介護施設移動の続き^_^31-4-12〜4-14 | Haragurokoalaのブログ

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4月12日の、東京文京区の介護施設移動、続き。

新たな施設は、「特別養護老人ホーム」だといふ。

カイゴ施設には、いくつもあって、どこがどう違うのか、複雑怪奇。

施設には、無数の役割があり、医療と介護、さらに管理者、事務方、医師、看護士、介護士、栄養管理士、調理配膳、クリーニング清掃、施設設備維持、デーサービス配車送迎などなど、そこに、地域を管轄するお役所が関与してくるから、複雑なシステムになってしまふ。


入居する迄も、区役所や、支援センター巡りで苦労するが、この入居当日は更に大変。

時間がいくらかかっても、足りないくらいだった。

田舎の高校同級生が母親の介護施設への選定移動で疲れ果て、翌日寝込んでしまったと聞いていたが、それを実感した。

さて、午前中に手荷物の移動をあらかた済ませた叔父と私は、昼飯を食べる時間が無いことに

気づく。従兄と老健で会う予定時刻は12時半。

 

「俺は、昼飯などいらん、後でどこか、、、」と言って、スタスタ老健に向かう叔父に、近所のコンビニの場所を教えてもらい、T大TOK門をくぐる。12時のお昼時で、ずらっとレジ前に行列が出来ているのを横目に、海苔巻きとお握りをゲットし、老健に戻る。その1階ロビーで昼飯をパクついているところへ従兄が現われ、移動打ち合わせの確認をする。

 

介護タクシーに初めて乗ったが、それだけでも、書くこと多過ぎるので割愛。

14時から、関係者全員がテーブルを囲んでミーティングがあった。

家族側からNR子さん、その夫叔父、従兄、私の4人。施設側から、事務管理責任者、看護、介護、リハビリ担当の整骨士ともう1人の5名が一同に会して、まず各々自己紹介となった。

家族側が済んでから、施設側になり、担当内容説明に質問、応答と続く。

前居た老健と異なるのは、衣類の洗濯。今までは叔父が週2回洗濯物を持ち帰り、自宅で洗濯乾燥させ、それを一枚ずつ畳んで紙袋に入れて老健に届けていた。新しい所では、全て施設が管理する。すなわち、業者に外注するので、衣類総てに番号と氏名を記入、黒っぽい衣類には布で縫い付けることが必要となる。

リハビリ関連では、関節の拘縮予防が主体であって、変形している両手IV指への対策を質問したが、施設内の100名を担当しているからと言って、暗に個別の特別対応は不可と言われた。

看護介護からは、車椅子での褥瘡予防マットについては、個別に家族側で用意するようにとのこと。

現在の服薬内容と、採血検査データが初めて示された。

採血検査データには問題ないが、服薬内容について、薬理に詳しい従兄もその内容分量に不安を持ち、後日、施設の担当医(月1回の回診)と相談したほうがいいだろう、といふことになった。

 

これだけで15時過ぎまでかかり、NR子さんの体調が不安だったが、幸い苦痛の表情は無く、なんとかキープ。ようやく開放されて、自室に移動した。


ここ3階から、1階へ家族側の叔父、従兄、私と、事務総括主任のTDさんは移動するが、その前に8階の施設へと案内された。そこは、家族との面談スペースで窓外のサンデッキには花や植木がきちんと手入れされ、丘の中腹から展望できる風景は素晴らしかった。


そして1階の面談室。ここでさらに2時時間ほど、書類の山と格闘することになる。

それぞれTDさんから丁寧な説明あり、その都度叔父が記入した。

叔父は年月日や記入箇所で記入ミス2箇所ほどあるも、契約書類など何枚も書き、捺印していた。ただ座っているだけでもクタクタとなる契約手続きだった。