呉秀三と無名の精神障害者たち | 第一経営グループ代表 吉村浩平のブログ

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先週の金曜日に、全国の共同作業所などの連絡会としてつくられた「きょうされん」40周年を記念するドキュメンタリー映画「夜明け前」をみる機会がありました。この映画は、きょうされん40周年記念と同時に、呉秀三がその実態調査の書物「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察」を世に出して100年という節目で作られたということです。

 

明治・大正の時代にあって、精神障害者に対する「座敷牢」の実態を調査し、精神障害について病気という認識を持たないままに、人間性を無視した扱いをしている問題を指摘し続けた、呉秀三という一人の医者の存在を初めて知りました。「座敷牢」という言葉、改めて言われないと忘れている言葉ですが、専門的には「私宅監置」というようです。

 

ところが映画の最後の方で、相模原の「津久井やまゆり園」の元職員による大量殺戮事件が新聞記事のタイトルで紹介されていて、その場面に思わずハッとしました。私はあの悲惨な事件と私宅監置との結びつきについて、情けないことに当時は気がつきませんでしたというか、その視点で深く考えることをしませんでした。

 

もっぱら加害者の「優生思想」の問題を中心に見ていましたが、言われてみると、あの事件の時に被害者の名前が公表されないことについて、それが家族の意向というような情報が確かにありました。障害者の存在そのものを知られたくなくない家族からのメッセージがあったということでしたし、それは現代の私宅監置が「津久井やまゆり園」という施設に置き換えられている面があるということなのでしょうか。私が気にしていなかっただけで、それは過去の言葉ではなかったのです。

 

さらに言えば、つい最近、農林水産省の元事務次官による長男殺害という事件がありました。元次官に息子がいるということを知らなかったという、周囲の人たちの声が紹介されていました。もちろんその息子の場合は障害者であったということは言われていませんし、また「監置」ではありませんが、事件の直前まで社会と断絶した息子の一人暮らしを、親が経済的に支えていたということです。

 

元次官が息子の引きこもりや家庭内暴力を、あくまで家族の問題として外に出さず、一人苦悩していたことだけは確かで、その結果の事件でした。同列に論じることではないかも知れませんが、一つ言えることは家族の問題としておくことの危険さと、家族が逃げるわけに行かないことを周りが理解する必要を思います。

 

この映画の監督は今井友樹さんという方で、それまでは主に地方のお祭りなどのドキュメンタリー映画を撮っておられたという1979年生れの若い監督です。今回1時間の上映後に20分余りの時間をとって、自分がこの映画に関わることになったキッカケや、撮影にまつわる幾つかのエピソードなどを話されました。

 

最初は自分には無理ということで固辞をされていたそうなのですが、日本障害者協議会会長で、きょうされん専務理事である藤井克徳さんと話をしていて、「差別の反対は無関心」という藤井さんの言葉に押されて、この映画製作を引き受けられたということでした。

 

取材で今も座敷牢のあとが残っているという沖縄に行き、そこで土地の方と話をされたそうです。ところが自分が熱っぽく映画への思いを語れば語るほど、相手の心の底にある苦悩とのギャップを思い知らされ、ついに現場を撮影することが出来なかった、辞退したという話は、とても印象的でした。

 

この映画をみて「差別の反対は無関心である」ということの意味を、自分なりに考えなければと思いました。いまの世の中、日々膨大な情報が押し寄せてきますが、センセーショナルな事件の表面的な事象に流されるのでなく、その本質を知ろうと思う意識を持ち、理解の範囲で発言することが大切なんだろうと思います。

 

どんな形であれ関心が高まる中で、差別の背景にある傲慢な「優生思想」が議論され、そしてまた、力づくで弱者を抹消した後に残るもの、新たに生まれるものがあることの気づき、グローバルで多様な人間社会の大切さを考えるキッカケになれば良い思いました。