こどもの日自転車散歩の続きです。
亀戸天神を東に出て5分も走ると亀戸香取神社に到着。
ここは、TVでスポーツに御利益があると取り上げられて以来、スポーツ選手に人気がある神社で、写真の幟にも「スポーツの神」と染め抜かれています。
鳥居をくぐり本殿まで続く参道は若葉が清涼感を呼んでいます。
亀戸大根?
西側の手水舎脇に、亀戸大根之碑。
亀戸大根とは、
この大根、大ぶりの白いニンジンのような感じというか、二十日大根が玉にならずに伸びちゃったというイメージです(個人の感想です)。 興味があるよい子はネットで検索してみよう、沢山写真が掲載されているぞ。
吽形の優しくも凜々しい狛犬。
境内の緑を反射させる威圧感満点の阿形。
気がつきましたか? 写真右上の桜の花。。。ではなくて背後の甲冑。
神楽殿に飾られた多数の甲冑。 藤原秀郷由来の勝弓祭に活躍する甲冑のようです。
今年も武者行列は中止なのかな?
~神社の蘊蓄版が読みづらいので抜粋して文字に起こしました~
『 当社の創立は天智天皇四年(六六五)、藤原鎌足公が東国下向の際、この亀の島に船を寄せられ、香取大神を勧請され太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因であります。 』
『 天慶の昔平将門が乱を起こした時、追討使俵藤太秀郷 ( 藤原秀郷 ) が当社に参籠し戦勝を祈願して戦に臨んだところ、目出度く乱を平らげたので神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納、勝弓と命名されました。 現在でもこの故事により勝弓祭が五月五日(武者行列)に執り行われております。 』
「この勝石に触れて、勝運と幸運を授かりましょう」と書かれた勝石。 この角度では見えませんが、石の上面に剣を彫り込んだ白石が埋め込まれています。
藤原鎌足に由来する様ですが、この石自体が故事に直接つながっているわけではなく、平成になってからパワースポットとして建立されたもののようです。
なるほど、御利益の「勝ち」に因んでスポーツの神と崇められるようになったんですね、多分。
本殿東側には水場が設えられております。
是非とも頼らせて頂きたいところでありますが、ここで上半身をさらけ出すわけにもいかず。
奥にあるのが「亀が井」の復刻版であるそうです。 亀戸天神の「亀井戸跡」は掘られていないように見えましたが、ここはちゃんと掘ってあるようです。
亀戸香取神社・亀戸天神ともに地元への愛が感じられますね。
本殿から振り返る。
左側の、いくつも鎮座している境内社に尻を向けて駐車している車両が残念。
ところで、本殿の写真。。。撮り忘れてしまいました。
よって、ちょこっと写っていた写真をトリミングして掲載してみます。
香取神社を辞して明治通りと蔵前通りの交差点に出る。
南西角にあるのが、懐かしい雰囲気のいり豆屋さんなのですが定休日。 亀戸散策の折には是非訪問してみてください、お勧めです。
(2011年に撮影した写真が見つかったので追加添付します)
明治通り挟んで反対側が、前回も行った「梅屋敷」と冠された休憩施設。
屋根の上が凄いことになっている。
コロナ渦を八岐大蛇に見立て、それを退治する素戔嗚のモニュメント。
下にある茅の輪はプラスチック製のようで御利益感がちょっとね。
一番奥で ” 休憩 ” しているぬいぐるみの方が気になった。 これ欲しいかも。
前回同様、水神宮様へ詣。
亀戸香取神社の兼務社なのだそうです。
レトロな交番との組み合わせがいい。
23区の列車駅として乗降客が少ないことで有名と云われ、反対ホームに渡る構内踏切が珍しい東武の亀戸水神駅で今回も自転車散歩は終了です。
蔵前通りを東に進んで荒川土手にたどり着き、北上して帰路につきました。
5/5撮影@亀戸界隈
余談
なぜか縁を感じる亀戸水神宮。
二度目の参拝でしたが、こちらもお社景観を近くで撮影していません。 理由は不明で、なぜか撮しちゃいけないような気持ちになるからです。
しかし境内に建立された戦災からの復興碑は撮影しており、気になったのが碑文。
『神苑再建訳念碑』となっていますよね。 『訳念』に特別な意味があるのか、G先生にも調べてもらったのですが未だに不明であります。