「『ソシエテ諸島における伝統と近代性』より : その2 系譜」
「『ソシエテ諸島における伝統と近代性』よマラマり : その1 (11/11 修正)」
「タヒチの歴史」:このシリーズのあらましのまとめ
【はじめに】
モオレア島について書かれている クロード ロビネオウ (Claude Robineau) の著書 [2] 「ソシエテ諸島における伝統と近代性」をとりあげ、その 1章「資材とその利用」のなかで「考古学的参照 : マラエ」までを紹介させていただきました。本項ではその次、太字になっている「系譜」の部分を読みます。この系譜とは、モオレア島の有力一族 マラマのものです。
1. 資材とその利用 .......................................................................................... 36
資料と研究 .............................................................................................. 36
伝承 ..................................................................................................... 36
二次資料 .............................................................................................. 39
基準期間の定義に関する問題点 ............................................................. 40
考古学的参照:マラエ ........................................................................ 40
系譜 ..................................................................................................... 44
タプタプアテア建設の重要性 .............................................................. 50
資料と利用可能な研究の要約 ................................................................. 51
以降、「著者注」あるいは「著者脚注」とは『ソシエテ諸島における伝統と近代性』の著者による注釈もしくは脚注、単に「注」とあれば、素人カメラマンによる注釈です。文章もこの本のスタイルに合わせて書きます。
【系譜】
系譜を調べるにあたって、入手可能な資料は二つあります。一つは ヘンリー テウイラ (Henry Teuira)の「古代タヒチ」[6] に収録されている系図と、もう一つは ビショップ博物館に所蔵されている エモリー (Kenneth P. Emory) の未発表原稿「ソシエテ諸島における マラエの伝統史」[10] に記された系図です。系譜の記述や部分的な系図、さらには図表は、「アリイ タイマイの回想録」[4]、ハンディ(E. S. C. Handy) の「ソシエテ諸島の歴史と文化」[8]、そして「マラウ タアロアの回想録」[5] に存在します。これらの資料は、オリバー (Douglas L. Oliver) が「古代タヒチ社会」[9] で用いました。
系図において、二世代の間の年数を適切に評価することの難しさは既に指摘されています [8, p. 6]。系図の妥当性についてあまり疑いを持たない方が賢明であるとしても、これは私たちにとっては大きな問題です。他方で、伝承がイデオロギー的操作を受けやすく、その操作は伝承を支える系図を通して行われることを指摘してきました。また、記憶の浸食、つまり同じ年代の事柄に関する複数の記憶の間の整合性の問題もあります。主な問題点をあげてみます。
- 系図の中には複数のバージョンが存在するものがある。
・エモリーによる、(マラウ女王の協力の下での) モーレア島の元司祭 マレ (Mare) の
写本からの復元
・女王マラウによって記録され アダムズが出版したもの [4] と、後に書き足して娘
タカウ (Ariimanihinihi Takau Pomare) によって出版されたもの [5]
・アリイ タイマイの息子で マラウの兄弟である パパラ首長 サルモン (Tati Salmon)
の記録 [11]
・ビショップ博物館に所蔵された リーワード諸島 W ブランダーの記録、その他
- 個人が複数の名前を持つことができる。
タヒチでは、人々は社会生活のサイクルの中で名前を変えることが知られています。各人の固有名詞に、称号が追加されるか、または置き換えられることもありました。例えば、マラマ (marama) は、モオレア (島) の首長の家系の名前であり、一般的には、この家系に属する国 (或いは地域) の主管者の名前を示します。更に、この マラマという名前は、その国の象徴であるマラエの所有者の正式名称 「マラマ-イ-テ-タウオ-オ-テ-ライ (Marama-i-te-tauo-o-te-rai)」 に置き換えることができます。他方で、おそらく簡略化のため、そして マラマ 称号を持つ者を区別するために愛称も使用されています。例えば、マラマ の家系の アリイ タイマイ の母方の祖父 アリイオエハウ マラマ (Ariioehau Marama) は、タイポト (Taipoto) とも呼ばれました。モオレア島で宣教師たちが知っていた名前は タイポト (Taipoto) で、 宣教師たちの著作に マラマ が現れないことから、マラマは島の政治の舞台から姿を消したということがよく言われていました(著者注参照)。タイポトの父親は テリイ-ヴァオ-イ-テ-ライ タプタプアテア-イ-ファアトアイ (Terii-vao-i-te-rai Taputapuatea-i-Faatoai) ですが [12]、マレの系図 [6, pp. 276-277] における彼の名前は ヴァオ (Vao) であり、エモリーが収集したタティ サーモンの系図 [10, pp.252-254] では、アリイ-オエ-ハウ ヴァオ (Arii-Oe-hau Vao) と呼ばれます。しかも、アリイ-オエ-ハウは彼の息子の名前でもあり、アリイ タイマイの名前の一つでもあります。
著者注 : 宣教師ジョン デイヴィス (John Davies, 「『ソシエテ諸島における伝統と近
代性』より : その1」 参照) が『タヒチ宣教史』(Davies, 1961, p.116) に「エイメオ
の首長タイポト」と記しているところを, コリン ニューベリー (Colin Newbury) がこ
の人物について疑問を呈していますが (同書脚注 2), テリイ ヴァヒネ (Terii Vahin) は,
論文 [12] において, この タイポトを アリイ タイマイの母方の祖父の マラマである
と特定しています.
これらの問題を解明し、モオレア島という私たちの研究分野に焦点を絞るために、私たちは情報を2つの方法で扱いました。一つは、部分的な情報源を検討することで、モーレア島の マラマの比較年表を作成することです。もう一つは、エモリー の文献より、矛盾を強調しながらも、いくつかの確実性も明らかにする系図を作成することです。
1. マラウ、アリイ タイマイ、テリイ ヴァヒネの年代記
まずは、以下の不完全に重なっている説話から得られた系図を見ましょう。(注 : 拡大図は付録)
(a) マラウ タアロアの回想録 [5]
(b) アリイ タイマイの回想録 [4]
(c) テリイ ヴァヒネ「マラマ、南海の強力で非常に古い一族」海洋学会報 [12]
男子は△印で、女性は❍印で表されており、実線は世代の間のつながりが特定された親族関係、破線は間の世代数を特定しない親族関係を示しています。
(a) Marau Taaroa (b) Arii Taimai (C) Terii Vahine
【モオレア島の マラマの三つの物語から得られた系譜の比較】
注 : 系譜中の名称は以下の「マラエ名」,「地域名」,「島名」の何れか. Eimeo は
Moorea のこと. この島については「ポマレ以前のタヒチ社会(17)」に詳しい.
タヒチの ヴァイアリ (Vaiari) は パペアリ (Papeari) ともいう.
マラエ名 地域名 島名 マラエ名 地域名 島名
Ahurai Faaa Tahiti Nuurua Varari Eimeo
Borabora Papara Tahiti
Farepua Vaiari Tahiti Punaauia Punaauia Tahiti
Fareia Haapiti Eimeo Tefano Haapiti Eimeo
Matairea Huahine Umarea Afareaitu Eimeo
Niua Tahaa
【タヒチの主要な地区と地域】
【古い時代のエイメオ島 [1, p. 137] 】
系譜に記された番号と個人名の対応は以下の通りです。
1 Tetunae-o-Hiti-nui. 16 Marama
2 Marama. 17 Piharii
3 Aumoana-te-arii-maevarau-i-Farepua, 18 Tupuoroo
Aumoana-terii-te-moanarau. 19 Tefeau
4 Teura-i-te-rai. 20 Punuateraitua
5 Tetunae II, Terii-nui-o-Tahiti I. 21 Te-vahine-rere-atua
6 Hina-rai-teupoo-tinitini-no-Vaiotaha, 22 Terii-mana-i-te-rai
Hina-rai. 23 Terii-ehira-i-te-rai
7 Terii-e-vao-i-te-rai-nui-atea-o-Taaroa. 24 Terii-o-Marama-i-te-tauo-o-te-rai
8 Nuutea, Nuutea-te-tapairu, 25 Punuateraitua
Tetuanui-i-te-rai-o-Taaroa. 26 Tetupuaiura-o-te-rai
9 Manu-tunuu, Nuu. 27 Punuateraitua
10 Terii-maro-tea-i-Vaiotaha, 28 Taauaitatanuurua
Terii-marote(a). 29 Marama-Tepau-arii-i-Umarea
11 Terii-maro-ura-i-Farepua. 30 Punuateraitua
12 Hotutu 31 Marama
13 Terii-mana-i-te-rai-o-Eimeho 32 Marama-i-te-tauo-o-te-rai
14 Terii-te-moana-rau 33 Tereao
15 Teriimana, Temana 34 Punuateraitua
これら三つの系図は必ずしもよく一致しているとは言えませんが、一つの系図では不明な所でも、少なくとも二つにおける名前と系図の状況の同一性により、欠落している繋がりを明確にすることが可能になることがあります。そのため、全体としては、かなり首尾一貫した世代の連鎖に到達します。
全体としては 28 世代をカバーしていますが、1900 年代に到達するには更に 6 世代を追加する必要があります。その系譜の出発点は、大タヒチ (Tahiti-nui) の ヴァイアリ (Vaiari)、別名 パペアリ (Papeari) にある マラエ ファレプア (Farepua) と、マラウ (Marau) が立法者 テトゥナエ (Tetunae) と呼ぶ、(番号 1 の) タヒチの起源の偉大な王子 テトゥナエ-オ-ヒティ-ヌイ (Tetunae-o-Hiti-nui) です。他方、時間の霧の中から現れたように見えるのが マラマ (Marama) です。しかし、これは具体的な事実とは別に、歴史的な深さ方向における問題です。つまり、マラウの系図で番号 32 の人物である アリイ タイマイの曽祖父母の上流には、アリイ タイマイの系図で 4世代、テリイ ヴァヒネの系図で 4世代と 10世代の三つの灰色の領域があります。
マラウと テリイ ヴァヒネの系図では、最初の祖先からはじまり、一世代の隔たりを以て、ソシエテ諸島全土に広がった酋長たちが生み出されたことになっています。タヒチ島の プナアウイア (Punaauia)、モオレア島では ハアピティ (Haapiti) の マラエ テファノ (Tefano) と ファレイア (Fareia)、ライバルで隣接するヴァラリ (Varari) の マラエ ヌウルア (Nuurua)、そして アファレアイトゥ (Afareaitu) の ウマレア (Umarea)。また、リーワード (Leeward) 諸島側、つまり風下側の タハア (Tahaa) 島、ボラボラ (Borabora) 島にもあります。
【ソサイエティ諸島】
注 : タヒチ (Tahiti) は過去には ヒティ (Hiti) と呼ばれていましたが, 「Ta + Hiti」で
「Tahiti」となりました. 「タムレ(tamure)について」参照. 「Hiti」とは「端」
です. 推測ですが, ソサイエティ諸島の中心であった ライアテア島に対して, 諸島の
反対側, つまり ライアテアから見ての端にあるもう一つの中心地として、タヒチが
ヒティと呼ばれたのでしょう.
系譜の中間の深さの レベルでは、マラマと プナアウイア の系譜の結合が現れます。まず、マラエ ファレイアと ヌウルアの同盟関係があり、その子孫の系譜とプナアウイア の系譜の結合があり、その子孫の一つの系譜が ヌウルアの プヌアテライトゥア (Punuateraitua)となり、もう一つが マラマの系譜に合流します。最近のレベルでは、マラマ と プヌアテライトゥアの同盟があります。
これは、 アリイ タイマイと マラウの テヴァ一族としての見解では、モーレア島の現実とタヒチ貴族の最も輝かしい揺籃の地の両方にマラマの血統を定着させようとするイデオロギー的言説として解釈されるものでしょう。モーレア島を代表する マラエは、間違いなく、最も有名な ヌウルアです。ヌウルアは マラマの国 ハアピティの マラエ テファノに隣接しています。モーレア島の大首長 (Ari'i nui) を名乗るには、ヌウルアの称号を持たなければならず、 そのために同盟が結ばれたのです。しかし、 マラマを タヒチの高位貴族社会に位置づけるには、 ハアピティの マラマから、 ソシエテ諸島の四隅に子孫を散らした偉大な王子にまで遡る系譜を辿らなければなりません。ここにはいくつかの混乱が生じますが、サルモン (Tati Salmon) とマレ (Mare) の資料によってその混乱を解消することができます。
2. タティ サルモン (Tati Salmon)、マレ (Mare)、エモリー (K. Emory)によるマラマの系譜 [10]
この系譜は16世代または17世代にわたります。
注 : 脚注によれば, マラマの 11世代目の アリイ-オエ-ハウ (Arii-oe-hau) の妻 トイ-マ
タ (Toi-mata) を誰に比定するかによって世代の数え方が変わる.
以下に エモリーによってまとめられた系譜と、マラウや アリイ タイマイ、テリイ ヴァヒネによる系譜を総合したものとを対比します。□印の方は性別不明です。
【Kenneth Emory (1932) によるマラマの系譜 (三つの物語との対比を含む)】2025.9
まず、1つ目の混乱です。エモリーによる年代記には、第 14 世代に Tupu-o-roo の妻として Te-feao が記載されていますが、マラウ等の年代記では、第 14 世代の他に、第 7 世代に二人目の Te-feao が記載されています。この Te-feao はマラウ (1971年の出版に使用された原稿) からの引用ですが、エモリー [10] はこれをマラウの誤りであると考えています。この マラウの記載は、母親の アリイ タイマイの話や、1901年の出版 [4] のきっかけとなった話とは異なり、正確な系図に基づいて書かれたものではなかったからです。しかし、他の2つの アリイ タイマイと テリイ ヴァヒネの資料は、マラマとヌールアの プヌアテライトゥア (Punuateraitua) との同盟が、第7世代以前のものであったことを示しています。同盟が 14 世代のレベルでなされたことを認めるのは難しくありません。一方、7 世代のレベルでこれが行われたという主張は マラウの誤りです。
次の 2 つ目の混乱は、世代数に関するものです。マラウ等の系譜において、第 14 世代の トゥプ-オ-ロオ (Tupu-o-roo) と第 9 世代の テトゥプアイウラ-オ-テ-ライ (Tetupuaiura-o-te-rai) の間の世代数に関して、マラウの示す系譜 (a) では特定されていませんが、アリイ タイマイの示す系譜 (b) ではトゥプ-オ-ロオの後4番目の位置で テリイ-オ-マラマ-イ-テ-タウオ-オ-テ-ライ (Terii-o-Marama-i-te-tauo-o-te-rai)へ、テリー ヴァヒネの示す系譜 (c) では テリイ-オ-マラマ (Terii-o-Marama) の後4番目の位置で テトゥプアイウラ-オ-テ-ライ へ到達します。そうすると、トゥプ-オ-ロオ から テトゥプアイウラ-オ-テ-ライ まで、 8 世代または 9 世代になります。エモリーは、これらすべては正確な系図を参照することなく述べられていると指摘しています。タティ サルモンと マレの主張にもづいた エモリーの系譜では、トゥプ-オ-ロオから、マラウ等が テトゥプアイウラが位置すると考えている レベル (9世代) との間は 4世代であることを明確に示しています。
世代数が確立されても、世代のレベルでの名前の違いは残ります。第 9世代で テ-アトゥア-ヌイ-ポウラ (Te-atua-nui-poura) と テトゥアヌイ-ポウラ (Tetuanui-poura)、そして第 7世代で テ-トゥプアイ-ウラ (Te-tupuai-ura) と テ-ロロ-オ-フイ-トゥア (Te-roro-o-hui-tua) があります。ただし、同一人物に対する複数の名前を排除するものではありません。また、第 7世代の人が、その名の中に第 9世代目の人の名前を冠することも不可能ではありません。「マラマ (Marama)」という名前と「テ-タウオ-オ-テ-ライ (te-tauo-o-te-rai)」という名詞表現は、この家族であまりにも一般的に使用されているため、同じ人物をより正確に指し示すために他の名前と共存していた可能性もあります。事実は、この第 7世代の女性が「プヌアテライトゥア」と同盟を結ぶことは不可能だったということです。アリイ タイマイ等が言うように、この人物が女性であり、ファアトアイ (Faatoai) (別名 パペトアイ [Papetoai] で マラエ タプタプアテアがある) と同盟を結んでいるという事実からです。第6世代の ヴァオ に テリイ ヴァヒネが付けた称号「テリイ-ヴァオ-イ-テ-ライ タプタプアテア イ ファアトアイ (Terii-vao-i-te-rai Taputapuatea i Faatoai)」は、マラマと ファアトアイ (パペトアイ) 首長国の関係を強調しています。これは私たちにとっては謎でした。しかし、謎解きの結果、ヴァオの称号は彼の祖先であるテ-ウラ-ア-アトゥア (Te-ura-a-atua) の起源に由来することが判明しました。つまり、ヴァオの称号は疑いようのないものであり、ある意味で、ファアトアイに起源を持つ親族という仮説を裏付けています。従って、この女性が「プヌアテライトゥア」と婚姻関係を結んだことはありえないのです。
注 : モーレア島については「ポマレ以前のタヒチ社会(17)」の参照
マラマの、マラエ ヌウルア を主管する プヌアトライトゥア との同盟 (の更新)、重要なつながりの特定、世代数など、これらはまだ不明な謎の一部です。エモリー によって確立された系譜図は、マラウ等の伝統的な物語 [4], [5], [12] から再構築できるものよりも確実性が高いので、基準日付を確定する際により高い信頼性が得られます。
それが意図的な操作であろうと、記憶の裏切りであろうと、系譜図の歪曲は情報提供者の イデオロギー的な関心から生じていると考えられます。それは、ポマレが行った系譜図の政治的操作に対する反応でした (著者脚注)。
著者脚注 : 問題の系図がどの程度操作されていたかは, ヨーロッパ人到来後の タヒチ
で最も「権威ある」歴史家とされる マレ と「マラウ女王」の発言からも明らかであ
る. 前者は, タヒチで最も尊敬される アリイ マラエ (ari'i marae) にまで遡る系図証拠
を動員し, ポレオヌウ (Poreonu'u) の首長の称号が群島全体の他のすべての称号より
も上位にあることを「証明」しようとした (問題の ポレオヌウの首長とは ポマレの
ことである). [9, pp.1179-1180]
注 : 上の脚注の「アリイ マラエ (ari'i marae)」は系譜における番号 1 の「タヒチの
起源の偉大な王子 テトゥナエ-オ-ヒティ-ヌイ (Tetunae-o-Hiti-nui)」でしょう.
【おわりに】
アリイ タイマイの回想録に従って ポマレ王朝成立までのタヒチの歴史を見てきましたが、「ポマレ以前のタヒチ社会(17)」において、モオレア島の有力な一族である マラマについての言及があったため、マラマについて詳しく論じている著書「ソシエテ諸島における伝統と近代性」の中から関連する箇所をご紹介してきました。今回は マラマの系譜についてご紹介しました。これで、本来の目的は達しましたので、アリイ タイマイの回想録に戻っても良い頃合いかと思います。しかし、興味深いところもまだあります。そこで、この著書についてもう少し触れるか、あるいは回想録に戻るかについてはもう少し考えさせていただきたいと思います。
【付録 A:マラウ タアロアの回想録 [5] によるマラマの系譜図】
【付録 B:アリイ タイマイの回想録 [4] によるマラマの系譜図】
【付録 C:テリー ヴァヒネの報告書 [12] によるマラマの系譜図】
[1] Claude Robineau, Tradition et Modernite aux Iles de La Societe :
Une interprétation anthropologique (ソシエテ諸島における伝統と近代性:
人類学的解釈). These Pour Le Doctorat D'etat Es':"Lettres et Sciences
Humaines," Uniiversite Paris V, Rene Descartes, Sciences humaines -
Sorbonne (国家博士号論文 :「文学と人文科学」, パリ第5大学, ルネ デカルト,
人文科学 ソルボンヌ), 1981.
[2] Claude Robineau, Tradition et Modernité aux Iles de La Société, Livre II Les
Racines (ソシエテ諸島における伝統と近代性, 第2巻 ルーツ). Éditions de l’Office
de la Recherche Scientifique et Technique Outre-Mer Collection MOMOIRES
(海外科学技術調査局発行, モモワール・コレクション) No 100, PARIS, 1985.
[3] H. J. Davies, A Tahitian and English Dictionary: With Introductory Remarks on
the Polynesian Language, and a Short Grammar of the Tahitian Dialect,
London Missionary Society's Press, 1851. (Classic Reprint).
[4] Marau Taaroa and Henry Adams, TAHITI: Memoirs of Arii Taimai E (アリイ タイマ
イの回想録). Paris, 1901.
[5] Marau Taaroa, Mémoires de Marau Taaroa (マラウ タアロアの回想録),
Ariimanihinihi Takau Pomare trad. (アリイマ二ヒ二ヒ タカウ ポマレ訳). 1971.
[6] Henry Teuira (translated by de Bertrand Jaunez), Tahiti Aux Temps Anciens
(古代タヒチ). Publications de la SdO, Paris, 2004.
[7] Kenneth Emory , Wilipedia.
[8] E. S. Craighill Handy, History and Culture in the Society Islands (ソシエテ諸島の
歴史と文化). Bernice P. Bishop Museum, Bulletin 79, 1930.






