「圧倒的な秋の刹那」








以前ちらっと書きましたが、僕たち夫婦は現在
別居中です。
僕の転勤により、今年4月からとある僻地に
単身赴任中なのです。

奥さんは、去年の4月から小さな会社を経営
していて、ようやく顧客もつきはじめ、
軌道に乗ってきたところだったので、
なんの迷いもなく、週末婚を選択しました。

僕は月曜日の朝、その赴任地に向かい、
金曜日の夕方に帰ってきます。
片道3時間あまりの道のりです。

理想としてはもちろん一緒に住みたいし、
別居にかかる経費もバカになりません。

しかし、僕たちはそれを選択し、今まで
喧嘩をしながらも何とかやってくる
ことができました。毎日メールや電話で
やりとりし、コミュニケーションという
意味では、ひょっとしたら同居していたとき
よりも充実し、前よりも夫婦関係が
うまくいっている、気がします。

顔をつきあわせていると、言わなくてもいい
ことを言ってしまったり、疲れのあまり
あたったりしてしまうので、そういうことが
ないだけでも、精神安定上いいのかもしれません。

こんな事を書いてると、

「何を綺麗事ばかりゆうとんねん、
夫婦っちゅうのはなあ、喧嘩してなんぼや。
それをせんで、何が夫婦やねん。」

と思われる方もいらっしゃるかも知れません。
(別に関西弁である必要はないのですが)

しかし、その点は心配いりません。
貴重な週末に遅れを取り返すべく密度の
濃い激しい喧嘩をしていますから。(笑)

それにこういう生活を我慢できるのには、
他にも理由があります。僕にはブログの
説明文にもあるとおり、来年育児休暇を
取得するという予定があるのです。
(今現在まだ上司にさえ言っていないの
ですが・・・)

そうすれば、奥さんは子育てしながらでも
会社を続けられるし、僕は会社勤めの特権として、
いくらかの育児手当をもらいながら、家事に
専念することができます。
そのためには、まだまだできなくならなくては
いけないことがたくさんありますが。(特に料理!)

週末婚は確かに寂しいです。
特に雨の降る夜やきれいな夕焼けが見られる時、
「僕はいったいこんなところで何をしているのだろう?」
と思って悲しくなります。

しかし、ポジティブに考えれば、自分の仕事や
奥さんの仕事のあり方を見つめ直すよい機会になるし、
何より、お互いが与えられた外部要因からくる試練に
(人生には避けられない!)柔軟に適応しようとする
過程において、話し合い、人生の価値観を共有できる
ようになることが、この先の人生においてもプラスに
なると信じて、あと半年、がんばります!

子供ができて単身赴任になったらどうするかな・・・?

「おそ松、チョロ松、じゅうし松、トド松、
いし松・・・
あと一人、誰だっけ?」

↑ カラ松、でした~!
ぷれこさん、ありがとう~







僕は、4人きょうだいの長男です。僕以外には、
弟が一人、妹が2人います。
以前、子供嫌いだった。~その1で書いたように、
子供の頃は、それが嫌で嫌でたまりませんでした。

たまに、レストランとか連れて行って貰っても、
みんなに注目されるのが嫌で、家族とちょっと
離れて歩くような屈折した子供だったのです。
なんかスマートでないというか、発展途上国っぽいと
いうか。いずれにしろ変な美意識に凝り固まって
いました。

そんな僕がきょうだいが多くて良かったなと思える
ようになったのは、高校を出て一人暮らしを始めて
からです。家族と離れていると、自由が嬉しい反面、
妙に家族が恋しくなるものです。まさに、
「ふるさとは遠くにありて想うもの」
の心境だったと言えるでしょう。

子供の頃は、周りに同年代の友達があまりいなかった
ので、いつもきょうだいで遊んでしました。
相撲をしたり、紙飛行機を飛ばしたり。
僕はあまりそんな覚えはないのですが、親の話では、
「ずいぶんいじめ」ていたみたいですが。(笑)
まあ、きょうだいなんてそんなもんでしょう。

妹たちは、そのまま地元の高校・大学を経て、
地元に就職したのですが、弟は、大学から
一人暮らしを始め、なんと沖縄に就職しました。
本当は北海道に来たかったらしいのですが、
僕がいるので沖縄にしたそうです。

何でも兄とは同じことはしたくないそうで、
これは子供の頃のいじめの影響なのか、
はたまた遺伝子の多様性がそうさせるのか、
それは誰も知りません。
とりあえずあやまっておきます。ごめんなさい。

きょうだいの存在は、人格形成において親と同じ
くらいの影響力があります。
人生において深く接するはじめての同年代の他人だし、
ものを我慢したり、分けたり、思いやりを持ったり、
喧嘩したり、守ったり、守られたりするのは
きょうだいから受ける部分が少なくありません。

社会に出れば、嫌でも他人と交わり、その妥協や
取引をしながら、生活しなくてはいけません。
もっと深い部分でそうしなければいけない結婚は
なおさらです。

そういう意味で言えば、核家族化と一人っ子の
増大は、「社会性」という要素において、
将来、何らかの問題を発生させる危険性をはらんで
います。
現在、日本に噴出する社会性の著しい欠如から
くる集団自殺や引きこもりや連れ去りなどの
問題の一因はそれにあるのかも知れません。

上記は極端な例かもしれませんが、
きょうだいは多いにこしたことはない、というのは、
少なからず子を持つ・持とうとする親が感じている
ことなのではないでしょうか。

だけど、子供を多く持とうと考えたとき、はたと
気づきます。子供はお金がかかる。住環境の問題。
混迷する社会、将来の不透明さ。全てが、多くの
子供を持つことにNOと言います。そう考えれば、
子供は一人、多くて二人となるのは当然でしょう。

しかも、子供を多く持てば持つほど親は前よりも
たくさん働かなければなりません。その結果、
子供と過ごす時間は少なくなり、それでは何の
ために子供を持つのか分からなくなります。

僕は、子供は持たないか、もし持つならなるべく
多く(五人くらい)欲しいと思っていました。
しかし、いろいろ調べれば調べるほどその気は
失せます。このままいくとおそらく、一人しか
持てないでしょう。その場合、いかに社会性を
その子供に持たせられるかが、子育ての重要な
ポイントになりそうです。

まずは、自分や奥さんが常に会社や家庭内だけでは
ない社会性を持ちつづけるようにしなければ。

「僕も一人で歩けるように」











先日書いた記事、「親としての責任」にはたくさんの人から
コメントをいただきました。
また、トラックバックでも参考記事を書いた方が
多数おられたようでブログいうものの利便性・発展性を
改めて感じた次第です。

その中で印象的だったものを改めて2つばかり
紹介させていただきますと、

「どういう将来のビジョンを描くかによって、
『1人で生きる』と言うことの、内容がまったく違ってきてしまう」
kuma3 さん

「それには厳しくすることより、私達大人が楽しく自立して
人生を歩んで幸せを掴む姿を見せることではないか、
と思います。
主人が子供から見てもカッコよく仕事すること。
私が、家の中でも輝いていること。」
天才 さん

というコメントでした。これらの意見を僕なりに解釈し、
反芻し、勝手ながら意訳すると、

「親も自分の人生を一人で歩いていけるようになること」

ということになるのでしょうか。
(とんちんかんな解釈でしたら、スミマセン。)

親の最低限の子供に対する責任は、子供が一人で
生きていけるようにすることである、というのが
僕の記事の主旨でした。
それは、抽象的ではありますが、僕自身は
あらゆる育児や躾の場面に通用する、
育児憲法の前文ような概念だと思っています。

しかし、その一方、そんなに気張らなくても
親が自然に凛として自分の人生を生きていれば、
子供も自然に自分で生きていけるようになるのではないか、
という思いもあります。

そのことは、
hunny-candyさんの記事
を読んで改めてそう感じました。
親は親だし、子供は子供。
そもそも「教育する」という感覚が、間違いなのではないか、
という思いです。

もちろん、ロバート・フルガムの著書、
「人生に必要なことはすべて幼稚園の砂場で学んだ」
にあるような、教えるべき最低限の事柄はあります。
しかし、その以上のことに関して言えば、
kuma3さんの記事にあるように、
親がこの先世界がどうなるかを想像し、それに沿って
子供を自立させようとするようなことは、
突き詰めれば不可能なのでしょう。
(GOD KNOWS ,NOBADY KNOWS)

究極的には、親にとってできることは、自分の人生に対する
自分なりの価値観や幸福感や肯定感を子供に見せ、
子供に人生に対する期待感と、あなたがこの世界に
存在してもいい、という絶対的な自己肯定感を
植え付けることだけなのでしょう。
そうすれば、あとは子供が自分で世界に適応して、
一人で歩いていくのではないでしょうか。

親としての責任。
非常に重い言葉ですが、これは、自分自身の人生に
対する自分自身の責任と同じものであるのかも知れませんね。

「けっこんしましたか?」









最近ブームの韓国映画を初めとする
韓国文化及び韓国語。
実は僕、以前韓国語をかじっていたことがあります。

今は自信がないので他人に言うときは
「かじっていた」
程度にとどめていますが、正直に言うと
結構がんばっていました。
実は都合半年程、韓国に留学し、
新入社員として入った会社は
韓国の某企業でした。

韓国語は、文法もほとんど日本語と同じで、
よく似た単語もたくさんあり、はっきり言って
日本人にとっては外国語の中で一番簡単です。
あの難しいそうなハングルも、ローマ字のような
構造を持っているので、その気になれば1日で
読めるようになります。

学生時代、それを知って楽しくなり、
これだけと言っていいほど勉強してました。
そのおかげでうまくなっていったのですが、
ある程度まで行くと壁にぶちあたります。
それはちょっとした文化の違いからくる
意味の違いでした。

例えば他人に結婚しているかどうか尋ねる表現。

日本語では、
「結婚していますか?」と現在進行形になるのに対し、
韓国語では、
「キョロンヘッソヨ?(結婚しましたか?)」
と過去形になります。

これってたいした違いでないように見えて
両国の文化や社会事情の違いを如実に
表していると思いませんか?

日本語では「結婚」は「状態」であって、
将来のことは分からない、つまり「離婚」の可能性を
大いに有している表現であることに対して、
韓国語では「結婚」は個人を形成する「要素」であって、
一度したらそれは現在~将来と続いていく、
という意味を内包しています。

日本語で「結婚しましたか?」と聞けば、
「今離婚している」という意味になりかねないし、
韓国語で「結婚していますか?」と聞けば、
「結婚式の最中ですか」という間抜けな
質問になってしまいます。

これは、韓国では最近ではずいぶん
変わりましたが、儒教の文化が根強く残っており、
「離婚」に対して日本以上に強い抵抗がある、
ことからも分かります。

このようなことは他にもたくさんあり、
「文化って言葉の基だなあ」と改めて感心します。

「全然違えば初めから覚悟してお互いの大きな違いを
尊重できるけど、似ているとかえって小さい違いが大きくなる」

僕が異文化交流について考えてたどり着いた一つの真実です。

これは、個人個人も違う生活環境や信条を持つと考えれば、
日本人同士でも言えることです。
ましてや男と女ですから。がんばるぞ!

いや別に。

奥さんと喧嘩したわけではありません。(笑)
子供はやかましいです。

新幹線や飛行機に乗ると、いつも周りに子供が
いないかどうか確かめていました。

せっかくの移動時間、静かに本を読んだり、
昼寝をしようと思っていても、その中にもし
ちょっと疲れ気味の子供でもいようものなら
そのもくろみはもろくも崩れ去ります。

一度火がつけば、あとは子供の耳をつんざく
超音波のような叫び声が車内に響き渡り、
苦行のような時間をただやり過ごさなければ
いけなくなります。

先日も、こんなことがありました。
知人の結婚式で発起人をやることになり、
打ち合わせのため集まりました。そこに、
夜も遅いというのに子供を連れてきている
別の発起人がいたのです。

はじめはおとなしくしていたその子供ですが、
時間が遅くなるにつれ、疲れてきて泣くは
叫ぶはの大騒ぎ。打ち合わせどころでは
ありませんでした。
これは、どちらかというと親のマナーの問題
かもしれませんが。

僕はたばこを吸わないのですが、
なぜ「禁煙席」はあるのに、「禁子供席」は
ないのだろう、と本気で思ったものです。
棲み分けができる方がお互いハッピーではないか、
親にしても周囲の人に気を使うよりもいいし、
と考えていました。

以前の僕は、運悪く子供が近くに座ってきた時や
突然ぐずりだした時には、露骨に「チェッ」とか言って
しまうような恥ずかしい人間でした。
正直に言いますと、今でも顔では笑っても、心では
迷惑がってしまいます。ひょっとしたら、顔には
出ているのかも知れません。

しかし、少なくとも今では少し許容できる範囲が
増えたように思えます。それは、こんなエピソードを
経験したことがきっかけでした。

それは、出張で特急に乗っていた時のことです。
その日は朝も早く、3時間以上の旅ですっかり
疲れて電車に乗り込みました。
周りを見ても、ノートパソコンを持ったいかにも
仕事のできそうなビジネスマンがいるくらいで、
子供はいなかったので安心して、その席に座りました。

すると、どこかの車両から子供連れのお母さんが
入ってきて、あろうことか僕の通路を隔てた並びに
座って仕事をしていたそのビジネスマンの
隣に座ったのです。
子供は2~3歳。一番融通が利かない年頃。
しかも男の子でした。子供は、何事かお母さんに
大声で話しかけ、ぐずります。
お母さんは周りを気にしながら、必死になだめよう
としていました。

僕は、はらはらしていました。
仕事が忙しそうだったそのビジネスマンが
怒り出したらどうしよう、と思ったからです。
さらに僕やそのお母さんのそんな不安など
かまいもせず、飽きてきた子供は今度は、
そのビジネスマンのパソコンに興味を持ち始めました。
そして、ついに子供の手がそのキーボードに
触れたのです!

一瞬周りの空気が凍り付きました。

しかし、そんな空気はそのビジネスマンの
意外な態度がすべてうち消しました。
そのビジネスマンは、笑顔でその子供と恐縮する
お母さんに話しかけはじめました。とても優しく、
時には子供にもっとパソコンを触らせながら。

仕事の手を止めて、他人の子供の相手をし、
「可愛いですね」「元気ですね」とお母さんに
話しかけているそのビジネスマンの姿に
僕は、感動すら覚えました。
あれが真の大人の男なのだ、あんな風になりたい、と。

そんなわけで、僕はその電車の中で出会った
見知らぬ大人の男のおかげで、
少しは子供の叫び声に対する許容のキャパシティーを
広げることができたのです。
これは人間の幅と言ってもいいでしょう。
今でも、子供がうるさくてキレそうになるときは
あの日のあのビジネスマンの姿を思いだし、
心を制御するのです。

ただ、今でもこれだけは許せないという
シチュエーションはあります。

例えば、音楽のコンサートやちょっとしゃれた
レストラン、お芝居の劇場などは、子供禁止の
ところもありますが、そうでないとしても、
そんなところに自制心のない子供をつれてくる
親に対しては強い嫌悪感があります。
子供だってつまらないから迷惑だろうし、
親の傍若無人さにもほどがあるのではないかと。

・・・とかなんとか言っていますが、いざ自分の
子供がいたら、考えないくらいの傍若無人ぶりを
発揮したりして。どうも、親になると子供の
叫び声に対して免疫ができるみたいだし。(笑)

皆さんの家では公共の場で子供が泣き叫ぶ時、
どうやって切り抜けていますか?


「部屋とコーヒーと僕」







風はもはや冷たく、冬の足音も聞こえてきてきますが、
北海道は朝から気持ちのいい天気でした。

奥さんが朝から仕事に出かけたので、
今日は終日一人で、洗濯をしたり、掃除機をかけたり、
ビデオを見たり、音楽を聴いたりして過ごしました。

僕の仕事は、きちんと休日が決まっているのですが、
奥さんは小さい会社を経営しているので、仕事があれば
土日は関係ありません。

頭では理解しているつもりなのですが、せっかくの日曜日、
一緒にドライブでも行けたらな、とグチを言ってみたりも
してしまいます。特にこんないい天気の日曜日には。

僕たちは二人で話し合い、生活費は全て僕の給料で
まかない、彼女の給料はすべて将来の夢のために貯金する、
というシンプルな家計運営をしています。

彼女の給料は、まだ立ち上がったばかりの会社
ということもあり、出たり出なかったりと、
なかなか夢への貯金は貯まりませんが、
彼女もそれを糧にがんばる気になってくれているようですし、
僕の休日のストレスの解消のための一助にもなっています。

僕は、どちらかというと性格的に保守的・安全思考で
憧れはしますが、自分が独立することには、二の足を
踏んでしまうのですが、彼女は会社員時代も
バリバリの営業で、性格的にも積極的・挑戦思考
を持っています。

「似たもの夫婦」といった言葉がありますが、僕たちは
そういう面から言えば、正反対といってもいいような二人です。
それでも、将来の夢や基本的な価値観が一致しているので、
やっていけるのでしょうね。

さて、今奥さんから仕事が終わったという電話がありました。
これから車で迎えに行って、夕食は一緒にハンバーグでも作りますかね!

「いつも心に小錦を」





アメブロのランキングに関しては、順位を上げるために、
かなりめんどくさい努力をしなければいけなそうなので、
めんどくさがり屋さんの僕は、アウトオブ眼中(古い表現)
なのですが(ちょっとは気になるけど)、
その順位を構成する要素の中で、「訪問者数」だけは、
気になります。

このところはコンスタントにだいたい20名前後の方が
読んでくれていたのですが、昨日だけ急に64名の
訪問者がありました。←どうもバグらしいですね・・・
理由はいろいろ考えられますが、ともかく文章の質と量だけで
勝負しているつもりの僕にとっては、多くの人に
読んでもらえるということは、とても嬉しいことです。
本当にありがとうございます。

それで今朝から気分がよく、気持ちも新たに他のことも
がんばっていかんなあ、なんて思ったり、
思わなかったりしています。
じゃあ、何をがんばろうか?と考えるとやっぱり、
数値的な目標があるものの方がヤリガイがありますね。

ということで、目標はずばり「ダイエット」です。

僕の体重は、高校生のときからほんの最近までずっと
62キロで全く変わりませんでした。

たくさん食べても、全然食べなくても、62キロ。
恋をしても、失恋しても、62キロ。

ハラダが失速しても、金メダルとっても、62キロ。
ヤワラちゃんが十文字と付き合ってても、
谷と付き合ってても、62キロ。

がんこなまでに62キロなのでした。

しかし!結婚して特に今年になってから
なぜだか急にぶくぶく太り出し、
気がつくと、おなかはふくらみ、せなかはゆるみ、
おしりはたるみ、ありもりなるみ。
しめて体重、66キログラム。

やばいです。10ヶ月で4キロです。1ヶ月0.4キロ。
1年で4.8キロだから、10年で48キロ。
このペースで30年たったら、
なんと、210キログラムのおじいちゃんです。
0.21トン。

こりゃやばい、ということで、このたび生涯初めて
「ダイエット」なるものに挑戦することにしました!
ダイエット、といっても何をするか分からないので、
とりあえずさっき、その辺を「うがー」と言いながら、
走りまわってきました。

今日は市民プールにでも行って泳いでこようかな。
なんとか元に戻したい。
このままじゃ僕は将来、0.21トン。

みなさんも、なんかおすすめのダイエットがあったら、
教えて下さいね!

で、とりあえず今月の目標は・・・
「体重をとりあえず2キロ減らして、64キロにすること」

ちなみにさっき計った今日の体重。66.2キロ。
増えとるやんけ!
子供は怖いです。

どう育つか分からないから怖いです。
どんなに愛情注いで精一杯かわいがっても、
10年後くらいには、
「くそったれ、この親父」
と言われるかも知れないのが怖いです。

自分の将来がどうなるかも分からないのに、
この大変な世界に新たな命をわざわざ自分の手で
生み出すのが怖いのです。

相次ぐ子供が被害者だったり、加害者だったりする
犯罪。戦争や環境破壊による地球の危機。
訳の分からない集団自殺。貧富の差の拡大。
自分が生きていくだけでも大変なのに、
なぜわざわざそんな苦労を人に追わせなければいけないのか。

これもまた、僕が子供を欲しくない理由の一つでした。

僕は、子供の頃の周りの友人たちを思い出します。
親の学歴が高かった友人。
親が(おそらく)や×ざだった友人。
さて、彼らはいまどのように成長しているでしょう。

学歴の高い家の友人がまっとうに学者にでもなっていたり、
や×ざだった友人がまっとうにや×ざになっていたりしたら、
それはそれでほっとします。
ああ、蛙の子は蛙だなと。そして、僕の子供も僕くらいには
なるのだろうな、とちょっと安心(ちょっと残念)します。

だけど、実際どうだったでしょう。

学歴の高い家に育ったその友人は、人生のある時期、
精神に変調をきたしました。
そして、や×ざの友人は今では2人の子供を持つ会社勤めの
真面目なサラリーマンです。

この不条理はどう説明できるのでしょうか。

そこに親の愛情の有無をあげる人もいるかも知れません。
曰く、学歴の高い家に育った友人は親の愛情が少なく、
や×ざはたくさん愛情を注がれた、と。

しかし、彼らは違いました。
学歴が高く裕福であった家の友人は、
親も心に余裕のある人で、僕の目から見ても
その家庭が愛情にあふれていました。
一方、や×ざの友人は、親のその仕事柄(!)、
育児放棄とまでは言いませんが、
ほとんどひとりぼっちで放っておかれていたように
記憶しています。

この例は、極端かも知れませんが、
神戸の事件や長崎の事件などの加害者児童の家庭が
激しくゆがんでいたという話も聞きません。
むしろ、親が子供に対して愛情にあふれ教育にも
熱心であったと言う話も聞きます。
いわゆる普通の家だったのでしょう。
(マスコミや学者たちは何とか特殊な家庭であったかを
印象づけようとしていましたが)

教育も愛情もただ親の思う最高のものを与えれば良い、
というものではないのでしょうか。
愛情深く教育熱心に育てても、
子供は犯罪者になるかもしれないし、
放っておいても、
自立した大人物になるかもしれない。

きっと子供は自動販売機ではないのでしょう。
これを入れたら、これが出てくるといったようなものでは。
この言葉が適切かどうかわかりませんが、
どう育つかは「運」の領域に限りなく近いのかも知れません。
そう考えると巷に無数にある教育論や育児論なんて、
競馬の予想に近いとも思えてきます。

この不条理に対して親はどういう態度で子育てをしていけば
いいのでしょうか。それについてはまた長くなりそうなので
続きはまた後日。ご意見もお待ちしております。


「多様性の強さ」







生活していると、ふとあるフレーズが浮かんできて、
消えなくなることがあります。

おそらく、頭の中で新聞やテレビや本などの
ばらばらな情報が無意識のうちに整理されて、
ぽっと答えが出る瞬間なのでしょう。

それで昨日、眠っているときにふと思いうかんだのが
表題の「挽回の世代」という言葉です。
これは、僕の親の世代が「団塊の世代」と
呼ばれていることをもじって作った僕の造語です。

最近、年金問題や自己破産の増大、企業の不祥事など、
今まで日本を支え続けてきたシステムやモラルと
いったものがほころびを見せています。
出生率も僕の世代をピークに下がる一方だし。

そもそも学校教育など子供を取り巻く環境に
目を向けると陰鬱な事件ばかりで子供を持つ
気も失せます。
日本は景気がどうこういうよりも、
もっと深刻な病気に冒されているようです。

税金も社会保険料も上がる一方だし、
それでいて僕らの世代は将来払った分すら
貰えない可能性が高い。

そして、ここ何年かでいよいよ「団塊の世代」
が引退を迎えます。
ますます、年金行政は困難さを極め、
税金は上がり、国は活力を失うでしょう。
もらう人が増え、払う人が少なくなる
のですから当然です。

その中でも、人口の比較的多い僕らの世代
(20代後半から30代くらいの人たち)は、
ねらい打ちであらゆる負担がこれからも増えるでしょう。
僕らの世代は悲しき最後の砦なのです。

これまで、僕らの世代は数が多いにも関わらず、
その特徴を表す言葉がありませんでした。
昔と違って、価値観が様々なので
ひとくくりにできないと言うのもあるでしょう。

でも、僕はあえて名付けます。
僕らは「挽回の世代」だと。

それは新しいライフスタイルを生み出し、
今までと違った思想で新しい価値観のもと
幸福に生きることです。

「年収300万円の幸福」を目指すもいいでしょう。
いっそのこと大金持ちになって贅沢の極みを尽くすのもいい。
離島や田舎や外国に移り住むのもいいでしょう。

オトコが育児休暇とっても良い。結婚する自由、しない自由も
尊重する。堀江さんや藤田さんのように古い権力と戦って、
閉塞感をうち破り、新しい価値観を示すのも良いでしょう。
僕たちの何よりの強みは、「多様性」ですから。

景気の善し悪しでない、お金の有無でない、
それにとらわれない自分にあった価値観・人生観
を持つこと。
そして、失ってしまっている将来への希望、
心の温かさを一人一人がとり戻す。
それが、「挽回の世代」のキーワードです。