もう他へ変わろうと姉と話してた。この間二度ほど福祉へ相談に行った。

そん頃、夜中に高熱を出した。施設に電話したら、いつも親身になってくれてるヘルパーさん「看護師さんに電話してみ、心配やろ」と。真夜中にも関わらず、飛んで来てくれた。39度からの熱。氷枕を施設に取りに行ってくれた。多分誤嚥性肺炎だろうと。明日、先生に来てもらいましょうと。看護師さんが帰った後、母が震え出した。冷た過ぎたみたい。慌てて外した。

翌日先生に診てもらった。誤嚥性肺炎。でも肺の音は大丈夫だと。

もう食べれなくなってしまった。

2週間の点滴。

その後はどうするのか。水分も摂れない。

看護師さんは、その後自然に…2週間くらい…でも一ヶ月くらいの人もいると言った。兄が「水分も何も摂らんと一ヵ月ももつわけないやろ、水分摂りよんやろ💢」と怒っていた。そらそうだ。看護師さんの言う事だからと鵜呑みにしていた。

自宅介護は自然に…と言う事。でも、笑うし手は少し動くんです。なのに点滴もしないなんて見殺しにしてるようで耐えられない。弱って行くのを見てろと言うのか。

姉と兄と話し合い、点滴をお願いした。

又それが気に食わなかったみたい。

仕事中にケアマネが来て「点滴を続けたいと言うのはお兄さんがどうしても言うわれたからですか?」とかなんとか言って来た。その言い方にカチンときて「まだ笑うし手も動くのに、見殺しにしてるみたいやから、そんな事…」と。

なんとか点滴を続けてもらう事に。

点滴は病院まで取りに行く事になった。

施設の人に取りに行ってもらうには一回5000円もかかる。

ある日、点滴が漏れて手がパンパンになっているので電話。帰りかけていた良くしてくれる看護師さんが来てくれた。

色々あったけど、近いし、夜中に来てもらったり、こうして直ぐ来てくれてやから、もうここで良えかぁと話してた。

でも、帰りかけていた看護師さんに来てもらったのが気に食わなかったのだろうか、翌日に突然ケアマネと看護師の責任者がやって来た。姉と「何?何事?」と。

点滴の針が入りにくくなっていると。

「これから浮腫も(浮腫はまだ出てはいない)始まると思う。」「これこら痰が絡まり出したら、痰を取る機械が無いんです」とか。病院に入院させるとか。でも入院したらもう帰ってこれないとか。先生だけを変えるとか。退院後はこちらでとか。何を突然言い出すのかと。小規模多機能に痰を取る機械が無いなんてあるのか?私は見たぞ。そして、看護師さんが「医療体制が整っていないので自信がありません❗️すみません❗️」と、頭をぺこりと下げた。私と姉は言葉を無くした。「ご家族で相談して」と。

あぁせっかく、色々あったけどもうここでお願いしよかと決めた矢先やのになぁ、切り捨てられたみたいやなぁと姉と話した。

病院で看護師さんをしている友達に相談したら、自分が親がお世話になった良いケアマネさんを知っていると直ぐに連絡をとってくれた。

話はトントン拍子に進んだ。

先生はそのままとなった。

次へ。



自宅での介護が始まった。

もう怖くて施設には預けられない。

朝のオムツ替え、前日からエンシュアをゼリー状にしていた物を朝昼晩と食べさせる。お昼は休憩に帰った時に、自分も昼食を摂りながら母に食べさせる。

ヘルパーさんは一日に一回だけオムツ替えに来てくれる。食介は週に一回だったか。

一週間に一度の清拭。

ジャンプーもしてもらう。

でもいつの日か、パジャマの背中部分がベタベタ。「何これ!?」全く動けない母の着替えは慣れていないので一苦労。

施設の看護師さんに伝える。

私はこの施設で昼食の盛り付けの仕事をしている。数日してから仕事中に、看護師さんがそのヘルパーさんに伝えてる「ちゃんとしたんですけどね…」中々認めないなぁと、耳がダンボ〜「着替えは清拭の後にした?」、「あっ、先に着替えました」、「それはダメやわ!」そんな会話。

ヘルパーさんが涙目で謝りに来る。「冬だったら肺炎でも起こしたら大変やからね」と、優しく言う。

又違う日には新しく入って来た看護師さんが清拭をしてくれた時には、ベットの頭部分を外したまま。吸い口のキャプが無くなってる。パッと見た瞬間、やりっぱなしで帰ったように見えた。

ベットの下に新聞紙を入れた段ボール箱を置いていた。ベットを下まで下げて潰してる。う〜ん、下見ないのか。

真冬に母の足の下に冷たい座布団を二つ折りにして置く。ただでさえ冷え性なのに、足が氷のように冷たくなってる。毎回摩る。電気毛布してるんだからその下に置くとか他に方法があるだろうに。毎回摩るのも辛どいので、ベットの事と座布団の事と、そうそう台所に入らないで下さいとお願いしていたのに、新しい人が入って来る度に台所に入る。何回同じ事を言わせるのか、その事とを箇条書きにしてテーブルに貼っておいた。中でも良くしてくれる看護師さんがそれを見て「こんな事を利用者さんにさせるのんて、本当に申し訳ないです」と。暫くしてケアマネが来た。気に食わなかったみたい。足を上げとかないと行けないからと言う、それはわかっている。いくら口も聞けない身体も動かせないからといって、寒いものは寒いはず。置き方を考えて欲しいと。

ベットを一番下まで下げないで下さいとお願いしたら「以前働いていた人が、家に帰ってから、ベットを下げたかどうかがすごく気になって気になってそんな人が居たんです」、えっ、だから?今いないんでしょ?

「下まで下げないといけないんです、落ちると困るから、でも〇〇さんは動けないから落ちる心配はないですけど」、う〜ん何が言いたい〜

結局、無理矢理置き場を作って移動。

箇条書きした紙を、自分で作り直して持って来た。

それまでにこのケアマネは私の顔を見るたびに「ギリギリまで我慢しないで下さいよ、早目に言って下さいよ」と、何度も何度も。でも我慢するですよね。

段々と色々な事で疲れてしまった。

姉が「食介を増やしてもらったらは?」と言うので、考えた末に看護師さんが来てくれた時に言ってみた。そしたら、仕事中にケアマネが私の所に来て「そんなに辛どいですか⁉️」と、言って来た。辛どいからお願いしている。あれだけ我慢しないでと言っておいて。「食べれる時と食べれない時がある」、それは何度も何度も他の人から何人からも言われた。仕事中に延々と喋られて段々どうでもよくなって「良いです良いです、今まで通りで」と言った。

そしたら翌日、仕事中にやって来て「そしたら、食介とオムツ替えは夕方も行きますけど、日曜日は頑張って下さい」と言われた。もういいですと言ったのに。それなら最初から心良く言ってくれれば良いのに。

そして又別の日、休憩に帰って来たら、母が凄く咽せていた。朝はそんな事無かったのに。今日はあの新しい看護師さん。休憩終わって仕事場に行った時、ちょうどいたので「凄い咽せてたんやけど、咽せませんでしたか?に」と言うと、「いいえ」と、「朝はそんな事無かったのに」と言うと、「最後に食べさせたのが…やろか」と、笑って言った。ハァ〜もうむちゃくちゃだ。

それからよく咽せるようになった。

あまりにも酷いので、福祉に相談。

先生はそのままで施設を変わるのはと。

次へ。

一昨年の十月頃、一ヶ月に3ヶ所の病院へ検査に。あの頃の事の記憶が定かではありません。私の精神状態も普通では無かった。母にどんなに詫びても、どんなに後悔してももう遅い。思い出す度に胸が詰まります。

ある朝、いつまでもご飯を食べているのに腹が立って、「いつまで食べよん、間に合わへんやんか」と、大きな声で怒りましたショボーンしばらくしたら、母が固まって動かない。慌てて施設に電話。なんとか抱えてベットへ。私のせいだ。私が怒ったからだ。もうどんなに後悔してもしても…

その後の事をよく覚えていない。

この後だったか、一ヶ月に3ヶ所の病院に行ったのは。

施設の人が、私も疲れているだろうと泊まりを入れてみたらと。少し不安だったがそうする事に。でもこれが大きな間違いでした。翌日電話があり「お母さんがもどされました」と、えっ、家では一度ももどした事無いのになんで?ごはんの後にベットに…なんかよくわからなかった。

そして、その2日後がお風呂の日でした。

又電話が。「またもどされまし」と。なんで?お風呂の後に…と、またよくわからない答え。そのまま泊まりにと言われたれけれど、怖くて。

その後から自宅でと言う事になったと思います。

家に先生に来てもらわないといけない。

食事も出来ず、点滴をしないといけないので、先生がかかりつけの先生に点滴を出してもらうよに、確かそうだったと思います。一ヶ所目の病院、かかりつけの病院。自宅介護にする事も話さないといけない。姉や兄が帰って来なかったなで、施設の看護師さんが付き添ってくれた。この時姉が居てくらたら、又話しは変わっていたのかも知れない。

車椅子が乗る車で母は病院へ。私は先に行って待ってました。そしたら、ぐったりしてる、なんで?聞いたら「もどされました」えっ、また?病院の看護師さん達が、「どうしたん?」と、びっくりする程。

かかりつけの先生はとても優しい先生。

「1週間か2週間か入院して、ごはん食べられるようにリハビリしてから帰ったらと思うけど」と。付き添ってくれてた看護師さんが「うちにも看護師居るので、こちらでしてはダメですか?」と。「良いですけど…今日は点滴して帰った方が良い」と。

審査室から出て、自宅介護と決めていたけど、やっぱり先生が言われるように入院してリハビリしてもらった方が良いのでは無いかと。施設の看護師さんが連れて帰るのが納得いって無い事がわかったのか「今やったら間にあうよ」と。「でも、もうリハビリとかの段階では無いと思う」と言われました。えぇ、でも先生が…。

とにかく姉と兄に相談してみると、姉に電話。兄は仕事で連絡取れず。

姉は「そんな急にどうしたら良えんかわからないわ、コロナ禍やし、入院したら会えなくなるし、それが母にとって返って悪い方になったら…」と。でも、「今待っとんや、直ぐに言わんと、もうそれやったら連れて帰るで」と。

点滴をしてもらって連れて帰る事に。

点滴の間、先生にご挨拶だけはしたくて。

「コロナ禍やし、会えなくてなるしね…いつでも相談に来てもらったら良いから」と。涙が止まらなかった。

先生の診察時間が終わった後、点滴をしている母の所へ来て下さり、優しい言葉をかけて下さった。本当に優しい先生でした。

点滴が終わったのはかなり遅くなった。

車椅子が乗る車で迎えにケアマネが来てくれた。先に家に着いて待っていたら、施設に車を止め、車椅子を押して家の玄関前の段差に上がる時に激しく揺さぶった瞬間に母がもどした。あっ、これだっ!!こんな手荒な事をしてたから、度々もどしてたんだ!!なんと言ったと思いますかはてなマーク「車に酔うたったんかなぁ」、違うやろパンチ!

早く帰りたかったのは、それは本当申し訳ない。でも、こんな段差くらい、私でも揺さぶらずに上がれる。あまりにも雑。

あぁ、こんな風に雑に荒く扱っていたからなんだとはっきりとわかりました。

首がぐらぐらなのに、支えるのも何も無し。思わず支えるのを付け欲しいとお願いもした。

自宅での2週間の点滴。

少し細かく刻んだお昼の食事を持ってヘルパーさんが来た。これちょっと大きく無いか?次々に口に掘り込む。大丈夫かと思いながら、よく食べてるなぁと思い、「私やったら、こんなによう食べささないわ」と。ヘルパーさんが帰った後、入れ歯を洗おうと外したら、なんと上の入れ歯の内側にびっしりと。全然飲み込めて無かった。危ない、怖い、これが喉に詰まってたらと思うとゾッとした。

それからだったかエンシュアをゼリー状にして食べだしたのは。

次へ。