「リア充商店街」50分 下津優太(佐賀大学)監督
この作品だけが「正式なオープンシネマコンソーシアムによる作品」という事になるようです。
私の記憶が確かなら、クレジットには、企画や協力、脚本に数人ずつの名前があったはずです。いろいろな人の思いが盛り込まれてしまったのか、少々長くて、散漫な作品になってしまったかも知れません。
(ホームページによると、もともと1時間のドラマを作るのが今作のミッションの一つだったようなので「長い」という批判は当たっていないのかもしれませんが…)
でも作品の欠点って、作ってる本人が一番わかってることが多いんですよね。
わかっているけれど、それを改善できる状況にない場合もあるのです。
この作品をクサすのは簡単だけれど、これだけの人が関わった、これだけのボリュームの作品をまとめる大変さを思うと…。
…。
いや、ここはあえて、徹底的にクサして行きましょう。
麦は踏まれて強くなるのです。
まず、カメラが近いです。少し離れて望遠で撮れば、背景もボケるし女の子も美人に撮れるのに、ドキュメンタリーみたいなワイドで撮っています。勿体ないです。
そして、望遠気味でアップを撮る時は、役者の演技に合わせてカメラを動かした方が良いと思います。時々、構図のために役者の動きが制限されているように感じました。
それは主客転倒というもので、カメラが役者を追いかけて構図を保ってあげるのが主であるべきだと思います。
ストーリーとしては、ところどころ父親側のドラマが入っていたのが気になりました。
このストーリーは、謎を追いかけて行く探偵モノのフォーマットを借りて作られるべきだと思うのですが、父親側のドラマが入るせいで、いくつかの謎がストーリー途中に解けちゃうんですね。
聞き込みシーンの緊迫感のなさや、謎が解ける時のカタルシスのなさは、それが原因だと思います。
そして、一番違和感を感じたのが、ラスト近く「主人公が父親の過去を知って、ショックのあまり走り出してしまうシーン」です。あそこで一回、感情を爆発させてしまうと、父親と再会した時に爆発させられなくなっちゃいますよね。
父のことを調べるというのは、オープニングのネットサーフィンの延長線上にあるワケですから、もっと淡々とした静的な表現でも良かったかもしれません。
その果てに父と再会して、初めて爆発するのが王道(ベタ)な作り方ですよね。
どうしても走るシーンを撮りたければ、もっと手前にあったのではないだろうか…やっと手がかりを見つけて弁当屋さんに向かうシーンとか…。
あと、いろいろ事情があったのだと思いますが、父親がギターを弾いているのかも知れないのなら、楽器屋さんやライブハウスから聞き込みを始めると思います。
(…つづく)