小説家の方はどうされているんだろうか。 | DAG DANCE studio.

今日は3月のダンスステージの振り入れ稽古日。

スローナンバーの日でした。

 

(こちらは2019年の舞台のもの)

 

いつも振り写しする時に「ここはこうで」と、ダンス的技術とは関係のない背景などを説明するのですが、これがな、、、といつも思います。

 

だって実際にそれを実体験したわけではないから。

けれど、その世界の背景を説明する。

似たような体験をしたことがあったとして、しかし実際にその時代に生きたりしていないのに説明してる。

一生懸命する。

 

でも、これなー、、といつも思います。

ニュースなどで何かが報道される時、「結局、当事者にしかわからない」というところはどうしてもあります。

 

ニュースで明日の1/17が阪神淡路大震災が起こって25年目ですと流れました。

そこで、当時を体験された方がそういったお話しをされていました。

 

 

 

「体験したことしか話したり表現したりしてはいけない」なんて規則はありませんが、自分が何かを表現したり形にしたいと思った時は、それを実際に知ったり体験している人も見てくださる可能性が十分にあることは忘れてはいけないな、と思っています。

 

その時に「そういう時って、そういう感じじゃないんだよね」という感想だけが残らないよう

 

 

小説書かれている方ってその辺りはどうなっているのだろう。

小説読んでいて「そういう時ってそんなふうに言わないもんですよ」って思わないのに、ダンスだとそう思うことがある気もします

 

説明できる量が違うから?

いやー そういう問題でもない気もする。

頭の中でそれぞれの人のいいようにイメージができる「文章」と、実際目に飛び込んでくるダンスは違うから?

これも違う気がする。

 

 

明日は別のスローナンバーの振り入れ稽古。

踊れることを楽しみつつ、今回ご一緒できるメンバー皆とどういう瞬間が作れるかをたのしんできたいと思います。

 

 

明日も目の前の全てをたのしんで!

それではまたあした