太亮の独言毒言 -139ページ目

太亮の独言毒言

絵本作家、イラストレーター、デザイナー、アート・ワークショップなどで
活動している木村太亮の公式ブログ。
まあ、単なる戯言だとお聞き流し下さい。連絡先は、deeworks3623☆gmail.com

お約束の告知から・・・
お台場のパナソニックセンター東京でアートワークショップします。
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ART GROVE
in panasonic center TOKYO 2009
「いきものの森」
8月11日~8月14日
参加費無料、事前申し込み要。(参加お申し込みはお早めに!)

詳細情報ならびにお申し込みはこちらから

「参加申し込みはこちら」
をクリックすると残席数が表われます。


このブログでは、お申し込みは受け付けておりません。あしからず。

*所要時間は2時間程ですが、ワークショップ実施中の参加者の出入りは自由ですので
適宜、気分転換をして下さって結構です。
特に小さなお子様は飽きちゃうでしょうから、休憩を入れながらご参加下さい!
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もう、ビックリしちゃうくらい残席残り僅かです。
全ての日が定員に至ってしまうのも時間の問題だと思われます。

さて、そのワークショップですが、一回の参加でも、
小さな「気づき」はあると思うのですが、

本当なら、何度か同じ場所で行いたい。
何度か経験してみて欲しい。というのが本音です。
そうしないと、一度気づいても、日常に流されて、
あっという間に埋没してしまう。

元々、さほど難しくないコンセプト&ワークなのですが、
それだけに即効性が抜群にあるモノではないのです。
劇薬ではなく、中医学的な、つまり漢方薬のように
ゆったりと全身症状の改善を目指して行くタイプのイベントなのです。

一度経験してくれれば、仕組み自体は、メッチャ簡単なのですから、
もしかしたら、こちらのファシリテーション&コーチングは不要かもしれません。

また、その上で一度経験している人たちは、新たに参加してくれる方々にとっての
良きアドバイザーに成るでしょう。
アドバイスすることで新たな発見があることは言うまでもありません。

まあ、今回のパナソニックセンターで継続して出来るか否かは、
一つは今回の出来如何によるでしょうし、また館としての考え方もあるでしょう。

別に毎年、メインでやらせてくれ!とは言いません。
でも「定番のイベント」を数多く持つ事は、
来館してくれる顧客を多く持つ事にもなるはずです。

その辺に関しては、僕の方から、今より強くアピールするつもりはありませんが、
でもね、現場担当者の僕だけでは、正直言えば、何も出来ない。
理解してくれて、サポートしてくれるプロモートは必須です。

お亡くなりになった俳優の山田辰夫さん。

今朝のワイドショーでは、デビュー作から彼の功績を追っている。
ウ~~~ン、やっぱり惜しい人を亡くしてしまったなあ。

そもそも、俳優や僕らのような自由業の人間は、
大体の奴は、若い頃から信じられない生活環境で過ごしており、
さらに大方の人間は、毎年正しく「健康診断」があるわけでもなく、
大病を見つけるのは至難の技だからねえ。

判明した時には、すでに限界点を超えていて、
どちらかと言えば、すでに手遅れ。
そんな感じじゃなかったんだろうか?

想像するに余りある。身にも積まされるなあ。

さて、僕は今、何十回目に成るのか分からんが、
池波正太郎さんの「鍼師 藤枝梅安」を読んでいるのであるが、
この物語に出てくる梅安が心許す同業の彦次郎という仕掛人がいる。
この彦次郎の役をやったら、ドンピシャだな。と思っていた役者さんが
山田辰夫さんだった。惜しかったなあ。やって欲しかったなあ。

重ね重ね残念だと思います。改めて合掌。
さて、僕らのいた中学のサッカー部の顧問は生物担当のM先生であったのであるが、
当時には珍しく家庭菜園を作っていて、部の活動にはほとんど顔を出した事がなかった。

というか、何か新しい品種の開発をしていたらしいのだが、
とにかく、そっちに夢中で、顧問らしい事をしてくれた事がなかったのだ。
その一つの結果として、僕らのひとつ上の先輩たちは、
日野二中で行われた公式戦に顧問が来なくて失格になった。

遅れて来たM先生は、さすがに悪いと思ったのか?
僕ら低学年にお金を渡して、駅から日野二中までの商店街にあった
肉屋に買い物に行かせたのであった。
そこの肉屋ではコッペパンも売っていて、僕らはコロッケパンを30個も
買って来たのであったが、もちろんそんな事でM先生の名誉が回復されるものでもなかった。

だから、僕らは僕らで練習方法を考えた訳だ。

僕は、前述のように中学生ながら当時の一番最先端のサッカー関係者と関わりがあった訳で、
電話でサカマガおよびイレブンの編集部に聞いてみた訳である。
その時、誰が対応してくれたかまでは覚えていないが、
ベースボールマガジン社からは、数冊の入門書を送ってもらい、
さらに新しく出るデトマール・クラマー氏のトレーニング本を紹介してくれた。
僕らは図書室に行って、早速その本を取り寄せてもらった。
多くは覚えていないが、カバーが緑色であった事は明確に覚えている。

イレブン編集部からは、僕らの地域にあった早稲田のサッカー部のグラウンドに
見に行く事を勧められた。中大も近かったので何度か見に行った。

**拙著「原小キッズ」の中に出てくるエピソードは上記の事を基にしている。
拙著の批評をしてくれた方の批評の中に、
「そんな本見つけて来れる訳ないじゃん!」という記述があったが、
事実、あったので仕方ないじゃん。***

当時はちょうど西ドイツワールドカップが行われた年で、
かつ早稲田にはキラ星のような選手が多く在籍していた。
すなわち碓井さん、田島さん、西野さんの3人を始め、
練習も非常に興味深いものだった。練習後、遊んでもらった事も何度かある。
(後に草サッカーでチームメイトになる数人もいたのだが、
ニュースになる程の人たちではなかったようだ)

僕らは昼休みには、出来たばかりの視聴覚教室で映像を見たり(ビデオの時代はもう少し後)
練習日でない日は雨でも早稲田の練習を見に行き、帰宅して夕食後に再び集まって
練習した。

休みの日はJSLの永大のオッカケしたり、早稲田のオッカケもしていた。
(小学生の水島武蔵君を良く見かけた。マイナーチームの永大ながら
ジャイール、ジャイロ、アントニオ・ペレというブラジル人3人がいて、
彼らの個人技は素晴らしいものがあった)

当時のこの地区(三鷹・武蔵野)での強敵は隣の武蔵野一中と成蹊中学であり、
(現在のブロックとは少し異なっているようだが)
それは大変失礼な言い方かも知れないが、後は、正直言うと大した事なかった。
少なくとも僕らは武蔵野・三鷹地区で3位以下になった事はない。


要するにWM74の西ドイツ&オランダによって、極端に変わった新しいサッカーの考え方を
キチンと取り入れていたのが、我が校含め3チームだけで、
後は旧態依然の「蹴って、走れ!当たって砕けろ!」でしかなかったからだ。

成蹊と武蔵野一中には「正しいコーチ」がいた。
僕らには「誰もいなかった」だから尚更、自由であったと同時に
「これで良いのか?」という疑問も隣り合わせて持っていた。

僕は当時、一所懸命にリフティングにも取り組んだが、
マックスでも100回前後がやっとであった。
チーム戦術は、なんとなく「それなり」の事が出来るのだが、
個々の能力は、今の弱っちい息子たちと比べても非常に低いのが現実であったと思うのだ。

僕らは選手でありながら、コーチでもある事が必要であった訳だ。

僕は自分で言うのもなんだが、大して巧くなかった。
体は小さいし、体力は然程なかったし・・・。

が、情報収集力と、メニュー作りには自信があった。

僕が自分自身でチームの戦力に成れたと思えたのは、西ドイツのサイドバックであった
ベルティ・フォクツばりのスライディング・タックルをモノにした時からであった。

続く。
俳優の山田 辰夫さんが亡くなった。
53歳だって、若すぎるよね。

それほど多くの事は知らない。
でも、彼は好きな役者さんだった。

どこか裏ぶれた、荒んだ、ふてくされた、斜に構えた、
秘密を持ったような、そんな設定にピッタリの役者さんだなあ。
と思っていた。

おくり人の演技も良かったけれど、
どちらかと言えば、現代劇より時代劇の彼の演技が好きだった。

胃がんか。ムゥ~~~~~。

何だか分からんが、ちょいとヘコム。

合掌。
本日、ジュリオ号であっちに行ったり、こっちに行ったりしてきました。

まずは髪の毛切りに石神井公園まで。
練馬は暑いよ。ホント暑い。
たぶん、武蔵野台地を登って、埼玉までの間が妙に平坦で、
その向こうに秩父山系があるので、暖気が溜まってしまうんだろうねえ。
それでも昔は畑があったり、風通しももう少し良かったから
それほどに感じていなかったんだろうけれど、
車の量も半端じゃないし、とにかく空気感が「良くない」感じ。

その後、中野の鍼へ。
「環8に出て行ったら早いよ」と言われてその気になって、
環8に出たは良いけれど、井荻のトンネルに入ってしまって、
(あそこ50cc通っていいのか?)
トンネル内は以上な暖気と排気ガスで、もう50ccで通るのは、
あまりに殺人的な状況で、とにかく捕まっても面白くないから、
間をすり抜けて素早く脱出。あれ?荻窪まで出ちゃったじゃん。
(何だか遠回り)

青梅街道を高円寺まで出て、早稲田通りに出て、中野の鍼到着。
「どこが特にシンドイ!」という状況ではなく、
とにかく自律神経のバランス整えてもらって、
自己治癒力を上げておかなくては・・・。

髪の毛切った後だから、首に吸引の跡が残ってしまった。
まあ良いさ。すぐ消えるし・・・。

帰りに高円寺の砂場で鴨せいろ食す。
(ネギが今ひとつであった)

帰宅途中、雨降り出す。
カットンデ帰るが、若干濡れる。

帰宅後、残っていた青虫芋虫系の仕事をやる。
ようやく20点全て終了。長かった。ムムムム

お疲れさん!という事でちょっと早いが「プシッ」としようとしたら
明後日から合宿の息子が先日来の首の痛みを訴えて、
たまたま休みのカミさんが境の整骨医に連れて行くという。
表、ザ~~ザ~~!何気なく顔を覗き込まれる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ワァ~~~ッタヨ!
乗ってけ!ということで車を出す事に。
送って来て、只今帰宅。

今日はもう「上がり」にしちゃいます。

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今日、残席数を見たらビックリしちゃいました。
初日11日の午前は定員に達してしまい、午後は残り一桁。12日も一桁。
当初、出足の悪かった13日午前も残り一桁になっています。ワオ!
その代わり、午後が残り16席。
最終日は、実は早々に定員締切になっておりました。

いやあ、正直、本人がビックリです。

はてさて、どんな人たちがやってくるのかなあ?タノシミです。

ここの所、改めて自分のワークショップって何だ?などと自問自答しております。
コンセプトは元々、友人であり兄貴分の金斗鉉さんとやりはじめた
小さなセミナーだったのですが、紆余曲折を経て、
僕は僕なりのやり方で独立?して、今に至っている訳です。

決して、金さんと意見の食い違いがあった訳ではないのですが、
(今だって、一緒にやろうと言っているくらいですから・・・)

ゆえに今もって大元のコンセプトは変わっていません。
じゃ、その大元のコンセプトの意味って何だ?とか、
僕なりのメソッドと言えるのは・・・?なども考えている訳です。

僕のワークショップでの僕の動き方の基本は、少年サッカーに於ける
コーチングにかなり似ていると思います。
(もうコーチはやめちゃったけれどね)

「まず、やってみせる」
(サッカーの方では、もう見せられる程体動きません)

「良い所を見つけ、ホメテホメテ、木に登っていただく」笑

「問題点のヒントを与えて、少し悩んでいただく」笑

「小さな壁を越えてもらって、新たな少し大きい壁に向かってもらう」

ウン、こう列記してくると、昔ビギナーコースだけ体験した
某自己啓発セミナーを思い出してしまいました。
そこのリーダーたちの誘導の仕方も確か「コーチング」と称していたように思います。

そうなんだよね。「ファシリテーション」よりは「コーチング」に近い。

そう、目的も非常に近いな。
簡単に言えば、「小さな劣等感」を克服してもらう。
あるいは、自分自身が作り上げてしまった「既成概念」や「トラウマ」をちょいと崩して上げる。

そうすると、不思議な事に色んなものから開放されてしまう。

それはそれは、主催している側が見ていても、不思議な光景です。
まあ、ネタバラシの様ですが、分かっていてもそうなります。
別にマインドコントロールする訳でもないし、催眠術かけたりもしません。
(大丈夫です。モノ売ったり、会員募集したりしませんから・・・大笑)

今までは主に子供対象のワークショップでしたが、今後は大人限定もやってみたいなあ。
と思ったりしています。
どこかの社員研修にいかがでしょうか?ハハハハハ


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気がつけば、募集人員残りわずかになっていますね。
まだ、三週間もあるのに、ハヤッ!

関係者の方に聞いてみたら、やっぱり普段のイベントの集客状況より
早めの進行だそうです。ヘェ~~~~です。
気合い入るなあ。

おっと、ところで、作っていただいた作品は、壁画作成のため、
置いて行ってもらう事になるのですが、そうなると参加して下さった方々は
お家に帰ってから「今日、こんな事したんだよ~~~!」と見せるものがない。
それは、どうなんだ?と思って、提案した事が、採用されまして、

今回のワークショップでは、作品が出来上がった時点で、
デジカメ(無論、パナソニック製です)で写真を撮り、
プリントアウトしてお持ち帰りいただけるようにしました。

パチパチパチ!さすがパナソニック!!
ただし、何せ、初めての試みなので、どこまで巧く流れるかは分かりません。
どうか、その辺をご了解いただきたく願います。

また、まだ詳細は未定ですが、参加者数が決まった時点で、
木村個人からも何かお土産を出そうかとも考えております。
お楽しみに・・・。

尚、運悪くパナソニックセンターでのワークショップに予定が合わなかった方。
あるいは、参加してみて、もう少し経験を深めたい方には、
「有料」ですが、8/21にこちらでのワークショップもあります。


先週から、お見舞いメールやお見舞い電話を数多くいただいている。
いやはや、感謝である。

心配かけてスイマセン!とりあえず、今の所はダイジョブです。

原因の大元をやっつけてしまった訳ではないので、
いつ、再び発症するか知れたものではないのですが、
色々と予定とすりあわせて、調整しながら治療して行くつもりですので
ご安心下さい。(まだ、死にません)

前の記事で触れたYASUDAであるが、実は日韓Wカップの年に倒産していた。
が、何のエナジーなのだろう。復活する事が決まったそうな。
こちら

historyのページを読んでみると、驚く事にダイナミックイエローなどの
PUMAを模した商品群は「プーマライン」というコピーの元に売られていたそうだ。
(驚くべき商標感覚。今、お隣の国の事を揶揄してるけれど、
日本だってチョイ前はこうだったんだよね)

ちなみに中2のこの頃、僕はサッカーマガジンでもイレブンでも
読者コーナーの似顔絵のエリアでは、すでに常連で「おなじみ」になっていた。

イレブン編集部の手塚編集長から電話があって、
「君は今いくつ?」
「中2です」
「ああそうか、また数年経ったら電話するね」
という事があったのもこの頃である。

3年後、本当に電話がかかって来て、編集部に遊びに行ったら、
仕事が用意されていた。それが僕の業界デヴューである。
ちなみに当時のサッカーマガジンの編集員で後の編集長の大住さんとも
グラウンドで対戦相手として再会する事になるのである。

しかし、そこに辿り着くまでには、まだ大分時間がある。
そんな訳で「懐かしサッカー話」を続けよう。

スパイクもそうなのだが、ウェアも今の息子たちのソレとは大いに違っていた。
まず、最も違うのが素材である。当時のウェアは雨が降ると半端なく重たくなった。

パンツは当初がロングパンツが隆盛であったが、西ドイツでのWカップ以降、
妙に短いものになった。恥ずかしかった。(僕はロンパンが好きであった)

ストッキングも今のモノとは違い、アンダーストッキングを履いた上に
毛糸のストッキングを履き、ストッキング止めは女子マネが、
各人のナンバーをつけた紐を作り、それで結ぶのがオシャレであった。
(本来、女子マネが作るものなのだが、木村、縫い物得意であったので
強制的に手伝わされた。評判は良かった。ちなみにそのひとつ年上の女子マネは
実は現在女優の原日出子さんだったりする)

ちなみに僕らのユニは最初はブラジル、次が西ドイツ、そしてボルシアMGだったりした。
何とも節操のない選択であったと思う。
ついでに背番号はブラジルモデルの時は「2」
西ドイツバージョン時は「16」ライナー・ボンホフの付けていた番号だ。
ボルシアMGのユニは先輩たちから受け継いだもので、たしか一桁であったと記憶しているが
何番だったかまでは覚えていない。