仕事、家庭、勉強、自身の趣味や死生観などを日記のように綴っています。
先日、誕生日に誰からも祝福されずに辛くなり、昔の日記を読み少し癒された。本日続きを読んだ。恋愛中心の頭の悪い女子高生の私が居た。少女小説気取りの内容で苦笑。虐待家庭(父からの身体、精神への暴力)で育っているが、中学生になる頃には兄が守ってくれていたのだろう。父からの暴力はなかった。高2の時に彼氏ができた。友人の彼氏の職場の同僚で、3つ年上で都内出身。単車に2人乗りして、私の習い事に迎えに来てくれたり、優しく、プレゼントもよくくれて、フランス料理のテーブルマナーまでレクチャー、私を姫のように大切にしてくれた。2年後にはストーカーのようになったが、出会った頃は溺愛、初々しい。女子高は、看護科だった事もあり3年間愛情深い女性担任、クラスも同じで、友人に恵まれた。日記を読み返して、私の人生の中で1番周囲からの愛情を受け、恵まれた時期だったと感じた。北関東の田舎で、担任が勧めてくれた学校に進学していたら、私は今とは違った人生になっていたのかな?『ベイブ都会に行く』そんな映画があった。私みたいだ。日記を読むと、高校3年間があまりに充実していて。なのに、卒業後に担任の反対を押し切って、都会の学校に進学就職した。定時制で働きながら正看の資格を取るのは、本当に大変だった。だけど、最初の旦那さんにたくさん助けてもらったから乗り越えられた。感謝を忘れずに生きていこう。今は贖罪の日々?。今も毎日、大変だ。
若い頃、昭和や平成の時代、クリスマスとかバレンタインとか、とても盛り上がっていた。けれども何より自分とパートナーの誕生日を大切に考えていた。それは友情においてもそう。最近、子どもがいない人生って、後半寂しいもんだろうなぁと思ってしまうことが多くなった。何年もぼんやり悩んでいた、家人と別れることを決めてからのように思う。それは誕生日を確実に祝ってくれる人を失う事だと気づいていたからだ。母にとって子どもである私は、母の日のプレゼントを欠かさないし誕生日も忘れられない。先日も母と叔父夫婦を温泉に1泊旅行に連れて行ったりもした。しかし母からは子どもの頃、祝ってもらった事はない。。。そして今回の誕生日は母からも妹からもおめでとうの言葉がないではないか。そう書くとすごく悲しい感じだけれど、極貧家庭、早くに両親を亡くした母だから仕方ないと思っている。妹も中年になり仕事や家事で忙しいのだろう。。惑星のお母さんが急遽してから、心の変化と周囲の人間関係の変化があった。まずイケオジと無理矢理別れた。すごく辛い、未練を吹っ切るつもりで、教授に連絡をした。昔大好きだった人。何度か連絡を受けたけれど放置していた。何故か?私の今後の論文作成について協力が得られないのと、彼から恋愛関係を迫られると昔の記憶が蘇り怒りに近い気持ちが再燃していたからだ。しかし1年ぶりに再会した教授はとても穏やかだった。私の博士論文を心配し自分の大学で提出できるように4時間も時間をとってくれた。驚いた。惑星のお母さんを失った後、悲しみと怒りとで本能的にイケオジと別れた。最高の快楽をプレゼントしてくれるイケオジに、私は夢中になりかけた。お母さんの事がなければ享楽にどっぷりつかり関係を断つことは出来なかったと思う。教授に連絡する事で、大変重要な再会(再開?)に繋がるのだから、スピリチュアルなものを感じずにはいられなかった。もう一人の異性、マザコン、シスコンの独身医師。私に誕生日前後数日間、旅行の提案をしてきた。いくらなんでも、それは無理だと伝えた。私の誕生日のための旅行というよりも、彼は惑星で開催される学会に参加するのだ。惑星好きな私なので一緒に行くと思ったらしい。相変わらず非常識だ。肝心の誕生日は仕事関係で会ったのだけれど、彼は誕生日だという事を忘れていた。当日は誰にも伝えないでいた。驚いた。大変だ。今年の誕生日は誰からもおめでとうがないではないか。家人に手紙で別れを伝え、先日家人の留守中に冬物を取りに行った。家人からは何一つ言ってこないけれど、おめでとうの連絡がないのは初めてなので、これが答えだ。あまりに辛くて、私から医師が帰った後にラインで伝えると(私は残業があったので部下に車で彼を駅まで送迎してもらった)、何度も彼からラインが届き私の誕生パーティをするから何時なら都合がいいかと聞いて来た。何度提案されても断った。言葉では好きだとか調子の良いことを言ってもダメだと大人げないが思った。私の誕生日の翌日には、旧友と会う約束をしていた。ある美容家(iで始まるかた)の講演会の招待券が当たったのだった。笑いがとまらず楽しかったし感動した。参加できて本当に良かった。1日遅れの最高の誕生日プレゼントだった。そして分かった。私が誕生日に異様にこだわる理由を。亡くなった兄が、私の誕生日を一生懸命お祝いしてくれていたからだ。これだったのだと、何故か、翌日気づいたのだった。大江千里のCDをくれたり、ディズニーランドに連れて行ってくれたり。親代わりになって、愛情を注いでくれた事を思い出した。強迫的なまでに、私が誕生日にこだわってしまうのは、本当に私を大切にしてくれたのは兄だったのだな~。
ある財団の研究助成金に申請していたが不採択だった。去年は次点の連絡がわざわざ入った。今回は同じ計画書をブラッシュアップして出したのに、なんで駄目?科研費申請も3年連続不採択だったから今年は申請する気力が消失してしまった。なんだか自信喪失する。資金が全てではないが、採択される事は価値を認められる事だからやる気に影響力する。
私は覚醒したのかな?お母さんは内縁の妻だった。訃報の連絡を受けたあの日からイケオジと別れた。今もたっぷり未練があり、会いたいが、断ち切る為にLINEを削除した。先方からの連絡を待っているが、執着心が非言語で伝わっているのか連絡は来ない。おかしな人と思っているかも。とにかく今、私がやるべき事が見つかった。中毒になる前に荒療治。快楽を知り本能に負けそうだが、目を覚まし、論文に取り組む。子どもが居ない私は、仕事を極める。それが生きる道。今頑張らなくて、いつ頑張るの?私。
昨日南関東の自宅から戻り気分は低迷気味だ。本日は、イベントあり休日出勤。実習の成績をつけたり、シラバスを修正したり、私が長になっているセンター関連のスタッフにメールをしたり、年上部下宛に、複数業務のメールを書いたり、学生と話したりしているうちにあっという間に夕方になっていた。人生の正午を過ぎて、気持ちは鬱気味かな。昨日置き手紙をしたが、家人からは案の定、何も返信はない。困った事に、経営者イケオジと会いたくて仕方ない。先日、地方の学会で泊まったホテル内の和食屋で日本酒🍶を飲み、ついついLINEを送ってしまった。無視してくれればいいが、翌朝返信がきた。「大好きだからね」とか書いてあった。せ◯レのローテーションメンバーには、もれなく送っている挨拶だと思われるが、そこに行為を伴うと、せ◯レ会員と分かっていながら本気で好きになってしまいそうになる。だから、会わない様に我慢している。私はメンタル弱くて無理だ。割り切れない。彼に家の売買についても相談し、的確な助言をもらっても、私には交渉は無理だとグダグダ書いた、ついでに最近の私の写真を送ってしまったら、珍しく冷たく突き放された。先月、ドタキャンした後に、グダグダ書いたからだろう。幾つになっても変わらない私。来月、同病の教授と会う。月イチペースになりそうだ。昨日は教授と医師から連絡がきた。BBA相手に綺麗だ可愛いだとリップサービスは嬉しいが、2人はガリ勉タイプだから。あんまり遊んでいない。もちろんイケメンでもない。人生のほとんどが勉強時間だろう。イケオジの様にセクシーではない。女性慣れしている彼に、会いたい。でも、会わない。イケオジ中毒になるのが予想がつくから。そんな事になれば、どんどん、自堕落な私になっていく。それは避けたい。彼を思うくらいは自由なはずだ。我ながらクズな内容だと自覚している。妄想している事を書くくらいなら許される。それほどまでに追い込まれている。仕事のストレスには勝てない。だけどもう辞められない。
家人と別れたいと思っていて、それが彼に伝わるのか、未練ある態度をとられるのが嫌で会いたくない。ここ何年かまともに話し合ってもいない。10年以上前に彼から別れようと言ってきたわけで、あの時、なぜ私が別れずに踏みとどまったのか、世間体かな。あの時はマンモス大学から文系の大学に移ったばかりだった。今の超絶ブラック職場と比べると当時の大学教職員はすこぶるまともだった(学部長以外)。そんな中で再婚してすぐに離婚などしたくなかった。家人は自分の心のうちを話さない。思えば結婚する時からそうだった。私は彼をスペックで選んだ。一流大卒、大企業、長身、スポーツマン、顔もまずまず。私は人として欠損しているところがある。しかし、子どもを作るなら少しでも良い遺伝子を残したいと思うのは女性の本能だろう。そもそも、そんな高スペックが40前半まで一度も結婚せずに残っているのなら、何か問題があると疑うべきだった。彼は緘黙である。ニコニコしているが言語的コミュニケーションは無理に近い、恋愛感情が盛り上がっているときは、夫婦の非言語的コミュニケーションはしっかりあった。3~4年経てば脳の錯覚も修正され、あばたもえくぼが、えくぼもあばたになってしまった。それでも彼が私に未練をみせるのは、おそらくビューティーお姉さまのさしがねだと思う。姑が亡くなった時、亡くなった後、私はビューティーお姉さまの本性をみた。外見は芸能人のようにきれいでも、話す言葉も話し方も綺麗でも、あの時のことが忘れられない。。うちだけではない、よくある話かもしれない。お家騒動。大企業を定年前に勝手に辞めた家人に、私と別れるなと言っているに違いない、私の職位に対して未練があると勘ぐってしまう。たぶん、それほど外れていない。今回の私の家を売る件、、不足書類を取りに南関東の自宅に帰るとあ~庭の草ぼうぼう、草むしりは何も考えずにできるから好きだし、草ぼうぼうは空虚な気持ちになるから嫌だ。しかしお昼に歯医者の予約があり(遅れると女医さんが怖い)今日は時間的に無理だ。後ろ髪を引かれる思いだった。家人にしょんぼりされると情がでるが、猫と同居できない潔癖さ、子どももいらない、そもそも自分の感情を口に出せない、どう考えても一緒には居られない。お互い寂しいから一緒にいるのは違う気がする初めて手紙に書いた。仕事と母の介護に専念したい、年度末には荷物を全部持っていく。手続きも済ませると書いた。そもそも、、昔あれただけ言っていたのだから、彼から別れると言ってほしい。
私の古民家の買い手が決まったらしい。だけれど、購入時よりも価格が下がる。160万以上。古民家の解体費用のため。母も妹も、他の不動産屋にも相談したらと。私は、早く売却してしまいたい。木造平屋の管理が大変だから。だけれど、母と妹の反応やコメントにもやもやが止まらない。
そんな中で、学会発表に行ってきた。えらいぞ、私、新幹線も乗り遅れたけど、のぞみの指定席券取り換えたくても、昨日の朝の東京駅の大混雑で、自動指定席券売機の順番は15分待ち、けれどもQRコードが不具合で、切符は出てこない対人も20分待ちで自分の順番、これは改札外の自動指定席券売機でと。分かりにくいね。ネットで購入したものは、前日までに引き換えないとダメダメしかしながら、休職中の先生の領域の病院実習に行くはめになり、というか、私の職位は1番上では??いや、その職位の中で1番年下なので、結局1番下の扱いね。うちの職場は思いっきり昭和、フジテレビ。。ピンポイントの学会での発表、学会で聞きたかった基調講演やシンポジウムも間に合わない。疲れて、疲れて、のぞみに乗れずにこだまに乗っているのだから。昔の職場の知人たちと会い、同窓会状態、、、皆驚く、なんでそんなに仕事してんのか、、、結局転職しまくったから、、、転職するたびに職場のレベルは下がるのよね。もう辞められない。。。実母が辞めないことを喜んでくれるうちは。自分のエゴより家族が大切だ。子どもはいないが、母は大切な家族だから。生きているうちに、母が絶対辞めるなというのだから、絶対辞めない。蟹工船でもね。
惑星に行ってよかった。お母さんの 生ききった軌跡を辿った。お母さんのお骨は、温かい素敵な親戚が引き取ってくださった。今まで、お母さんに何かがあれば、私が葬儀をしたいと思っていた。お母さんを尊敬していた。 その事を連絡をくれた血の繋がらない孫娘のTチャンに話した。すると常連だった建設会社の会長も私と同じ事を話していたと。そして今回は、最後に親戚に取られ悔しくないのかとTチャンに話し、不貞腐れ(笑)、葬儀にも来なかったそうだ。会長はお母さんを大切にしていた。昔、学会の実行委員をした際の特別ゲスト、柳田邦男先生が基調講演で話された中で印象に残っている言葉、「心の中のカオスに脈絡がついた」まさに、そのような感じ。夕べは、薬を飲まずに眠れた。
惑星に夜到着した。昼の飛行機✈に乗り遅れ、夕方の飛行機に振り替えていただけた。感謝している。遅ればせながら、自分の病気の症状が掴めてきた。今週ずっとしんどくて(イライラもやもやの躁)、今日の朝は混合状態?酷暑の中、諸々支度をして、急げば間に合うのに急げず💦電車だと3回以上乗り換えがある。嫌になり車を選択した。大失敗。高速が渋滞していた。それでも45分前に空港に到着したが駐車場満車。予約しないと駄目なようだ。30分待ちと言われ諦めて、空港から少し離れた場所に停車。そこからタクシー🚖を呼び空港へ。5分前だった。何やっているんだか。空港内のバーでビールを飲み、その後寿司屋でビール。 来月は20年前からのボーイフレンド?2人とデートする。同病の教授とマザコン医師。2人とも前の旦那さんと別居した時に付き合っていた。まさかまた会うことになるとは。男性の一人は父子家庭、一人は独身。私はまた別居しているのだから、山本文緒『恋愛中毒』の中の主人公の女性みたいだ。悪い意味で。 背徳感はあるが、こうしなければ自分のメンタルを保てない。離婚する事を悩み続けている。
惑星のお母さんが逝去してから(連絡1週間前から悪夢が続いた)、不眠症完全復活、深夜覚醒だ。一昨日から眠剤を再開したら便秘症も復活。身体は正直だね。職場は教員マイナス10名で、相変わらず看護学校状態。昔の私なら3ヶ月で辞めた(逃げた)。今は収入を安定させたい。転職しても人間関係に慣れるまでは苦労する。気持ちの限界を感じた時、仕事を押し付けてくる上相手にぎゃんぎゃん言える。後から疲れても心が潰れないように、生き延びるため(仕事は減らないが)言わないよりはましだ。長くいるメリットも確かにある。休みにチケット制でお得な乗馬学校へ通う。赴任先の地元の乗馬クラブ。インストラクター→オーナーさん70代女性はお綺麗だが口やかましく指導してくださり有り難い。昨日は「あなたせっかちだから、力が入りすぎ、視線を向ける場所が違う」等と言っていただき、昭和の人だなと感じる。猛暑だから本来なら話すのもしんどいのに。以下も伝えてくれた。姿勢がなっていない。姿勢は大切。前かがみ癖の修正、お尻の位置。出来るだけ身体の重心を後方へ。馬への指示を出す方法。馬が理解し歩く迄のタイムラグ。子どもへの指示と一緒。手綱の使い方と足の合図。目線馬の降り方。基本の基。昔、伊豆の乗馬クラブの宿泊セットになった学校の授業で馬人間になれと言われたのを想起した。そこのオーナーも熱心な方だった。乗馬クラブは費用高額でも、正規で生徒になり馬の世話からしたほうが良いと話していた。コミュニケーションをしっかりとる事の重要性を感じる。そして、お馬さん以外にも保護犬大型犬2匹が可愛い。セラピー犬の様に。動物に癒される。
お母さんの葬儀の前日に連絡が入った事もあり、葬儀参加は出来なかった。お盆休みになんとか火星大学に出向き学会の準備をしていた。私には楽しみがあった。2ヶ月ぶりに彼に会うこと。だけれど、お母さんの訃報を聞き、咄嗟に彼と会うことを辞めようと思った。今日会う予定だった。お互い会いたいねと毎日朝晩LINE交換していた。本当は会いたかったけれど。そして、珍しく彼が子どものように、会いたかった、会いたい、ずっと一緒だよと書くのを読んでも信じられない。私は拗らせて、一度断りながら、今日やっぱり会いたいと言い彼を振り回し別れた。経営者で忙しいのに、試した。何故か、これ以上、のめり込むのは良くない。毎日朝晩LINEをくれるけど、大好きだと簡単に書くけれど、彼の行動が言葉と一致していないと感じていた。例えば2ヶ月前に会った時に、夜に別れる時、私の乗る電車のダイヤが乱れていたけれどじゃあねと山手線に乗って帰って行った事、私が話した事をほとんど覚えていない事、何も質問してこないこと、プレゼントを何もくれない事、要するに、セ〇レの一人なのだと思った。この外見で財力があるのだから、セ〇レ達にマメに連絡をする。ローテーション。それは仕事をするように努めている。何度か私は彼に怒り、アルコールで認知症になる人は嫌いとか、連休中に毎回連絡を要らないと伝えた。すると、ピタッとその行動は取らなくなる。LINEに下ネタも書かないで欲しいと伝えると次回から改善する。だけど、私が車で来ていても、お酒を勧めたり、あり得ない。1年半もの間、彼から毎日LINEをもらい、すっかり骨抜きにされていた。お母さんは、いつも私達夫婦を心配してくれていたから。メンタル的に辛くても、ロマンス詐欺もどきの、心泥棒の彼を断ち切る事を決意した。いや彼にとっては、何も悪気なくできてしまうのかな。私は真剣に仕事、論文作成に取り組まないと。日々自堕落になっているのを反省。
惑星のお母さんが逝去した。心臓発作からの突然死。80歳。お母さんは常々、私達夫婦を気にかけてくれていた。電話でもいつも「旦那さんは元気ですか」と声をかけてくれていた。お盆中は、火星大学に出向き、懐かしい人たちに会っていた。昨日の夜に惑星からの着信に気づいた。SMSにも届いていた。すぐに惑星には行けないけれど、49日迄には行きたい。大切なお母さん。
忙しくて疲れがたまり、珍しく22時に早寝する。2時30分に目が覚めた。最近は、坂口恭平著『自分の薬をつくる』を読んでいる。環境面は、単身赴任のアパートの転居がある。身体の変化は、50を過ぎて閉経して、少々運動しても本当に痩せにくい。仕事が実習や手当無しのセンター長業務で、雑多な内容からのストレスが多くて、乗り切ろうとして食べ過ぎている。最近は、この暑さに参っている。精神的には相変わらず怒りの衝動にかられることがあるが、程度は大きくない。おばちゃん職場なので喋れる人間が複数居るので安定しているほうかな。とはいえ、最近またメンタル休職がでた。休職した先生から、定期的に相談を受けていた。これで何人目だろう。入職後間もない、いじめられている先生から相談を受けるのは。上の職位の中で1番年下な私。職場はいまだ男尊女卑、年功序列なのだ。年中、人手不足の職場にありがちな問題。上が金亡者。スタッフを消耗品の様に捉えている。今は母を養うために継続している。継続しなければ、意見など聞いてもらえない事をこの年になり理解したᕙ(⇀‸↼‶)ᕗ
6時に起きるとじゃんじゃんと雨が降っていた。今日は実習先で講義をきくために学生全員と集合する予定であった。「絶対に遅刻するなよ、去年は遅刻やら授業中の居眠りやらが居て、終わった後に、もう辞めろ!と学生に怒った」そんな話をした後だった。私が遅れてしまった。参った。朝7時に出ているから30分前には到着して余裕で珈琲でも飲めると思っていた。現在車の修理中で、台車がレンタカーH社の車、今後はカーナビをつけないそうだ。厳密にいうとスマホと連動させるタイプ、私のスマホ、アンドロイドの古いやつで、うまく連動しなくて、スマホのナビ機能を利用していたものの、まさか一文字間違えていて、目的地と違う場所に案内されたのがまさかの30分前。非常勤の先生は気が利かないですから、二人もいたのだが私を待ってくれて電話してきた、先に初めてと指示も出せない。入って行ったら学生たちは全員集合、年上部下に電話して伝言を頼んだけれど、現場の非常勤にメール連絡をした機転が利かない(今朝は全部、私が悪いのだ)この年上部下と一緒に仕事するのがきつい。1年一緒に働き病んできた私(昔からか)。独女はかまわないけど恋人とか作ろうよ、異性じゃなくても友達と遊ぶとか、趣味満喫するとかないのか、、、寄れば触れば、ネガティブ発言💦彼女が仕事でもあちこち関係機関や学生とトラブルお越し、苦情が私にくるのだ。。。しかし、話は戻り、厳しいことを言ったあとだけに、、、やってしまった。学生が一生懸命参加していたのを見て、、、偉い。そしてバツが悪い。本当に金曜日はだめだわ、ていうか気合が続かないな、対応策を考えないとな。
春になり、三寒四温は、気持がふわふわする。週末に薬を飲まない日を作るので、怒りの発作がでた時は関係しているかな。なかなか思い通りにいかない。車を立体駐車場の柱にぶつけて凹んでしまったが、車屋さんが混んでいるとの事で後回しにされている。昨年夏もアパートの石の門にぶつけた。車屋の「先生は、またやりそうな気がする」という予言通りになった。結婚して12年、家人が2〜3年で新車に乗り換えるのをみてきた。私は、軽だし、新車が欲しい等と車屋の前で口走ってしまい夏に賞与があれば買い替えたいと言ったのを覚えているに違いない。それから、3月からアパートの2階の部屋を借りた。なにせ不動産屋が築何年かを開示してくれない程(おそらく30年以上かな)、下の部屋と2つ借りているが合計7万以内だ。yちゃんが去年泊まりに来た際は、「○ちゃん、このアパート病む、〇〇(私の職位)の住む部屋じゃない‼」と言っていたのが印象的だった。で、2階を借りて少しずつ物の移動をして気がついた。窓にヒビが入っていてテープで留めてある。かなり古い感じだ。1年前に出て行ったT先生は学生を気にして雨戸を閉めたままだったので目立たなかった。不動産屋のお爺さんはしたたかで(若干、色目を使ってくる╮(╯_╰)╭)、ちょっと様子を見てほしいとのらりくらり返答する。強気で出ればいいのかもしれないが、こちらも色々弱みがあって、やり過ごしている。新しい車にしたい事もアパートの部屋を2つ借りたことももちろん贅沢だと母に叱られ凹む。それからyちゃんの態度がよそよそしくて気になる。私、何かしたか?彼女の環境が厳しいのかな。まぁ、以前がベタベタしすぎだっただけか。頭の中は、四六時中あれこれ気に病み(これが私の持病だ)、忙しくて授業準備にも集中できずに、ましてや論文なんて無理だ。ただやりたくないだけかな。あと、人格を疑われるが(色々障害を抱えているから仕方ないと自分を甘やかす)、付き合っている相手が居て、彼の事を考えている事が多い。彼は年齢も上で大人で、明るくて、私の仕事の悩みに対して毎回フィードバッグしてくれる。随分まめで毎日朝晩LINEをくれる。私は彼を本気で好きになりたくないので(苦しいからだ)、出来るだけ会わないようにしている。二ヶ月に1回のペースに抑えている。家人との関係を何故断ち切れないか。はい、世間体だ。何度も名前が変わるのも、人に説明するのも気が重くて面倒だからだ。ただでさえ面倒臭がりなのに、国家資格の変更は、戸籍抄本に始まりお金も時間も手間もかかる。でもいつか、けじめはつけたい。
最初の勤務先の友人に会いに、なんと伊豆まで日帰りで行ってきた。太陽がサンサンと降り注ぐなか、てくてく歩いた。18歳で進学就職した大学病院の友人。朝と夕方働いて、日中学校に行き土日も働き、1日休みが月に2〜3日だった勤労学生だったあの頃。4つ上のリィ子ちゃんは不思議な人だった。彼女は病院を休職して全日制の看護学校に進み、その後20年以上、都市部で仕事をしていた。裕福な家庭のお嬢さんで世間知らずの所もあったが、気のおけない友人だった。彼女は2〜3年前から病気をして田舎に引っ込んでいた。私が22歳の頃に、人生初カナダへの海外旅行に誘ってくれて旅行をした仲だった。その後も定期的に懸賞で当選したイベントに招待してくれて、エンタメ仲間だった。お誘いは継続的で、一時期は毎月のように誘ってくれて、私は忙しかったのもあり断り続けた。今の職場に来てから彼女を何度か思い出し、なんだか誘いを断ったことが悔やまれ携帯にメールをした。そして、伊豆のあるミュージアムの招待をしてくれた。会うのは5年ぶりだから、新幹線と特急を乗り継ぎ飛んで行った。体調が良くなり、最近パートで仕事を始めたそうだ。美味しかった!旧友に会えて嬉しかった。
以前勤務していた大学で、教員が話していた内容に、「卒業式は、教員に対するご褒美」というようなコメントがあった学生が成長する姿を目の当たりにする事ができるからだ今年1年、部下2人が辞めて、1年中忙しかった学生が度々問題を起こし、実習場で謝罪する事も一度や二度ではなかった男子学生が反抗的で、保護者に連絡して、お願いしなくてはならない事も何度かあった大学教員の仕事ではないと思った煩雑な業務が続き、辞めたかったが辞められなかったでも今日、問題学生が別の男子学生と一緒に私のところに来た叱るというよりも、怒ってしまった事が多く、パワハラで訴えられるかもしれないなと感じていた私には口もきかずに避けていた学生が「先生お世話になりました」と、驚いた、アパートに戻りその話をすると、キッチンに立っていた母がしくしく泣き出した 驚いた、教員にとって卒業式は、苦労を忘れ浄化される日なのかもしれない
今はとても貴重な時間を過ごせている。昨年と同様に母と猫が真冬の間、私のアパートで過ごす。今日から1週間は受診やら所用で北関東の自宅に一時帰宅している。昨日は朝方少し仕事をして、自宅まで往復運転をする。この3週間、母と色々話をした。私は娘に戻り、ぶっちゃけ過ぎている。もう家人とはお別れしたい。正直、今までの経過が辛すぎて、もはや話し合いもしたくない。家人を信頼できない。今、私が所有している古民家を売り出している。マンモス大学所属中に購入した。築50年以上経っており売れるかどうか。売れたら、一部のお金を家人に渡して別れたいと話した。母は、「なんだそりゃ?」と返答した。結婚は勢いで出来るけど、離婚は本当に大変。母と先週富弘美術館に行った!運転がとにかく大変な山の上だが行けて満足だった、20年以上前にツアーナースの仕事で行った。あれから行きたいと思いながら行けなかった。富弘さんは昨年度お亡くなりになっていたのを知った。生前使用していた電動車椅子も展示されていた。美術館に生き、母は感動していた。人の噂話をしている時の母は嫌いだが、偉人の軌跡を知り感銘を受ける姿は娘として嬉しかった。