昨日の4月12日、金曜日は朝晴れてはいたが、寒気団の接近で都心でもマフラー、コートが欲しい気温だった。
物忘れが急に出始めた叔父が気がかりで、前日に泊まり込んだ私は、半袖シャツにチョッキとカーディガンのまま本郷からバスに乗った。
この日は13時に介護タクシーが迎えに来るので、それまでに足掛け4年いた老健の衣類や細々とした荷物、さらに支払いや書類手続きを済ませなければならない。
これまでは、ともかくも10歳年上の従兄が手配してくれて、12時半にTOKの老健集合となっていた。
が、予定通りになどいかない。
元銀行員の叔父は、9時頃になって、突然外出の支度を始め、10時のどこそこ支店銀行に行くと言い出した。台所で焦げ付いたフライパンをゴシゴシ洗っていた私は、慌てて支度をし、マフラー・コートも用意する間もなく部屋を出た。
都のバスに乗るのは、何十年ぶりだろうか、都電が走って頃の記憶しかない。お金がいくらなのかも知らなかったが、叔父はさっと210円を私に手渡した。こうした気配りはできるのに、通帳や、カード、印鑑の管理は、もう出来なくなっている。
叔父は高齢者パス持参で、さっさと乗り込み、私はあとを追いかける。あっという間に広小路に着く。
叔父は勝手知ったる横丁の小径をさっさと進み、交通信号も無視して某BKのビルに入る。どうやら前日ここで現金を引き出そうとしたが、印鑑が違うといわれて出直して来たようだ。
フロアーの係員が気づいて、案内してくれたが、その手続きの面倒なこと。
たっぷり待たされて、窓口に行くとまた昨日と同じ印鑑を使ったので、書き直し。印鑑入れにあったもう一つが該当するらしいのでそこで捺印。間違えないようにその場で印鑑にテープでメモを貼りつてようとするが、窓口のねーちゃんは素っ気なく無言の二ェット??。私がセロテープぐらいならあるでしょうと言うと、渋々差し出した。付箋のテープくらい融通利かせるのが普通の対応だと思ふけど、呆れて・・・・・・。
ともかく、こっちが叔父さん用、もう一つがNR子さん用と区別できるようにした。
こうして、支払い用の現金を封筒に入れて、叔母のいる介護施設まで坂道を上っていく
従兄弟は支払いはお昼過ぎでいいといっていたが、叔父としては早めに済ませておきたかったのだろう。
この日は、足かけ4年ほどいた施設から、道路を挟んで南側にあるナントカのサトといふ老人ホームへ引っ越しする日。3年ほど前から従兄弟が手配し申し込んでいて、ようやく順番がきたとのこと。
前日従兄弟は、部屋のロッカー内にあった衣類の殆どは運んであるとのことだったが、まだ一残り衣類などあり、ベッド脇のテーブル引き出しにも小物やら何やらある。
それらを、予め持参したバッグに入れると4袋にもなった。後の小物は介護タクシーで運ぼうとの見積もりし、せっせと荷造り。私と叔父は、夜逃げスタイルでトボトボと道路を渡り、新しい施設に行った。
移動先は、平成16年10月竣工といふ9階建てのビル。坂道傾斜地に建てられ、中心部が吹き抜け構造になっており、私は中に入るのは初めてだった。
特別養護老人ホーム(100床)、ショートステイ(10床)、デイサービスセンターがあり、居室は2F~7Fまでの6フロアで構成されている。
セキュリティーが厳しくて、受付で申し込み用紙にゴチャゴチャ記入して、首から下げるカード入れを、エレベータのセンサーにかざさないと中に入れない。
叔父は、前日も入ったはずなのに、8階だよなと言ってスタスタ乗り込むが、応対したTNさんは、3階のボタンを押す。
部屋は4人部屋で、入り口右手がNR子さんのスペースだった。
ベッドは電動で、引き出しタンスと洋服入れの縦長ロッカーがあり、前日従兄が運んだ衣類は、スタッフの手できちんと収納されていた。衣類の洗濯は全て施設の管理で、この点だけでも叔父に負担は減る。