27卒までの徒然日記

27卒までの徒然日記

2004年8月生まれ「夏鈴」と2001年6月生まれ「雫」の父親が徒然を綴ります

昨日の投稿にも書きましたが、
私は大手と中小の両方を経たあと脱サラし、一人法人を作りました。

2008年3月のことです。
運が悪いことに、半年後の9月、アメリカでリーマンショックが起こります。

当初、日本への影響は限定的ということでしたが、結局は日本経済も大きな打撃を受け、派遣切りや契約社員の雇い止めなど、深刻な社会問題にまでになりました。

2008年12月には、東京の日比谷公園にテントを張るなど「年越し派遣村」が設営され、ボランティア団体が、炊出しを配るニュースを見て、不安な気持ちになったことを今でも覚えています。

客先常駐で一緒に働いていた協力会社(下請け)の人間は、翌3月、人数ベースで4割くらいの人がいなくなりました。

私は切られはしなかったですが、4月からの契約金額を否応なく10%カットされました。

そういう経験をしてきただけに、娘たちには大手または公務員に就職できるよう、受験にしても、就活にしても出来る限り手伝って来ました。

雫(社会人3年目)、夏鈴(大学4年生)ともに、ある程度の企業に就職、内定できてホッとしています。

今さらですが、自己紹介を兼ね、これまでの私の経歴を書きたいと思います。

バブル経済最後の波に乗り、91年に中堅私大から新卒で大手メーカーに就職。

配属先は、情報システム部門。

情報システム部とは、社内のコンピュータシステムのお世話をする部門です。新たなシステム構築や、既存システムの改修において、企画,立案から開発,導入まで全てを行います。
ただ、大手企業の場合、開発に関しては外部企業へ発注するのが一般的です。

その大手企業に約7年勤めた後、訳あって社員50人未満のシステム開発会社へ転職。

そして、そこで10年弱勤めた後、脱サラしました。

事業の形態は、株式会社。
と言っても、私一人の会社です。

あれから20年弱が経ちますが、
毎年10万円前後の法人税を納め、つい2年ほど前までは事務所も借りていました。

随分と実のない無駄なお金を使い、
脱サラとしては失敗だったかもしれませんが、
あのまま続けていたら今より心が健康で、豊かな生活が出来ていたかと言えば、
必ずしもそうではないと思います。

十人十色人生色々。
何が正解だったかは誰にも分かりません。

このブログは、読んでくださる方が、娘たちやその周りで起きた出来事を知ることで、何かしら新たな気付きを得られれば、
という思いで書いています。

これまで、娘たちの進路について常に先回りして情報を集め、与え、促し、一緒に行動してきました。

一例を挙げると、夏鈴(大学4年生)が高校受験をするときには、中2の時から各高校の説明会に参加していました。参加した高校は、覚えている範囲で、公立だと北野、茨木、大手前、豊中、高津、プラス夏鈴が入学した高校。
私立で言うと立命館、京都女子、関西大倉、履正社、開明、四天王寺、大阪桐蔭、帝塚山。

そんな私なので、同世代で親しい人、
特にうちの子たちより少し年下のお子さんを持っている人と話すとき、子供のことに話題が及ぶと、良かれと思って我が家の経験、私が初めて知った現実などを伝えることもしばしばあったのですが、
相手からすると、私が娘たちを自慢しているように聞こえるのか、子供たちの教育や進路に関し諦めてしまっているのか、一気に不機嫌になる人がいてびっくりすることもありました。

ちなみに、うちの娘たちは自慢するような結果が残せたとは思ってないし、そんな風に話しているつもりは全くありません。

大抵、不機嫌になって怒り出すのは男性(父親)の場合が多いです。

昔はよく子供たちのことを話題にしていた間柄であっても、もうここ数年は、
「⚫︎⚫︎くん、今何してるんですか?」とか
「⚫︎⚫︎ちゃん、いくつになりました?」など
お子さんのことを聞かないように気を付けています。