このブログは、私(鯛)の元に現れてくれた様々な偉人・神々との会話を記していくものです。

現れた偉人たちは皆、口をそろえて現代の日本人に伝えたいことがあると言っています。

神々には日本の行く末が見えてはいますが、あくまでも人間の意志を尊重していると言います。

神々に救ってもらおうと考えるのではなく、人間が自分たちの手で社会をどう変えるかが大事なことのようです。

信じる、信じないはあなた次第。一つの物語としてお楽しみください。

 

 

2021(令和3)年11月19日

 

 

土方歳三さんの生家に近い高幡不動尊を参拝した。

 

司馬遼太郎さんの新撰組一連の小説を読んでいたので、土方さんにはとても親近感を覚えているところである。

 

ひと通り境内を散策していると、土方歳三像が見えてきた。

 

 

この頃、だいぶ神々の試し(※)にも何とか対処できるようになってきたので、

 

もし土方さんが天上の世界に還っているなら、きっと会話ができると確信した。

 

(※「神々の試し」については、また後日のブログにて。)

 

近寄って、何気なく土方像に問いかけてみる。

 

「土方歳三さん、いま話せますか?」

 

土方さんの答えが、平目を通して返ってきた。

 

「お主は何者だ」

 

「通りすがりの者です」と鯛が軽く答える。

 

「いや、只者ではなさそうだ。薬師(くすし)か?」

 

「まあ、そんな部類に近いです。石田散薬(打ち身の薬、若い時の土方さんは行商で売っていた)は扱っていませんが…」

 

軽く冗句を交えて言うと、それには反応せず、

 

「お主は普通には見えないな」と土方さん。

 

人間の私と話せることに、とても驚いている様子だった。

 

 

 

 

2022(令和4)年3月22日

 

 

その後、翌年3月22日、今度は土方さんの方から私(鯛)の元に現れてくれた。

 

高幡不動の土方歳三像と話してから4カ月が過ぎていた。

 

この時の土方さんの出で立ちは、

 

剣道着をタスキ掛けにして、腰に刀(和泉守兼定)を差した姿である。

 

頭髪は短く(函館五稜郭時代に写真に撮られた髪型のようである)、

 

背筋をピンと伸ばして颯爽と歩いてきた。

 

近くまで来ると、仄かに男性の整髪料の匂いがした。

 

 

通常、天上の世界にいれば、生きている人間と話をすることはできない。

 

話せる人間がいるということに驚き、興味を持って覚えていてくれたようである。

 

そこで、土方さんが生きていた時代のことについて、色々と聞いてみることにした。

 

まずは、多くの人が関心を持っているであろう、同時代に生きた坂本龍馬さんについて聞いた。

 

「坂本龍馬さんに会ったことがありますか?」

 

「会ったことはあるよ」とはっきり答えた。

 

 

 

私に聞かれてから、改めて当時のことをいろいろと思い出してきたようだった。

 

「今にして思えばだけどなあ、彼が殺られることは運命だったのかもなあ」

 

と土方さんは回想する。何か意味深長な物言いである。

 

「司馬遼太郎さん著作の『竜馬がゆく』という小説には、

 

京都市中を見廻っている新撰組の土方さんと竜馬さんが遭遇したとの記述があり、

 

その時、竜馬さんは咄嗟に土方さんの気組を外すように、

 

側にいた赤犬にじゃれ始めたと書かれていたが…」と聞くと、

 

 

「いや、それは小説の中の創作だよ」と土方さんは否定した。

 

「ただ、実際の龍馬は、憎めない奴なんだよなあ」と昔を懐かしむように土方さんは言った。

 

次に、新撰組のことについて触れた。

 

「新撰組をまとめていたのは土方さんだという描写が小説には書かれているが、

 

実際はどうだろうか?」と聞くと、

 

「いや、俺一人でまとめたのではない。あの組織はみんなで作ったんだ」と強調した。

 

組織というものは一人のカリスマや強力なリーダーがいるから成り立つものではない。

 

組織の一人ひとりが自らの役割を認識し、忠実に実行するところに

 

組織は存続するものだということだろう。

 

「俺一人の力なんて小さいものだ」と呟く土方さん。

 

「俺一人がまとめたのではない、

 

近藤さんや新撰組の幹部や隊士一人ひとりの協力があってのことだ」と土方さんは言う。

 

そして、いかにも嫌そうな顔で、

 

「後世、俺一人だけがちやほやされるのは迷惑だ」とも言われた。

 

おそらくこれが、新撰組副長土方歳三の本音であろう。

 

 

土方歳三シリーズ 続きはこちら

 

 

鯛や平目の舞い踊りとは?