最愛の夫の死⑬
どうもこんにちは。
大輔の飼い主です。
忌明けしました。
49日経つのに、葬儀の時の白菊がまだ咲いています。
1月7日(月)朝8時、まるで、仕事初めかのように、出勤するかのようにパパは旅立ちました。
私は初めて人の死に立ち会いました。
私が看取って間もなく、実妹が私の息子たちを連れてきてくれました。
続いて義理の家族も病室に来ました。
彼らはパパの亡くなる瞬間には間に合いませんでした。
身内が揃ったところで、最後の診察をしていただきました。
先生が瞳孔を確認し、時計を見ました。
1月7日午前8時56分 ご臨終です。
皆が泣いています。
子どもたちも嗚咽を漏らしています。
私はというと、またもや、あードラマみたいな光景だなと思う自分がいました。
明け方、最後の力を振り絞って私の手を握ってきたパパ。
あの時、言葉にしなくてもパパから伝わるものがありました。
後のことは私に任せて!
私の中で奮い立つ何かがありました。
主治医から病理解剖の話がでました。
義理の親は体にメスを入れるなんて、と反対しました。
私は、結果的にどこ由来の癌かわからずのまま葬られてはパパも納得しないだろうと思いました。
また、遺伝的観点から、将来息子たちのためにも解剖することが、パパからのギフトだと思いました。
とても珍しい症例だったので、医学の発展にも貢献したいと考えました。
ここでも、義母たちの真っ向否定の意見に立ち向かうことになりました。
パパを看取った後、私に関する物事がとんとんと進むようになりました。
不思議なのですが、まるで、パパがアシストしてるんじゃないか、と思うようなことが次々と起こります。
私が義理の家族ともめているのに、私の考えの方に話がむいていきました。
結果、病理解剖をすることになりました。
会社の人から電話、友人から電話、私の知人から電話、葬儀屋への電話のやりとりが、義理の家族との話がもめるとかかってくる。
不思議です。
病理解剖の前に看護師さんがパパの体をきれいにしてくれました。
エンゼルケアです。
髪を洗いました。
歯を磨きました。
体を拭きました。
全て私と5年生と3年生の息子たちも一緒に行いました。
二人の気丈な降るまいに、担当した看護師さんが、偉いねってほめてくれました。
ケアが終わり、解剖へと移動です。
先生にお願いしました。
パパは物事を丁寧に扱う人でしたから、解剖もキレイにお願いしますと。
解剖は約3時間かかりました。
解剖が終わると、パパは霊安室に安置されました。
初めて入りました、霊安室。
無機質な白い空間に、祭壇があり、遺体がポツンと置かれ、殺風景で、うすら寒い。
パパはTシャツ短パン姿で、まるで昼寝しているみたいです。
しばらくして葬儀屋さんがきました。
やっと自宅に帰れます。
外に出ると、お世話になった医者、看護師さんたちがずらりと並んでいました。
私は皆に一礼して、帰路しました。
家に帰ると、和室にパパを寝かせ、葬儀屋さんが手際よく頭飾りを準備しました。
それから、火葬場の手配と、祭場の予約をしました。
実母がお弁当を買ってきてくれましたが、喉を通りませんでした。
ここ数日食欲がありません。
でも家のことやらなきゃならない。
明日もやることがいっぱいだ。
心も体もどこに置いていいのかわからない。
独りの時間がこんなに不安だなんて。
夜がこんなに寂しくて怖いだなんて。
睡眠導入剤を使って強制的に寝ることにしました。
つづく。