前項「アカペラで歌いました : プア ミキノリア (Pua Mikinolia)」にて、「プア ミキノリア」をアカペラで歌う企画で アップした動画を一度削除して アップし直しました。このことは、これからの活動にも関係することですので、一度ご説明申し上げます。
このアカペラを最初に アップした後、次の曲を考える内に 「フェヌア モア」ではどうかと、少し歌ってみました。そしたら、全く駄目でした。ヘナヘナしてお話しにならないのです。それは何故かと考える内に、この詩に込められた覚悟が全く表現できていないからではないかと思い当たりました。この曲は、ライアテア島、或いは ハヴァイ、の オポアにある マラエ タプタプアテアに インスピレーションを受けて作られたものです。この マラエは中央ポリネシアの信仰の中心であったと共に、キリスト教の広がりと共に廃棄されたところであり、その全盛期には多くの犠牲者の影があります。このため、観光名所としてはよく知られていて、観光地としての整備はかなり進んでいますが、この遺跡を民族の記憶として大事にしようという動きは、どうも、あまりなかったようです。あまり思い出したくないのかも知れません。その マラエを自分たちの故郷として歌い上げた作者たちには、生半可ではない覚悟があったのでしょう。彼らの SNS を見ても、他の人がやらないなら、自分たちがやってしまおうと バンドを立ち上げた経緯が書かれています。そんな覚悟がないと歌えないのだろうな、とつらつら考えていたのです。
その時、ふと、6月 23日にこの「フェヌア モア」を踊られた、あの方に思いが移ったのです。この演目の始まりのところ、暗がりの中で、ちらと見て少し笑みをお浮かべになりました。そして、これ以降は一度も、オテアでも、素人カメラマンの方向には顔をお向けになりませんでした。この歌がお別れの歌となりました。これからの新しい踊りの世界に向かい、期待はあるでしょうが、不安もあるでしょう。その中で、これまでをきっぱりと忘れて次の未来をお見据えになったのです。ここにも覚悟があります。その覚悟を持って去られた舞踊家 ウアケア佳奈子の素敵な後ろ姿が胸に染み入るのです。ですから、彼は、この曲を歌わねばなりません。その覚悟が彼に有りや無しや、そしてできうるものなのか、分かりません。しかし、あの方が ハワイアンズで残された踊りを歌い上げることは、あの方の踊りへの愛の一つの形だと思います。
そうしましたら、「プア ミキノリア」を最初に歌った時の油断に愕然としてしまったのです。上手い/下手の問題ではありません。愛の問題なのです。ですから、もう一度、アカペラで歌い直しました。良くなったのかは分かりません。しかし、私には全力を尽くした思いが残りました。これからの作業、一曲ごとに気持ちを込めて歌わなければなりません。残されたものがしっかりと覚悟を持って立つことが、あの方の未来への後押しになると思うのです。
以上のようなことから、次の曲として、「フェヌア モア」もありますが、「ロウ セイ オリアナ」を何とか仕上げてみようと励んでいる所です。この曲は、もともとが バラードで、大きくあって、そして胸に染み入る歌です。作曲の年は分かりませんでしたが、四半世紀前位の古い曲のようです。サモアでは現在でも、この形で歌われるようですが、ハワイアンズでは アップテンポにして、そして終盤から更に アップテンポにして歌っています。この様に、だんだん早くなる演奏が「タムレ」です。或いは、よく演奏される Te Vaka の曲に合わせて アップテンポにしたのかも知れません。いずれにしても、歌詞そのものは落ち着きを感じさせるので、日本語歌詞もどうしても長目になります。そうすると、ハワイアンズの演奏ではついていけないかも知れません。始めから アップテンポの版で 日本語歌詞を書くことも考えましたが、本来のバラードに対する日本語歌詞を書くのが順番ではないかと思うのです。そこで、バラードの アカペラを最初に作り、ついで、アップテンポの版に対する日本語歌詞を考えるという順番にすることにしました。ハワイアンズでは、この曲の最初の二つの節を歌うので、バラードでも最初の二つの節に対して、日本語歌詞の修正を行っていこうと考えています。第一節に付いては出来上がり、サモア語の歌を背景に日本語で歌ってみました。そしたら、泣けてしまいました。いや、本当に。良いな、と思った瞬間に、涙が止まらなくなってしまうのです。魂の揺れは続いているのです。
( 11/16 「ロウ セイ オリアナ」で一般的に知られた曲ですが、最初の頃は「セイ オリアナ (Se'i Oriana)」という名で、 1995年のアルバム「Talala」に収録されているようです。その曲の製作年も同じく 1995年とされていますので、上記の「四半世紀云々」は完全に誤りでした。)
題名にもある「オリアナ」とは、サモアでは、髪飾りに使う花の総称です。もともとは「セイ」がそれなのですが、「オリアナ」という異国の響きに作者の Jerome Grey さんは捉えられたのでしょうね。その結果、現在のサモアでは、飾り花は一般に「オリアナ」と呼ばれているようです。その「オリアナ」が歌では大事な方として歌われているのです。「お話しましょう」、「お住まいください」、「この地に広げて下さい」と歌います。そうすると、彼の大事な方とかぶってしまって、涙が止まらないのです。彼はその大事な方とは普通にお話したことさえないのですけどね。そして、そこにはもう一つ理由があります。作者は、「オリアナ」を招くにあたって、サモアを住みよくする、人々が仲良く競い合うようになることを考えていたに違いありません。その様な面が、Jerome さんが社会的に評価された理由であると思うし、サモアの独立記念日にこの曲を歌った CD が残されている理由でもあると思うのです。日本のバブルの時代、確かにお金持ちが銀座や赤坂で豪遊して、ハイヤーが列を作って停まっていて、一般からは顰蹙を買っていた過去を素人カメラマンも記憶しています。この十数年、裕福な方々はとてつもなく裕福になり、一般の人はますます苦しくなりました。そうすると、もはや、裕福な方々の遊びは一般の人の世界からは見えなくなってしまったのです。これは、本来の日本ではありません。日本とは、お金持ちも貧乏人もすべて見える世界だったのです。見えるからこそ、愛があったのです。日本が和の国であったのは、愛があったからなのです。今は、 ありません。日本の国に再び愛をとりもどす事を考えると、「オリアナ」に泣いてしまうのです。大事な方がどこかへ去ってしまわれる。そんな世の中は悲しくありませんか。私たちがやるのです。「フェヌア モア」はそんな流れでできた曲です。
ところで、「ロウ セイ オリアナ」はとても良い曲です。原歌詞が良いので、日本語歌詞も良くなるのです。それだけに、アップテンポにしたら、どんな日本語歌詞を書けばよいのでしょうか?
