過日、親戚の弔事で茨城県の常総市へ。
常磐線の取手駅で関東鉄道の常総線に乗り換えです。 つくばエクスプレス経由で常総線に接続する方が数十分早くて若干安価なのですが、乗り換えが増えるので安楽な取手駅経由としました。
常総線の取手駅ホーム。
右に見えるのはJR常磐線とそのホームです。
ミラーに映っているのはJR線に繋がる駅ビル。 1992年6月2日にブレーキ異常で満員の列車が突っ込むという痛ましい事故があった現場です。。 ちょうどその頃に取手市に住んでいました。


この常総線のホームには架線が張られていないでしょう。 この路線は関東中央部にありますが、全区間非電化のディーゼル車両なんです。 気象庁地磁気観測所などへの影響で交流電化が出来ず、直流電化が検討されたのですがコスト面で実現しなかったそうです。 因みに常磐線は取手駅を出て水戸方面に向かう途中で交流から直流に電源が切り替わります(以前は社内照明が一旦切れたりしましたが、今は感じません)。

取手駅から30分、複線部分の終端である水海道駅で降車。
最初は出口がわからずにキョロキョロしてしまいましたが、ホーム先端で踏切を渡る駅構造でした。 映画「下妻物語」の下妻はもう少し先にあります。

50年前頃までは夏になると母の実家に帰省していて(井上陽水の「夏模様」の世界でした)、取手駅を出ると農耕地と長閑な田舎の景色が続いていました(単線だったので取手から一時間はかかった)。
今はつくばエクスプレスの開通もあって沿線は宅地化しています。 が、地元の親戚に聞くと、バスは廃線になりタクシーも決まった数駅にしか居らず、実質的に車が無ければ全く生活が出来ないそうです。 発展しているように見えても、やはりこの国はシュリンクしているなと実感しました。
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用事が済んで再び取手駅で乗り換え(すっかり曇ってしまいました)。
取手は、かつて最初の勤務地があった所であり所帯を持って数年住んでいたところです。 ちょっと懐かしくなって駅前周辺をお散歩してみました。

駅前はかつての面影がありますが、道路はすっかり再整備されていました。 呑んだくれて彷徨った怪しい路を探して記憶に残る道を探ります。 ここの通りもその一つ。 中央のビルには昔キャバクラがあって、モテモテで御座いました(お財布が)。

野の花(ののはな)(飲食店)がまだあった。
少なくとも38年前には存在していました。 普段は「つぼ八」や「養老の滝」などを利用していても、女子社員参加の呑み会があるとたまに利用していた記憶があります。 お気に入りだったスナック「みほ」もこの近くだったかな、、なるみちゃんは元気かなぁ。。モテモテのDaimalは今もここに(お店の女の子の名前なんかよく覚えていたなと、自分でびっくり)。

そして長禅寺の山裾断崖に列ぶ古くからの呑み屋達。 40年前でも既に古かったのですから、もう築何年なんだろう。 現役の店もありそうです。 愚痴と痛飲と。。。

建物と建物の間にある扉はね、周辺呑み屋の共同トイレだった(と思います)。
上り方面の終電間際に駆け込み焦って列ぶボットントイレで御座いました。 雨降りの夜が艶っぽい通りだったとの思い出でに記載しておきます。

飲食店ではなくなってしまったようですが、建物は今も使われている雰囲気があります。

この細い階段は、長禅寺へつづく参道の一つです。 崖際の建物はこんな感じに建てられています。 王子の飛鳥山公園の崖下にもこのような場所がありましたが、今はどうなっているでしょうか。

このビルの二階はよく通った気軽なバーのようなお店。 店主ご夫婦の人柄がよくて通っていました。 職場に欧米人が来ると連れて行ったお気に入りの店(ノーマン氏(英)とかニコラス君(仏)は今も元気だろうか。 カレンちゃん(米)とはダンスしたね)。 カッコつけて当時はまだ高価だったシーバースリーガルなんかをキープしてロックで。 ここの窓際から眺める雨の景色がすっごく切なかった(終電が気になったし)。 テナント募集中。

そして長禅寺の参道に行き着きます。

『創建は平将門と伝えられて。。。』
承平元年(931年)平将門が祈願寺として創建したと伝えられる長禅寺。

50~60段ほどの参道は南西を向いています。

山門をくぐる

屋根の造形が素敵な山門の二階部分は鐘楼であるようです。

三世堂

ーーー ネットより引用 ーーーー
~取手市HP~
『1層に坂東三十三か所観音札所、2層に秩父三十四か所観音札所、3層に西国三十三か所の各本尊の写しを安置しており、合計百体の観音像があることから、百観音堂 と呼ばれています。』
~茨城県教育員会HP~
『 三世堂は、白嗣殿(宝暦棟札)または観音堂(明治9年銘札)とも称され、各地霊場の観音像を祀っていて、一般には三匝堂(さんそうどう)あるいはさざえ堂といわれる建物です。方五間の楼造、一重3階、宝形造、一間向拝付で、屋根は現在銅板葺です。側回りを2層積み重ねて、下層を1階と2階、上層を3階とし、平面規模は上下層とも同じですが、柱間は下層を五間四方、上層を三間四方とし、内部には上下層通しの四天柱を立てています。
この堂は、坂東・秩父・西国の各霊場の全観音像百体を一堂に祀り、一巡することで安直に百観音詣でができるようにしたもので、江戸時代における庶民信仰の一端を如実に示す遺例です。同種の仏堂は、江戸時代後期に主として関東・東北地方でいくつか建てられましたが、現存するものは僅かしかなく、県下ではこの1棟しかありません。構造形式も楼造・一重3階という類例のないもので、比較的質が良く、後世の改修も少なく原形をよく残しています。』
ーーー 引用ここまで ーーー
見た目は二階建てですが内部は三層構造の栄螺堂(さざえどう)になっています。 内部公開されている日もあるようですが、YouTubeに動画があります。 栄螺堂は現在日本に六カ所しか残っていないそうです( 群馬県太田市の曹源寺、埼玉県本庄市の成身院、福島県会津若松市の旧正宗寺、青森県弘前市の蘭庭院、長崎県島原市の天如搭と、長禅寺を含めて全国で6棟)。

平将門の守本尊「十一面観世音像」が安置されて居るそうです。 ふらっと行ったので中までは見学出来ませんでした(ご開帳は年一回らしい)。

霊山堂
取手大師の提灯。 利根川七福神巡りの大黒天様は左軒下の石仏様でありましょうか。

寺務所との看板がありますがご本堂なのかな


ちゃんと下調べしてくれば良かった。 (ま、散歩だし)
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先ほどの参道の反対側には白壁土蔵が連なり、旧水戸街道に繋がっています。

土蔵は、今も残る古い建築。
奥の緑の小山が長禅寺で、古建築前の通りが旧水戸街道です。 この旧水戸街道を右に進むと八坂神社があり、道を通行止めにして質素ながらも祇園祭が開催されます。

寛政年間( 1789年~1801年)に酒造業、文政年間に利根川の回船問屋を営み、その後、奈良漬け製造業に転じたといわれる奈良漬けの「新六」。 奈良県から立ち会い訪問された顧客に、「取手名物新六の奈良漬けセット」を土産に渡したという居酒屋笑い話の会社はウチです。
よく見ると、羊羹も始めたようですね

お隣は田中酒造。
ネット情報によると『 田中酒造店は明暦元(1655)年の創業。人の手による洗米、和釜による蒸かし、室での麹造り、酒母、もろみと昔ながらの製法にこだわる』。 新六より百年は早い創業ですね。

新六本店から見える土手は利根川。
かつてこの道は二歳の我が愚息を連れて取手花火大会に行った道。 土手に上がった時点で音に驚き泣き止まず、そのまま帰った思い出の道。

常磐線の鉄橋がかかる利根川河川敷。 向こう岸は千葉県我孫子市。
会社の労働組合主催メーデー体育祭なんてやったな。

茨城県で東京に最も近い”旧国電”始発終着であった取手市は、もっと発展していておかしくない位置にあるのですが、駅周辺が起伏が激しいという地理的条件などもあってすこし寂しげです。
1/28撮影@茨城県常総市と取手市
何事にも初めてということがあるのですが、先ほど眺めていたネット上の葛飾区天気予報で、初めて見る表記に出逢いました。 2月7日「雪時々止む」。 いかにも雪国っぽい表現ですが、雪国の方は知っておられますか?? 今年の梅雨には「雨時々止む」といった予報が出るのだろうか。。。

tenki.JPの「葛飾区の天気」よりスクショ借用