私は、もう、舞 悦子さんを卒業して、星崎アンリさんが

こころの永遠の妻になっちゃった、と公言しましたが、

やはり、舞さんも忘れられない。私が、TVで観た舞さんの

ライブで、もっとも痛く感激したのが、75年(昭和50年)の

春頃、NET系でオンエアされた、「スタジオ23」の寺山修司氏

が台本を書いた、童話・ピノキオに材を採ったショーだった。

でも、もう一つ、舞さんの秀逸なショーを、私は憶えているので

書かせてください。もう、彼女は飽きました??しかし、例の彼女

のショーは、とても言葉で表現するのは難しいのですが、何とか

頭を絞って渾身の力込めて書きます。

 それは、74年の深夜番組であり、故土居まさる氏が司会者

でした。番組のタイトルは忘れてしまいました。

 例によって、真っ裸の舞さんが演奏と共に登場するのですが、

彼女は身体中、風船だらけです。ブラジャーの処に5個、パンティの

処に10個位風船を付けてました。彼女はスタジオの中を歩き回り、

キャストのひとたち・・楽器を演奏している人たちにウインクしたり、

手招きしたり、背中から抱き着いたりしています。ちなみに、その

キャストの一人に、60~70年代は著名だった音楽家、世良 譲

(せら ゆずる)氏もいました。氏はピアノを弾いてましたが、舞さんが

なびいても、無表情だったのを私は憶えてます。歩き回ると同時に

彼女は身体に付いている風船を、ひとつひとつ、赤いマニキュアの

美しい爪で、パン!パン!と割ってゆきます。舞さんは、徐々に裸に

近づいてゆきます。ショーが終末近くなると、彼女は残りの風船は

あと、ブラの処が2個、パンティの処が3個となりました。舞さんは

まず、ブラの2個を割ってしまうと、ブラを取り、放り投げてしまいました。

あとは、パンティの3個だけですが、彼女は、パン!パン!パン!と

立て続けに割ると、何か腰に付けていたテープみたいなのを、剥がし

取って、これまた放り投げました。身体中に纏っていた風船は、どうやら

このテープに付けていたようです。それは良いのですが、舞さんが腰の

テープを取ると、舞さんの下半身のデルタの部分に前バリが貼ってあり

ました。後から分かったけど、舞さんは、まず、陰部の処に小さい逆三角形

の前バリを貼っていたのです。彼女はその上に前バリを重ねて貼り、大体

8枚位貼ってたと思います。舞さんは、腰のテープを取ると、残った前バリを

両手で一枚一枚取ってゆきます。まるで花びらを取ってゆくかの様にチャッ、

チャッとやってました。そして最後の8枚目を左手で取ったと同時に、彼女は

右腕で陰部を隠し、ショーは幕となるのでした。文章にすると長ったらしい

けど、舞さんは、これを速攻でやってのけたのです。司会者の土居まさる氏

も思わず、「お、いいね、いいね!」と、感心してました。

 

 どうです、舞さんは、これだけの演技が出来たのです。

 この演技をするに当たって、彼女は、どれだけの練習をしたのでしょう??

 彼女の、勘の良さ、反射神経の良さは天才的です。普通の人は真似

できません。また、これだけの衣装を作るにも、どれだけ予算を掛けた

でしょう??アカデミー賞物といっても過言ではないと思います。

 やはり、私は、舞 悦子さんにLOVEである。

 

 私は、明日、お彼岸にゆきます。私は、最近では、お墓参りが終った後、

どーいうワケか、「悦子さん、永いこと有難う。」と言って帰っております。

 我ながら、支離滅裂の私目です。