一昨年の十月頃、一ヶ月に3ヶ所の病院へ検査に。あの頃の事の記憶が定かではありません。私の精神状態も普通では無かった。母にどんなに詫びても、どんなに後悔してももう遅い。思い出す度に胸が詰まります。
ある朝、いつまでもご飯を食べているのに腹が立って、「いつまで食べよん、間に合わへんやんか」と、大きな声で怒りましたしばらくしたら、母が固まって動かない。慌てて施設に電話。なんとか抱えてベットへ。私のせいだ。私が怒ったからだ。もうどんなに後悔してもしても…
その後の事をよく覚えていない。
この後だったか、一ヶ月に3ヶ所の病院に行ったのは。
施設の人が、私も疲れているだろうと泊まりを入れてみたらと。少し不安だったがそうする事に。でもこれが大きな間違いでした。翌日電話があり「お母さんがもどされました」と、えっ、家では一度ももどした事無いのになんで?ごはんの後にベットに…なんかよくわからなかった。
そして、その2日後がお風呂の日でした。
又電話が。「またもどされまし」と。なんで?お風呂の後に…と、またよくわからない答え。そのまま泊まりにと言われたれけれど、怖くて。
その後から自宅でと言う事になったと思います。
家に先生に来てもらわないといけない。
食事も出来ず、点滴をしないといけないので、先生がかかりつけの先生に点滴を出してもらうよに、確かそうだったと思います。一ヶ所目の病院、かかりつけの病院。自宅介護にする事も話さないといけない。姉や兄が帰って来なかったなで、施設の看護師さんが付き添ってくれた。この時姉が居てくらたら、又話しは変わっていたのかも知れない。
車椅子が乗る車で母は病院へ。私は先に行って待ってました。そしたら、ぐったりしてる、なんで?聞いたら「もどされました」えっ、また?病院の看護師さん達が、「どうしたん?」と、びっくりする程。
かかりつけの先生はとても優しい先生。
「1週間か2週間か入院して、ごはん食べられるようにリハビリしてから帰ったらと思うけど」と。付き添ってくれてた看護師さんが「うちにも看護師居るので、こちらでしてはダメですか?」と。「良いですけど…今日は点滴して帰った方が良い」と。
審査室から出て、自宅介護と決めていたけど、やっぱり先生が言われるように入院してリハビリしてもらった方が良いのでは無いかと。施設の看護師さんが連れて帰るのが納得いって無い事がわかったのか「今やったら間にあうよ」と。「でも、もうリハビリとかの段階では無いと思う」と言われました。えぇ、でも先生が…。
とにかく姉と兄に相談してみると、姉に電話。兄は仕事で連絡取れず。
姉は「そんな急にどうしたら良えんかわからないわ、コロナ禍やし、入院したら会えなくなるし、それが母にとって返って悪い方になったら…」と。でも、「今待っとんや、直ぐに言わんと、もうそれやったら連れて帰るで」と。
点滴をしてもらって連れて帰る事に。
点滴の間、先生にご挨拶だけはしたくて。
「コロナ禍やし、会えなくてなるしね…いつでも相談に来てもらったら良いから」と。涙が止まらなかった。
先生の診察時間が終わった後、点滴をしている母の所へ来て下さり、優しい言葉をかけて下さった。本当に優しい先生でした。
点滴が終わったのはかなり遅くなった。
車椅子が乗る車で迎えにケアマネが来てくれた。先に家に着いて待っていたら、施設に車を止め、車椅子を押して家の玄関前の段差に上がる時に激しく揺さぶった瞬間に母がもどした。あっ、これだっこんな手荒な事をしてたから、度々もどしてたんだなんと言ったと思いますか「車に酔うたったんかなぁ」、違うやろ
早く帰りたかったのは、それは本当申し訳ない。でも、こんな段差くらい、私でも揺さぶらずに上がれる。あまりにも雑。
あぁ、こんな風に雑に荒く扱っていたからなんだとはっきりとわかりました。
首がぐらぐらなのに、支えるのも何も無し。思わず支えるのを付け欲しいとお願いもした。
自宅での2週間の点滴。
少し細かく刻んだお昼の食事を持ってヘルパーさんが来た。これちょっと大きく無いか?次々に口に掘り込む。大丈夫かと思いながら、よく食べてるなぁと思い、「私やったら、こんなによう食べささないわ」と。ヘルパーさんが帰った後、入れ歯を洗おうと外したら、なんと上の入れ歯の内側にびっしりと。全然飲み込めて無かった。危ない、怖い、これが喉に詰まってたらと思うとゾッとした。
それからだったかエンシュアをゼリー状にして食べだしたのは。
次へ。