【はじめに】

 

前回のカメラ練習の報告からちょうど一月経ちました。実は、その間に何度か動画の アップ自体はしたのですが、(限定) 公開する前にもう少し良い動画が撮れていたりなどしたため、ご報告するのはここまで延びていました。今回はお天気も良く、おつき様も真ん丸で、気持ちよく練習できたので、ご報告させていただくことにしました。久しぶりに川鵜の モグラ叩きもできましたし。ただ、日が陰ると、とてつもなく寒くなった日でした。川べりはまた一際です。

 

 

それから、この素人カメラマンは愛の踊りを理想としてきました。愛とは「とても大切にすること」です。ですから、ある芸能家をその芸能故にとても大切に思うのであれば、その芸能家を、或いはその方の芸能を愛していると言います。それは、多くの人が普通に使う言葉です。では、愛の踊りとは何でしょうか。彼なりのイメージはありますが、それが具体的には何を指すのか、或いは何に由来するのか、あまり深く考えたことはありませんでした。本日 ( 5日)、配達の方がいらして、品物を受け取ってから「ありがとうございます」と申し上げました。あ、ありがとうと言ったんだなと思ったところから、思いが巡り始め、そうだったのかと気が付きました。そこには色々な要素が絡み合っています。ただ、その一つは、ウアケアさんの踊りを現実に拝見しているときには、そして、記念撮影などでお顔を合わせる可能性のあるときには、思い出さぬようしていたことでしたので、考えはまとまらなかったのです。この方は、いつまでも色褪せぬ美しい思い出です。この方の未来の可能性のために、出来うることはやり遂げましょう。

 

 

 

 

【12月 4日のカメラ練習の結果】

 

どうしてカメラ練習を継続しているのか、それは鎌倉武士のようなものです。素人とは言え、彼はカメラマンですから。いざ鎌倉の声が上がれば、馳せ参じ、お役に立たねばなりません。

 

 

「通常保持での撮影」

 

1 三羽の水鳥(約 2分)

 

珍しく鴎が居ました。

 

 

 

2 水鳥の餌漁り追跡: その1(約 4分半)

 

ひたすら追います。

 

 

 

3 上流遠方の鴨と鵜(約 2分半)

 

浮遊する鴨、草を食べに行く鴨、寝ている川鵜。

 

 

 

4 下って来る鴨二羽(約 1分半)

 

下って来る鴨夫婦、セッツカれているのはどちらか。

 

 

5 川鵜のモグラ叩き(約 13分半)

 

水面に上がってきた川鵜をズームで捉えます。

 

 

6 水鳥の餌漁り追跡: その2(約 3分半)

 

更に、ひたすら追います。

 

 

7 向こう岸付近を浮遊する川鵜(約 1分)

 

のんびり。

 

 

 

「片手保持での撮影」

 

約 8分半の動画です。適当にご覧ください。

 

 

 

 

 

この日は満月。こんなに開けた多摩川辺りで、こんなに丸くて大きなおつき様を拝見した記憶がありません。おつき様が何かをお伝え下さったのかも知れません。

 

 

 

 

 

【彼の愛の踊りとは何でしょう】

 

ウアケアさんをお近くで拝見する機会のあった時に思い起こさないようにしていたこと、それは母の思いです。最初に舞台上にお目にかかったとき、この方がこの世とも思えなく美しく思われたのです。これまでに、美しい女性の方々の映像は拝見していますが、その意味での美しさではありません。

 

 

ウアケアさんを拝見して、まず吉祥天を連想してしまいます。そして、その天女には母のイメージが有るので美しいのです。人の根源とは何でしょうか。それは母です。そうすると、真善美の全ての根源は母に由来することになります。そして、母の持つものは「大切に思う心」と「慈しむ心」です。もう目的地にたどり着いたのですが、少々話が早すぎました。素人カメラマン、彼にとっての母について少しお話させていただきたく思います。

 

人は思われることにより生きるのです。それは、既に世を去った方にも言えます。彼の母は既に世を去っていますが、彼が思う限りは生きているのです。彼は男三兄弟の年離れた三男坊、父は最後に姫を望むも叶わぬことにより不貞寝しおり、母は肥立ち悪く立てぬ故、子がなかった叔母夫妻に引き取られることに決まりました。ところが、母が頑として彼を渡さぬのです。育児などは無理に決まっていますから、叔母夫妻が連れ帰ろうとすると、母は半狂乱の体。妹は流石に振り切れません。夫妻で協力して、母の子育てを助けることになりました。皆の善意が実ったためか、彼は普通に育ちましたが、彼の記憶にある幼稚園・小学校低学年時代は常に母のそばでした。母がどこに行くにも連れ行きます。どうして何時も引っ張って行くのかと問えば、母は「貴方は私のハンドバッグ」と言います。母はどんな人だったか。背は低く、ほっそりとして、まるで不器用で、生花以外は大したことは出来ませんでした。祖母が釣具屋をやっていた頃、「てる子は釣りの仕掛けを上手に作るのに、あんたのお母さんの房子はぶきっちょでなんにも出来ないの」とぼやいていたものでした。父は真面目な男で、仕事や普段の生活面は立派でしたが、お酒を飲むと単なる酒乱。当時は組合問題で、会社は揺れに揺れた時期、父は大変に苦しい立場にありました。毎晩、酒を飲んで帰ってきて、大変なことになりました。それでも、父は、早期退社して祖母の釣具屋を継ぎ、息子たちを大学に送り出し、病気で他界するまで立派に釣具屋を営んでいました。母は祖母を送って、父を送って、自らが動けなくなってからは次男宅に世話になりました。そして、酒乱の夫を大切に思い、子を慈しんだ母は、感謝の言葉を残して去っていきました。振り返れば、「大切に思う心」と「慈しむ心」が残されていました。後の素人カメラマンの彼は、学生時代は人のことなど考えたこともなく勉強し、現職時代は理論の世界に生き、最後の頃には出世を争う同輩達の策謀や裏切りで世をはかなみました。その間に、以前の項に書いたように ある無名な音楽家 と共に生き、そして、その方は絶望的なリハビリの末、治療方針について担当医にご自分のご決断を伝え、去っていかれました。慈しみを残して。

 

素人カメラマンは、初めて舞台上の ウアケアさんに対面させていただいた時に、その様な母を感じてしまったのでしょう。それは例えようもない最上のものです。しかし、その時に彼に気がついていたわけではありません。舞台上にこの方の踊られる姿を追ううちに、愛の踊り、人々を大切に思い、慈しむ心に溢れた踊りのイメージが心に育ってきたのです。しかし、今までの ポリネシアンという枠組みの中では、それが花開くのは難しいのです。理由は簡単です。私たちの言葉ではないからです。私たちの言葉で歌い、踊られる ポリネシアンが普通になるまでは、母たるイメージをお持ちの ウアケアさんとて、いかんともし難いのです。やる気のある者がやる他はありません。先は長く、この方に再び相まみえられんとは考え様がありません。でも、努力させて頂くのです。この宵の満月は歌に聞くハワイの月のよう。そのお月さんは、励ましにお見えになられたのです。

 

 

 

 

【おわりに】

 

久しぶりにカメラ練習の様子をご報告させていただくのと同時に、愛の踊りについて考えたことを書いてみました。それは、僅かな言葉「ありがとうございます」から、絡みついた毛糸が解けるように、広がってきました。思えば、この素人カメラマンには多くの愛が注がれてきたのです。その全ての愛を舞踊家ウアケア佳奈子のために注ぐのも、またあることでしょう。