千住大橋の直ぐ近くに天王様こと素盞雄神社が鎮座しています。
鳥居は西・南・東とあって、写真は西の鳥居。 旧日光街道に面した南の鳥居が正面であったそうで社殿も南向きですが、今では国道4号線(日光街道)が東側を通っているのでそちらが立派な鳥居となっています。
御祭神
素盞雄大神(スサノオ大神)
三貴紳の一柱である須佐之男命ことで、別名を牛頭天王(ごずてんのう) というところから、地元では天王様と呼び親しんでいるとのことです。 6/3に天王祭があります。
三貴紳がわからないよい子はネットで復習しておこう。
飛鳥大神(アスカ大神)
大国主神(だいこく様)の御子神(子供に相当)で、別名を事代主神(ことしろぬしのかみ)・一言主神(ひとことぬしのかみ) 。 えびす様として崇敬されているとか。 9/15に飛鳥祭があります。
本殿はこの社殿の奥に鎮座します。
社殿の右側にある神楽殿横で西の鳥居を見ながら、ちょっと休憩。 どんよりと曇っているとはいえ、体に染みこんでくるような湿気と30℃ほどの気温はこたえます。 サーモス持ってきて良かった。
国道4号線に面した東側の鳥居。
東の鳥居から再び入る。
正面に見えるのは社殿の東側で、絵馬が掛けられているのは 「子育ての銀杏」。
南側鳥居には狛犬が二対置かれています。 やはり南が正面なんですね。
鳥居横の阿形の獅子と、
吽形の狛犬。
社殿の前にも、阿形の獅子に、
吽形の狛犬
狛犬は、向かって右側の阿形は獅子で、左の吽形は角の生えた狛犬であるそうです。 興味のあるよい子は、Wikiおじさんに聞いてみよう。
素盞雄神社創建の起源になったとされる 「瑞光石」 が納められている小塚 (内側の鳥居奥)。 瑞光石の更に奥は小山のようになっていて、石段で登れそうです。
回り込んでみると、、、ありました、富士講です。 これは富士塚になっています。 霊峰富士を信仰した人々が富士山には行けないけれど、この富士塚に詣る事で霊峰に詣った事になるという小山です。 これ、東京お江戸に結構現存しています。
更に石尊大権現の石碑。
はしょって申し上げますと、神奈川県にある霊山 「大山」 も信仰対象となっており大山講が流行し、「大山詣」なる参拝旅行が人気になったのであります。 大山の修験道信仰と霊山信仰などを神仏習合させ神格化したのが石尊大権現。 権現の意味は神道の神ではない人(仏)等を神格化したときに使われる神の名で、有名なのは東照大権現=徳川家康ですね。 この富士塚に詣ると、霊峰富士だけでなく霊山大山も詣ったことになるのかな? 足腰に自信の無い私にうってつけではありませんか!
学生の頃、三年に一回の天王祭本祭りで神輿を担がせて頂く事が出来ました。 これは友人が氏子の役をやっていた関係で、人不足補充要員として招集されたのであります。 迫力と感動と疲労の一日でありました。 暮れの鉢洗い(忘年会)にも参加させていただき、ドンブリ酒一気飲みを二周目までは覚えていますがその後は。。。 珍しく12月に降った雪に埋もれた南千住駅前の自転車を 「救出しよう」 と意味不明な声を上げて掘り出し。。。友人宅でグラスにビールを注ぎ。。。気がつけば翌日の昼過ぎで、友人の妹である美人三姉妹には、「あぁ、お兄ちゃんとおんなじ」とあきれられました。 悪い子の懺悔です。
東の鳥居から国道4号線に出る。
そろそろお暇致しましょう。 南を見る下の写真を撮ってから踵を返し北に向かいます。
振り返って直ぐに見えるのが千住大橋。
橋梁上部の名板には「大橋」とだけ表示されています。 「我こそが大川にかかるThe大橋である」との自負がうかがえます(と私には映った)。
千住大橋で隅田川(大川)を渡れば京成千住大橋の駅。
東には足立市場が見えます。
東京の市場は豊洲だけじゃないからね。
市場正門の左側に何やら銅像らしきものが見えます。
松尾芭蕉さんですね。
芭蕉さんにとっても素盞雄神社はお江戸を離れる旅愁の場所だったのでしょうか。
試験には出ないけど、よい子はよく読んでおくように。
市場の中にある食堂。 11時過ぎで誰も客は居らず、こりゃラッキーであります。
海鮮丼を注文する1,050円。
酢飯が甘酢っぽく、具も特に美味しいとは思えず、残念賞でした。
ブルーインパルスに跨がり食堂を振り返れば、別の店に行列が出来ているではありませんか。 店選びを失敗したのかもしれませんね (行き当たりばったりの自転車散歩なので)。
芭蕉さん、わたしゃ疲れたのでそろそろ葛飾の村に帰ります。 こんど来たときには、美味しいお店を教えてくださいね。 銀輪は堀切橋を目指して帰路につくのでありました
8/21撮影@南千住の三ノ輪寄り界隈
今じゃ富士講とかはないようですが、コロナ渦ではパソコンなどでバーチャル参拝なんて事になろうかと思います。 お江戸の人々の切実な願いと少ない旅行の機会に比べれば幸せな現代ではないかと思いますが、漂泊の思いは募るばかりですね。