2007年 11月投稿したブログ

今日になって 話題になったので再度アップいたします。


昭和の遺産 「軍艦島」は正確には長崎県西彼杵郡高島町端島の俗称です。


軍艦島

1980年頃の 公共広告機構の印象に残るCMですが 覚えていますか?


島は宝島だった。

石炭が見つかって、人々がやってきた。人々が働いた。周囲1.2kの島が町になった。4000人ものくらしがあった。子ども達が生まれ、大きく育った。

1年10年30年・・・・石炭を掘りつくした時 人々がいなくなった。  くらしがなくなった。

資源とともに島は死んだ。 84年目だった。



軍艦島1

なんともジーンとくる CMだった。


日本の近代化を支えてきた炭鉱の一つであった。石炭出炭量が最盛期を迎えた1941年には約41万tを出炭。人口が最盛期を迎えた1960年には5,267人の人口がおり、人口密度は世界一を誇り東京都の9倍以上に達した。炭鉱施設・住宅のほか、学校、店舗、病院、寺院、映画館、理髪店などもあり、島内において完結した都市機能を有していた。

1960年以降は、主要エネルギーの石炭から石油への移行により衰退。1965年に新坑が開発され一時期は持ち直したが、1970年代以降のエネルギー政策の影響を受けて1974年に閉山した。

町は一瞬の間に無人島となった。日本の高度経済成長の終焉と重なる。


現状はこの島に上陸もゆるされていないが 長崎市は近代化遺産として残す模様。

まだ 倒壊の恐れがあり公開はされていないが 整備完了後 一部を一般公開する予定とか!


そのCMの最後はこう締められていた


「私たちも今 資源のない島 日本に住んでいる。」



「THE CASSANDORA CROSSING」

昭和51年 私が高校1年の時みたサスペンス映画です。

あらすじは

WHO(世界保健機構)に3人の過激派が潜入。一人はガードマンに射殺され、残りの2人は危険な細菌類の保管部屋へ逃げ込み逃走を試みたが 1人も撃たれその拍子に感染性の強いまだ未解の病原菌薬の瓶を割ってしまう。その菌を浴びた残る一人は逃走に成功するものの感染しストックホルム行きの大陸横断鉄道へ乗り込んだ。 車内に 瞬く間に伝染病が広まりだす。

 そのスキャンダルの発覚と謎の病原体感染の拡大を恐れた軍は、その列車をポーランドヘ誘導し隔離するという名目で 列車を1948年で廃線となった崩壊寸前のカサンドラ・クロス橋梁を通らせ 転落事故を起こさせ事件を抹殺しようという企みであった。

 たまたま列車に乗り合わせていた医者がそれを察知し、阻止すべく行動を起こす。 最後は 後部車両に乗客を誘導し 列車を切り離し 橋梁の手前寸前で停止させるが 誘導が間に合わなかった乗客を乗せた前部車両は橋を渡るも橋は崩壊 車両は谷へ 転落してしまうのであった。

その映画を観た後に知った日本一高い鉄橋 

兵庫県にある 山陰本線鎧駅~餘部駅間にある余部鉄橋である。

高さ41.45m、長さ309.42mの鉄橋です。
トレッスル式と呼ばれる鋼材をやぐら状に組み上げた橋脚が特徴で,この種の鉄橋では日本一の規模・・・とのこと。

餘部1


日本の「カサンドラ・クロス」?


餘部3

しかし 痛ましい事故が起きてしまった。


1986年(昭和61年)12月28日 (日本国有鉄道としては最後の大規模事故)

お座敷列車「みやび」の回送列車(DD51形ディーゼル機関車(1187号機)+14系客車7両、臨回 9535 列車)が山陰本線鎧駅~餘部駅間にある余部鉄橋を時速約 50 キロメートルで走行中の午後 1 時 25 分ごろ、日本海からの強風にあおられて客車がすべて鉄橋より転落した(機関車のみ橋梁上に残った)。転落した車両は真下にあった食品加工場(蟹加工工場)を直撃し、工場の従業員 5 名と車掌 1 名が死亡、車内販売員 1 名と工場の従業員 5 名が重軽傷を負った。転落した客車「みやび」は全車廃車となった。

この列車を運転していた機関士は鉄橋通過中に、非常ブレーキが動作したのを感じて後方を確認したが、この時すでに客車は転落していて、鉄橋上には台車の一部が残されたのみであった。非常ブレーキが動作したのは、機関車と客車をつなぐブレーキホースが引きちぎられたためであると考えられている。( 以上wikipedia より)


今回のブログは 映画の寸評や 事故の検証ではありません。

老朽化に伴いコンクリート橋への架け替え工事が進むこの鉄橋のそばで長年、親しまれてきた樹齢約50年の桜が伐採されることになった。桜は毎春、見事な花を咲かせ、乗降客らの目を楽しませているほか、鉄橋と満開の桜を撮影するため全国からたくさんのカメラマンが訪れる。伐採はやむ終えないがせめて今春の開花を待ってから行うことが全国報道された ほのぼのとしたお話でした。

餘部4

昭和39年 日本の高度経済成長を支えてきたというより 立役者だった。

「東京オリンピック」や「大阪万博」と同様ある意味では 世界に高速過密鉄道の技術を見せ付ける日本の高度経済成長の象徴的存在だった。


開業以前は仮称「夢の超特急”日の丸号”」と呼ばれた 今までにない丸みのある独特の先頭形状した「0系」


0系
昭和39年10月「ひかり」「こだま」としてデビュー 東京⇔新大阪間を在来線特急の6時間30分を大幅に短縮すること3時間10分で結び 時速210kは当時世界最速列車であった。その後も増備され長きにわたり新幹線として人気を集め 世界に知らしめた0系だったが 度重なる改良も老朽化には勝てず 新型車でさらにスピードアップをはかり過密ダイヤを組むにあたり 加速の悪い0系は邪魔になり21世紀を迎えることなく 東海道から姿を消した。その後は山陽新幹線でリニューアルされ「ウエストひかり」で活躍したものの「ひかりレールスター」に席巻。短編成化「ミニこだま」として活躍していたが 今秋の新型車「N700型」投入を期に 44年の歴史に幕を閉じるそうだ。 


この0系はじめて乗った幼年時 乗降口のドアガラスの位置が高く 親に抱っこしてもらわないと車窓が見えなかったが 成長とともに その位置が低くなっていった。また当時のひかり号は 名古屋、京都しか止まらず 帰省で利用する静岡⇔米原間ではこだま号しか乗れず時折追い抜かれる「ひかり号」に悔しい思いをしたものだった。 しかしこだま号でも 浜名湖付近でMAX210Kをだす、ビュッフェについていたスピードメータが振り切ると満足だった。 在来線と違い間通路は自動ドア、食堂車で食べたカレーライスには福神漬けとラッキョウがついていた・・・・裏日本に住むことになってからは疎遠な存在になったが 私の新幹線の思い出はすべて0系にある。

夢を乗せて走ってくれた0系よ!ありがとう。 そしてご苦労様!

「ドラえもん」

昭和48年 漫画家 藤子不二雄さんの作品で一世風靡した言わずと知れた 今も続く超ロングセラーの作品。

しかし 放映直後は プロダクションの倒産や 藤子⇔不二雄の崩壊などで何度も放映中断を余儀なくされた。

コロコロコミックに定期掲載されてから安定し 子供向けSF漫画として今の地位を築くことになる。

声優も 大山のぶよさんで有名になったが 大山さんで3代目であった。ちなみに初代 富田耕生さん そして 2代目野沢雅子さん


今回はその漫画「ドラえもん」について語るわけではありません。今日の新聞記事に エポック社が2008年2月23日に「ドラえもんの秘密兵器 空飛ぶタケコプター」を全国で発売するとのこと。この商品は室内で遊べる「赤外線コントロールタケコプター」で、予定価格は6980円(税別)。
タケコプター

 実際この漫画が流行った時期は もう中学生だったのでほとんどリアルタイムでは 興味もなく なぜか 病院の待合室の雑誌で読む程度だった。

しかし学生時代のアルバイトでぬいぐるみに入ったこともあり なんとなく親しみを持った。


何を言いたいかって?

これ ほしい! 単にそれだけ。


かつてラジコンヘリコプターを持つ友人と飛ばしに行った事がある。しかし まともに空を飛んだのをみたことがない。手を離したらそのまま地面にグシャ!やっとの思いで飛んだ!プロペラは回ってたが胴体もそれ以上に回りだし操舵不能で地面にグシャ! あーあ10万円の損害 お金がかかるし維持も大変そうだった。


でもこれなら手軽でいいのでは・・・ぜひともそいつに薦めたい!

うちには3羽のオカメインコを時々ケージからだし部屋内で飛ばしているが これも同時に飛ばしたらどうなるか?おびえてとんでもないことになりそう。インコが墜落するであろう!


なんとなく童心に帰れる商品だろう。

 この音色がどう私に響いたのか。へたすると人生をも変えられかねなかったこのオルガンの音のお話。 
B-3

 昭和9年(1934年)私のお袋が生まれた頃 にアメリカのローレンス・ハモンドにより開発された電気式オルガンである。

悲しいかな このオルガンの開発目的は 安価にパイプオルガンの音色をだすことであった。

パイプオルガンを購入できない中小の教会などにパイプオルガンの代わりとして使われた。


音源はトーンホイールと呼ぶ鉄製歯車を回転させ そのぎざぎざに 固定されたコイルで波形を作り音源とした。それはパイプはなくともパイプを通った厚みのある音色を作り出した。しかしそれには弱点があった。キーを押すと電気的な接点に発生するノイズ (カサ、バサ、コン)が発生するのである。

 ところがこのノイズこそ(クリックトーン)がハモンドオルガン独特のものとなり1960年頃から ジャズやロックに使われるようになった。

 そのクリックトーン:氷柱を叩く音 鉄琴や木琴のようなアタックのある音 何とも神秘的な音、この音が私をとりこにしてしまった。おそらくこの音を口真似できるのは 私だけでしょう!


またハモンドオルガンには レスリースピーカと呼ばれる特殊なアンプ内臓のスピーカが用いられた。

レスリースピーカ:高音、低音のスピーカをそれぞれ回転させ、速度の可変により 機械的にドップラー効果を得るもの


ハモンドオルガンとレスリーは直接関係ないものだが 相性がよくハモンドオルガンとの効果が抜群のため 抱き合わせで使用されるようになった。

  

しかし 1974年頃 電子楽器 シンセサイザーの出現により トーンホイール式ハモンドオルガンは製造を休止した。


 その後 デジタル技術の進歩は ハモンドオルガンやレスリー効果を簡単に真似ることができ 現在では電子ハモンドオルガンとして オルガン自体にレスリー効果を持つエフェクトを装備したものになった。


 上の写真のようなハモンドオルガンはもう中古市場でしか見ることができないようだが ハモンドの音色は パイプオルガンとは別の独自のものとして 永遠に響くことを望みたい!





2008年 元旦


新年あけまして おめでとうございます。

今年も当ブログをよろしくお願いいたします。


ねずみ

2007年度 10大ニュース


☆10位  朝青龍 骨折サッカー 7/26


大相撲の横綱・朝青龍が腰の骨折で来月3日から始まる夏巡業に休場を届け出ながら帰国中のモンゴルでサッカーをしていたことが26日分かった。

asasyouryu

見事なゴールを決めた朝青龍!

☆9位 そのまんま知事誕生 1/22


宮崎県の官製談合事件で前知事の安藤忠恕(ただひろ)被告(65)が辞職したことに伴う出直し知事選は21日投開票され、無所属新人で元タレントのそのまんま東氏(49)=本名・東国原(ひがしこくばる)英夫=が初当選した。高い知名度のある東氏は無党派層や若年層などから幅広い支持を集め、前林野庁長官の川村秀三郎氏(57)ら新人4人に圧勝した

知事


☆8位 亀田大毅 恥じさらす!10/12


人間風車

オットー豪快なすー人間風車だあ! 見事なフロントフロントスープレックスを決めたが

残念なことに これはボクシングの試合だった。


☆7位 「風神雷神Ⅱ」死亡事故

私の 絶叫マシンランキングでは 富士急ハイランドの「FUJIYAMA」と並ぶ三ツ星であったが・・・


☆6位 石川で震度6強

比較的安全と思われていた石川県だったが神話が崩壊した。


☆5位 ビリーズブートキャンプ大流行!

軍隊式訓練を取り入れたエクササイズDVD「ビリーズブートキャンプ」(4枚組み1万4700円)と考案者ビリー・ブランクスさん(51)が大人気だ。

しかし 最後までやるきる人は何人いるのだろうか???


☆4位「エリツェン」元大統領死去
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ロシアのボリス・エリツィン前大統領が23日午後3時45分(日本時間同8時45分)、心血管不全症のためモスクワの病院で死亡した。76歳だった。ロシア大統領府が同日、発表した。旧ソ連共産党の有力政治家だったエリツィン氏は、ペレストロイカ時代に民主改革派の旗手として台頭。91年7月に新生ロシアの初代大統領に就任し、同年12月のソ連解体を主導した。その後、ロシアの民主化と市場経済化を推進、国際社会で「大国ロシア」の地位再興に努めた。

個人的に好きな人だったご冥福をお祈りします。


☆3位安倍内閣崩壊


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安倍晋三首相は12日午後2時から首相官邸で緊急に記者会見し、「本日、総理の職を辞するべきと決意した。局面を転換して、新たな首相のもとでテロとの戦いの継続を目指すべきだ」と述べ、辞任の意向を表明した。首相は参院選惨敗後、内閣改造による政権立て直しを図っていたが、臨時国会でテロ対策特措法の延長問題の展望が開けないうえ、「政治とカネ」の問題をめぐり激しい攻勢にさらされることが確実なことなどから、政権の維持は困難と判断したとみられる。政権が昨年9月に発足して以来1年をたたずに辞任に追い込まれたことで、後継総裁問題は混迷が予想される。


妙に麻生さんが笑っていた!因果関係はいかに!


☆2位消費期限問題

不二家に始まり「白い恋人」「赤福」「御福」

まあ見事にやってくださったもんだ!
赤福

もはや この手の事件は慣れっこになり びっくりしなくなった。

消費期限とは ずばり 気休め!


☆1位「日経おとなのバンド大賞」 


全国大会に 地元「クルーズバンド出場!」

uziki

まだまだ本気の途中でした・・・。残念ながら入賞は出来なかったが わたしからグランプリをあげましょう!!

おめでとう・・・・と明るい話題で2007年を締めたいと思います。


皆様 明るいお正月をお迎え下さいませ!


憧れのスカイセンサー

当ブログ 2006 3/8で特集した、思い出のラジオ ソニーの「スカイセンサー5800」を手に入れた!


5800

かつて 勉強机の上に いつでも眺めれるようにおかれ 大事に大事に扱われた 名品だ。

そして 当時エアチェックブームの必要アイテムのひとつで 持つことはクラスの自慢、英雄になれる。

「昨日 スカイセンサー買ったぜ!」

「いいなあ すごいなあー」

「どうだ! すごいだろう・・・」超優越感。

しかし現実は 逆だった。親友が持っているのがうらやましく 半年遅れで質流れ品を手に入れたのだった。

先日その親友にGETをしたことを話すと すぐさま現れ 「すごいなあ!これ上物だぜ!」と 今度は逆に羨ましがってくれた。

そう35年ぶりに おあいことなった。

最近見られない光景 「ホットドッグを売り」の車(軽四のハコバンで後部ハッチを開くと店になる)

私が小学生高学年の時は 市営プールの前や 卯辰山。また催事があると どこからともなく現れた。

確か「中越堂」って書いてあった。

いつの間にかやめちゃったのか 見なくなった。


マクドナルドやモスバーガーなどのファーストフードの店がない当時 それを提供してくれたものだった。


このホットドックのレシピ: 細かく刻んだキャベツをカレーパウダーで炒め パンに挟み込み その上にウインナーをのせる。車載のガスオーブンへ できあがり。

メニューは キャベツのベースは変わらないが のせるものにウインナー、ハム(若干厚切り)があった。そして 飲み物も売っていた。 当時ホットドックは60円 小遣いで買うには 思い切りが必要だった。 もちろん飲み物との同時購入はできなかった。

私が最後に見たのは15年前に千里浜のなぎさドライブウェーである。県外でも 六甲山山頂付近に昼夜問わず必ずいたものだが 果たして今は?


最近はクレープ売りの車、カレー売り、たこ焼き売りなどがいるが 

懐かしの「ホットドッグ」はどこへ消えたのだろうか?

まるで 私のブログを 盛り上げてくれるような映画です。

古きよき時代昭和 戦争後の 高度経済成長が始まろうとしている 昭和34年を背景にくりだされる、「お金よりも大切なもの」を昭和の温かさ、ほのぼのさが教えてくれる作品です。


金沢地区では11月3日封切で 早速 見てきました。


ずばり!感想は たいへんよかったです1作目より ジーンときました。

あらすじ等は 下記HPにて詳しくされておりますので省略します。

http://www.always3.jp/


結論を言っちゃうと 罵声をあびるので 感動シーンを少しだけ


泥酔になり 戦友と(戦死した)飲むシーン 「生き残った者だけが幸せでいいのか!」の回答は「死んだ者の分も幸せに生きてくれ!」であった。 都会ではめったにみられぬ蛍になり 去っていく・・・

芥川賞の最終選考に残った作品の内容は 今の自分の気持ちを秘めた実話だった。はたして芥川賞はどうだったのか?・・・・

まわり(夕日台3丁目の人々)の温かい応援に幸せをお金で買おうとする財閥があきらめて去っていく。

また 本音に逆らい お金持ちに嫁ごうとするがこの小説を読み引き返す?・・・おっと どうだかな

とにかくお金より お金で買えないものが勝つ 概ね ハッピーエンドでした。


背景の小道具には 今後当ブログで取り上げたいネタが一杯でした。


私は満足でした。 皆様もどうぞ 視聴あれ!