土丸信三をよろしく! | 臨床美容師のつぶやき(豊後大野市共育塾)

臨床美容師のつぶやき(豊後大野市共育塾)

いくら良い言葉を並べても、お金がからむと真実が見えない。こころを商品化する社会にも同じ不安を感じる。そんなこころの悩みを和ダンボがつぶやきます。豊後大野市共育塾(場所ココミオ)では、そんな問題をみんなで語り合っています。お問い合わせは美容室WAKOまで。

スミマセン、今ずっとサンドウィッチマンの動画を見てたもので、タイトル文字で「砂と三」を間違いました。正解は「石とニ」です。そう石丸伸二です。伊達さんが「クソくだらねえな〜」とツッコミそうですが、ごめんなさい(笑)


やはり二人は天才ですね。しかし敗者復活戦からM-1のチャンピオンになるなんて、予選の審査員は全員クビですね(笑) 何が違ったのでしょうか?そして錦鯉も、なぜあの年になるまで売れなかったのでしょうか?


人生はどうなるかわかりません。ちょっとのことで大きく変わるときがあります。わたしにもいくつかの転換期がありましたが、大きくは二つです。一つ目は二十歳のときにわたしに美容師を勧めた人です。


学校も不登校状態にもなっていましたし、やめるタイミングでもありました。しかしやめるきっかがなく、そのきっかけをその人がつくってくれました。わたしの従姉妹の旦那さんで、夫婦で美容室を営んでいました。


兵庫県の西宮市で営業していました。若い見習いの子が欲しかったようで誘われたのです。場所は関西の港でした。そのときは即答で断りましたが、一週間後に「よろしくお願いします」と電話をした自分がいました(笑)


一週間のうちにいろいろと考えて結論を出したのです。俗に言う「でもしか美容師」です。消極的な決断ではありましたが、もう48年間続いています。人生はわかりませんね゙。そしてもう一つの転換期は父の死でした。わたしがまだ25歳のときでした。


その頃は神戸のお店に勤めていて、不登校だった人間が3年間無遅刻無欠勤で働いていました。これはすごいことではなく、不登校あるあるです。要は一日休むのが怖いだけです。そのままズルズル休みそうで、自分自身が不安なのです。


そしてもう一つの転換期は父の死でした。25歳のときに割と急に亡くなり、仕事と母親のことで、大分に帰るか帰らないかで悩みました。お店の経営者からは母を神戸に呼ぶように言われました。しかし母に相談するとあっさり却下です(笑)


60歳も過ぎて今さら都会は嫌でしょうね。それで中途半端な修行のまま故郷に帰りました。しかしそのおかげで美容室をいくつも経営することができたのです。わたしの能力で神戸にいたら、一店舗さえも出せなかったのはよくわかります。


ここでも予定調和は崩れましたが、結果としては良かったのです。しかし母が同意すれば今頃は関西に住んでいたと思います。そんなわたしが今は豊後大野市に命をかけていますが、いい加減といえばいい加減です(笑)


そこまでの郷土愛があったわけでもなく、生まれた土地でもありません。ただ縁はあったのです。人の縁や土地の縁もありました。そこには何らかの意味が縁にあると思っています。その縁を良縁にするのは自分です。


今回は石丸伸二さんとの縁もできました。向こうはまったく知らない縁ではありますが、わたしのこころに火をつけくれたのは確かです。東京一極集中を是正して、一緒に地方のためにがんばりたいと思います。 


これこそ本当の勝手連です。思うのはタダです。市から採択を受けた事業も、今週から本格的に動きます。時間はないので…ではまた明日。