仕事、家庭、勉強、自身の趣味や死生観などを日記のように綴っています。
惑星に行ってよかった。お母さんの 生ききった軌跡を辿った。お母さんのお骨は、温かい素敵な親戚が引き取ってくださった。今まで、お母さんに何かがあれば、私が葬儀をしたいと思っていた。お母さんを尊敬していた。 その事を連絡をくれた血の繋がらない孫娘のTチャンに話した。すると常連だった建設会社の会長も私と同じ事を話していたと。そして今回は、最後に親戚に取られ悔しくないのかとTチャンに話し、不貞腐れ(笑)、葬儀にも来なかったそうだ。会長はお母さんを大切にしていた。昔、学会の実行委員をした際の特別ゲスト、柳田邦男先生が基調講演で話された中で印象に残っている言葉、「心の中のカオスに脈絡がついた」まさに、そのような感じ。夕べは、薬を飲まずに眠れた。
惑星に夜到着した。昼の飛行機✈に乗り遅れ、夕方の飛行機に振り替えていただけた。感謝している。遅ればせながら、自分の病気の症状が掴めてきた。今週ずっとしんどくて(イライラもやもやの躁)、今日の朝は混合状態?酷暑の中、諸々支度をして、急げば間に合うのに急げず💦電車だと3回以上乗り換えがある。嫌になり車を選択した。大失敗。高速が渋滞していた。それでも45分前に空港に到着したが駐車場満車。予約しないと駄目なようだ。30分待ちと言われ諦めて、空港から少し離れた場所に停車。そこからタクシー🚖を呼び空港へ。5分前だった。何やっているんだか。空港内のバーでビールを飲み、その後寿司屋でビール。 来月は20年前からのボーイフレンド?2人とデートする。同病の教授とマザコン医師。2人とも前の旦那さんと別居した時に付き合っていた。まさかまた会うことになるとは。男性の一人は父子家庭、一人は独身。私はまた別居しているのだから、山本文緒『恋愛中毒』の中の主人公の女性みたいだ。悪い意味で。 背徳感はあるが、こうしなければ自分のメンタルを保てない。離婚する事を悩み続けている。
惑星のお母さんが逝去してから(連絡1週間前から悪夢が続いた)、不眠症完全復活、深夜覚醒だ。一昨日から眠剤を再開したら便秘症も復活。身体は正直だね。職場は教員マイナス10名で、相変わらず看護学校状態。昔の私なら3ヶ月で辞めた(逃げた)。今は収入を安定させたい。転職しても人間関係に慣れるまでは苦労する。気持ちの限界を感じた時、仕事を押し付けてくる上相手にぎゃんぎゃん言える。後から疲れても心が潰れないように、生き延びるため(仕事は減らないが)言わないよりはましだ。長くいるメリットも確かにある。休みにチケット制でお得な乗馬学校へ通う。赴任先の地元の乗馬クラブ。インストラクター→オーナーさん70代女性はお綺麗だが口やかましく指導してくださり有り難い。昨日は「あなたせっかちだから、力が入りすぎ、視線を向ける場所が違う」等と言っていただき、昭和の人だなと感じる。猛暑だから本来なら話すのもしんどいのに。以下も伝えてくれた。姿勢がなっていない。姿勢は大切。前かがみ癖の修正、お尻の位置。出来るだけ身体の重心を後方へ。馬への指示を出す方法。馬が理解し歩く迄のタイムラグ。子どもへの指示と一緒。手綱の使い方と足の合図。目線馬の降り方。基本の基。昔、伊豆の乗馬クラブの宿泊セットになった学校の授業で馬人間になれと言われたのを想起した。そこのオーナーも熱心な方だった。乗馬クラブは費用高額でも、正規で生徒になり馬の世話からしたほうが良いと話していた。コミュニケーションをしっかりとる事の重要性を感じる。そして、お馬さん以外にも保護犬大型犬2匹が可愛い。セラピー犬の様に。動物に癒される。
お母さんの葬儀の前日に連絡が入った事もあり、葬儀参加は出来なかった。お盆休みになんとか火星大学に出向き学会の準備をしていた。私には楽しみがあった。2ヶ月ぶりに彼に会うこと。だけれど、お母さんの訃報を聞き、咄嗟に彼と会うことを辞めようと思った。今日会う予定だった。お互い会いたいねと毎日朝晩LINE交換していた。本当は会いたかったけれど。そして、珍しく彼が子どものように、会いたかった、会いたい、ずっと一緒だよと書くのを読んでも信じられない。私は拗らせて、一度断りながら、今日やっぱり会いたいと言い彼を振り回し別れた。経営者で忙しいのに、試した。何故か、これ以上、のめり込むのは良くない。毎日朝晩LINEをくれるけど、大好きだと簡単に書くけれど、彼の行動が言葉と一致していないと感じていた。例えば2ヶ月前に会った時に、夜に別れる時、私の乗る電車のダイヤが乱れていたけれどじゃあねと山手線に乗って帰って行った事、私が話した事をほとんど覚えていない事、何も質問してこないこと、プレゼントを何もくれない事、要するに、セ〇レの一人なのだと思った。この外見で財力があるのだから、セ〇レ達にマメに連絡をする。ローテーション。それは仕事をするように努めている。何度か私は彼に怒り、アルコールで認知症になる人は嫌いとか、連休中に毎回連絡を要らないと伝えた。すると、ピタッとその行動は取らなくなる。LINEに下ネタも書かないで欲しいと伝えると次回から改善する。だけど、私が車で来ていても、お酒を勧めたり、あり得ない。1年半もの間、彼から毎日LINEをもらい、すっかり骨抜きにされていた。お母さんは、いつも私達夫婦を心配してくれていたから。メンタル的に辛くても、ロマンス詐欺もどきの、心泥棒の彼を断ち切る事を決意した。いや彼にとっては、何も悪気なくできてしまうのかな。私は真剣に仕事、論文作成に取り組まないと。日々自堕落になっているのを反省。
惑星のお母さんが逝去した。心臓発作からの突然死。80歳。お母さんは常々、私達夫婦を気にかけてくれていた。電話でもいつも「旦那さんは元気ですか」と声をかけてくれていた。お盆中は、火星大学に出向き、懐かしい人たちに会っていた。昨日の夜に惑星からの着信に気づいた。SMSにも届いていた。すぐに惑星には行けないけれど、49日迄には行きたい。大切なお母さん。
忙しくて疲れがたまり、珍しく22時に早寝する。2時30分に目が覚めた。最近は、坂口恭平著『自分の薬をつくる』を読んでいる。環境面は、単身赴任のアパートの転居がある。身体の変化は、50を過ぎて閉経して、少々運動しても本当に痩せにくい。仕事が実習や手当無しのセンター長業務で、雑多な内容からのストレスが多くて、乗り切ろうとして食べ過ぎている。最近は、この暑さに参っている。精神的には相変わらず怒りの衝動にかられることがあるが、程度は大きくない。おばちゃん職場なので喋れる人間が複数居るので安定しているほうかな。とはいえ、最近またメンタル休職がでた。休職した先生から、定期的に相談を受けていた。これで何人目だろう。入職後間もない、いじめられている先生から相談を受けるのは。上の職位の中で1番年下な私。職場はいまだ男尊女卑、年功序列なのだ。年中、人手不足の職場にありがちな問題。上が金亡者。スタッフを消耗品の様に捉えている。今は母を養うために継続している。継続しなければ、意見など聞いてもらえない事をこの年になり理解したᕙ(⇀‸↼‶)ᕗ
6時に起きるとじゃんじゃんと雨が降っていた。今日は実習先で講義をきくために学生全員と集合する予定であった。「絶対に遅刻するなよ、去年は遅刻やら授業中の居眠りやらが居て、終わった後に、もう辞めろ!と学生に怒った」そんな話をした後だった。私が遅れてしまった。参った。朝7時に出ているから30分前には到着して余裕で珈琲でも飲めると思っていた。現在車の修理中で、台車がレンタカーH社の車、今後はカーナビをつけないそうだ。厳密にいうとスマホと連動させるタイプ、私のスマホ、アンドロイドの古いやつで、うまく連動しなくて、スマホのナビ機能を利用していたものの、まさか一文字間違えていて、目的地と違う場所に案内されたのがまさかの30分前。非常勤の先生は気が利かないですから、二人もいたのだが私を待ってくれて電話してきた、先に初めてと指示も出せない。入って行ったら学生たちは全員集合、年上部下に電話して伝言を頼んだけれど、現場の非常勤にメール連絡をした機転が利かない(今朝は全部、私が悪いのだ)この年上部下と一緒に仕事するのがきつい。1年一緒に働き病んできた私(昔からか)。独女はかまわないけど恋人とか作ろうよ、異性じゃなくても友達と遊ぶとか、趣味満喫するとかないのか、、、寄れば触れば、ネガティブ発言💦彼女が仕事でもあちこち関係機関や学生とトラブルお越し、苦情が私にくるのだ。。。しかし、話は戻り、厳しいことを言ったあとだけに、、、やってしまった。学生が一生懸命参加していたのを見て、、、偉い。そしてバツが悪い。本当に金曜日はだめだわ、ていうか気合が続かないな、対応策を考えないとな。
春になり、三寒四温は、気持がふわふわする。週末に薬を飲まない日を作るので、怒りの発作がでた時は関係しているかな。なかなか思い通りにいかない。車を立体駐車場の柱にぶつけて凹んでしまったが、車屋さんが混んでいるとの事で後回しにされている。昨年夏もアパートの石の門にぶつけた。車屋の「先生は、またやりそうな気がする」という予言通りになった。結婚して12年、家人が2〜3年で新車に乗り換えるのをみてきた。私は、軽だし、新車が欲しい等と車屋の前で口走ってしまい夏に賞与があれば買い替えたいと言ったのを覚えているに違いない。それから、3月からアパートの2階の部屋を借りた。なにせ不動産屋が築何年かを開示してくれない程(おそらく30年以上かな)、下の部屋と2つ借りているが合計7万以内だ。yちゃんが去年泊まりに来た際は、「○ちゃん、このアパート病む、〇〇(私の職位)の住む部屋じゃない‼」と言っていたのが印象的だった。で、2階を借りて少しずつ物の移動をして気がついた。窓にヒビが入っていてテープで留めてある。かなり古い感じだ。1年前に出て行ったT先生は学生を気にして雨戸を閉めたままだったので目立たなかった。不動産屋のお爺さんはしたたかで(若干、色目を使ってくる╮(╯_╰)╭)、ちょっと様子を見てほしいとのらりくらり返答する。強気で出ればいいのかもしれないが、こちらも色々弱みがあって、やり過ごしている。新しい車にしたい事もアパートの部屋を2つ借りたことももちろん贅沢だと母に叱られ凹む。それからyちゃんの態度がよそよそしくて気になる。私、何かしたか?彼女の環境が厳しいのかな。まぁ、以前がベタベタしすぎだっただけか。頭の中は、四六時中あれこれ気に病み(これが私の持病だ)、忙しくて授業準備にも集中できずに、ましてや論文なんて無理だ。ただやりたくないだけかな。あと、人格を疑われるが(色々障害を抱えているから仕方ないと自分を甘やかす)、付き合っている相手が居て、彼の事を考えている事が多い。彼は年齢も上で大人で、明るくて、私の仕事の悩みに対して毎回フィードバッグしてくれる。随分まめで毎日朝晩LINEをくれる。私は彼を本気で好きになりたくないので(苦しいからだ)、出来るだけ会わないようにしている。二ヶ月に1回のペースに抑えている。家人との関係を何故断ち切れないか。はい、世間体だ。何度も名前が変わるのも、人に説明するのも気が重くて面倒だからだ。ただでさえ面倒臭がりなのに、国家資格の変更は、戸籍抄本に始まりお金も時間も手間もかかる。でもいつか、けじめはつけたい。
最初の勤務先の友人に会いに、なんと伊豆まで日帰りで行ってきた。太陽がサンサンと降り注ぐなか、てくてく歩いた。18歳で進学就職した大学病院の友人。朝と夕方働いて、日中学校に行き土日も働き、1日休みが月に2〜3日だった勤労学生だったあの頃。4つ上のリィ子ちゃんは不思議な人だった。彼女は病院を休職して全日制の看護学校に進み、その後20年以上、都市部で仕事をしていた。裕福な家庭のお嬢さんで世間知らずの所もあったが、気のおけない友人だった。彼女は2〜3年前から病気をして田舎に引っ込んでいた。私が22歳の頃に、人生初カナダへの海外旅行に誘ってくれて旅行をした仲だった。その後も定期的に懸賞で当選したイベントに招待してくれて、エンタメ仲間だった。お誘いは継続的で、一時期は毎月のように誘ってくれて、私は忙しかったのもあり断り続けた。今の職場に来てから彼女を何度か思い出し、なんだか誘いを断ったことが悔やまれ携帯にメールをした。そして、伊豆のあるミュージアムの招待をしてくれた。会うのは5年ぶりだから、新幹線と特急を乗り継ぎ飛んで行った。体調が良くなり、最近パートで仕事を始めたそうだ。美味しかった!旧友に会えて嬉しかった。
以前勤務していた大学で、教員が話していた内容に、「卒業式は、教員に対するご褒美」というようなコメントがあった学生が成長する姿を目の当たりにする事ができるからだ今年1年、部下2人が辞めて、1年中忙しかった学生が度々問題を起こし、実習場で謝罪する事も一度や二度ではなかった男子学生が反抗的で、保護者に連絡して、お願いしなくてはならない事も何度かあった大学教員の仕事ではないと思った煩雑な業務が続き、辞めたかったが辞められなかったでも今日、問題学生が別の男子学生と一緒に私のところに来た叱るというよりも、怒ってしまった事が多く、パワハラで訴えられるかもしれないなと感じていた私には口もきかずに避けていた学生が「先生お世話になりました」と、驚いた、アパートに戻りその話をすると、キッチンに立っていた母がしくしく泣き出した 驚いた、教員にとって卒業式は、苦労を忘れ浄化される日なのかもしれない
今はとても貴重な時間を過ごせている。昨年と同様に母と猫が真冬の間、私のアパートで過ごす。今日から1週間は受診やら所用で北関東の自宅に一時帰宅している。昨日は朝方少し仕事をして、自宅まで往復運転をする。この3週間、母と色々話をした。私は娘に戻り、ぶっちゃけ過ぎている。もう家人とはお別れしたい。正直、今までの経過が辛すぎて、もはや話し合いもしたくない。家人を信頼できない。今、私が所有している古民家を売り出している。マンモス大学所属中に購入した。築50年以上経っており売れるかどうか。売れたら、一部のお金を家人に渡して別れたいと話した。母は、「なんだそりゃ?」と返答した。結婚は勢いで出来るけど、離婚は本当に大変。母と先週富弘美術館に行った!運転がとにかく大変な山の上だが行けて満足だった、20年以上前にツアーナースの仕事で行った。あれから行きたいと思いながら行けなかった。富弘さんは昨年度お亡くなりになっていたのを知った。生前使用していた電動車椅子も展示されていた。美術館に生き、母は感動していた。人の噂話をしている時の母は嫌いだが、偉人の軌跡を知り感銘を受ける姿は娘として嬉しかった。
日中精神的に不安定になった。職場の理不尽な会議で怒り狂って?しまった。意見も聞かずに強引に、全員参加だと後出しジャンケンで、イベント分担を割り振られていた。私が代休の日に。今日だって、休みの中、この会議に出席した。長くいる人達は陰口ばかりで、おかしいと感じていても、意見を言わずに、文句を言いながら引き受ける。だからまたメンタル休職者が出た。昨日、薬を飲み忘れていたのと、私が彼への返信に、「内心は、出逢えた事に感謝して、抑えたい、不器用なので、しれっと色々出来ない。葛藤にちかい」と送ると、彼から「会いたくてしかたないけど、抑えている、葛藤しよう、ゆっくり」という返信をもらった。私は、しばらくは多忙で、会えないと伝えた。割り切って会う自信はない。のめり込んだ後が辛い。だから5月頃迄会えないが、取れなかった博士論文、頑張りたいと送る。わかってくれた。私の病気の症状は、子どもおばさんか?こんなに不安定になり会議で切れるなら、いっそのこと、セロトニン溢れる幸せな時間に、身を委ねてもいいのに。さらに欲が出て苦しくなる予想からそれが出来ない。
自分は変わらない。50も過ぎて、恋をしている。ただし、社会的には許されない。それは分かったうえで、ブレーキをかけながら大切に付き合いたい、お互いの立場もわきまえて、彼が会いたがってくれていることは嬉しいけれど、刺激が強すぎる。初めての経験のように感じるほど、押しの強さがあり、にも関わらず、何に対してもピンポイントで返してくれる頭の回転の速さと品よく対応してくれる洗練された雰囲気もあり、整った顔立ちと長身と野太い声なのにゆっくり話してくださって、どっぷりはまってしまいそうだ。でもわかっている。人様のものに手を出してはいけないことくらい。だからブレーキをかける。かれがまた逢いたがってくれていても。。。
『ああ無情』ブログに全く書いていなかった事がある。あえて書かなかった。yさんとお別れした後にK先生が退職し、T先生と喧嘩別れをした。心にぽっかり穴があいたが、仕事は毎日遅…ameblo.jp私の病気の特徴かな。誰かを好きになると気分が楽になる?何かを頑張ろうというモチベーションになる。残念ながら家人ではない。7月に書いた記事の彼に会った。ある身体の病気を抱えている事を打ち明けられた後、11月にお会いした。2回目は先週お会いした。LINE半年でようやくお会いした。凄い酒量を飲む方で驚いた。写真は芸能人のようだったが実物はまずまずのイケオジ風だった。私が仕事中心のLINEしかしないので、さぞかし男っぽい女と思っていたようだ。会った瞬間からリップサービス連発してくれた。居酒屋でお互いの家族の話をしビールにワインに飲みまくり→カラオケに行き、ハイボールを飲みまくり、酔った勢いで少々スキンシップもした。そして2度目にお会いし、驚いた、かなりお洒落なオジサンになっていて、会った瞬間緊張してしまい、恥ずかしくてモジモジしてしまった。彼はギラギラオジ?みたいになっていて、会う前のLINEには関係を進めたいという内容が含まれていたが、終わってしまう事も覚悟して、はっきりと、長い時間一緒に居られない事や切り替えが下手だから関係を進められない事、それが無理なら会わなくてもいい事を伝えた。私の要望を了解して会ってくれた事が嬉しかった。2時間ちょっとで、またしてもガンガンお酒を飲んだ。手を繋いで歩いた。亡くなった父が言っていた。「イケメンは優しい」。私は、よく踏み止まったと思う。
今の職場に移って2年半が経過した。今のアパートに住んで1年半が経過した。シングルマザーで男好き?エネルギッシュな年上部下2人が退職してもう少しで1年。代わりに鬱のマイナス思考の地味(ちびまる子ちゃんにでてくる暗い女の子を思い出してしまう)な年上部下が入ってくれてもう少しで1年。仕事が忙しくて、毎日が追われている感じだ。学生たちは可愛いが驚くほど勉強が嫌いだ。特に4年生は国家試験目前で個別指導が必要な学生数名を呼び出して勉強会を始めた。あまりに疲れ過ぎて、チョコレートやらパスタやらを夜に貪り食べた。書いていなかったが、私は家人に隠れてコソコソ煙草を吸っていたが年末喘息になり禁煙した。タイトルと関係がない内容(笑)。今、ある入試委員会の委員長になっていて選抜試験の内容を検討している。これが荷が重いのかな。とにかく無気力だ。
毎日無気力だ。仕事に行き、たまの休みは酒を飲んでいる。週に2-3回はジムやらヨガにも行くように努めている。気持ちがあがらない。そして性欲減退、ついに。11月で51歳になってから顕著だ。性欲が無くなり物欲もなくなり、食欲はあるが気力なし。そろそろ1階アパート生活に嫌気が刺したので不動産屋に行った。昨日の夜いやいや眠剤半錠飲んで睡眠を5時間以上はとれた。それで少しエネルギーになった。
今年は部下2人に辞められて、気忙しい1年だった。アパートも研究室もグッチャグチャ。次から次へと仕事があって片付かない。まぁADHDだから片付けも下手だけど。ブログが面倒で書かない習慣がついたかな。特にT先生が辞めてからポカンと心に穴が空き、気がつくと薄っすらとした?鬱状態で毎日がつまらないかな〜。風邪をこじらせて気管支喘息になり、薬も多くて不調だったのでデパケンを10日も飲まなかった。毎日快便だった。矯正の調整日だったけど昨日むりやり実家に帰り、車で戻るも何を思ったか途中迄一般道で途中から高速に乗りちょい遅刻。穏やかな先生でも予約時間帯の遅刻は駄目だ。5分くらいとはいえ、問題。穏やかに見えるけどとにかく説明をしてくれないので帰宅後に歯科に電話した。→受付が大変出来た人で助かる! 何しろ新しいマウスピースも渡されずに今付けているものを2月中旬迄付けてと言い出すのは明らかに変。最終的に1月後半になり早まった。電話する前に10日ぶりに内服した。怒り発作が出ない事を願った。論文も着手できない。授業準備が終わらない💦。
12月に入ってしまった。これから国家試験まで担任として学生に追い込みをかけなくてはならない。そのせいか(学会発表の準備や論文作成など自分の課題が進んでいないせいもあるが)、寝不足なのに深夜に目が覚めてしまい学生への指導内容を考えている。定期的に眠剤を飲まないとならないだろうが、できるだけ薬を飲みたくない。とはいえ、入試やら絶対ミスできない仕事が続くときは飲んでいるから。今のアパートのことも悩んでいて、転居も考えたが成人後も10回以上転居を経験しており考えただけで疲れる。突然何も言わずに出ていったT先生が住んでいた2階に移り住もうかと考え出していた。ここで被害妄想が出てきて(私が彼女を辞めさせて2階を奪ったみたいな)グルグルする。でも誰も移ってこないし火星大学退職後のT先生は現場の仕事も3か月で退職するのを繰り返していたし火星大学を紹介する前は私に電話をかけてきて保育士さんたちにいじめられるから死にたいだのなんだの泣いていた。あの時点で異常だと思わない私が異常なのかもしれないが火星大学だけでなく今の職場にまで呼んだ。結果もう一人の年上部下がT先生を毛嫌いし辞めていった。彼女は仕事をたくさんする人で助かったけれど欠点もはっきりしていた。年上部下から最近私がどれだけ配慮してくれたかわかったというような感謝メールが何度も届いた。彼女は世渡りがうまいの下手なのかわからない。T先生からは連絡無しの礫。冬にまた母を呼びたい。夜驚症だから私も何度も起きてしまう。
金曜日の夕方、20年以上のお付き合いのI先生と授業の打ち合わせ兼、食事をした。I先生は、1年前にお母様を亡くし悲嘆から立ち直れていないと話していた。そして私に、「あなたは異性の親を亡くしてよく頑張ってきたと感心している」と言った。春に授業の打ち合わせでお会いした時も同じ事を言っていた。I先生は繊細で不安定なところがある人だけれど関西育ちで言葉には訛りとユーモアがあった。20年前に出会った時の私はI先生に惹きつけられてしまった。3人兄妹の長男であり年齢も5つ上で、失踪して何年も会っていない兄の面影を重ねた。紆余曲折ありながら腐れ縁の様に?関係が切れずに続いていた。I先生に会ってしまうと、私は家人との関係を解消したいと考え出す。春もそうだった。それを予言したかの様なI先生の昨年12月のラインが残っていた。「私と関わるとあなたの名字が戻ってしまうような気がします。私は消えたほうが良くないですか」と書いてきた。 何を抜かすイケメンでもないくせにと、その時は思った。今、彼の予言通りになりそうな自分が居て戸惑う。1週間の疲れと、I先生と心身のコミュニケーションをとってしまい、心が大きな揺れを感じた。そのせいか翌日は、ヨガを2本やった後に、家飲みでビールと赤ワイン、お寿司、ポテチ、チョコ、お煎餅、柏餅。過食しまくった┐(´ー`)┌。痩せたいという気持ちがあるが、不安発作には勝てず、安価で刹那的な方法で不安を解消してしまい落ち込む。浮腫みによる体重増加、胃腸への負担、何より飲酒後の深夜覚醒に苦しんでいる。祝日で休薬している事もあると思うが。ぐうたらな私を猫が心配して看に来てくれた。なんて可愛い。
兄貴の誕生日で感傷的に始まる10月ももう少しで終わる。来月で私は50と1歳になってしまう。。。そして11月は気温がぐっと下がるので鬱になっていく予定。ということで来月からホットヨガを再開することとする。ついでに昨日5か月ぶりに、おじいちゃん先生の外来にも行き内服薬を処方してもらった。思えば10月は予想だにしていないことが起きた。9月に異動を取りやめた後、10月に入り中学の時の友人と一緒に大好きなM先生のコンサートに行き、M先生の住む北関東の県内の文化会館に行く道中、コンサート、帰りの車内のおしゃべりもとても楽しかった。その後も北陸での学会発表があり、新幹線移動前日にやっとポスターを完成させた。老化で作業するスピードも思考も遅くなっていると感じる。なかなかやる気も起きなくて。。学内は相変わらず人不足で、私の領域の仕事外のことも押しつけられそうになることが多々あり、部下を守るために代弁しても、部下も部下で長期休職を前職でしており、上司とトラブって私の領域に異動になった人だから、何やら認知の歪みがひどかったり、時々被害妄想になったりする。それでも、私の今回の発表する内容に入ってもらい、できるだけ負担が無いように、彼女にしてもらうのは私が作成した原稿の誤字脱字をチェックしてもらったりする程度の構成にしている。業績がなければ雑巾のように使われる私たちの世界なので、私の発表内容に名前が入ることは嬉しいようだ。オープンにしていないだけで、私だって彼女と同じような病気なわけで、でも最近、彼女(年上部下)と接していると自分を見ているようだなと思う。ネガティブなんだよね。全ての情報をネガティブにとり、勝手に苦しくなっていく感じ。私にもそういうところがあるから。話は前後するが北陸の学会で退職後初めて、惑星のA先生に会ったのだ。僕を連れてきていて、大きくなっていて、私にプレゼントをくれた後も私の手を離さなかった。A先生からしっかりレッスンされたなぁ~と思う反面、再会が嬉しかった。驚いたのはA先生は私に謝罪をしてきた。私が惑星にいたのは、もう5年も前の話ではないか。学会に行くとポスター発表とはいえ緊張するし高揚して、行きの新幹線でワインを飲み、会場で久しぶりに会う先生方と飲みに行き、ハイテンションになり帰りの新幹線もビールをいただき飲み過ぎていた。そして、この後、2週間も経たないうちに本学におけるA先生のリモート授業が実現した。その日は高校の出前授業が重なり(学生獲得のために人がいなかろうが定例の授業が入っていようが広報の仕事は断れない)、陰性症状真っ盛りの年上部下が担当になった。驚くことに年上部下は教育歴20年以上という割には、高校の出前授業は初めてだそうだ(本当に大学勤務をしていたのだろうか?)。キャリアの為にも是非行ってきてということになり、年上部下の代わりに定例の授業を一部順番を変更して私が担当した。しかし担当する内容は専門外。退職してしまった先生が得意な母子保健やら医療的ケアが必要な子どもの話やらをしなくてはならなかった。教員がテキスト等で改めて勉強したことを授業するよりも専門の先生を非常勤講師として招きレクチャーしてもらったほうが学生にとって利益になる。ということでA先生に依頼すると快諾してくれた。授業は感動的だった。僕の話をたくさんいれてくれていた。授業の途中で何度も私に対して御礼や謝罪が入っていた。今の大学は待遇も悪いし私の専門外の領域責任者にされているし、本来ならすぐに脱出したほうがいい職場かもしれない、、それでも悩んで悩んで継続することに決めた今、良かったのかもしれないと思っている。惑星大学や火星大学をあっという間に退職してしまったことを私はやはり悔いているから。年上部下を見ていると自分を見ているようで。何でも真に受けて、勝手に苦しくなって、自爆して。。どんな事情があろうと何度も同じように転職を繰り返す私は、根無し草のガキんちょ。子どもおばさんだ。したたかにやり通したい。本当に大切な人に出逢った経験は、その人がかけてくれた言葉は、たとえ今は全く関係なく、私のことなど意中に無くても、私の脳裏にはあるようだ。火星大学も長続きしなかった自分は、やり切ったから仕方ないと思えるけど、今いるこの職場をもう少し踏ん張らなくてはならないとと思っている。