「追加 9/1 : スナップショットで思い出したこと」を追加しました。
【はじめに】
本項には「まえがき」の第二章「辞書の狙い(Scope of the Dictionary)」を紹介します。文体は、辞書の編集者である ミルナー博士( G. B. Milner ) が語るスタイルにしてあります。
【 II. 辞書のねらい】
辞書の良し悪しを判断する上で最も重要な基準の一つに、網羅性があります。これは辞書編纂者に特有の負担を強いるものです。というのも、情報の「欠落」は目立ちやすく批判の対象となりがちな一方で、編纂者が多大な苦労の末にようやく確保した情報そのものは、往々にして当然のことと見なされてしまうからです。編纂者が利用できるリソースは常に限られているという点も忘れてはなりません。時間、労力、印刷スペースといった制約に加え、利用可能な形式で入手できる情報の量にも限りがあるからです。実際、膨大な量の印刷物に目を通す作業、つまり、いかに難解な語であっても、いかに稀な意味であっても、漏らさないようにするための作業は、往々にして多くの冗長な資料を蓄積させることになり、重要な新発見につながるどころか、むしろ作業の進捗を妨げる結果になりかねないのです。したがって、辞書編纂者の仕事は、単に絶対的な項目を通してだけではなく、彼に開かれていた機会や、いかなる種類であれ、彼が乗り越えなければならなかった制約などの観点からも評価されるべきなのです。
ここで考察の対象となる言語は、英語のように、航空学から動物学に至るまで数え切れないほどの科学的活動に従事し、それぞれに専門用語を持つ世界規模の共同体によって使われているわけではありません。しかし、この言語は、太平洋の比較的隔絶された島々という環境の中で、長い伝説的な歴史を通じて、特徴的、あるいは独自とさえ言える生活様式と文化を築き上げてきた人々の、そして、豊かな社会生活や政治生活を営み、演説の術(すべ)を極めて重視している人々の言葉です。優れたサモア文化の多くは文字には記されません、なぜなら、伝統は、ヨーロッパの基準から見れば驚異的とも言える記憶力によって、口頭で継承されているからです。したがって、サモア語は、図書館の静けさの中ばかりではなく、使われている言語を調べることによって、はじめて、分析し理解することができるのです。さらに、サモア文化には秘教的な側面があり、首長や演説家の前で行われる演説の深い意味は若く経験の浅い者には、ましてや外部の調査員などには、容易に明かされませんから、サモア語の学徒の仕事がいかに困難なものであるかは明らかでしょう。サモアの演説術を研究するだけでも一生を費やすに十分なほど、ましてや、村の生活における伝統的な熟練した活動の数々を含めればなおさらで、それぞれには独自の語彙があります。それらには、サモア人が居住環境に対して成し遂げた独自の適応や、必要を満たすために、移入品に必ずしも依存することなく、陸や海の資源を利用してきたさまが反映されているのです。
グランド ステージ 2024.4.8 Just like a paradise, サモアの部分 より
筆者は調査の過程で1,000から1,500ほどの諺や諺的表現を収集しましたが、その多くは、サモアの物質文化や動植物、さらには特定の動植物が食生活、住居、衣類、娯楽といった事柄に果たしていた具体的な役割について、詳細あるいは微細な知識がなければ、ほとんど意味をなさないものです。さらに、演説において使われる諺を通じて、数多くの活動や制度、あるいは物質文化の諸相に関する記憶が保存されてきました。それらは今日ではすでに失われていたり、あるいはそれらの記憶も極めて不完全であったりします。多くの、すでに一般には使われなくなっている語は、もっぱら比喩的に使われることによって存続してきたものと思われるので、それらの比喩的な意味の解説に加え、 復元できる限りは本来の意味での解説も共に記録する必要があります。
この筆者は、新しい語や語の新しい意味合いを収集したり、すでに手元にある情報の正確さを検証したりする作業に、20年とは言わずとも、 さらに10年の歳月を費やすこともあり得たかも知れません。もう一つ言及すべき問題は、基準を確立することです。というのも、サモア文化のもう一つの特徴は、その「弁証法的」な性格にあるからです。情報が、たとえ定評があり信頼できる提供者からであっても、同じように定評があり信頼できる別の提供者からの情報とすぐに矛盾してしまうようなことなしに得られることは殆どありません。こうした状況は、単に諺の起源や意味といった、伝説的な要素や秘教的な要素が異なる話を生み、そして多様な解釈を生む事柄だけに当てはまるわけでははりません。日常的な言葉の意味や発音の細部といった、一見すると議論の余地などなさそうな事柄についても同様です。相反する証拠を前にしても、調査者は、特定の地域に依拠したり、サモア語の優雅さと純粋さで定評のある家族の言語的判断や権威に依拠することさえできません。なぜなら、そういったことはまずないだろうし、仮にあったとしても、そのような依拠は間違いなく異議を唱えられるか、あるいは嘲笑の的となるだろうからです。
それゆえ編者は、比較的短期間で収集した内容であっても公表することを選びました。将来新たな機会やさらなる知見が得られれば、本書の不備や欠落を補うことができるだろうと考えたからです。したがって編者は、サモア語を愛用するすべての方々に対し、もし語彙の漏れや不完全な解釈などがあれば、ぜひ知らせていただきたいと切に願っております。
ある種の辞書には見られるものの、本書では割愛された語の部類のうち、二つについて取り上げておかなければなりません。
一つは、粗野で下品な言葉の部類です。これらは、サモア語を母語としない人々への警告としてプラット師が盛り込んだものでした。しかし、助言を求めた結果、こうした言葉は除外することに決定しました。その理由は、英語において同等の言葉は、極めて専門的な辞書を除けば一般の辞書には掲載されていないこと、そしてそれらを収録することの不利益が利益を上回ると判断されたことにあります。
もう一つの部類には人の名前が含まれます。それが、キリスト教由来か伝統的な由来かを問わず、また歴史上、神話上、あるいは伝説上の人物であろうともです。そして、そこには、サモア国内やその他の地域の地名も含まれます。キリスト教式の名前や、世界の主要都市や国のサモア語名を単に列挙するだけでも相当な作業量になったでしょうし、複数の表記が存在する例も少なくないため、その作業はさらに複雑なものとなっていたはずです。何より、そうしたリストを提示することが読者にとって大きな益になるとは思なかったからです。
【あとがき】
次項では第三章の「 音韻、発音、および表記法(Phonology, Pronunciation, and orthography)」を紹介します。
【追加 9/1 : スナップショットで思い出したこと】
ミルナー博士がサモアの文化に触れたところで、サモアの民族衣装を付けて ハワイアンズの バルコニーで ポーズをとっていらっしゃる踊り手さんの スナップショットを挿みました。この方は、もちろん、ウアケアさんです。この日、 2024年 4月 8日は グランド ステージ 新シリーズ「翔〜To the new world〜」での ウアケアさんの ソロをはじめて拝見した日でした。ご機嫌いたく麗しく、ソロも素晴らしく、素人カメラマンには言うことのない日でした。
そこで思い出したのです。彼が新シリーズを拝見したのは、その前の訪問の 3月 27日からでした。新シリーズが始まって一週間程度で、新しい舞台の緊張感と活気が溢れ、その日もとても素晴らしいものでした。実は、訪問日を調整すれば、この週に ウアケアさんの グランド ステージのソロを拝見できたのですが、それまで ・・・ 昼, 夜, 昼, 夜 とウアケアさんの ソロを拝見してきたものですから、この 27日の週にはお昼の ソロを拝見し、4月 8日の週には夜の ソロを拝見することに決めていました。そして 27日の訪問日、サンライト カーニバルの初頭に ウアケアさんが「観覧のお願い」を アナウンスに出てこられた時には、いつもどおりにワクワクしながら カメラを構えた素人カメラマンでした。
すぐに、大失敗をしたことに気が付きました。ニッコリとはしていらっしゃますが、カメラの方はチラとも目をお向けにならず、説明をして、退場されました。彼が新シリーズで最初に拝見すべきは この方の タネ イ ムアであったのです。今なら考えるまでもないことですが、出演者が二週程度前から案内されていた当時は余裕もあり、そして、まだ、学者気分の抜けなかった当時は、予定通りに訪問するのが当然と思っていたのです。舞台芸能家の演技にかける思いの強さを教えていただきました。
この逆の大失敗をしたのが「 翔~To the new world~」シリーズ最終日付近の 2025年 1月 6日でした。「アカペラで歌う パーレフア ( Pālehua )」に書かせていただいたように、この方が考えておられたであろう予定を台無しにする訪問日設定をした結果、具合の悪いことになりました。今は、全てが懐かしく愛おしい思い出です。
David Lee Roth の 「Just like paradise(まるで楽園のよう)」より
This must be just like livin' in paradise これは居るって事に違いない 楽園に
And I don't want to go home だから もう 帰りたくない
