小学校1,2年生の頃 当時僕が住んでいた 静岡県清水市興津中町(現 静岡市)の駄菓子屋「あさひや」さん。なんでも売っている。興津小学校の近くに位置し文具から 駄菓子、日用品が売られ 店の奥には おでんや ところてん 軽食 また一杯飲めるスペースまであり何かと重宝な存在であった。好奇心まんまんのお買い物(買い食い)。串刺しのカステラや麩菓子、するめの甘露煮、漫画のブロマイドやくじ引きなど それに静岡おでん すべて5円単位のものを お小遣いの10円を握りしめ 何を買うか 思案したものだった。

 あさひや

私と同世代の人には 子どもが近所の駄菓子屋さんで小遣いを使うシーンは 全国どこにでもあるありふれた昭和の光景だと思うが 駄菓子屋さんに おでんが売っているのは 静岡県独特の風習だそうだ。


あさひや1

そこで 静岡おでんとは? 

真っ黒い出汁で煮込まれていて おでんダネはすべて単品ごと串に刺されている。独自の味噌だれにつけて 青のりと魚粉をかけて 食べる。 豚モツ、牛すじ、黒はんぺん、なるとが入っている。この4項目を満たし かつ 駄菓子屋に売られていてこそ 「静岡おでん」と名乗れるそうだ。静岡県のファーストフードである。

あさひや2

このお店「あさひや」さんは その典型である。

昨年 某テレビ局の番組「日本の遺産」 にとりあげられ全国放送された。たまたまそれを現在住む石川県で見て懐かしくなり40年ぶりに静岡県興津を尋ねた。40年ぶりに食べるおでんの味・・・これだった。当時は1本5円だったが 今でも50円 充分良心的価格だ。

 石川県には黒はんぺん、なるとはない。昔食べた珍しい、懐かしい味だった。

持参のタッパに入る限りテイクアウトさせてもらった。わざわざ裏日本から来てくれたと たくさんおまけしてくれた。こうした人間の温かさも ここにはある。

コンビニに席巻されて、全国的に駄菓子屋さんが減りつつあるなか 日本の遺産としてずっと残ってほしいものだ。




僕が小学校6年の時のお話です。

当時不燃物捨て場で壊れたテレビやラジオから部品を抜き取り 電気工作が趣味だった。

「真空管」今では全く見れなくなったが トランジスター技術が進歩して テレビラジオは小型化されていくなか 世代交代の真空管を使った家電品は 不燃物置き場にたくさん捨てられていた。真空管を抜き取りスピーカをはずす。はじめは真空管は部屋のオブジェだった。

真空管  

スピーカは アイロンの箱(当時は木製の箱に入っていた)を利用しスピーカボックスを作り音をならす。それがきっかけで電気工作にはまっていった。

「初歩のラジオ」「ラジオの製作」という月刊誌にならって回路をつくり5球スーパーラジオ(5本の真空管を使ったラジオ)の製作がはじまった。親はプラモデルやおもちゃは買ってくれなかったが電気工作に必要な 半田こてやテスターは すんなり買ってくれた。パーツ屋さんにいってジャンク品をあさり部品を調達。一人で買いにいくとおまけしてくれた。理論上回路があっていても 制作上配線ミスがなくても 完成する確立は20%ほどだと パーツ屋さんに言われながらも 工作はやめなかった。

アルミシャーシーに ハンドドリルで穴を開けてリーマ(工具)で大きくする。真空管ソケットを取り付け裏からジャンパー線を半田付けし少しづつ回路が出来上がる。

ついに完成! スイッチを入れる。5本の真空管に通電されるとほのかにヒータがともる。何とも嬉しい一瞬だが・・・・ならない。

 パーツ屋さんの言うとおりなのか?何度見直してもあっているのに・・・なすすべはなかった。

たたいてみると ガサガサザーとなった。 ん!

5球
そもそも拾ってきた 真空管だったので 接触不良であった。

めでたく 5球スーパーラジオは完成した。感度がよいものでもないし音もいい訳でもないが、自作ラジオができあがる楽しさは何とも嬉しいものであった。


最近 古いラジオを貰ってきた。東京芝浦電気のカナリア というラジオだ。裏蓋をめくると 5つの真空管だった。得意の5球スーパーラジオだ。さっそく修理してみた。技術は衰えていなかった。昭和が復活した。


kanaria ura

 

僕が部品を拾い集め作ってた頃 こんなラジオが売られていた。

現在では 作るより買う方がはるかに安い。いや当時でもカナリアを買った方が安かったかもしれないが 夢と希望 そして根気と喜びは 既製品では買えなかったと思う。


もうすぐ放送もデジタル化してしまう。すべて使えなくなってしまうブラウン管テレビ。唯一平成まで残った真空管(テレビのブラウン管)とも お別れしなければならない。日々進化する過程に 真空管があったことは後世に伝えて行きたいものだ。









昭和40年代の デパートのおもちゃ売り場は パラダイスだった。

 最近の子どもの嗜好の変化は デパートの売り場も デジタル化?したと言う言葉が適しているのかそこには夢は少ない。テレビゲームの普及を否定するわけでもないが ロムやカートリッジ、カセット、CD,DVDなどパッケージは違えど 同じ形のものが ただあるだけである。

 そもそも おもちゃ売り場は 模型やミニカー、電車をジオラマを作り展示し動かしていた。怪獣や正義のヒーローも ジオラマ内でかっこよく戦っていた。また女の子むけもさまざまなコスチュームの着せ替え人形が並び 貴族の屋敷を装ったジオラマにおかれ、いかにもメルヘンを誘った。エレベーターの扉が開くや 聞こえてくるいろんなおもちゃの音が より購買欲をそそらせ こども対象の売り場とは言え お金をだす大人を童心に帰らせ いかにお金を使わすか そこには完璧な方程式が存在していたように思う。

 また こども心に たとえ何も買ってもらえなくても ここへ来るだけで満足だった。

クリスマスやお正月に 高価なおもちゃを手に入れようもんなら 満足感、優越感でいっぱい。かさばる大きな箱を抱え 家路に急ぐ。荷物の重さなど感じないものだった。


そこで今回は 欲しかった 当時のおもちゃ 手にいれたもの。夢に終わったもの。を紹介しよう。


光線銃SP

光線銃2
エレクトロニクス技術のはしりであった。光センサーを組み込んだ標的を 銃口から光を発するピストルやライフルで撃つおもちゃである。 

その標的はルーレットの真ん中の受光部に命中するとルーレットが回転するもの(写真)

ばね仕掛けでビール瓶が割れるもの、ガンマンが倒れるもの、、額のライオンが吼えるものなど、それぞれに 大掛かりなからくりがあった。いずれもこどものおもちゃにすると 高価なものだった。残念ながら買ってもらえなかった。保有する友人宅で遊ばせて貰ったが 意外にすぐに飽きてしまうものだった。 ただ原理が不思議で興味を持った。銃口部は ニップル球のついた懐中電灯。引き金を引くとシャッターが開く仕組みだった。レーザーのような光の軌跡もわからず 命中したか はずしたかは標的が動くか否かで判断する。わー惜しかった!という楽しみがない。懐中電灯をまともにあてても標的は反応し 誤作動も多かったように思う。

マテルのミニカ 

hotwheel

ホットホイールというミニカーのレーシングセットがあった。ミニカーが走る塩ビのレールをつなぎ合わせてコースを作る。 また垂直回転やジャンプ台もあった。ミニカー自体は動力を持たないため 

hotwheel1

ロッドランナーという 加速装置がつけられ ミニカーを走らせるものだった。惰性の尽きる頃にこの機械に戻ってくるコースを作ってやるとずっと動き続ける。今考えれば電源を使わない地球に優しいおもちゃであった。

 この数年後「シズラー」というミニカー自体に動力源を持つ 画期的なミニカーの登場となる。

sizura

シズラーとは 小型電動カーである。 小型モーターとバッテリーを積み ガソリンスタンド型の高速充電器でチャージして動くおもちゃ。もちろんホットホイールのレールも使えるが 自ら動力を持つため 幅の広いレーシングサーキットで抜きあえるコースに進化していった。ホットホイールは持っていたが さすがにシズラーは 持っていなかった。 


ロングセラーの定番おもちゃでは プラレール

現在でも アナログの人気おもちゃで 懸垂式のモノレールバージョンまで発売されている。

列車も時代ごとに新型車が 製造されている。 たいしたものだ。

ぼくの子供のときは 新幹線ひかり号(0系) 貨物を引く機関車(EF68もどき) 電車では 国電(103系)だけだったかなあ。


それにしてもプラレールの継続は力なり。 当時のデパートにも必ずダイナミックにレイアウトされたコースを ひかり号が走っていた。電池切れで停まっていると がっかりしたものだった。


アナログのおもちゃ。 子供の時の一瞬を夢中にさせ 飽きたら捨てられる運命にあるが 夢と希望と創造力を与えてくれた。デジタル時代の今でも 物が動く原理は変らない。画面の中をどんなにかっこよく走る車より 音をたてて部屋の中を走ってほしい物だ。 


 

貴重な資料がみつかりました。


文化放送の洋楽ヒットチャート番組で みの もんたさんがDJ アシスタントは高橋小夜子さんでした。

「♪みのみのもんた みのもんたった!高橋小夜子もいまーす」ではじまった。 僕の中学時代のお話です。(石川県金沢市は北陸放送ラジオで毎週日曜日22:00からon the air されていたような気がする)

そのヒットチャートを欠かさず記録していた友人「H君」の 貴重な大学ノートがみつかった。彼は達筆でワープロもまだない時代 まるでタイプライターで打ったかような活字態で 順位、曲名、だけでなく 先週の順位 投票数まで詳しく記されているのだ。

h

  それでは32年 タイムスリップします。

    1974年4月7日(土)

1位  僕はロックンローラー   ミッシェル ポルナレフ  1440票 先週2位 

2位 マインドゲームス      ジョンレノン         1325票 先週1位

3位 ひとりぼっちのメリー    アートガーファンクル   1196票 先週3位

4位 燃えよ!ドラゴン      ラロシフリン(サントラ盤)  1015票 先週4位

5位 荒野のならず者      スりーディグリーズ    906票  先週5位

6位 ユアシックスティーン   リンゴスター       806票  先週10位

7位 デイトナデモン       スージークアトロ    741票 先週8位

8位 ジャンバラヤ        カーペンターズ      711票  先週7位

9位 ジェット           ポールマッカートニー   708票 先週16位

10位 悲しき恋占い       シェール 696票 先週13位

11位 アメリカの歌       ポールサイモン      696票 先週17位

12位 君に首ったけ       ラズベリーズ 648票 先週11位

13位 君にすべてを       ジョーディー 643票 先週14位

14位 アブラカタブラ      デフランコファミリー    625票 先週15位

15位 トラックオン        Tレックス        585票 先週6位

16位 いちご畑のサリーちゃん ドーン            545票 先週9位

17位 いとしのヘレン      ポールマッカートニー    372票 先週12位

18位 タイムインアボトル    ジムクロウチ 372票 先週20位

19位 ティーネージドリーム  Tレックス           327票 初

20位 アーユーロンサムトゥナイト ダニーオズモンド    300票 先週18位


赤字は僕のお気に入り

このように彼のノートは3年間ぎっしりときれいな字で書かれている。 また年末には 1位曲の連覇数を独自に集計されている。 ちなみに最多連覇 愛の伝説 ミッシェルポルナレフ(10回) ジェット ポールマッカートニー(7回) シュガーベイビーラブ ルーベッツ(6回) ジャンバラヤ カーペンターズ(6回)。


まあ H 君たいしたもんだわ!この資料大事に保管してくださいね!お見事です。



昭和38年沼田市

 子犬をもらった。スピッツのかかった雑種だった。名は「プッペ」。

小さな庭に置かれた犬小屋は、僕の三輪車の走行コースの邪魔だった。三輪車が小屋にぶつかると怒って、吠えていた。泥んこ遊びが好きで僕たちといつもいっしょにドロドロになっていた。

プッペ

近所のアイドルだった。犬は苦手の母だったが 毎日餌をやり散歩に連れて行ってくれるので 一番なついていた。冬の沼田は雪は降らないが気温は氷点下になる。その時は玄関にいた。玄関にある靴や傘は かじられてしまうので要注意だった。

 しかしプッペと暮らす楽しい日々は1年ほどで終わる。父の転勤によりお別れすることになる。

 よく餌をくれた近所のお肉屋さんに飼ってもらうことになった。沼田を去る一ヶ月前にプッペは貰われていった。プッペのことを忘れようとしていたやさきの話。 引越し手続きで役場に行った時 道路の向こう側に犬をみた。その犬もお袋に気づいた! と そのとたん 約30メートル全力疾走でこっちに向かってくる。「プッペだ!」・・・・お袋に飛びついた・・・号泣するお袋。

 しかし そのまま お肉屋さんに連れて帰り 最後の別れとなる。

 その後のプッペの消息は知らない。残っているのは かすかに写った色あせた2枚の写真、そしてかすかな僕の記憶のみ。

プッペ2

きっと 餌に不自由なく優雅に幸せに 暮らしてくれたでしょう。 

 


 

 


号外!ブログテーマから少し外れます。


今年のプロ野球をずばり予想しましょう。

セ・リーグ

1位 中日

2位 阪神

3位 ヤクルト

4位 巨人

5位 広島

6位 横浜


パ・リーグ

1位 ソフトバンク

2位 ロッテ

3位 西武

4位 日ハム

5位 オリックス

6位 楽天


さあ シーズン終了後このブログをみてみよう。


寸評 

 パリーグでは 世界の王 率いるソフトバンクに 屁のこきどころがない。WBCの運も手伝ってしばらくは無敵であろう。楽天銀行からたくさんの融資を受け、オリックスリースをうまく使いこなし、たまにガムをかみ ロースハムの旨いところをたくさん食べきり レッドアロー号に乗って帰るだろう。ただプレーオフを苦手としていたがWBCの運がそのまま残っていれば文句なしの優勝だ!


 セリーグでは 残念ながら阪神の連覇はむずかしい。赤星選手の盗塁もマークが厳しく持ち前の足が使えず、金本の一発の効果が薄れる。また投手陣の問題だが先発が5回までいかに失点しないかにかかる。比較的阪神の投手は立ち上がりさえうまく行けば中盤を凌げるようだが6回以降は去年同様に3枚の継投で乗り切ると思うが昨年のようなベルリンの壁のような威力はない。

 心機一転の巨人は開幕3戦は無難にまとめた。清水選手の打順一番は堅守すべき、意外とあてにならないのが高橋選手、怪我やスランプをいかに克服するか、小久保、阿部選手など大砲を持つ強力打線が李選手4番の相乗効果で 火がつけば常勝モードになる。 投手陣は 阪神の継投をまねて 先発投手の負担を軽減するべき。「失点少なくドバッと勝」これが巨人の必勝法だろう。

 またヤクルトの古田采配は見ものである。監督古田は選手古田をいかに使うのか?また兼務だけに遠慮があるのではないか不安が残る。

 横浜は これといった補強なしで迎えたシーズンだけにどんなものでしょうか。横ばいとみるのが妥当。

 広島はひたすら 頑張るしかない。

投手力が一番充実している点では 中日がNO1といえる。打撃力はほどほどだが失点が少ないことが勝利につながるだろう。



                                   裏日本スポーツ 2006/4/3



 


 

 

昭和41年 ある植物学会でのお話です。
 それは植物学者、山田博士の研究室で起きた。オイリス島調査団員であった山田博士が 島から持ち帰った食虫植物 ミロガンダの品種改良をしようと放射線(γ)をあてた結果・・・ほかの二人とともに 謎の死をとげた。この二人も山田博士と同じオイリス島調査団の一員だった。

 そもそもミロガンダとは オイリス川のケイ素を含んだ水で育つ美しい花だが、その幼年期は不気味な食虫植物であることが 同僚の岩本博士により明らかにされた。品種改良のための放射線によって幼生に戻ってしまったミロガンダは、食虫植物どころか化学変化をおこし食肉植物になってしまっていた。オイリス島の水に含まれる特殊成分を求めて、島でその水を飲んだ団員達をつぎつぎに襲いだした。調査団最後の一人となったカメラマン 浜口節子の護衛に科特隊があてられたが ふと気の緩んだ一瞬をつきミロガンダが襲う。すぐさま スーパーガンで応戦、撃退したかに思われたが・・・・・

「スーパーガン(放射線)の逆効果でますます巨大になり生きていると思える・・・・」岩本博士の推測どおり巨大な怪獣グリーンモンスとなり 首都東京を襲う・・・・・

greennmons

これはウルトラマン第5話「ミロガンダの秘密」のお話です。


この当時は単なる怪獣映画の話でありながら本当にありそうな植物名「ミロガンダ」「スフラン」・・・

太平洋の南に浮かんでいそうな島 「オイリス島」「タタラ島」「ジョンストン島」など

どこかにありそうな地名 「バラージ」

化学元素名にありそうな「スペシウム」「ギララニュウム」 

怪獣のネーミングも でたらめとはいえ なんとなくそれらしいものだった。

念のためミロガンダを植物辞典で調べてみたが やっぱりなかった。


 アポロ11号以前に宇宙へ行くことになったビートルは 通常飛行と違い尾翼にロケットエンジンアダプターをつけないと宇宙へ行けないことなど 理に適っていた。

未来を想像する科学特捜隊の胸についていたトランシーバーは 携帯として実現された。


当時の大人にはどう映ったのか?馬鹿馬鹿しいと思ったのか?


大人になった今 改めて感動できるのは 私だけでしょうか?




1968年 

何の気まぐれか突然 父が 車を買って来た。

僕んちに来た最初の車。

 トヨタ パブリカ登場!

ぱぶりか

<当時のカタログ>写真の男女は両親?・・・のはずがない。

卵が先かニワトリが先か?はいまだにさだかでないが 家は 車が先か 免許が先か?は車である。

まだ運転免許や車の所持率も少ない時代である。もちろん両親は運転免許を持っていない。

結局 母が僕らを幼稚園に送りだすや 渋川の自動車学校へ通い 取得する。

 昭和38年に免許を持つ女性は、 職業上どうしても必要としたか、もしくは ヤンキーだったか?のいずれだろう。母は普通の主婦だ。その時の普通車免許には もれなく自動2輪もついてきた。したがってハーレーダビットソンでも乗れるわけだが おそらく足がとどかないことはいうまでもない。

 
とりあえずパブリカの紹介

仕様書

性能 最高速度  110km/h

    燃料消費量 24km/l

    登坂能力 0.387sinθ  

    最小回転半径  4.35m

エンジン形式   空冷2気筒水平対向式

排気量       697cc

最大出力 28PS /4300rpm

最大トルク    5.4m・k/2800rpm

燃料タンク容量    25L

搭載されたのは697cc、空冷2気筒OHV水平対向で28馬力を発する新開発のU型である。トヨタ車で初めての空冷エンジンは、BMWやツェンダップなどのドイツ製オートバイ用水平対向2気筒エンジンを参考にした設計で、軽量かつ簡潔、しかもコンパクトであった。このエンジンの採用で、後輪駆動車ながら前輪駆動車と大差ない居住空間を得ることができたが、空冷エンジン特有の騒音などハンデキャップも抱えることになった。

 

 かくして めでたく免許を取得したわけだが その若きおばちゃんの運転技術はみごとなものだった。車庫入れバックすれば 車庫は傾くわ、ここぞというところでエンストをおこすし 周りの人(バスやタクシーの運ちゃん)に押してもらったり、ギアの入れミスによるノッキング・・・・しかしわけのわからない幼児兄弟は うさぎさんみたいだね! 後続にバスがくれば いつでも押してくれるから安心だね!

・・・すべて前向きに考える 賢い子供たちであった。


 その愛車パブリカを 洗車している姿の記憶もなし、整備している姿の記憶もない。

きっと傷だらけの運命をたどったのだろう。

ある日 パブリカはどうなったのかと問うと 母の口から 最後はスタントカーになっちゃった・・・・と聞いた。



1983年4月15日千葉県浦安市舞浜に 子供から大人まで楽しめる夢と魔法の王国 東京ディズニーランドはオープンした。開業20数年 いまや世界一の集客力を持つ遊園地であることはいうまでもない。 しかし オープンの1年前 TDLに引導を渡され 静かに幕を閉じた遊園地があったことを忘れてはならない。そもそも東京に近く交通便もよく立地条件等に恵まれた千葉県には娯楽施設がはやくから盛んであった。


千葉県習志野市谷津に 「谷津遊園」と呼ぶ大きな遊園地があった。昔は塩田だったが台風で壊滅状態になるや土地を埋め立てて遊園地を作ったそうだ。

 うつろな記憶だがそこには海上に突き出たジェットコースターがあった。幼い僕と兄を待たし 祖父が一人で乗っていた。その名も「海上コースター」 なぜか乗車半券がずっと残っていた。

海上コースター

祖父は高血圧で心臓も悪く ましてやお酒好きだった、絶叫マシーンのすべての悪条件を満たしている人だった。

 この遊園は東洋一のバラ園を持ち、また東洋一の観覧車、遊覧へりポートもあり、海水浴や、潮干狩り最盛期には日本初のコークスクリュー含む2機のジェットコースターを有し賑わった。遊園自体は黒字経営だったが京成電鉄自身の経営悪化やTDLへの経営参画計画により閉園をよぎなくされた。

 

 時期同じく 千葉県船橋には 「船橋ヘルスセンター」という温泉、遊園地、スケート場、プール、遊覧飛行場を備えた巨大娯楽施設があった。「・・・・チョチョンのパ、チョチョンのパ」のCMソングは誰もが知っていた。家から近いこともあって数回訪れた。当時ここにはモノレール式のジェットコースター「直線コースター」なるものがあった。僕だけ怖くて乗れなかった。また夏場になるとスケート場の屋根の傾斜を利用し隣接プールに飛び込む大きな滑り台(大滝すべり)があった。

大滝

そこを一気に滑り降り、足を伸ばし角度をつけると水面を水中翼船のように滑走できる。兄と水面飛距離を競い合った。

温泉部には回転舞台持つ劇場を持ち 8時だよ全員集合にも使われた。

しかし40年代後半になるとレジャー嗜好の変化による業績低迷。地盤沈下防止による温泉採掘禁止となり存続不可能になり ショッピングセンターに業態変更した。

 

 遊園地産業が盛んな千葉県。 あのTDLが始まる 30年前に これらのテーマパークが存在したこと。

ある意味ではTDLの前身だったと解釈すべきなのではないか。

 千葉県船橋市海神に住んでいた1965年のお話だ。

高度経済成長真っ只中、東京近郊都市として船橋市は干拓事業で湾岸線がどんどん広げられていった。

 住んでいた京成海神は 京成船橋より一つ東京よりの各駅停車しか停まらない小さな駅である。

急行、準急が通過していく中ひときわ目立つ ありがたい列車がいた。成田山参詣特急で京成上野からノンストップで成田まで快走するエンジ色の特急「開運号」だ。 その前部には豪華なヘッドマークがつけられ 内装もロマンスシートにテレビまでついていたそうだ。1日に数往復するのだが その快走シーンを目撃することは 何ともありがたいものであった。まるで神殿を拝むように見送った。

開運号1 京成 京成2

 親に自転車のカゴにそのヘッドマークを作ってもらい 補助輪のついた自転車特急「開運号」ごっこも楽しかった。


 まだ地下鉄「東西線」もなく 京成電車は生活の足で 母に連れられ買い物に行くのが楽しみだった。ある日京成デパートのある京成八幡での出来事だ。扉が開いた時 戸袋に手を挟まれてしまったのだ。たまたま先頭車に乗っていたので僕の泣き声、よりむしろ母の悲鳴に気付いた運転手がすぐに助けにきてくれた。まわりの大人の人も扉を引っ張って助けてくれた。すぐにデパートの医務室へ連れて行かれたが怪我もなく 擦りむいた部に赤チンを塗って終わった。そのために電車も数分遅れたと思う。またこじ開けた扉も異常があったと思う。現在ならたいへんなことになろうが 当時は まだほのぼのしていた時代で 何のおとがめもなく 「怪我がなくてよかった」で済んだ。 最近必ず 扉に挟み込み注意!と書かれてある。これはきっと僕が歴史を動かしたのかなと思う?ともあれ 開く扉には注意しましょう!

 

 その後 成田空港の開業にともない スカイライナーが誕生し 開運号は幻の電車となる。

海神を停まる各駅停車の青い電車、手が挟まれた準急の赤い電車も今はない。昨年末 40年ぶりに京成船橋を訪ねたら 高架工事をしていた。駅前にあった 独特の匂いをだしていた揚げもの屋さんもなくなっていた。よく買い物に連れてこられた海岸沿いにあった市場址は干拓が終わった今では陸地の真ん中になっていた。ラッシュ時 国鉄線乗り換えのために混雑してた京成船橋駅前の踏み切りも もうすぐなくなってしまうのだ。またここに昭和の懐かしい光景が消えていく、ちょっと淋しい思いであった。開運号2

今では 大晦日から初詣期間に 近鉄線で「開運号」が 走っているらしい。

経済環境の厳しい今の時代こそ たくさん走って 福を運んでほしいものだ。