20年前に書いたmixiの日記をコピーしてきました。
大切な思い出。
大阪万博はどうなってるのか全然聞こえてこないけど、盛り上がっているのかな。
あの頃、私がまだ生きて、太鼓を打っている未来に、また日本で万博があるとは思わなかったのです。
残念ながら今回はなんの接点もないけど、私の万博の思い出は、カラフルなモリゾー模様の救急車に乗ったこと🤣
2005年日本国際博覧会 政府出展事業
日本館イベント にっぽん華座スペシャル催事
『風流大打楽』 2005.6.30-2005.7.1
楽しみだった万博
だけど、行きも帰りも、きちきちな時間割でバスやタクシーで送迎され
全然他のところをうろつく時間はなかった・・・
ミッキー・・・マウスではなくて ミッキー吉野さんという
かの有名なガンダーラや銀河鉄道999でおなじみのゴダイゴのキーボードの彼とその奥さんや
ジェニファー・バトンというジェフ・ベックやマイケル・ジャクソン ナタリー・コールなどのツアーや
アルバムに参加しているギタリスト
そして団体参加の方もみーんな一緒の貸切バスに乗って移動するのだ
ホテルは名古屋市内の劇団四季の劇場向かいで温泉のあるクラウンホテル
部屋は狭いし収納は無いし大きな荷物を収めるのに苦労した
温泉は小さな銭湯って感じで何も無かったけど お湯は気持ちよかった
滞在中私が一人で出かけたのは近くのコンビニくらい(しかも転んで膝をすりむいた)
そうそう6/29にホテルに着いてすぐ
同じ太鼓ユニットの鹿児島から来た橋本真由美さんと彼女の地元チームの仲間3人
千葉から来た永山かよこさんと 女ばかり6人で 昭和食堂という居酒屋さんで食事をした
よーっく焼けてる手羽先が美味しくてたくさん食べた
腹ペコだったけど他のは味が濃くて辛くて、おにぎりとサラダを頂いた
翌日を考えてお酒は飲まなかったのだった
ホテルに帰ってから 先に部屋で休んでいた秋田から来た大沢しのぶさんにも声をかけ
4人でロビーに集まり衣装を確認したり曲を手合わせで練習したりしてから解散した
6/30は朝からとても暑くて頭ボーッとした感じで開場に到着
着いて初めて、しかも控え室に書いてあったため
私たちが『華つづみ』というユニット名だと知った
その華つづみだけのリハーサルがすぐ始まったのだが
特設テントの中がサウナのように暑い!というか熱い!
そんな中ドカドカと大太鼓を打ったら なんだか吐き気がしてきた
頭もボーッとしてるだけじゃなくフラフラしてきた
でも続けて宮太鼓の曲が始まってしまい 眼の前のヒダノさんに緊張しながら気力だけで打つ!
何がなんだかわからないけど意識が薄くなってきて思うように打てないままやっと終わったのに
もう一回といわれる・・・しかし根性でなんとかこなす
ふらふらしながら控え室まで戻ると動けなくなってしまった
鏡を見たら顔が赤を通り越して黒くなっている・・・
ヤバイと思い服を緩めて氷をもらって首や頭を冷やす
このときまでは休めば治りそうな気分だった・・・
・・・がしかし 水分補給をしようと手元にあったミネラルウォーターを飲んだとたんに足がつって足がつって
どうにも痛くてたまらない・・・それが熱痙攣ってやつだった・・・
もうろうとしながら痛みに耐えていたら、スタッフの青年が心配して呼んでくれた看護士の女性が現れた
それからのことはあまり覚えていないけど
橋本さんがついてきてくれて、いろんな質問に代りに答えてくれてタンカで救護室に運ばれ
点滴をしながら救急車に移されて万博会場内をピーポーパーポーと診療所へ収容されたのだった
私はもともとしょっぱい物も苦手で味の濃いものも食べない
でも名古屋の味が濃いのは身体が要るからなのね
確か 暑さで汗がドンドン出てしまい そこへ水を飲んだので
血液が薄まって塩分が足りなくなり PHバランスが崩れた
・・・というようなことを説明されたようだ
まもなく熱痙攣が治まって、からだ中氷漬けにされた私はとうとう体温が35.1まで下がって意識もはっきりしてきた
ミクシに報告を書く元気も出た
少しうとうとして ふと時計を見ると 通しリハはとっくに終わって本番の時間が迫っている
イライラしながら携帯を弄ってみる・・・コメントがたくさんある
メールがたくさんきている・・・皆の声が背中を押す
頑張らなくちゃ女が廃るよね!
点滴がなかなか終わらないので、かってにぽたぽたではなくジャージャーと最大に早くしてみる
そうするうちに 制作スタッフの前川さんというのりピー似の女性がきてくれて
『佐々木さんは本日演奏をされる大事な方なので戻っていただきたいのですがどうですか?』
と話してくれて感動・・・大事な私なんだ・・・
お医者さんは今日は太鼓は無理といってたけど必死に頼んでOKをもらう
ギリギリ控え室に戻ったら他のメンバーが歓声をあげて迎えてくれた・・・それがものすごく意外で嬉しかった
制作スタッフの背の高い男性が『すぐ運べるように袖でスタンバってるから』と言ってくれて、本当に心強かった
身体は今だから言うけど本当は大丈夫なんかじゃなかった
全身がぎしぎししていた 頭は相変わらずもたつく
でも演奏をしない私はかあこじゃないよね
きっと皆も自分だったら打つと思う
・・・という訳で 皆に支えられて
無事に一回目のステージをこなす!
初っ端に大太鼓の華つづみと太鼓セットのヒダノさん5人での『風流』を演奏
高い山台の上に4尺前後の大太鼓がずらりと並んでゴージャスこの上ない
橋本真由美さんはOTAIKO響で準優勝 東京国際和太鼓コンテストでは
あのプロの佐藤健作さんをおさえて最優秀賞を受賞している大太鼓のスペシャリストだ
大沢しのぶさんも大太鼓ではその名を知らない人はいないだろう有名な奏者だ
昨年私が桶隊で参加した日本の太鼓ではプロに混ざって演奏をし
大太鼓では堂々とソロでオリジナル曲を披露しているつわものだ
永山かよこさんは全国で唯一ヒダノさんが創設時から指導をし
楽曲を提供している女性だけの太鼓チームの奏者だ
彼女は日本の太鼓で一緒に桶隊をしたので仲良しだ
これに私を加えた4人で打つ大音量重低音でソロ回しもあるアップテンポな曲に皆唖然としていたようだ
何曲か挟んで華つづみ4人だけで今度は大き目の宮太鼓で『ニライカナイの幻』という曲を打つ
これは途中で2人のソロが入る
まずは大沢しのぶさんが細かくて手数の多い変則的なソロを打つ
空中をバチで切り込んだりバチを回したり本当に器用で飽きない
そして次に私のドッカンドッカンジャンプするソロ
器用ではないので細かいことはやらない
ただ長身を生かし爆音で踊るように打つ これが私
最後は4人のユニゾンでだんだん早くなって盛り上がって拍手をもらった
ただフィナーレの全員登場メンバー紹介のシーンはヒダノさんにストップをかけられ断念・・・
担ぎ桶で華やかに登場の予定だったのに・・・ちょっと悲しかった
担ぎ桶をやらない橋本さんがヒダノさんの大太鼓をドカンドカン打つのを袖から見ていたら
小さい身体がでっかく見える力強いフォームで 打っている時の顔がまた綺麗で見とれてしまった
お客さんは整理券をGETして椅子に座った人が500人と
本番だけテントの壁が開放されるので その向こうに立ち見のお客さんがわんさか!
炎天下の中なのに誰も動かないで観てくれた!
なんと北海道から3人のお客さん・・・
この日のこのヒダノさんを観るためにわざわざ来たのだった・・・すごい!すごすぎる!
いつもお世話になっているKさん達・・・
心配して楽屋まできてくれた・・・ありがとうございます
他のメンバーがいたので我慢したけど
本当は泣きそうだったよ・・・
頭に氷を乗せたまま念のため殆どの時間横になりながら休み
2回目のステージもこなす
1回目よりも身体が楽になり声も出て動きも大きくなったと思う
今度はフィナーレもでて名前も紹介してもらえた 良かった
打ちながら今日は早く寝なくちゃと思う・・・
そうして迎えた2日目
リハは急きょ無くなって、本番ギリギリゆっくり会場いり
朝御飯もちゃんと食べたしドリンクも買ってきた
メンバーも心配して『塩分』の多いおやつを持ち込んでくれた
そして3回目の本番は 私としては一番良い出来だった
皆も時間と共に仲良くなっていたせいも有ると思う
橋本さんと大沢さんは本当は人見知りで馴染むのに時間がかかるという
おまけにハプニングもあって、なんとサインを書かなくてはいけなくなったのだ
DADANの時はたまに書くけど個人では書かない
仕方がないのでDADANのサインを書いた
途中で大沢さんが呼びに来たので表へ出ると
YAMAHAミュージックトレーディングの山内さんが来てくれていた
大沢さんは東北で私と同じく講師を請け負っている仲間なのだ
山内さんに会ったのは昨年の夏以来だった 嬉しかった
太鼓を打っているところを観てもらえるのは本当に嬉しい
そうして最後のステージ・・・
ばっちり決めたかったけど風流の途中で異変が・・・
ソロに横打ちを入れていたのだけど、その少し前に足が
いつものように変なところに入っているような感触がしたのだ
なので仕方なく振り向くのをやめて何とかごまかしたのだった
自分だけでフツフツとお腹に不燃物を抱えてしまったので
ニライカナイの幻はもうやけくそのようにジャンプして発散!
そうして私の愛知万博は幕を閉じた・・・
ミクシでコメントクレタ方
メールで応援してくれた方
皆の言葉や皆の気持ちがこんなに自分に大きく暖かく染みるなんて思わなかった
そのくらい ベッドで泣きながら情けなくのびてる時にありがたかったんです
本当にありがとうございました
最後の夜は近くの永山さんだけが帰ってしまったけど
橋本さんと大沢さんと3人で また昭和食堂にて打ち上げ
ミクシでのお勧めを思い出し 今度はひつまぶしも食べてみたら美味しくてビックリ
いろいろしてみたけど そのまま食べるのが一番美味しかった
太鼓の話 地元の話 尽きない話であっという間の夜だった
ヒダノさんは次の日韓国での演奏があるため即現地解散となったのだけど
それはそれでさばさばとして気持ちの良い最後でもあった
あと35年後に万博が日本で開かれる可能性は低いらしい
だとすれば生きているうちに万博で太鼓を打てるのはこれが最後のチャンスだったんだろう
いつも尊敬し絶対の信頼をささげるヒダノ修一さんに心から感謝している