ゼロから好みの色をつける | .. .. .. ... . ........ ... ...運命の超意識
※この記事は、2011年8月28日に、
公開した記事を加筆訂正したものです。





何か、出来事が起こった時点で、
それだけを取り出して判断すると、
全体の流れの方向性が定まりにくくなります。


では、
「誰がその方向性を決めているのか?」と問えば、
その答えは、もちろん他ならないあなた自身です。



大河の流れの中には、
岩場もあれば、おだやかな流れもあって、
滝や水草の生えているところもあります。

それらの景色が全部一本の川の中にあるのです。

岩場だけを見て、
これが河だという人はいないでしょう。



悪いことも良いことも交互に起こるから。

“禍福はあざなえる縄のごとし”

と古人は言います。




それを、
より本質的な視点から哲学的に表現すると、

すべての出来事は中庸だが、それを観察する人の心に山や谷がある

と言えるでしょう。



また、
これを量子力学的観点から表現すると、

“この世界は分離して切り離すことのできない有機的に結合された全体であり、
我々個々の観察者が一般的に運命と呼ばれている出来事に対して、

「中庸」

であると認識すれば、


観察者が日常で認識する範囲で出来事は、

「中庸」

として振るまい、

「不幸」

であると認識すれば出来事は観察者にとって
不幸になるように振まうようになり、

「幸福」

であると認識すれば出来事は観察者にとって
幸福になるように振るまうようになる”


というようなややこしい言い回しになります。




真理(宇宙の法則)は一つですが、

中庸さえもまた、
幸福、不幸と同じように絶対的なものではなくて、
観察者の観察した結果である



という事ができます。



真理を

“道”

として表現した中国の老子は今から2500年前に

“「道」は絶対普遍の固定した道ではない”

として、

万物は流転するとして、
物事をすべて変化においてとらえる世界観を唱えています。



20世紀初頭、
物理学者たちが量子の世界を調べて論争した結果、
これまで絶対と思われていた科学的基盤が崩れ去りました。


それまではニュートン力学を絶対としましたが、
アインシュタインはそれは間違いで光速こそが絶対であるとしました。


しかし
量子力学はそれをくつがえし、J・S・ベルが光速を越えることが
あることを数学的に証明したのです。



そして、彼らが最終的に到達した結論は、

宇宙の個々の出来事がすべてにおいて影響し合っている一つのシステム
であり、個々の出来事を観る人もそのシステムの一部であるという

東洋思想と同じ考え方

に行き着いたのです。



ですから、システムから全体性を無視して一部分だけを取り上げて

“意味ある”

とか

“ない”

とか言うのは間違っています。



 
常に自分の潜在意識から悪いプログラムを取り出し、
良いプログラムをしていけば、
途中で起こった悪く見える出来事でも良い方向に変化していきます。



自分をしっかり見つめていけば、
白紙であるゼロの状態に色をつけて、
素晴らしい人生を生きることができるのです。




生きながら仏になることを仏教では彼岸といいます。

「人生とは何か?」

人はその哲学的な命題に取り組み悩んできました。


人は人生に意味を求めますが、
人生に意味はありません。



なぜなら人生をは

“自分がどう生きるか”

によってあとから意味がついてくるモノだからです。



白いキャンバスは絵を描いて初めて意味がつきます。


人生とは創造するモノなのです。
創造とは表現することです。



「人生は芸術だ」
とはそういうことではないでしょうか?