前回の続きで、上野から日暮里までの思いつき散歩写真の羅列です。
東京芸術大学を少し散歩してから
北西へ(写真左へ)。
見所満載の寛永寺付近には寄らずに上野桜木を西日暮里駅めざしてお散歩です。 この道も、色々なお国の観光客がそぞろ歩き。 谷中方面を散策するつもりなのでありましょう。
上野桜木交差点のカバヤさんの横を過ぎ(一度入ってみたいのですが)。
谷中霊園の桜並木が見えてきます。
観光客の殆どは手前で左に折れて谷中の商店街方面に行ってしまったので、静かなお散歩に戻りました。 ちょっと風が強くなってきて雲も怪しい雰囲気。
谷中霊園の桜並木は見事?な葉桜に衣替え中。
桜並木の足元の白い花は殆どがシャガです。
少ないのですが外国人観光客も散策しており、名残惜しそうに桜をカメラに収めていました。
恐らくこんな感じで
並木道のところどころには集められた桜の花びらが袋に入れられているのですが、強風の今日は直ぐに道を新たな花びらが転がっていきます。
霊園の牡丹桜
牡丹桜と八重桜は同じ意味だそうです。
うすきみどりベースに桃色が差す姿は少し落ち着いた雰囲気。
鞠のように丸くなる八重桜とちょっと違う感じで、花びらがちりめんの様で桃色の花も混じります。 八重咲きのウコン(鬱金)という種類だそうです。 花と新葉が房のようにまとまって面白い。
昨年投稿したように、この霊園には友人が眠っております。
ちょっとだけ手を合わせようかと探したのですが。。見つかりませんでした。 仕方がないので、八重咲きの桜に手をあわせ、よろしく伝えておくれとお願いしたのでありました。
藤が綺麗に咲き始め。
強風で上手く撮れない
ハナミズキは天を仰ぎ
葉のグラデュエーションもまた美しきかな。
街路樹にも増えましたね、ハナミズキ。
花びら(苞)の中心からにょきっと出て来ているのが本当の花ですね。
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猫の住む街、日暮里駅だニャン。
スカイツリーが写り込んでいる方向から歩いてきて、日暮里駅の北改札口側(だけど西を向いている)に出る。 こぢんまりとしていますが、南改札は流石の規模ですよ(京成線・常磐線・山手線・京浜東北線・舎人ライナーなどがあります)。
真っ直ぐ御殿坂を西にすすみ、”ゆうやけだんだん” と称される谷中銀座の入り口を偵察。 すでに下町の商店街という風情が薄まりつつあり、観光客目当ての商店が散見され観光地化が進んでいるように思えます。
佃煮の中野屋さん辺りまで戻る。
昔ながらの佃煮屋さんという感じ。 今度来たときには土産に買おうと心に決めて、香りだけ頂いて西日暮里方面に向かうのでありました。
中野屋さんの西隣、経王寺山門横から安全横町(諏訪台通り)を西日暮里方向に進む。
仁王門のある養福寺を右に見て
諏方神社(すわじんじゃ)に到着。 新堀(にっぽり)と谷中の総鎮守さま。
社号標には「諏訪神社」と彫られていますが、鳥居の神額には「諏方神社」表されています。
神社のホームページによると
~引用~
「諏方神社」の「諏方」(すわ)は、本崇社であります信州諏訪大社の古い神社名と伝わっており、御社名や古文書等に使用例を見ることができます。中世から近世にかけては、「諏方」の表記も併せて多く用いられるようになり、その傾向は国の記録や公の文書にも及び、大社に納められた奉納の品にも見られました。
こうした中、天保5(1834)年、諏訪・高島藩に於いては、「諏訪」と書く旨指令が出されるという動きもありましたが、近年に至り全国的に地名、人名などに於いて「諏訪」が通常の表記となり、御社名などに残っていた「諏方」は使われなくなっていったようです。
当社におきましては、所蔵する元禄時代の掛軸(細井廣澤書)に「諏方大明神」とあることに拠りまして「諏方神社」を御社名としております。
~引用終わり~
社寺の多い台地に建つ境内は見た感じが静かな佇まいなのですが、右側崖下がJR線路なので走行音が次々と聞こえてきます。 それでもホット一息休憩させて頂ける境内でした。
更に進むと西日暮里公園の林。
昼は木陰が憩いの場ですが、夜はちょっとどうかなぁ。
西日暮里公園を右に回り込むと西日暮里駅が見えてきます。
吽形君は、夜見るとちょっと迫力がありあそう。