ギリガン

私は誰でしょう?

1965年頃の番組だと思う。外国のコメディでなぜか好きだったこの番組。とにかくドジで陽気な主人公の「○○○○」。 楽しいはずの船の旅であったが嵐の中で座礁。漂流し ある無人島にたどり着く。乗り合わせた人たち(船長、大金持ち夫妻、映画スター、教授、メリーアン)で無人島の生活が始まる。 何度か助かるチャンスが到来するが すべて「○○○○」のドジでダメになる。島に訪れる奴も へんてこな奴ばり・・・最後はどう完結したか覚えていない。

 おそらく僕の初めて見たコメディだった。ドラマのところどころで どこかの会場で大勢でみているかのような 笑いがはいる。こども心に不思議に思えた。 どちらかというと 子供向けではなかったように思える。

 主題歌も和訳され歌われていた 「さあ とってもとっても面白いお話始めよう・・・・」 好きな歌だったが そのあとの歌詞はところどころしか覚えていない。憶えている誰か ぜひとも教えてほしい。ギリガン君たのむ!    


「名犬ラッシー」 最終回は涙してみていた気がする。


「奥様は魔女」サマンサさんは すごい美人だった。


「宇宙家族ロビンソン」 なんとなくみていた。


怖かった番組?

「ケペル先生こんにちは」 決してホラー番組でない。

 NHKの番組で 人形のケペル博士という物知り博士が科学知識をこどもたちにわかりやすく解説してくれる教養番組である。ケペル 何が怖いかって?

人形がしゃべるとき 口がガイコツのようにガクガク動くそのしぐさが怖かった。こたつに潜って布団の隙間から見ていた。 じゃあ 見なければいいのに・・・

毎週必ず見ていた。♪「何でも考え何でも知ってる。何でもかんでもやってみよう」歌もしっかり歌っていた。  僕は4歳だった。






昭和40年代 印象に残るコマーシャルがたくさんあった。当時は テレビ宣伝効果がかなりあったのか 特に地方局は民放1、2局なので 視聴率も高かったことと思う。簡単なメロディでテンポがよく つい鼻歌にでてくる そして老若男女問わず覚えてしまう。広告代理店は必死だったろう。そこで 今でも覚えている懐かしい広告をあげてみた


1、湯の町 「熱海の後楽園」

♪「バイブラ、バイブラ、バイブラ、バイブラ、バイブラ、温泉。 バイブラ、バイブラ、バイブラ、バイブラ、バイブラ、温泉、湯の町 熱海の後楽園 」温泉の実写映像をバックに 漫画の人間が頭にタオルをのせ 湯に浸かりながら シンギング!

2、伊東温泉 「はとや」

♪「伊東へいくなら はとや でんわは、よいふろ。・・・・・・」電話番号を見事に歌詞に入れた。この歌を知らない者はいなかったように思える。


3、大塚製薬 サラリン錠

詰まったかな?と思ったら♪「便秘にすっきりサラサラリン」工場の煙突君のアニメ。詰まった煙突君がサラリン錠飲むとすっきりする。「巨人の星」のスポンサーだった。


4、田中屋  静岡市にあったデパート

♪「田中屋、田中屋、田中屋でお買い物・・・・・・・・・・」  4ツ葉のクローバがデパートのマークだった。

母に連れられこのデパートでお子様ランチを食べるのが唯一の楽しみだった。


5、武田薬品

♪「武田、武田、武田、武田、武田、武田、武田、武田、武田 タケダターケーダー」

大好きなウルトラマンを提供してくれるスポンサーだが 何の薬を宣伝していたのか覚えていない、宣伝タイムはトイレ休憩だったんだろう。 最近お目にかからないが なぜかお米屋さんに売っていたプラッシー(ジュース)はまだあるのかな?

また武田の「新玄」と言う商品があったが ネーミングは完璧だと思う。


6、オリエンタル マースカレー

♪「オリエンタルマースカレー、マースの味を憶えたら マース入れなきゃ しまらない」

スーパー 主婦の店 などで カレーを買うとスプーンがついてきた。各家庭に数本は このスプーンあったと思う。

夢路いとし、こいしが司会をする 「がっちり買いましょう」という番組のスポンサーだった。7万円5万円3万円 運命の分かれ道・・・・後にスポンサーがグリコに変ったがその時は貨幣価値が上がり10,7,5万円になったと思う。


7、森永 エールチョコレート

♪「大きいことはいいことだ!大きいことはいいことだ 森永エールチョコレート、・・・・50円とはいいことだ・・・・」 見事に標準価格まで歌詞になっていた。山本直純が指揮をしながら歌っていた。作曲も彼だったんだろう。もちろん♪「誰もいないと思っていても どこかでどこかでエンゼルは・・・」 当時からながれていた。 何がほしいかって?おもちゃの缶詰だ! 結局手に入れることはできなかった。


8、コカコーラ

♪「コークと呼ぼうコカコーラ」 歌の中でコークと呼ぼうと推奨していたわりに コークは定着しなかった。


9、サンダーバード プラモデル

♪「イマイの サンダ バーーード」 何とも購買欲をそそる宣伝だった。現在プラモデルの広告は ないのでは?


10、グリコ

鉄人28号、遊星少年パピイ、遊星仮面 すべて主題歌の後には♪「グリコ、グリコ、グーリーコー」がつく

デュークエイセスさんがまじめに歌っていた。


♪マークは メロディがついている。

歌詞は 僕にはこう聞こえたまでで 聞き違えている可能性大。



 エジソンから始まる長い歴史を持つ電蓄。僕にものごころがついた時 家にはプレーヤーがあり、童謡や漫画の主題歌などはソノシートで聴いていた。

 しかし1970年頃からトランジスター技術の進歩により 電蓄はステレオへと進化し カラーテレビ同様 リビングや応接間を陣取る贅沢グッズとしてセパレートステレオが登場した。音響専門業のビクター、パイオニア、コロンビア、トリオ、オンキョーなどに加え 総合家電6社も販売訴求に本腰を入れ始めた。しかし白物イメージの強い家電メーカーは 海外市場を狙ってなのか それぞれ自社名を伏せ、独自の名前をつけ 売りだした。 松下はテクニクス、三菱はダイヤトーン、東芝はボストン、日立はローディ、シャープはオプトニカ、サンヨーはオットー だった。ステレオ

 当時の一番印象に残る宣伝は「LET IT BE」を歌うビートルズを使ったボストンだった。いったいギャラはいくらだったんだろう? 

また歌謡番組で幸運な視聴者に当たる トリオのプレイステレオ。 リズムボックスが付いていた。ロック、ボサノバ、サンバなど 素晴らしいものだった。マイクミキシングも可能だったが カラオケが普及していない当時 どうやって使ったのだろうか? しかし子供心はこのステレオに興味を持った。

 ところが家のご用達電気屋さんがナショナルだったので 登場したのはテクニクスだった。今のサラウンドの前身のマトリクス4チャンネル機能を搭載。別売りのディモジュレーターをつけるとディスクリート4チャンネルになるが優れものなのか否か、この機能を発揮することなく姿を消したように思う。ともあれ立派なステレオであった。

 このステレオで始めて聴いた曲は小学校でレコード鑑賞で大好きだったビゼーの「アルルの女 メヌエット」だった。当時クラシックが好きで わかりもしないくせに ヘルベルト フォン カラヤン指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団のレコードを買った。指揮者や楽団を 指定しなければ半値で買えたのになぜかこだわりつづけた。・・・いまだに尾をひいているのか財布の中は いつもカラヤンだ! えへん 


 もちろん家庭に1台 家族共有財産だから 当然のごとく占有時間をめぐるトラブルはつきもの 兄とはよく喧嘩したものだ。したがって兄の趣味だった洋樂は耳についた。 兄が初めて買ってきたレコードは チェイスの「黒い炎」。そして みるみるうちにビートルズが揃っていき シカゴ CCR・・・・いつの間にか自分もはまっていった。


そして8年歳下の弟は 「およげたい焼きくん」 

父は 「藤山一郎ベスト」 

母は「グレンミラー楽団」だった。


 初めて買った一枚のレコードは印象深く 自分の歴史にはっきり残っているが 初めて買ったCDは思い出せない。単にレコードの延長で 家にステレオが来た時の感動もCDの時にはなかったのだろう。


 昭和に生まれて 一世風靡しながらも平成に持ってこれなかった あの大きなセパレートステレオ。

捨てきれず 今では物置の片隅におかれ、ほこりにまみれたレコードたち。僕の青春をありがとう、そして お疲れ様。

 レコードプレーヤーもみかけなくなった今では 僕の記憶のプレーヤーで永遠に回転してほしい!

 

 



 少し時代が進み カラーテレビの普及が一段落した1974年頃のお話だ。誰もが経験していると思うが 必ず親に「テレビばかりみてないで勉強しなさい」といわれたはず。なぜ怒られるかといえば 勉強してほしい期待よりも むしろ親自身がみたい番組があり、当時まだ家庭に1台しかないカラーテレビを占有するには 一番簡単な言葉だったのだ。 

 ところがエアチェック ラジオブームが訪れる。おもにAM波なんだが 地方放送局だけにあらず 中央局のかすかな電波を受信する。そして報告書をおくると べりカードという受信証明書が送られてくる。それをコレクションするものや誰もが受信できない都会の放送をいちはやく知ることは 自慢の対象になった。

家電各社もこの流行にのっとりポータブルラジオより大きく 多彩な性能搭載機を発売した。ジャイロアンテナと呼ぶAM波アンテナが本体上部にあり回転し感度のよいところを探すもの(ナショナル クーガ7)やAM.FM.そして短波を3波搭載した5バンド内臓のもの(ソニー スカイセンサー)が人気を集めた。ラジカセも発売していたがラジオ単体に人気があった。


クーガ7 5800

このラジオを買えば 日本中すべての放送局が聞こえると 誰もが思っていた。

結論は既存のラジオとなんらかわらないものだったが とにかく流行だったので 深夜放送はこれでききたかった。ちなみに僕はお年玉や小遣いをため 質流れのスカイセンサー5800を手に入れた。 親友のシマチンも5800を持っていたが僕のにはキャリングケースがついていたので少し満足だった。ヤッチンは5500で クチッチは5700だった。5800はそれらの後継機種で若干性能がよかった。勉強机には教科書より中央にあることが多かったことは言うまでもない。なぜかまわりはソニーのスカイセンサーが流行っていた。     結局雑音の多い遠い局はすぐに飽きてしまい 地元の放送局(TBS系)を聴いていた。

 よく聴いた番組

1、オールジャパンポップス20

  みの もんたさんのDJで洋楽のカウントダウンだった。毎週視聴しノートにつけている者もいた。カーペンターズ、ミッシェル ポルナレフ、ポールマッカットニー&ウイングス、ジョンレノンなどは 必ず上位をしめていた。 ギルバートオサリバン、アルバートハモンド、ロギンス&メッシーナ、Tレックス、スリードッグナイト、スージークアトロ、スりーディグリーズ、ベイシティローラーズ、シカゴ、チェイス・・・とにかく必死に覚えたものだ。

2、日立ミュージックインハイフォニック

  日立が冠スポンサーの音楽もの。テーマを決めて特集が組まれる。イントロのないビートルズ特集(エリナーリグビー、ガール、キャントバイミーラブ・・・・・)や 題名に色がつく曲特集(黒い炎、紫の炎、灰色の朝・・・) なかなかおしゃれな選曲だった。

3、オールナイト日本

  これを聴いてないと翌日の話題についていけないこともあった。サンデースペシャルは鶴光だった。

4、パックインミュージック

  上記の対抗番組 うちのクラスでは女の子に人気があった。






ついに買ってくれた。我が家にもカラーテレビが登場する!

電気屋さんに注文したが納品に数日かかった。毎日学校が終わると全力疾走で帰宅する。んーまだか!

翌日も翌日も 遊びの予定など どうでもよい。とにかく茶の間へ急行だった!

すると 電気屋さんの車が家の前に止まっていた。 きたー!!!僕んちのカラーテレビだ!どんなもんだい!!ははは! やったー どうだすっごいだろう!

  その晩 さっそくプロレスを見た!

「赤い!」黒ではなかったんだ。ジャイアント馬場さんのパンツは赤(オレンジ)だったんだ!

ジャイアント馬場さん

まるで 僕だけが喜んでいるようにみえるけど 親もうれしかったんだろう。考えてみれば僕も初めてだけど親にしても初めてなんだよなあ!

当時 家電各社のテレビに 名前がついていた。 パナカラー、ユニカラー、キドカラー、高雄・・・・

後ろにカラーがつくのは もっともらしいが 1社のみ 日本名で叔父の名と同じだった。これを意識していたのか偶然なのか 叔父の家は三菱 高雄だった。ナショナルはパナカラーで UHF周波数を合す時 グリーンベルトがでる。一番細くなった時 最適波になる。 日立は キドカラーですぐに付く(昔はスイッチ入れてから30秒しないとブラウン管が温まらずつかなかった)機能を搭載し 別名ポンパと云われていたと思う。 各社全国を股にかけた キャンペーンで必死だったのだろう。小学校時のある日 ヤングランド(静岡県清水区狐ヶ崎にあった)という遊園地で 写生会があった。観覧車を描いていたらキドカラーと書いたおおきな飛行船が現れた。しっかり絵の中に描写した。まわりの人もみんな書き足していたと思う。提出するとデパートに貼り出された。そして賞品なのか景品なのか金メダルがあたった。今思うと知らず知らずの間に日立の宣伝に利用されていたんだ。貼り出された絵にはみんなキドカラーの飛行船がある。帰って親に話すも「キドカラーの・・・」の会話になるし金メダルも裏にはおそらく日立と刻印されていたんだろうと思う。翌年は 白い汽車(列車)をつくり中はショールームで 全国キャンペーンをやっていた。各都市に各社のショールームもあった。子供同士でも きれいなお姉さんが 説明してくれて帰りに鉛筆やボールペンをくれたものだ。その鉛筆など 学校で見せびらかすのもすごく楽しかった。



この当時の流行

1.サンダーバードのプラモデル 特に基地を持っていればクラスで英雄になれた。また2号はタンクの中にオプションがある。当時の男子なら必ず1回は作ったことがある一品だ。

2.ジーアイジョー 男子のコンバットの着せ替え人形 かなり高価で持っていればやはり英雄だ。

3.ソノシートによるキャラクターの物語 ウルトラマンシリーズ僕のもっていたのは「ミロガンダの秘密」

など  


昭和42,3年頃のお話です。

僕が生まれた時 テレビは白黒だった。鉄人28号 宇宙エース スーパージェッター、パピイ、遊星仮面など またプロレスなど たくさんのヒーローはテレビから 学んだ。兄と二人で摸写をして遊ぶことが楽しみだった。後に カラーテレビが登場するが 一般庶民には遠い存在であったことは云うまでもない。金持ちの家 電気屋さんの店頭は夢の世界であった。まもなくしてウルトラマンの放映が始まった。画面下に<カラー>とでるが家のテレビでは もちろん白黒。ある時兄の友人のお金持ちの家に二人で御呼ばれした。あったカラーテレビだ!わくわく気分でウルトラマンの始まりを待った。怪奇音とともにコーヒーにクリープを混ぜた時にできる模様からウルトラQと浮かびでた!いつも白字だったのに 赤だった!ウルトラマンの体の模様も赤だった。胸のカラータイマーも から黄色そしての点滅だ!(いつもはからそして) ナレーションがはいるので想像はしていたが すごかった。カラーのウルトラマンが飛んでいく!この感動は 僕とカラーテレビの初顔あわせだった。昭和41年頃のお話。

 

カラーテレビ登場