レールを降りたら、そこは大地だった【MY STORY⑦】
▼最初から読む(MY STORY①)▼
自分探しの迷宮へ
なんのために生きるかなんて、考えたことがなかった。レールを進むことが唯一絶対の正解って、そのように親からも学校からも会社からも教わってきたから。疑問を持ったことなんて一度もない。抜け出したい現実を目の当たりにして、はじめて自分の人生を自分ごとに考えるようになったのです。自分の人生をどこかのだれかに任せていてはいけない。自分がやりたいことを探しました。
CD盤の本棚へ
本屋へ行く。それが最初の一歩でした。「どんな仕事が向いているんだろう?」いろんな職業本を読み漁りました。どれだけ探しても、自分がぴったりくる仕事見つかりません。この世界には1万以上の仕事があるのに、なんで見つからへんねん。どこかで妥協しなあかんのかな。
探しても見つからんねやったら、いろんな資格を取っておいた方がいいんかな。報酬が高い資格一覧を見て、自分が興味がある分野を探す。でも、テンションがまったく上がらない。資格を取る目的が明確ではないからです。やはり、僕にはゴールが必要なようです。なにをやるかではなくて、なんのためにそれをやるかが。
そして、ある日ふらふら本屋を徘徊していると、ある本棚に目がいきました。そこだけなんか雰囲気が違う。これまでも、ずっとそこにあったはずなのに見えていませんでした。「自己啓発」と、看板には書かれてある。並べられている本もあんまり見たことがないCD盤のサイズ。
こういうジャンルを無意識に避けていたんです。なんか宗教っぽくてで洗脳されるんちゃうかって。こんなんは心の弱い人が読む本やって。こんなん読むようになったら終わりやって。そんなふうに思っていたのでしょう。毎週のように通っていた本屋やのに、その本棚が僕の世界には存在していませんでした。ここで足が止まりました。
そして、本を手に取って読んでみる。「ことば」がダンスをしながら僕の脳内をガンガン揺さぶるではありませんか。一言、一言、心地よいリズムで、心地よい音色で響いてくる。まるで音楽を聴いているようなそんな感覚。「ことばあそび」に頼ってはいけない。現実から逃げてはいけない。無意識にシャットアウトする自分もいました。問題を解決するためには、問題と向き合い行動しないといけない。言葉で慰められて問題をマスクして現実逃避するのはいけない。でも、その時史上最高に弱っていましたから、言葉がどんどん流れるように、僕という人間の内側の奥深い所に入っていきましたよ。
そして、このCD盤の本を出版していた会社が、先日参加したイベントの主催会社でした。普段あまり本を買う時に、出版社を意識することがなかったので驚きでした。人生の分岐点を作ってくれたDiscoverには感謝しかありません。イベントのレポートはこちら↓
視点が変われば
いい言葉だな。豊かだな。この考え好きだな。こんな生き方いいな。こんな恋がしたいな。こんな働き方したいな。こんな夢を叶えたいな。妄想はどんどん膨らんでいきました。気付いたらもう深夜。5時間以上そこにいたようです。夢中でした。
ここに自分の答えがあるのかもしれない。その日から、日常生活の中で気になった言葉をメモするようになりました(今でも続いています)。お気に入りの言葉が、どんどん手帳に溜まっていく。自分にとって大切なコトバ。あぁ嬉しい。あぁワクワクする。真っ暗だった世界に、一筋の光が見えました。
*当時の日記がこちら。
https://plaza.rakuten.co.jp/1ketsu/diary/200504160001/
そのうち、自分のコトバを創作するようになりました。頭の中でウヨウヨしている自分を象徴したキャラも作ったりして。
本を出版したい!
一日一つ、なにか心が動いた出来事を作品にしよう。どんどん増えていきました。そうなると、根っからの表現者なので誰かに見てもらいたくなりました。特に、僕と同じように会社で苦しんでいる人に見てもらいたい。そして、勇気を与えたい、そのような思いが溢れてきて、本を出版したくなってきました。出したい、出したい出したい、って。本を出版したら、特別な人間に生まれ変わり、この悶々としている世界から抜け出せる。ついに、本出版に向けて動き出したのです。企画書を書き作品集を作りました。出来上がったのがこちらです。
診断名 うつ病
サラリーマンになって
現実に負けた。
「 アピールの場と化した、最新の会議場 」
「 責任を押し付けあう、笑顔が素敵な同僚達 」
「 社内接待に全力投球の、京大出身の先輩 」
「 夢を捨てることを命じる、カリスマ部長 」
夢に溢れていた私にとって、
あってはならない現実。
「苦悩」が「苦悩」を呼び
チカラが無くなっていった。
そして、
サラリーマン病にかかる。
なんのために生きてるんだろう?
その疑問が頭を停止させる。
冷たい現実に触れ、
多くのアツイ若者は苦悩している。
みなさんは、現実を見て、
なにを感じてますか?
この本は 【うつ】の専門家が書いた、サラリーマン哲学です。うつ病になってしまったうつ病の薬の営業マンが、現実と戦っている時に生み出された言葉や価値観を集めた作品集。これは絶対に売れる!そのように確信して、企画書を出版社に送りました。返事が来たのは、自費出版系の出版社だけでした。自尊心をあらゆる角度からくすぐってくれる感想文がA4 5枚分くらいの分量で書かれていましたよ(出版させることが目的)。
その時に気づいたんです。自分はまだ本を書く資格がないということを。何者にもなっていないということを。そして、「あるがままの自分を表現して世界を変えたい」ということを。40歳ぐらいまでに、自分にしかない特技や専門性を身につけよう。そして、その時には、自分を思いっきり開放して世界を変えよう、そのように誓いました。またもや、どんなことを勉強したいか、どんなふうに生きるのかと向き合うことに。おかっち、ふりだしに戻る、です。
業界を超えたプロとの出会い
自分の生き方が見つかったのは、ダンスを通じた地域活性化活動でした。社会人になってはじめたダンス。めちゃくちゃハマってしまいました。あまりにもハマってしまって深夜遅くまで練習したり、他府県のダンスイベントに参加したり、熱中していたんです(仕事をサボる原因はこれ)。
毎日、和歌山市駅(ダンサーの練習場)で顔を合わせるもんだから、和歌山ダンサーとつるむようになって、一緒にイベントに出演したり、イベントを主催したりするようになりました。
クラブハウスからストリートへ。イベントの規模も回を増すごとに大きくなりました。光の当たるまちのど真ん中で開催するようになっていたのです。そうなると、ダンサーだけではどうにもなりません。行政の許可を得たり、メディアに取り上げてもらったり、資金集めのために協賛を募ったり、舞台を設営してくれる人を探したり、とにかくいろんな人から力を借りないと開催できません。
なぜストリートでやるのか?みんなで何度も企画書を書き直し、住民のためになるようなコンテンツを考えて、大人が集まるいろんな場所で想いを伝えました。そうすると、多くの人が僕たちの話を聴いてくれて、アドバイスをくれたり、実際に力を貸してくれたんです。それがまずめっちゃくちゃ嬉しかった。実績も何もない僕たちの言葉を信じてくれた。
和歌山はなんもないっていう人が多いけど、なんもないからこそ何かを生み出そうと活動している熱い人間が多いんです。空想ではなくちゃんとアクションしている人間。それが和歌山の好きな所です。
いろんなプロフェッショナルと一緒にプロジェクトをすると見えてくるんです。その人の生き方が。当時の僕からしたら、出会う人みんな常識外れでした。学校は中退してダンス一筋で世界を取った人間。まちを出て就職したけど親父が倒れてそのまま会社を継ぐことになった人間。出版社でまちの魅力を発信している人間。答えは一つじゃないんや。人間の数だけ生き方がある。結構、自由でいいんやって。こうあるべきっていうのが、別にないんやって。
いい学校に入って、いい会社に就職して、出世するというレール。それが唯一無二の正解であり、それ以外の人生は不正解。レールから1mmでも踏み外したり、立ち止まっていると、奈落の底へ転落し、人生終わりだと思っていましたが、それは間違っていたことに気づきました。
みんな幸せの形は違うし、それぞれが自分の幸せを見つけて、自分で人生のレールを作って生きていけばそれでいい。自分でレールを作って自分らしく生きている人は、自由だった。ことばが重く、人生を最高に楽しんでいた。レールを降りたら、そこに谷底はない。好きなところへいつでも行ける大地だったんです。そう確信できました。僕もそっちへいきたい。自分らしく自由に生きたい。
スポーツを通じた
ライフスキル教育
そして、ある日(どの日か忘れてしまった)人生を変える大きな、とっても大きな出会いがありました。一冊の本です。たぶん、本屋さんやった、そう思います。『ライフスキル教育 - スポーツを通して伝える「生きる力」』。見た時に、全身に稲妻が走りました。これだ!
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ライフスキル教育―スポーツを通して伝える「生きる力」
2,530円
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これかも!これな気がする。これでしょ、僕がやることは。違うかな。いやっそうだ。絶対これだ!大学時代のスポーツの経験が、いまの僕を作っている。そこで学んだことを、たくさん仕事で活かすことができた。ライフスキルがあれば、社会で苦しむことなく、うつ病に悩まされることもなく、自分らしく幸せに生きられるんじゃないか。
あっでも、そういえば、僕はスポーツによって友達を失って、自信を失って、散々な高校生活を過ごしたんだった。思い出したよ、あの日々を。スポーツはレギュラーやったら得るものは多いけど補欠やったら学ぶことはないし、最悪な経験になることもある。僕みたいに。体罰とかする監督もいるし、プロ野球選手で野球ばっかりやってた人が、引退した後セカンドキャリアで就職できなかったり。もしかしたら、スポーツは、教育に適していないのかもしれない。そんな思考が頭をウヨウヨしました。
高すぎる壁
「社会で自分らしく生きる力を育む」というのは、自分のキーワードとして残りました。そこから徹底的に「ライフスキル教育」について調べましたよ。そこでわかってきたことは、どうやらスポーツライフスキルを学ぶには海外の方が相応しいということ。しかも、大学院。高すぎるよ、壁が。海外で学ぶなんて、まったく選択肢に無かったのだから。だってその時の英語力は、〇です(丸じゃなくてゼロ)。
高二の時に受けた英検2級が不合格。大学でも4年生の最後まで必修であった英語の単位が取れませんでした(しかも最後の課題は英文科のマネージャーにやってもらった)。大学卒業と同時に、英語も卒業しました。社会人になってからのこの三年間、英語なんてまったく触れていない。そんな状態でしたから、アメリカの大学院に留学するなんて、雲を突き抜けて宇宙というか、想像できない世界でした。
あと、お金も調べたら1000万円くらい必要とのこと。当時の貯金が35万円。どうやって貯める?そして、そんだけ貯まるのがいつになるねん。とにかく、海外の大学院で学ぶということは、とても時間とお金がかかるということがわかりました。今すぐにできないことです。では、どうするの。あきらめる?違う道を探す?なかなか答えは出ませんでした。当時の僕には決めることができなかったんです。
レールは一つじゃなくてもいい
一つの明確なゴールがないと前に進めないタイプの人間、それがおかっちです。せっかく見つかったワクワクするゴール。でも、その道は果てしなく遠い。どうすることもできませんでした。それでも、朝は決まったタイミングでやってきます。スーツを着れば、商品を販売しないといけないのです。売り切るまで終わることができないのです。こんな気持ちでやってたら、上司に怒られるし、自分も楽しくない。
見えないモノを見ようとするよりも、とりあえず今見えることを一つ一つやっていこう。そのように考えるようにしました。そして、今決めなくてもいいし、道は一つでなくてもいい。「会社で出世する」「転職する」「留学して起業する」この3つの道、どれを進むのかは、いまから5年後の、30歳の時に決めよう。いつまでも立ち止まってはいられない。
5年後に決めたらいいと考えると、重すぎる肩の荷が降りて楽になりました。脳の回転数が上がってきたので、戦略を練ることにしました。30歳の時に3つの道をどれでも自分が選べるようにするためには、どうしらいいのか?4つのミッションが見えてきました。
4つのミッション
1. 英語力を向上する
目標:TOEFL 77
留学するには英語スコアの入学基準があるのでそれを満たしていないとスタート地点に立てません。合格したとしても、大学院で自分が学びたいことを学び、インターンシップに応募したり、コーチングしたり、生活したり、そんなことを想像するとスコア以上の語学力が必要になってきます。また、英語力を向上することで会社の出世や転職の際にも有利になります。
2. お金を貯める
目標:1500万円
やりたいことが見つかった時に、お金がなくて一歩踏み出せないという状況にはならないように、退職金も含めて1500万円を貯めようと決めました。
3. 会社で実績を残す
目標:チームでも個人でもMVP
会社で出世するためにはもちろんのこと、転職する時にも前の会社でどのような活動をしてどのような実績を残したかは評価の対象になります。また、ライフスキル教育に携わったとしても、社会のことを知っているということは教育者においてとても大切なことだと思っていました。ですので、どうせやるならトップ、MVPを目指すことにしたんです。一番ですよ。チームでも、個人でも。
4. 和歌山で人脈をつくる
目標:まちを活性化しているプロとつながる
ダンスイベントを通じて、まちを活性化しようと活動している起業家やプロの方とたくさんつながること。これは先ほどにもお伝えしたように、自分の人生の生き方を見つけたり視野を深めることにもつながりますし、和歌山で起業することを考えると、起業家の仲間を作ることが大切です。お互い刺激しあって、高め合って、助け合える仲間です。何かを生み出したいっていうエネルギーの塊のような人間とたくさんつながることを目標にしました。
ゴールが決まれば
一歩踏み出せる
人生がようやく動き出しました。なんのために生きるのか、それは、「あるがままの自分を表現して世界を変えるため」。そして、そのためには4つのミッションをクリアすることが必要。だから、いまこの仕事を頑張る。このように仕事の意味を見出せたのです。そうなると、僕は無敵です。覚悟はできました。ここからおかっちの怒涛の快進撃がはじまります。
つづく
MY STORY⑧
3年連続全国TOP!チームが一つに!
ライフスキルライバー
ミスターおかっち
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このレールの先に、未来はない。【MY STORY⑥】
▼最初から読む(MY STORY①)▼
VS 現実
(社会人3年目(25歳)の時に書いた日記より)
井の中の蛙
社会を知らず
「いい大学を卒業して、いい会社に就職できた僕は、人生の勝ち組」自信しかありませんでした。大学時代のラクロス で、全国3位という結果を出して、ベスト10プレイヤーに選出される。英雄気分ですよ。スターですよ。無敵状態ですよ。就職活動も、3ヶ月で終了。たくさんの企業から内定を頂き、世界ランキングトップの外資系製薬会社に就職。僕の成功は決まった。絶対偉い人になれる。会社で伝説を作るぞ。やることなすことすべて結果が出ていたので、自分だったらなんだってできるって錯覚していました。しかし、こんな若者に社会は容赦無く現実を突きつけるのです。
和歌山営業所に配属になりました。なんで和歌山やねん!もっと都会がよかったわって決まった時には凹みましたが、まぁ大阪から近いし、同期で東北に配属の人もいるからまだましかなって(東北の方に失礼だ)。その和歌山で15年も住んで起業するとは思ってもいませんでしたよ。これだけ愛せるなんて、だれが想像できたでしょうか。
いざ和歌山へ
半年間の研修が終わり、いよいよ和歌山で自分の力を発揮する時が来ました。あれは忘れもしません。いきなりの洗礼です。和歌山に来た最初の日に、上司に和駅前の銀平という魚が美味しい店に連れて行ってもらえることに。僕の学生時代の自慢話でも聞いてもらってしっかりアピールしようと、とても楽しい宴を期待していたのですが、思わぬことが。「おれ、箸をちゃんと持てへん人間と一緒に飯を食いたくないわ」、開始30分ぐらいで、上司は帰ってしまいました。誰よりも自覚していた社会性と常識の無さ。ホテルに帰って、動画を見て必死で箸の練習をしたのを覚えています。
会社の歓迎会でも、同じようなことが。歓迎会というものは、歓迎される人(つまり僕)が思いっきり楽しむ場だと思っていました。美味しいご飯を取り分けもせず好き放題食べて、先輩のビールを注ぐこともなく、話しやすい若い先輩とだけ話していました。横に大先輩と所長がいるのに。
開始30分ぐらいで空気が変わっていきました(そりゃそうでしょ)。周りの人が自分のことをどう思っているか推測する力は、これまでの居場所をなくした経験で身についていました。習性です。誰が僕のことを嫌いなのかが、すぐに察知できてしまうのです。
ずっと黙っていた大先輩が重い口を開きました。「なんで岡崎は、ベルトしてないの?」そうです。スーツなのに僕はベルトをしていませんでした。ベルトをしなければいけないって知らなかったのです(本当にしなあかんのかな?)。これは、チャンスだ。この冷め切った空気を一気にあたためるための神様からのプレゼント。「こっちの方が、お洒落かなと思って」我ながら会心の返し!「ちょっとおかざき君、おいで」教育係の先輩に外に呼び出されました。
ポカンとしている僕に先輩は言いました。「おまえな、ちゃんとしろ。もう少し周りの人に気を使え。体育会やったんちゃうんか。スポーツやってたんちゃうんか。みなさんお前のために集まってくれてんねんぞ。上司の横に座ったら、なにか質問したりお前から会話を振るねん。先輩のビールが少なくなったら誰よりも早く注ぎに行くねん。テーブルがいっぱいやったら、小さい皿に取り分けて大きい皿を下げてもらうねん。わかったか。俺が怒らねんねんから、しっかりやってくれ」怒られました。
怒られた理由はなんとなくわかっていましたし、具体的になにをやったらいいのかを教えてくれたのでありがたかったです。その時に気づきました。そのまんまの自分を社会では出したらいけないんだって。自分を抑えて周りの人に気を遣わないと、ここでは受け入れてもらえないんだと。
結果を出せば
それでいいの?
最初の年は、持ち前の落ち着きの無さとKY力を最大限に発揮して、得意先でも社内でも怒られ倒しました。何度も同じ失敗を繰り返しましたよ。そして、1年が経ちました。岡崎君も少しは仕事にも慣れ、自分のペースが掴めてきました。その年に、とんでもないラッキーがありました。僕の担当エリア内で担当エリア外の得意先が一括購入してくれて、その大きな売り上げが僕の成績になったのです。棚からぼた餅です。そのおかげで、その年に関西でトップクラスの成績を取ることができました。
自分がこれをやった!っていう具体的なことはなにもないのに、です。上司からもめちゃくちゃ褒められ、給料もキュイーンって上がりました。たくさんの人が認めてくれるようになったけど、大きな違和感が広がりました。なんやこれっ。僕なにもしてへんで。結果さえ出せばそれでいいんかい。しかも、今回は僕はほとんどなんもしてへん。ただの運や。それなのに、周りの見る目がこんなに変わるって。なんかおかしい。環境要因が営業成績に大きく影響するんやったら、頑張っても頑張らんでもどっちでもええやん。
仕事に対する情熱がなくなりました。周りの人も全然本気で働いてないやん。偶然出てきた結果に、あとから上手いこと言うて報告しているだけやん。魂込もってないねん。お互い思っていることを言い合わず、見せたくないことを隠す。決まったことを必死でメモる作業。こんなところで、本気になったら馬鹿らしいわ。適当にやろう。自分の仕事のスタンスが決まったのです。
伝説の課長が和歌山に
そんな時に、あの人が和歌山にやってきました。成績が悪い営業所を全国一にしてきた伝説の上司。 丸田さん(仮名)です。あの人が来るって聞いてから、営業所内はざわつきました。これまでたくさんの営業マンをクビにしたという噂を聞いていたからです(都市伝説)。僕もビビっていました。
最初の半年は、とても優しかった。仏のようにいっつもニコニコ。会うたびにほめてくれる。自分のことを認めてくれる。ちょっととぼけたおじいちゃんっていう感じでしょうか。でも、ちょうど半年後、その本性を表しました。一通のメールが。
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【メール】
これからは毎週ミーティングを致します。
9時からしたいと思います。
皆様の意見を言ってください。
丸田まで
目的
岡崎さんや〇〇さんたち遠隔地の方との情報交換
やるべきことの確認
ルーズな内勤処理を解決する為
連絡事項
など
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毎週月曜日の会議で、1週間に自分が具体的にやる活動と目標数値をみんなの前で宣言させられて、次の月曜日にそれができたかどうか振り返るというもの。つまり、毎日ちゃんと営業活動をしないといけないということ(あたりまえ)。すっかりサボりグセがついていた僕にはとてもめんどくさい話。
そんな僕の内心を丸田さんは知っていました。また仲が悪かった先輩からもたくさん僕の評判を聞いていたようです。「岡崎は朝10時になっても家に車がある。家に帰るのも早いし、ちゃんと仕事をしていない」営業所のみんなには、サボっていることがバレていました。数字さえ出せばいいんやろ的な感じで働いていたので(最悪)、もちろんチームから孤立していました(数字は運が良く出せていたので)。そのため、丸田さんの最初の標的は僕でした。一通のメールが。今度は、ぼくだけのために。
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【メール】
自分で自分の職場環境を悪くするのですか。それでいいのですか
九時の出社は 当たり前の契約です。出社時間が ルーズであれば 基本も何もありません。私からいくら注意しても 始まりませんね。
営業マンは自己管理が重要ですね 自己管理が出来なければ こちらで管理するようになります。
信頼関係で結ばれている 僕たちはどうしたらいいのでしょうね
大学を出て残念ですね(入社したときの気持ちはどこへ行ったんですか)
丸田
追伸
訪問パターン表は4週間分提出してください。本日中
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やらなければクビ
そして、喫茶店に呼び出されてお話をすることに。そこでは、「僕が仕事に対して全力で向き合っていないこと」「ちゃんと出社をしていないということ」「チームのメンバーとコミュニケーションを取ろうとしないこと」「評判が悪くて孤立していること」そんなことが伝えられました。そして、今後どうするか考えて欲しい、と。
すべてバレてしまったのです。辞めさせられるのかな。クビかな。それは絶対に嫌だ。大学時代の友達や同期になって言ったらいいねん。惨めだ。恥ずかしすぎる。僕のキャリアに傷がついて人生のレールを踏み外すことになる。人生の落伍者。3年目のこの状態で会社を辞めるということは選択肢にありません。ですので、このように返事を。
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【メール】
お疲れさまです。
いつも内勤関係でご迷惑をおかけしております。課長のおっしゃる通り、ルーズな点が多々あったということを本当に反省しております。申し訳ございませんでした。
今後は、気持ちを新たにして、特に内勤関係においては、(外勤においても)やらなければならないことをしっかり把握し漏れの無いように努めていきたいと思います。すみませんでした。
岡崎
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いま振り返れば、なんて気持ちのこもっていないお返事なんでしょう。白か黒かはっきりさせていないのが伝わります。冷静に考えると丸田さんの指導は、言い方はこわいけどごもっともなこと。仕事をさぼっている人間がいたら、時間をとって話をして上司としての考えを伝えた上で、どうするか決断してもらう。でも、当時の僕からしたら苦しかった。
これまで向き合わずに逃げてきたことと、向き合わざるを得なくなったからです。これまでは適当でも許された。毎日が楽しかったらそれでいいって、本当にそれでよかった。でも、これからは、全力で仕事に取り組まないと僕の居場所はなくなってしまう。プライベートの楽しい趣味も、これまでのようにできなくなる。自分がやりたいことを犠牲にして、仕事を本気で取り組まないと、クビです。決断の時。やるか?やらないか?何度も考えたけど、やっぱりわからない。答えは出ないけど、とにかくやらないといけないから、やる。やらないといけないから。
なんのために生きる?
まさにゴールが見えていないのに、全力で走っている状態。前に進んでいないんですよ。でも、走らないと、全力で走っている姿を見せないと抹殺される。希望なんか1mmもない。あるのは恐怖だけ。ここから少しでもはみ出したら奈落の底へ転落だ。落ちこぼれとしてみんなから下に見られて生きていかなければならない。それは嫌だ。だから、誰よりも早く、誰よりもたくさん売らないと。
朝早く目が覚める、でも、起きるのが怖い。起きてもなんも楽しいことがないから。会議で発表するための結果を出さないといけないんだ。やりたいことなのかわからないけど、とにかくやらないといけないんだ。でも、やる気が出ない。しんどい。眠れない。やりたいことができないのが苦しい。誰も助けてくれる人がいない。なにもしたくない。体が重く、思考がとまりました。まるで自分の体ではないように。もう無理だ。死にたい。そうして、僕はうつになりました。
(うつの時のぼくの頭の中)
正解はどこにある
僕はうつ病の薬の営業マンでした。うつ病の診断方法を得意先で何度も説明しているので、自分がうつ病だということは誰よりもわかっていました。ただ、休むわけにはいかない(休んだらよかった)。大学時代に培った根性が良くも悪くも発揮されました。
なんのために働いているんだろう?今まで考えたことがなかった。この会社で出世するぞという志は、入社1年ぐらいでなくなっていました。お金を稼げて自由にやりたいことができて毎日楽しかったらそれでいいって、そんなぐらいにしか考えていなかった。仕事が適当でも数字さえ出していれば怒られへんかったし。
でも、仕事を本気でやるとなれば、1日8時間しっかりそこに拘束されるわけで、そうであるならば自分らしく働きたいなって、そんな気持ちが芽生えてきたんですよ。でもね、そんなことはこれまで考えたことがなかった。レールに乗っかってレールを進んでさえいれば、僕は幸せになれるって信じていたし、偉くなれるって思っていた。疑ったことがなかった。だからね、答えなんかそう簡単に出ないんだよ。どこ見渡してもないんだよ。だれか教えてくれよ。どうしたらいいんだ。どう生きたら正解なんだ。
なぜ生きる?
こんなことがありました。大阪の全体会議に行く電車の中で『なぜ生きる』という分厚い本を読んでいました。生きることについて悩んでいたから、なんかヒントが見つかるかなって思ったの。読んでいる姿を見た先輩が言いました。「おかざき、なんて本を読んでいるんだ。お前病んでるんか?そんなことを考えるのはまだ早い。それよりも、今月の計画残り50万円。どうやって達成するんや?新規プロジェクトの軒数もまだ残っているぞ。そっちの方を考えろ」
確かにそうだ。一瞬そう思いました。が、本当にそうかな、って。会社の計画を達成することは、自分の人生をどう生きるかを考えることよりも大事なこと?人生を考えることは後回しでいい?ほんまに数字を達成したら自分の未来が見えてくるんだろうか?そうは思えない。
その先輩に聞きました。「先輩は、なんのために働いてるんですか?」先輩は言います。「なにをいまさら言ってるんや。生きるために働いているに決まってるやろ。若い時はなんも考えずがむしゃらに働いたらいいんや。そうすれば少しずつ俺が言っていることの意味がわかってくるから」怒鳴られました。自分の中に答えがなかったからではないでしょうか。さらに聞きたかった。先輩はなんのために生きているんですかって。対話したかったのですが、でも、怒ってたから、そこでストップです。
生きるとか、働くとかについて考えることは余計なこと?なにも考えずただがむしゃらに働くことが大事?ゴールなんか見えなてくもいいから、チームが求めている期待に応えて成果を出し、人からがんばったねって認められることが大事?それが、働くっていうこと?生きるっていうこと?本当にそうなんだろうか?ここではじめて自分がこれまで乗っかってきたこの正しいとされるレールを疑うようになりました。このレールの先に、僕が幸せになれる未来はあるのだろうか。
それからしばらく、職場のみんなの人生を観察しました。先輩と同じ人生を僕は歩みたいのだろうか。では課長の人生はどうだろう。支店長の人生はどうだろう。答えは、NO。もちろん、みんなそれぞれ幸せな人生だと思うのですが、僕はそこには行きたくない。あんな生き方をしたくはない。つまり、いまこのレールの上を一生懸命自分の人生を削って走っても、ゴールが先輩であり、課長であり、支店長であるならば、それやったらこのレールを走ることに意味はあるのか?もう走りたくない。
レールの先に、未来はない
いろんな働き方があってもいいんじゃないか。いろんな生き方があってもいいんじゃないか。そのような考えが溢れてきました。ですが、自分らしい生き方はなんだろうって、簡単に答えはでません。ただ、わかったことは、このレールの先に僕の幸せはないっていうこと。そこから終わりの見えない自分探しの旅が始まりました。どこを探しても見つからない。生きることがわからなくなったんです。真っ暗になりました。
つづく
MY STORY⑦
レールを降りたら、そこは大地だった
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ナイスパス!その一言が人生を変えた【MY STORY⑤】
▼最初から読む(MY STORY①)▼
断固たる決意
大学に入学。決めてました。熱くなれるもの、自分が輝けるものを見つけよう。そして、それに全てを捧げようって。中学高校で大好きなバスケを全力で頑張ったけど、レギュラーになれなくて悔しい思いをした。そこから全部おかしくなって、友達も作れず孤立し、完全に自分という人間に自信がなくなっていた。だから、そんな自分を変えたくて。
すぐに見つかりました。ラクロスです。ラクロスとは、棒の先にちょこんって網がついてるやつ。空中版の陸上ホッケーといわれる結構ハードなスポーツです。
これをやろうって決めたんです。このスポーツは、大学から始める人がほとんどやから、スタートラインは同じ。いまからサッカーやっても、野球やっても、こどもの頃からやっている人にはかないっこない。そんなんはあかん。
ラクロスはみんな大学から始めるから、これからの努力次第で試合に出れるかもしれないし、日本代表になれるチャンスもある。これが最後のチャンスや。これにかける。もう絶対負けない。他の奴にも、そして、自分にも。
努力の量では絶対に負けない
で、頑張ったらやっぱりうまくなる。一年間必死に練習してきたおかげで、誰にも負けない自分だけの武器ができました。目の前の相手を完全に抜き去るという技。一瞬で目の前から消えるんです。高速で。これで僕は戦っていこう。そして、日本代表になる!
栄光
(下段右端4番)
大学2年生の時に、関西選抜に選ばれました。体力テストではビリに近かったけど、相手を抜くというその技術がめっちゃいいって監督から評価されたんです。オーストラリア選抜と戦いました。2年生で選ばれたのは関西で2人だけ(下の写真)。1000人ぐらいの中から選ばれたんです。
そりゃ嬉しい。なにをやっても選ばれてこなかったから。必要とされなかったから。そりゃぁ調子にのるわい。気分ノリノリでしたよ。大観衆が見守る大きな球場で、君が代とかも試合前に歌っちゃったりして。まさに日本代表気分でした。僕は関西で一番うまい2年生や!この調子で目立ってやる!自分という人間がスゴイということを、みんなに見せつけてやる!(なによりも自分にも!)
(右下 オーストラリア選抜と1on1)
チームの先輩からもめっちゃ期待されてました。エースおかざき。彼を止められるものは誰もいない。そして、念願のチームの中でレギュラーに選ばれました。2年生でね。2年生で試合に出れたのは同じポジションでは僕ともう一人、山下だけです。リーグ戦が始まる前から、関西中のチームが関西選抜の僕に注目していた(自意識過剰)。
(開幕戦 VS京大 1on1をしかけるおかっち)
そして、大会第一試合目。それなりに活躍できた。シュートも決めたし、まぁ、うまくいったんです。やっぱ岡崎ってすげー。さすが関西選抜。すれ違う人が振り向いてコソコソ褒めてくれる。めっちゃいい気分でした。
でも、そっからでした。落とし穴にはまったのは。見事にはまりました。すっぽり。抜け出せませんでした。他のチームが僕の弱点を見つけてしまったのです。大学一部のリーグ戦はそんなに甘くない。スカウティング(チーム分析)によって、試合ごとに一人ひとりの選手の強みと弱みが丸裸になるのです。それを知らなかった。
弱点
二試合目が始まりました。パスが回ってきました。ボールをキャッチする。今までと同じように、相手に突っ込みます。目の前の相手は、簡単に抜ける。多分抜くことに関しては関西一やったから。でも、そのあとです。予想もしてなかったことが起きました。
敵がすぐ目の前にいるんです。長い棒を持った敵が。いま抜いたところやん。なんで敵がおるねん。ガシャン!大きな衝突音とともに、ボールは奪われてしまいました。地面に横たわるおかっち。どうやら吹っ飛ばされたようです。何が起こったんや。考える間も無く、DF(守り)に戻る。走る。
今のはたまたまや!
次はうまくいく!
もう一回ボールが回ってきて、同じことをやりました。また、潰されました。もう一回やった。潰された。
なんだこれ。思っていたことと違う。おれは関西選抜で、誰も俺を止められるはずがないんだ。何が起こっているんだ。こんなはずはない。状況がわかりませんでした。だから同じことを何回も繰り返した。同じことをしたら同じ結果が返ってくるものです。「ピピー!メンバーチェンジ!」交代させられた。ベンチです。なんで変えんねん。次やったら、ぜったい成功すんのに、シュート決めれるのに。くそーーーーーー。
ライバルの活躍
(左:山下、右:おかっち)
同じ学年の山下は、最後まで試合に出場。そして、あいつはシュートも決めた。みんなにめっちゃ褒められてる。必要とされてる。その試合は負けました。負けたことよりも、自分が最後まで出られなかったことが悔しかった。そして、同じ学年の山下が活躍してるのが悔しかった。
またか。。。いつも僕はこうや。大事な時に失敗する。最後は、うまくいかんように出来てるんや。でも、これが最後のチャンス。本当に最後のチャンスなんや。これまで以上に努力しました。不安を打ち消すように。ネガティブに支配されないように。
第三試合。ゴールしか見えませんでした。次は絶対いける。僕は相手を抜くということでは関西で一番なんや。山下にできて僕にできないはずがない。止められるわけがない。僕の方がシュート入る!!僕が決めて、目立つんや!僕の力で勝つんや!
でも、全然うまくいきませんでした。何回やってもうまくいかへんねん。そうするとどんどん自信がなくなって、目の前の相手も抜けなくなった。しょうもないパスミスを繰り返す。「ピピー!メンバーチェンジ!」また、交代させられた。これが、その年に出場できた最後の試合でした。
挫折
(左から4番目)
2年生で関西選抜に選ばれて、めちゃくちゃチームで活躍するってみんなも思ってて、そして僕が一番そう思ってたのに。また補欠。試合に出れない。同じ学年で同じポジションだった山下は、大会最後まで出場し、2年生で関西ベスト10プレイヤーに選ばれるっていうすごい結果を残す。他の大学の人からも、同志社の2年生の山下すごい!!関西選抜やった岡崎は、、、、、なんか試合には出れてないみたいやで、、、そんな声が聞こえる。
山下はチームにも必要とされていて、関西でめっちゃ目立っていて、活躍していて、輝いてて、ほんとは、自分がそこにいるはずやったのに、そうなれなくて、目の前が真っ黒というか、真っ白になったわ。全部消えていってん。二年間で積み上げてきた、僅かな自信も栄光も。でも、不思議ですね。真っ白になったらなんか見えてきました。自分がやるべきことが。みなさんもお分かりですよね。僕のやるべきことが。
やるべきことは?
3年生になりました。夏合宿の紅白戦。 この試合での活躍次第で今季のリーグ戦に出場できるメンバーが決まります。最後のチャンス。もう決まっていました。自分がやるべきことは。
試合が始まり、ボールが僕の手元に。全エネルギーを集中した。相手に向かって、全速力で突っ込む。そして、高速のフェイント。目の前の相手がいなくなりました。
そりゃそうです。抜くことに関しては関西一やから。だれも僕を止められない。これが僕の武器なんや。でも、次の瞬間、二人目の敵がやってきた。こいつも必死や。ここで活躍しな、大会に出られへんから。そして、僕の弱点を知ってるらしい。そりゃそうや何度も潰されるところを見てきたからな。
こうやったらお前は何もできない!俺がお前を潰す!相手もすごい顔してたよ。勢いよく僕に向かって突っ込んでくる。その瞬間、シュッ!時間が止まりました。何が起こったんだ。そうだよ。ボールはもうここにはないんだよ。なんと、シュートすることしか考えていなかった僕が、パスをしたんです。
(全国大会, 相手を引き寄せてパス)
パスした相手は、同じ学年のエース山下。彼のDFが僕に突っ込んできたわけだから、彼はノーマーク。そして、彼は楽々シュートを決めた。そりゃそうだ、彼はシュートの天才だから。よっしゃー決まった!作戦成功。うれしかったよ。めちゃくちゃ。あの時のパスが忘れられへん。ボールを投げたときのあの感触が、今でも右腕に残ってる。そんな感じで一人で喜びにふけっていると、またしても予想していないことが起きた。
ナイスパス!
チームメイトが僕の元に駆け寄ってきたんです。えっなにこれ!僕、シュート決めてないで。そう思った。でも、みんながハイタッチを求めてきて、ギュってしてきて、なんかわからん、うわーってなって。そして、ライバルの山下からも「ナイスパス!」って。めっちゃ嬉しいやん!みんなが喜んでくれてる!褒めてくれる!僕の存在を認めてくれてる!必要とされている!シュートを入れた人と同じくらい大事にしてくれてる!めちゃくちゃ幸せやった。うれしかったんよ。自分の得意なことで、仲間に喜んでもらえるって、こんなに幸せなことなんやって。
そして、大会での初戦で僕はレギュラーに選ばれました。大会でも、めちゃくちゃ活躍できた。大学の一部リーグ。そりゃ大会ではいろんなことがありました。ですが、チームは社会人チームを倒して全国3位に。そして、僕も関西ベスト10プレイヤーに選ばれました。これには驚きました。点数は山下の方が入れてたんですよ。僕よりも点数を取った人は全国にたくさんいました。でも、僕が選ばれた。相手を抜いてチームのオフェンスの起点になっていたことが評価されたのです。
あの僕がですよ。デブでいじめられっ子で短足で空気読めなくて、ずっと補欠で、大好きなバスケからも逃げ出して、学校でも嫌われ者で、何をやってもうまくいかなかった。あの僕がです。でも、心の中のどっかで「自分は絶対にできる人間」だと信じていました。どんだけ苦しいことがあってもその魂だけは消さずにやってこれた。
スポーツで得たライフスキル
(右端①番)
大学時代のスポーツ経験で、「目標を設定してやるべきことを計画する力」「チームの目標とその中での自分の役割を理解する力」「最後までやり抜く力」「やればできるという自信」など、社会で生きていくための大切なライフスキルを身に付けることができました。
もう学生時代にやり残したことはない(日本代表には、なれませんでしたが)。自分ならどこに行っても活躍できる。就職してからも、そこで絶対にトップをとってやる!僕ならできる!絶対にできる!誰も疑いませんでした。しかし、人生で最も深い落とし穴という名の地獄がそこに待っていたのです。死んでもおかしくないくらい、すべてをへし折られました。よういま生きてるわ。
つづく
MY STORY⑥
このレールの先に、未来はない。
動画でMY STORY⑤を詳しく解説してます^^
ライフスキルライバー
ミスターおかっち
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仮面が剥がれた 人気者の末路【MY STORY④】
▼最初から読む(MY STORY①)▼
スポーツですべてを失った
バスケットボール のおかげで、僕の青春時代は消し去りたい過去になりました。通っていた中学,高校は男子校(今は共学)。「スポーツができる」「おもしろい」が人気者の条件でした。補欠でチームから孤立していた僕は、まさに最下層の位置付け。一番下です。いてもいなくてもいい存在。むしろ、近くにいたら邪魔な存在。そんなランク。そこから抜け出したかった。もうこんなのイヤだった。でも、どうしたらいいんだろう。そして、ここからおかっちの快進撃が始まります。
人気者と同じクラスに
中学3年生のクラス替え。なんとバスケ部のキャプテンと同じクラスになってしまいました。バスケ部ではみんなをプレーで率いるリーダー、学年でもみんなの人気者。そのランキング上位(人気者)のキャプテンと、補欠で嫌われ者の僕が同じクラス。絶対引いてはいけないクジ。引いてしまったのです。「おれ、大けつ(ぼく)と同じかよ。なんか楽しませてくれよな」そのように言われました。部活も同じだから仲良くしないといけない。でも、僕がどう貢献できるだろう。楽しませることができるだろう。考えました。がんばりました。どうやったらキャプテンに楽しんでもらえるだろうって。そして、ある時、見つかったんです。僕の生きる道が。
天然ボケ製造機
そして、僕は言いました。「方程式のことですよね」その瞬間、大爆笑。なにいってんねんあいつ。それ、さっきの数学の話やろ。あほやな〜。「えっ!!」ってまだわかっていない感じの僕の表情に、さらに笑いの渦が巻き起こる。「お前何いうてんねや。もういい。座れ!」先生には怒られましたが、そんなの関係ねぇ。心の中では大きくガッツポーズです。みんなから喜んでもらえたって。目立つことができた。注目を浴びたぞ、って。これが始まりでした。
人気者の階段のぼる
そこから、授業中でもそれ以外でも、とぼけたことを言う天然キャラを演じることになりました。「お前それわざと言ってるんちゃうん!」って言われることもありましたが、半分はほんまに天然です。でも、半分は狙ってましたよ。だってようやく見えてきた光。この道を突き進めば人気者になれるって。学校のトップになれるって。キャプテンにも喜んでもらえる。チャンスなんです。何を言われようが、これを逃してはなるものか。みんなの期待に応え続けました。ボケまくっていたんです。いつの間にか僕の周りにはたくさんの人が集まっていました。
定期的に「大けつリサイタル」ものが、放課後に開催されるようになりました。これは、ダウンタウンのごっつええ感じでやっていた板尾創路のコーナーのパクリです。
僕は歌手。司会者が言います。「今日も大けつに来てもらいました。今週のベスト10は、、、(ドラムロール)」で、僕は答えます。「眼鏡天国」「それでは歌ってもらいましょう。眼鏡天国!」という感じで、僕がアドリブで歌うのです。目の前には20人近くいます。即興でおもろいことを言わないといけない。物凄いプレッシャーですよね。でも、それが大成功。馬鹿みたいにウケました。テープにも録画され、販売したら売れるんちゃう!そんな話まで、出てきました。
そして、なんと、学校の文化祭でコントをすることに。誰もが憧れる最高の舞台ですよね。それがめっちゃくちゃ受けてしまって、とうとう学年トップのおもろい人間として、みんなから認められました。学年トップにおもろいということは、学年トップの人気者ということを意味します。たくさんの人から注目されて、たくさんの人から話しかけられて(ネタを振られる)、たくさんの人が僕の周りに集まってくる。これだ!これが僕が求めていたことだ!有頂天でした。今まで頑張ってきた甲斐があった。ようやく僕の時代がきた。しかし、その反面、プレッシャーはとても大きかったのです。
頂点を取ったプレッシャー
(右下 中学卒業式)
頂点にいる人のプレッシャーがわかりました。この地位を失いたくない。誰にも必要とされないあんなポジションには戻りたくない。少しずつ怖くなってきました。いつまでこんな天然キャラが通用するんだろう。まだ中学3年生。エスカレーター式の学校なので大学まであと9年間、みんなと同じ。
周りの期待はどんどんエスカレートしていきました。「なんかおもろいことやってや」「大けつベスト10やろうぜ」いつでもどこでも面白いことを言うことを求められ、みんなの期待に応えることを求められる。スベるとこう言われます。それおもんないわ〜!最近おもんなくなったな〜!この言葉は、聞きたくない。そんなこと言わないでくれ。僕の元から離れないでくれ。
高1になってもう嫌になりました。みんなが求めることに応えるのが苦しくなったのです。そして、なんかムカついてきました。なんで僕がいつもおもろいことを言わなあかんねん。頑張っておもろいこと言っても、あたりまえのように思ってるやん。そして、スベったらひどいことを言う。自分勝手すぎるぞ。僕は学年で一番の人間やねんぞ。お前らの言うことなんかもう聞かない。そして、僕はおもろいことを言わないようになりました。
「期待に応える」を
辞める
でも、バスケ部だけでは頑張りました。そこではおもろいことを言ったり、やったり、必死で努力しました。この場所が無くなったら、本当に僕の居場所が無くなってしまうからです。しかし、そのバスケ部も高2の夏に辞めることになりました。これで、正真正銘、僕の居場所がどこにもなくなりました。
でも、不思議と気持ちは晴れ晴れしていました。覚悟が決まったというか、あとがないというか。背水の陣です。こっからはみんなの顔色を伺ったり、期待に応えたりするのはやめよう。求められる自分を演じるのはやめよう。そのまんまの自分を出していこう。
誰かに嫌われても
みんなが離れていっても
周りが求めるまま
動くのはやめよう
そのままの自分で生きるんだ
残りの学生生活は、人気ランキング最下層にいましたが、自分とつながることを大事にしました。できるかぎり本音で。また、結果を出すことはできませんでしたが、結果を出すために大切なことは、理解することができました。
そして、そんな僕もいよいよ大学生です。ここで結果を出さないと、社会で成功できない。これが最後のチャンスです。これまでの経験を生かして、次こそは自分らしく輝いて結果を出すぞ!この大学生活で、僕は人生においてとても大切なスキルを手に入れました。
つづく
MY STORY④
ナイスパス!その一言が人生を変えた。
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大好き!だから、辞めます。【MY STORY③】
▼最初から読む(MY STORY①)▼
再スタート
僕のことを知る人は誰もいない。ここから新しい中学生活を最高に楽しむぞ。夢と希望を胸に膨らませて、入学式が来るのを待ち望んでいました。自分の中には確かなものがありました。「あの時、あんなことを言わなかったら、いじめられることはなかった。人気者のままだった」って。それが大きな間違いだったんですね。僕がいじめられたのは、あの事件が起きる前からの相手の気持ちを考えない迷惑な発言と行動だったんです。自分勝手な表現が周りの人を遠ざけていたんです。そのことに、まったく気づいていませんでした。
学校が始まり、念願のバスケットボール部に所属。元々、スポーツは大好きだったんです。小学校の時にもバスケ部に入りたかったのですが、僕をいじめていた中心人物がいたので、泣く泣く漫画部へ。まぁいい。受験に合格することが最大のミッションでしたから。そして、今はエスカレーターに乗って、成功の切符を手に入れました。受験戦争はもうしなくていい。大好きなことを好きなだけ打ち込める。
バスケットボール部へ
選ばれない悔しさ
自分が成功するイメージがまったく描けませんでした。努力しても結果には結びつかないって思っていたし、周りの人から何か言われると、自分の気持ちをひっこめたりして。そのままの自分を出して否定されるのが怖かった。だから、自分が失敗して馬鹿にされるようなことは避けました。
それは、自分が苦手なことややったことがないことには、手を出さないということ。走るのが遅いから走る練習はしない。ジャンプ力遅いからジャンプしているところを見せない。練習の中でも100%成功することしかやらない。こんな選手になりたいっていう目標はなく、とにかくみんなに馬鹿にされないように嫌われないように、自分を抑えてプレーしていました。そんな状態では、スポーツは上達しませんよね。どれだけ練習しても試合に出してもらえませんでした。いわゆる補欠です。
うまくなりたい
でも、傷つきたくない
試合に出れなかったことは悔しかったです。練習は誰よりもやっていたはずなんです(好きな練習しかやってませんでしたが)。朝早く家を出て誰もいない体育館で練習しましたよ。数え切れないくらいシュートを打ちました。でも、「失敗して馬鹿にされて傷つきたくない」「本気でやってうまくいかなかったら自分の存在が消えてしまう」そのような自己肯定感の低さが、バスケットボールに大きく影響しました。
また、小学校時代の影響で人とコミュニケーションするのが下手くそでしたので、そのままの自分を出さずに周りの顔色をずっと伺っていたように思います。相手が本当に何を求めているかを知ろうとせず、本音を出さず、言いたいことも言わず、感情を出さず、みんなの期待する僕を演じていた。着飾って。背伸びして。チームの中でも孤立していきました。
試合に出れないことよりも
試合に出れないことを
知られることが辛かった
高校に入ってもバスケを続けることにしました。試合に出れなかったけど、やっぱり好きだったから。続けたかったから。でも、そこでも自分がやりたくないことや苦手なことからは逃げて、チームのことも考えず、周りのことも考えず、自分がやりたいことだけを練習していました。チームが自分に求めていることも聞かず、ただひたすら自分がやりたいことを。
ドラゴンボールスタイルで足首に重りをつけて生活をしたり、家に帰ってからもランニングしたり、レギュラーになりたいって気持ちは強かったので、努力だけはたくさんしました。ただ、相当身体に負担がかかっていたのでしょう。腰が動かなくなりました。椎間板ヘルニア、そのように診断されました。高校1年の冬でした。
補欠の言い訳
人間は腰が壊れたら、本当になにもできないのです。歩くことも困難で、くしゃみの度に地獄の苦しみを。もちろん練習には参加できません。見学しながらドリブルの練習をしたり、みんなの得点をつけて試合のサポートをしたり。でも、不思議と気持ちは落ち着いていました。不安というよりも安心感が強かった。僕は怪我をしているから試合には出れない。本気でやっていないからレギュラーになれない。自分が試合に出れないことの、良い口実ができました。もしかしたら、その時に一番求めているものだったかもしれない。
でも、こんな姿だけは弟に見られたくない。4つ下の弟も僕と同じ私立中学に入学を希望していました。もし合格したら、僕が試合に出れずに補欠であることがバレてしまう。学校でも目立たない存在として孤立していることを知られてしまう。弟が勉強を頑張ってるのは知っているけど、こんなみじめな自分を見られたくない。
はっきりと覚えています。神社までランニングして、お賽銭箱を目の前にして五円をチャリン。いまこの時に、なにを願うか?とても良くないことが頭をよぎりました。「弟が不合格になりますように」。それだけはあかん!頭をブルンブルン振って必死に打ち消しました。「頑張ってる弟が合格しますように」って。ちゃんと祈れました。ちゃんと願えました。その時の自分に大きく拍手をしたいです。本当に追い詰められていました。大切な家族に、自分のいけてない姿を見られたくない。それだけは絶対にいやだ。耐えられない。
弟との比較
予想していた最悪の事態です。腰はもう治っている。言い訳ができない。試合に出れないどころか、下の学年の子にも抜かれています。だから、上手くなることよりも、言い訳を探すことに必死でした。試合に出れない言い訳です。腰の痛みが再発をしたフリをすることに(少しは痛かったんですよ)。でも、僕もそこまで馬鹿じゃない。こんなことを続けていたら、上達しない。1週間で練習に復帰しました。そして、しばらくしてから中学生と練習試合をすることになりました。
弟は入部3ヶ月で頭角を現し、北河内選抜に選ばれることになりました。バスケ部のメンバーの中でも、期待のエースとして注目されています。その兄貴は、、、みんなが僕を見ます。でも、僕はコート上にはいません。得点をつける係です。弟はコート上で大活躍。活躍してほしいという気持ちと失敗してほしいという気持ちと。とにかくこの時間が早く過ぎ去ることを願っていました。「お前の弟めっちゃうまいやん!将来大活躍するよ!」尊敬する先輩から褒められました。大好きな先輩。なんと返したらいいかわかりませんでした。劣等感と絶望感が最大値に達しました。もうダメや。
大好き
だから辞めます
決めました。バスケットボールから離れることを。辛かった中学受験を乗り越え、ようやく見つかった大好きなこと。夢中になれること。それがバスケットボール でした。心から言える。世界で一番大好きなこと。だからこれ以上続けられない。この気持ちはわかりますか?どれだけ頑張っても、誰にも認められない。選んでもらえない。先輩からも馬鹿にされ、同じ学年のメンバーからもいいように使われ、下の学年の子のためにボール拾いをする。
好きな人からずっと振られ続けるような。自分は頑張ってもうまくいかんねや。成功しないように運命によって決められてるんや。大好きだからこそ、全てのエネルギーを注いできたからこそ、認められないことが苦しかった。屈辱、無力感、劣等感、絶望。どん底にいる感覚。これが世にいう地獄なのか。こんな情けない姿を弟だけには見せたくない。高校2年の夏でした。やめさせてください!
人生のすべてだったバスケットボールを失い、残ったのは魂のない抜け殻のワタシ。夢がない、居場所もない、なにをやってもうまくいかない。自分という人間に、絶望していました。そして、絶望がさらなる絶望を呼ぶことになりました。なんと学年一の人気者になってしまったのです。
つづく
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