【はじめに】

 

今月は何事もなく終わりそうですので、いくつかのご報告をさせていただきたく、筆を取りました。以下のように話を進めさせていただきます

 

  「多摩川でのカメラ練習の様子をご報告するのは」

  「『Te Hiva』を歌いますと宣言しておいてから」

  「『サンゴ礁の彼方』を原曲で歌う」

  「おわりに」

 

この素人カメラマンの魂は揺れ続くのですが、物事が進まない事情もございます。

 

 

 

 

【多摩川でのカメラ練習の様子をご報告するのは】

 

多摩川でのカメラ練習の様子をご報告するのは本当に久しぶりです。練習をしていないわけではありません。ご報告する程の技術の向上が見られないからです。現在の課題は、ほぼ 1㎏ の カメラシステムを左手に構え、200倍程度の倍率で安定した動画を撮ることです。努力する方向も定まっています。腰骨を座面に対して垂直に置き、そこに丹田を安定して乗せて撮影を行うことです。簡単に言えば、座る技術を向上させるということです。(電子) ピアノでの弾き語りの練習をするようになってからは、ピアノ演奏での座り方との共通点をますます意識するようになってきました。柔らかく、そして緩みなく座ることにより、カメラ操作を安定して行うことです。しかし、音楽関係の知人が言うように、ピアノの前に座るだけでも二年はかかるという話ですので、体が自然に動くようになるまでには時間がかかります。撮影方法を今現在のものに完全に切り替えてから、一時的に撮影の品質も後退しましたので、ご報告できない状況が続いています。

 

そんな中で、先日 7月 22日に面白い映像が撮れましたので、まだ安定には程遠い状況ではありますが、ご報告させていただくことにしました。

 

夏日になってからは鴨の姿が少なくなり、代わりに鷺の姿が多くなりました。そして、時折、川鵜の集団が出現します。最初から 4分程度まで、下流方向から上流方向へ移動する川鵜の集団です。次に、4分半頃から 7分ころまでが中洲に居残った鳥たちの様子です。7分頃から 8分半頃まで対岸の鴨や鷺の様子です。そして、9分頃から 13分半頃までが、上流側から中洲に向かって川鵜達が移動する様子です。その後、視野が乱れ気味になるのですが、 15分頃から 19分ころまで、中洲における鳥たちの様子です。その後最後までが、対岸で我観せずの鳥たちです。川鵜は魚を食べる肉食性ですので、サバンナのライオンのように、多くの時間はうつらうつらして過ごしていますが、雑食性の鷺は比較的よく動き、よく遊びます。鴨たちは純然たる草食動物ですので、ほとんどの時間を食べて過ごしています。

 

 

この様に多数の鳥たちがいる場面では視野の設定が楽なので、割と視野を安定させることができます。逆に、特定の一羽の鳥を追うときが一番安定しません。もう少し練習が必要です。

 

 

 

 

 

【「Te Hiva」を歌いますと宣言しておいてから】

 

「Te Hiva」を歌いますと宣言しておいてから、面倒なことに手を広げて、「Te Hiva」については休止中です。と言いますのも、この歌は 以前の項「Te Hiva(テ ヒヴァ)の解析 : Tokelau 語をご存知ですか」でご紹介したように、トケラウ (Tokelau)語で書かれていて、歌詞の内容も完全に分かっていたわけではなく、もう少し精査する必要があったからです。「Tokelau」でネット検索しますと、トケラウ語は ニュージーランド領の トケラウ諸島で話される言葉であり、トケラウ語の紹介をする多くのサイトも見つかります。しかし、各々は言語への入門から始まり、ある程度の使い方を紹介して終わりになります。これでは、歌詞を理解するところまでは到達できません。

 

トケラウ諸島は サモア (独立国) の北側 (だから「トケラウ = 北」)にあり、タヒチに対する トゥアモトゥ諸島とそっくりな位置関係にあります。その結果、トゥアモトゥ諸島のパウモトゥ語が タヒチ語に対して持つ関係と良く似た言語関係を、トケラウ語は サモア語に対して持っています。しかし、この様なことはネット上では分かりません。それは、トケラウ諸島がニュージーランドに属し、独立国である サモアとは別の国であるため、トケラウ語に関する多くの資料が宗主国であるニュージーランドから提供されていることに原因があります。ニュージーランド (アオテアロア) で話されている ポリネシア語は マオリ語ですが、 マオリ語と トケラウ語とは言語上離れていることもあり、ニュージーランドの人から見れば、どうしても入門的な紹介にならざるを得ないからです。しかし、トケラウ語を サモア語の方言と考えてしまうと、話は別です。

 

サモアの人々は トケラウ諸島で言語上の不便をさほど感じないようで、「Te Hiva」を歌っているグループ Te Vaka には トケラウ出身の方々が結構居ます。それは前項の「「Te Vaka newsletter」の引用、カメラ練習の現状、そして今後の予定」でご紹介した Te Vaka の ニューズレターでも分かることです。ですから、サモア語さえ分かっていれば (!) トケラウ語について調べるのは難しくないであろうとは簡単に予想できます。問題は、サモア語自体がかなり複雑な言葉であることです。サモア語は トンガ語や ニウエ語と系統的に良く似た言葉であり、タヒチ語や ハワイ語、マオリ語の様な古代の ポリネシア言語の構造を良く保つ言語とは違った特徴を持ちます。サモアの西隣にあり交流も深い フィジーが文化的には メラネシアに分類されることもある様に、サモア語の文法構造にもメラネシア文化の強い影響があります。ですから、よくもまあ「モ オモ オガ (Mo'omo'oga o lo’u agaga)」の日本語歌詞を作れたものです。無知ほど強いものはありません。しかし、ビギナーズ ラックは続きませんから、サモア語の勉強をやり直して居たところです。

 

状況としては、サモア語の基本の再確認を大方終え、トケラウ語の文法が サモア語に対してどのように変化しているかを確認しているところです。多分、それほどの時間はかからないと思います。

 

なお、背景動画として当初予定していた 2025年 1月 6日の「Te Hiva」を 2024年 7月 11日のものに変えました。予定になかった訪問にご不満なご様子も一つですが、7月 11日の踊りでは観客の手拍子がとても良かったからです。収録席が舞台下の巨大ウーハーの前なので手拍子そのものははっきりとは聞こえません。でも、踊って居られるご表情から、それを伺い知ることができると思います。

 

グランド ステージ 2024.7.11 より

 

 

 

 

【「サンゴ礁の彼方」を原曲で歌う】

 

他方で、「サンゴ礁の彼方」を原曲で歌うことを考え始めています。以前、「ブルー レイ」の 弾き語り を行いました。この時は、ハワイアンズで歌っている「ブルー レイ」を日本語でそのまま歌うことが難しかったために、原曲に差し替え、そのため演奏も自前で行う必要があったからでした。やってみますと、その曲の持つ味わいは原曲で歌うのが一番良いという、至極当たり前のことに気づかないわけには参りませんでした。「ブルー レイ」を歌った後、手元には「サンゴ礁の彼方」の楽譜がありましたので、何ということもなく練習を始めてみたのです。

 

この曲、「サンゴ礁の彼方」、メロディーは簡単な割には、出だしと中頃の盛り上がるところで低音に飛ぶので、弾くのが難しいのです。しかし、原曲を歌えるようになりますと、エルビス プレスリーが歌った曲ということで何となく持っていた先入観が消え、別の面が見えてくるのです。この曲を書いたジャック ピットマンは戦争の終わり頃に ラウンジ ピアニストとしてホノルルの ホテルで働いていました。終戦の頃には、戦地に行った愛する人を待ち ラウンジで時を過ごす数多くの女性たちが居たことでしょう。この曲には、戦いに出征して帰って来ない思い人を待つ女達の悲しみと諦念、そして、作者の共感と慈しみがあります。日本語で歌ってみると、それは、はっきりと浮かび上がって来ます。エルビス プレスリーは戦地慰問団の一員として兵士たちの前で歌っていたことがあり、恋人たちが待っているであろう若い兵士たちを戦地で見ているのです。その経験が、彼をこの曲に向かわせたのでしょう。太平洋での戦いは米国においても、人々に、多くの悲しみをもたらしたのです。

 

ハワイアンズでの「サンゴ礁の彼方」の踊りには深い気持ちを感じさせる何かがあります。しかし、当初は踊りと演奏がよくマッチしていなかったように思います。プレスリーの華やかさを演奏が追ってしまったのかも知れません。そのためか、この素人カメラマンが初めて拝見した時には、気持ちがしっくりとしない感じがしたのを覚えています。それは、徐々に解消されていきました。それでも、大きな曲としての印象は最後まで残りました。「ブルー レイ」と同様に、舞台上の演目の流れの一つとして、ある程度のイメージの修正が行われているのでしょう。原曲に従った歌の下ではどうなるのでしょうか。実際に合わせてみなければなんとも言えませんが、期待感に押されて準備をしているところです。

 

<  私は おくる   千の 花を  >

サンライト カーニバル 2024.1.23 より

 

 

 

 

 

【おわりに】

 

この月は何もご報告なしに終わりそうですので、久しぶりに多摩川でのカメラ練習の様子をご報告がてら、今検討中の事柄についてお話させていただきました。あの方の踊りにいつ再会できるか、あるいは再び拝見できるかも分かりません。しかし、あの方が私達一般の前で心を打つ踊りをされるなら、その歌は当然日本語でなければなりません。全てを日本語にするのは、逆に、ポリネシアンとしての雰囲気が損なわれることになりますから、三対一位の割合で ポリネシア語の歌の中に日本語の歌を混ぜるのが適当でしょうか。日本語での踊りに心がとらえられるなら、タヒチ語であろうと、ハワイ語であろうと、それ以外の ポリネシアの踊りでも アロハは伝わるものと思います。その様な形で 舞踊家ウアケア佳奈子の愛の踊りを拝見していただければ、それは幸いなことです。あの 2022年の 10月に初めて目の前で拝見したウアケアさんの表出された美しさが彼にとっての全ての始まりでした。そして、それは彼にとっての全てと言っても良いかも知れません。生きてきて、はじめて、あの様に美しいものがあることを知ったのです。それは、かみの下された愛だったのかも知れません。皆様も、本当に美しいものを見たというご経験はございますか。おありなら、それはかみの愛をご覧になったのです。