 
 
本日のリーかあさま記念館は日曜礼拝があるため
   12時 ~ 15時が開館時間となります。
 
 
                (担)バルナバ★うっP- でした