若い頃、昭和や平成の時代、

クリスマスとかバレンタインとか、

とても盛り上がっていた。

けれども何より自分とパートナーの誕生日を大切に考えていた。

それは友情においてもそう。

 

最近、子どもがいない人生って、後半寂しいもんだろうなぁと思ってしまうことが多くなった。

何年もぼんやり悩んでいた、家人と別れることを決めてからのように思う。

それは誕生日を確実に祝ってくれる人を失う事だと気づいていたからだ。

 

母にとって子どもである私は、母の日のプレゼントを欠かさないし誕生日も忘れられない。

先日も母と叔父夫婦を温泉に1泊旅行に連れて行ったりもした。

しかし母からは子どもの頃、祝ってもらった事はない。。。

そして今回の誕生日は母からも妹からもおめでとうの言葉がないではないか。

そう書くとすごく悲しい感じだけれど、

極貧家庭、早くに両親を亡くした母だから仕方ないと思っている。

妹も中年になり仕事や家事で忙しいのだろう。。

 

惑星のお母さんが急遽してから、

心の変化と周囲の人間関係の変化があった。

まずイケオジと無理矢理別れた。

すごく辛い、未練を吹っ切るつもりで、

教授に連絡をした。

昔大好きだった人。

何度か連絡を受けたけれど放置していた。

何故か?

私の今後の論文作成について協力が得られないのと、彼から恋愛関係を迫られると昔の記憶が蘇り怒りに近い気持ちが再燃していたからだ。

しかし1年ぶりに再会した教授はとても穏やかだった。

私の博士論文を心配し自分の大学で提出できるように4時間も時間をとってくれた。


驚いた。


惑星のお母さんを失った後、悲しみと怒りとで本能的にイケオジと別れた。

最高の快楽をプレゼントしてくれるイケオジに、私は夢中になりかけた。

お母さんの事がなければ享楽にどっぷりつかり関係を断つことは出来なかったと思う。

教授に連絡する事で、大変重要な再会(再開?)に繋がるのだから、スピリチュアルなものを感じずにはいられなかった。

 

もう一人の異性、マザコン、シスコンの独身医師。

私に誕生日前後数日間、旅行の提案をしてきた。

いくらなんでも、それは無理だと伝えた。

私の誕生日のための旅行というよりも、彼は惑星で開催される学会に参加するのだ。

惑星好きな私なので一緒に行くと思ったらしい。

相変わらず非常識だ。


肝心の誕生日は仕事関係で会ったのだけれど、彼は誕生日だという事を忘れていた。

当日は誰にも伝えないでいた。


驚いた。

大変だ。

今年の誕生日は誰からもおめでとうがないではないか。


家人に手紙で別れを伝え、先日家人の留守中に冬物を取りに行った。

家人からは何一つ言ってこないけれど、

おめでとうの連絡がないのは初めてなので、これが答えだ。

 

あまりに辛くて、

私から医師が帰った後にラインで伝えると(私は残業があったので部下に車で彼を駅まで送迎してもらった)、

何度も彼からラインが届き私の誕生パーティをするから何時なら都合がいいかと聞いて来た。

何度提案されても断った。

言葉では好きだとか調子の良いことを言ってもダメだと大人げないが思った。

 

私の誕生日の翌日には、旧友と会う約束をしていた。

ある美容家(iで始まるかた)の講演会の招待券が当たったのだった。

笑いがとまらず楽しかったし感動した。参加できて本当に良かった。

1日遅れの最高の誕生日プレゼントだった。

 

そして分かった。

私が誕生日に異様にこだわる理由を。

亡くなった兄が、私の誕生日を一生懸命お祝いしてくれていたからだ。

これだったのだと、何故か、翌日気づいたのだった。

 

大江千里のCDをくれたり、

ディズニーランドに連れて行ってくれたり。

親代わりになって、愛情を注いでくれた事を思い出した。

強迫的なまでに、私が誕生日にこだわってしまうのは、

本当に私を大切にしてくれたのは兄だったのだな~。