お盆休暇を利用し 帰省、旅行をされた方も多いことでしょう。

旅行=駅弁 立ち食いそば

私の旅行は まずは金沢駅の立ち食いそば(白山そば)から始まり 駅弁(幕の内)と缶ビールを持ち込み乗車する。たとえそれが出張であっても 350mlの缶ビールは3時間後には醒めているので 飲食は可能である。


 よくデパートで 全国の駅弁市などの催しがある。各地の名産をトッピングし贅沢かつ大胆に弁当化し それぞれ特徴のあるフューマンテイストに仕上げられてある。 どれをとっても甲乙つけがたい。またつけるべきではないと思うが今回はその駅弁 特にお隣の富山県の名産の「ますの寿司」をフィーチャリングしてみる。

masu2

 

富山に伝わるふるさとの味 「ますの寿司」。 国内産のサクラマス 良質の富山米 みずみずしい緑色の笹の香り三位一体となって造りだすふるさと富山の一品

主要なJR駅では 「源」社が売られていて われわれには口にしやすいようだが 現地の人は 「すべてを知らずして ますの寿司 を語ることなかれ」という。


そこで ますの寿司ツアーを試みた。


金沢より車で一時間 富山市。 あるわあるわ ますすしの店

 富山市丸の内 この地区には軒を並べて 数件の店があった。

takata kawakami maedome sekiya

また 地元富山の友人の推奨の店

aoyama imai

  

ルール 各店で1つ買い求め持ち帰り 私を含む4人の審査員(有識者でなく私の側近)により 味覚判定をする。


寸評 

高田屋、青山 

立山の雪どけ水が育んだ良質の富山米と、清流・神通川で生まれ育ったさくら鱒。熊笹の香りもほのかに、両者の風味がふくよかに調和している。脂身をおびた濃いピンク色のます。口のなかでとろける。



川上、前留、せきのや

笹の緑と鱒のサクラ色、越中米の白のコントラストはまさに絶妙です。
なかでも主役というべきは、華やかな鱒。
あっさりとした味付けで 薄紅色の鱒にぷりぷりの越中米とのハーモニー。


今井

今回の6つの中で一番私好みであった。鱒の脂身やシャリの具合は最高。


結論

そもそも鱒寿司が好きでどれを食べても美味しい。甲乙つけがたいとはこのことだろうが とりあえず私の嗜好で選ばせてもらおう。

1位 今井  2位 高田屋  3位 青山 4位 川上、前留、せきのや


あくまでも 私もしくは私の側近が下した極めてローカルな結果であり何の権威もございませんが・・興味のある方はご参考にしてください。




 先日 僕の宝物がでてきた。

 ロックコンサートのパンフレット&しおりのようにはさまれた都こんぶの箱。

「1977年 6月9日 スージークアトロ 金沢公演」 ちょうど高校2年だった。もちろん 初めて行ったロックコンサートだ。

当時 「キャンザキャン」「デイトナデモン」の大ヒット曲を有し 女性ロッカーとして まだロック文化が発展途上の裏日本を強襲した。

 中学時代から 洋楽好きだが 情報はもっぱらラジオの週一のヒットチャートか月刊誌「ミュージックライフ」からだった。

 来日有名アーチストはあれど 東京、大阪ばかりで 旬のアーチストが金沢へ来てくれるなんて 珍しい限りだった。何とかチケットを手に入れ 親友と2人で 観にいった。


シーンとした暗闇から 着物姿で登場した。深くお辞儀をするや 着物を脱ぎ捨てる。もちろん下にはいつもの皮ジャンが・・・ベースを持つや 大音響とともに ロックコンサートがはじまった。 すっごくかっこよかった!外国には こんなにかっこいい女性がいるんだと 痛感した。 


 会場にあたる観光会館では 今までに 鼓笛隊や自衛隊の演奏を聴いたことがあったが、行儀よく椅子に腰掛けて 終わったら感動がなくとも拍手することが礼儀だと思っていた。

 でもロックは違った。 演奏される曲もほとんど知らないのに なぜか体が動き踊っていた。また知っている曲がはじまるといっしょになって歌っていた。恥ずかしさはなかった。親友も同じだった。

コンサートの帰りは 2人でベースを持つカッコをして口ずさみながら帰宅した。 


その親友とは今でもコンサートやスポーツをよく観にいくが 必ず売店で買うものがある。「都こんぶ」。

お互い 高校生だったが この日もしっかりどちらかが持っていた。買った記憶もないがしおりのようにパンフレットにはさまれた すこんぶの空き箱。


今回のブログは 初ロックの感動ではなく 都こんぶの箱だ。

miyako

このパッケージは なんとなく 昭和を思い出してしまうのは 僕だけでしょうか?


コンサートや映画を見る時 なぜかおやつが必要になる。ところが「あられ、かきやま」だと音がする。ポテチだと手がぎらぎらになる。 ポップコーンはかさばる。ガムは捨て場に困る。チョコレートやキャラメルだと解けるし 甘味で逆に喉がかわく。 そこで選ばれるのが 酢昆布だ!ポケットに入りつぶされても問題ない。ガムのような口内感触及び持続時間。そしてアルカリ性で体にもよい気がする。 


 そもそも昭和の映画館は 切符売り場があり、切符切りおばちゃん(兼務が多い)がいて そして売店がある(ここも兼務のことが多い)。そして途中からでも入場できた。不覚に寝てしまっても リピートされるものを見ていることができた。ここで買うおやつも やはり都こんぶであった。遠足のおやつでは 買うことはなかった。こどもの時は す昆布は 大人の食べ物にも思えた。

もちろん現在でも健在で 比較的どこにでも売っているが 日常生活ではほとんど買わない。でもなぜか  ライブや映画になると 売店で必ず買ってしまう 不思議なおやつだ!先日TOTOライブへ行ってきたがやはり ポッケに入っていた。


「観劇や鑑賞は こんぶから!」


僕のへんな習慣なのかも。

  


金沢は新盆で7月に お墓参りをします。そして独特の風習で墓参時 キリコを持参します。

キリコとは この時期 スーパー、花屋、ホームセンターなどで一斉に売り出されます。
木枠に白い紙を貼ったものの中に蝋燭を灯してお墓の前に吊します。最近はもっと簡略化されたキリコ形の札が普及しております。

kiriko

いずれも名前を書くので誰が参ってくれたかすぐにわかります。もちろん故人の力量や付き合いにより その個数が多少します。決して 多ければよいわけでもありませんが 少ないよりは賑やかな方がよいと思います。


 そのキリコは 車で行けばどうってことないが バスで行く時は 軽いものだが かさばり 満員だとつぶれてしまったり 破れてしまうものであった。 また子どもの時は いやいや連れて行かれるため キリコを振り回し、落としたり投げあったり、お墓に着いた時にはもう ボロボロであった。


 ある日 すごいことを思いついた。そのキリコの空白部分に絵を描く。南国の島 ヤシの木にサーフボードそして虹を描く

V.S.T.K 「ベリースペシャルトロピカルキリコ」 が誕生した。

これで墓参も楽しくなった。うちのお墓だけ華やかであった。

先祖はどう思うかは わからないが

 現家族みんな元気で墓参りをする。この姿こそ 先祖に見せるお盆の姿であろう。 

「ありゃー」といいつつも 笑顔で祖父母が喜んでくれているような気がする。


さあ今年も行ってきます。







 仙台の七夕まつりは私は知りませんが 静岡に住んでた時 この期間 清水駅前のアーケード 駅前銀座とそれに隣接する清水銀座通りに 仙台に勝るとも劣らぬ七夕まつりがあり 全長1.5kの商店街を七夕飾りが見事に展示されていた。 吊られた大きな飾りには張りぼてのキャラクター人形などもあり その下をいったりきたり すごく楽しいまつりだった。

七夕


そこで 地元に戻ります。

 よく似た光景が 昔 金沢にもあった。最近アーケードを取り壊した横安江町商店街(金沢では唯一のアーケード街だった)も この時期 全盛時代には仙台や清水には劣るが七夕まつりで賑わっていた。

 金沢の風習で 7月がお盆。うちのお墓は、このアーケード越にあるため 毎年七夕飾りをくぐりながら墓参りに行き 帰りはこの商店街でみんなで食事をするのが恒例行事だった。 しかし 郊外の大型店進出で この商店街も寂れていき かつての七夕もいつの間にかなくなり 商店街もシャッターを降ろす店が年々増え、人出もなくなっていった。私は アーケードは雪の降る金沢では とても有効的だったと思う。また金沢駅にも近く 東別院など大きな寺院もあり 大きなデパート、ホテル、観光地になっている市場なども隣接している街なのに・・・なぜこの街が廃れていったのか 疑問視。 淋しい限りである。



 一方 幼なじみより連絡があり、清水の駅前銀座は 今も健在でした。 7/6より 七夕まつりが始まったそうです。ここの期間終了後 飾り付けを仙台に持っていくんだそうです。

よって仙台を知らずとも「勝るとも劣らない」の表現は可のようだ。

 


 


 


 


  



昭和45年(小学校4年生)頃のお話です。

それまで愛用していた子供の時の自転車が小さくなり 買い替えの時期でした。


 その時すごい自転車が登場した。若干大人びたセミドロップハンドルで5~10段変速機能付き そして電子フラッシャーと呼ぶ方向指示器やストップランプ、また前照燈にはフォグランプの付いたものもあり、スピードメーターも付いた 画期的なスーパー自転車であった。荷台部に取り付けられた電子フラッシャーは乾電池で駆動し、右左折時に電光が走る。 ちょうどデコレーションされたトラック野郎を彷彿させるマシンだった。

フラッシャー

 買ってもらった日はうれしくてうれしくて 友達に見せびらかしに駆け走り、そして雨の日は錆びるから乗らない。少しでも濡れたらすぐ磨き いつもピカピカの 僕の宝ものだった。

 

 しかし 乾電池が6~8本必要でかつ消耗も早く自転車自体も重くなり 転倒による故障も多かった。また子どもの遊ぶ 昼間だとせっかくの電光も見えず、方向指示器の役目もなさなかった。所詮子どものおもちゃであり、残念ながら一時的ブームで終わってしまった。


 そもそも自転車は 快適に走り いかに軽量化するかが問題で そこまでの付加価値の必要は全くいらなかった。発展途上のさなか 付加価値をつければ高く売れる、昭和の失敗だったとも思える。



その後 時代は進み 自転車は 競輪タイプのドロップハンドルが流行し 車輪も細く 車体も新素材クロームモリブデンなどが使用され一段と軽く作られ、サイクリング車と呼ばれ、男子の必要アイテムであった。


僕は 「ロードマン」 兄は「ユーラシア」という自転車を 満足して乗っていたのは高校生の時だった。


昨今 自転車は海外生産され安価で買える。それゆえ大切にしなくなった。修理するぐらいなら 新しい物を買う。盗難にあっても 届出もしなければ、運よく交番に届いても ほとんど引き取りにこないそうだ。まことに遺憾である。


昭和は違った。パンクは自分で直し 注油し整備する。自然とメカの原理を知る。自分で修理できたことに喜びも感じたはず。そんな姿はどこへ消えてしまったのだろうか。 


先日パンク修理セットを買った。わずか300円で10箇所分修理可能だ。通学に使っている息子に自転車のパンク修理を教えたが・・・・やる気があるのかないのやら・・・最後はきれいに拭かせ油をささせたが・・・

言われたからやっているだけ。・・・・自分の手で復活した自転車をうれしく思わないのか?少しは愛着を持てないものなのか・・・?
















 軍人将棋とは、いつの時代に生まれたのか 詳細は未定ですが詰め将棋のようなルールで陸軍の組織を模して作られていて、大将から工兵・スパイまでの駒を組み合わせて配置し、早く相手の陣地(中央司令部)に侵略した方が勝ちとなります。

 
 駒や盤の取り方などは時代によって(あるいは製造元によって)多少異なるようです。おそらく第1次大戦後にはタンクや地雷が生まれ、第2次大戦後には飛行機、原爆が登場するなど、現実の戦争に応じて、次々と変化してきたものと思われます。


大将、中将、少将、大佐、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉、騎兵、工兵、スパイ

そして 戦車(タンク) 飛行機、 地雷 などからなり 味方陣地に裏向きで配備させる。その戦略は敵にはわからない。そして 駒を動かし 敵陣地を攻撃する。 第三者の審判員が必要で 駒がかちあうと 審判が勝ち負けを判定し負けた駒を 除外し公開する。大将はすべてに勝つが スパイのみに負ける。スパイは大将以外のすべてに負ける。また地雷は 飛行機と工兵以外にすべて勝つが 動くことができない。したがって 中将が専攻して負ければすぐさまスパイに攻撃させる。などの戦略を子供ながら考えたものだ。

軍人将棋

 私の時代では大流行は なかったが1970年頃は おもちゃ屋さんで売っていた。


 悲惨な戦争を知らない僕らにとって戦闘機や戦車はかっこいいものだった。当時のプラモデルの流行はキングタイガー(旧ドイツ軍の戦車)が多かった。この将棋は地味な遊びだったが 攻撃シュミレーションも戦争映画にみる戦略会議的な要素があり それなりに楽しいものだった。

 

おそらく 戦争放棄を掲げた 日本にとってあまり好ましい遊びでなかったのであろう。 いつのまにか姿を消した。


昭和の遊びと断定できるものでないが 昭和時代に遊んだゲームとして残しておきたい。

緊急特番Ⅱぎっくり腰に気をつけろ」


茶毒蛾騒動がようやく終息しようとしていた矢先、今度は「ぎっくり腰」の悲劇が訪れた。


はたまた エアコン工事現場である。

「これくらいなら持ち上げられる」という安易な考えに 激痛が走り その場でダウン。


まるで カラータイマーが消えたウルトラマンのようだった。


遠くから 胸のカラータイマーが青から黄色に・・・もし消えてしまったら二度と再び立ち上がることを失ってしまう。ウルトラマンがんばれ! という石坂浩二のナレーションが聞こえてきた。


最後の力を振絞り 何とか接骨院にたどり着いたが 私にとって今は繁忙期。

「寝込むわけにいかないので何とか動けるようにしてくれ」という頼みに 必死に応えてくれる先生。 体に乗りかかり逆海老固めやスピニングトウホールド、レッグシザースのような技で 何とか歩けるところまで復帰し、今に至る。


ともあれ 皆様 ぎっくり腰には気をつけましょう


そこで一句

「腰すえて しっかり持とう 室外機」    

季語は室外機で夏を表す





緊急特番! 「茶毒蛾に気をつけろ」


今回はブログテーマから外れます。


6/23 午前 エアコン工事現場に珍獣’茶毒蛾の幼虫(毛虫)’が大量発生した。 

我々 科学特捜隊は スーパーガン(キンチョール)を所持して ビートル(軽トラ)で現場へ直行した。


S隊員のスーパーガン(キンチョール)の威力は すばらしく 群れをなす珍獣を ちぎっては投げ!ちぎっては投げ! 一網打尽にしとめたと思われた・・・・


 しかし その夜から S隊員に異常が見られる。 全身が赤い湿疹に!熱こそでなかったが痒みに覆われ

翌朝 皮膚科へ直行となり茶毒蛾皮膚炎と診断される。


結局 S隊員のスーパーガン(キンチョール)の威力が逆効果で 毛を撒き散らし 服に付いた毛より皮膚炎を起こした。 今日で4日経つが はしかのような湿疹は まだ消えず 半袖が着れない状態である。


 ステロイド系軟膏で痒みはおさえることは出来るが 特効薬はない。痒みは冷やすことが一番のような気がする。


 
毒蛾

茶毒蛾とは、蛾の幼虫の毛虫に強い毒があり触れると皮膚炎を起こす。しかし触れなくとも危険が迫ると毛虫は毛を飛ばし風下にいる者を襲う!その飛んだ毛に触れ皮膚炎を起こす。また毛虫の抜け殻に触れても同じことになる。季節は6月頃と10月頃 梅・椿・さざんか・お茶の木・しゃらの木に大量に発生し、数日で葉が食べ尽されなくなってしまう。今年は大量発生しているとのこと。  (K皮膚科談)


ともあれ 皆様 茶毒蛾には気をつけましょう。


そこで一句

「さわらぬ 茶毒蛾 痒みなし」・・・



皇帝のお話でナシ、お酒のお話でナシ、

今回はトランプ遊び「ナポレオン」を取り上げます。


僕が昔よく遊んだゲームです。


意外にルールを知る者がいないようですが トランプゲームの中で一番 かけひきがあり勘と読みが必要な 楽しいゲームです。

4人以上6人ぐらいが楽しく遊べます。


簡単にルール説明をば、

エース、10、含む絵札20枚のうち何枚取得できるかを競い合うゲームだ.。まずはナポレオンが立候補し切り札と取得枚数(ex.20枚のうち13枚・・・)を決める。当然少なければあがりやすいので 吊り上げるが 相手がすぐに承認してしまった時は ナポレオンになります。

そして ナポレオンが決まれば 副官を指名する。 5人なら ナポレオンと副官(ナポレオン軍)が味方 その他3人(連合軍と呼ぶ)が敵になる。 副官はすぐに敵味方がわかるがナポレオンはわからない。副官は敵に扮しながらもナポレオンに貢ぎ最終的に取得枚数を得た時点で勝つ。

 ずっと敵だと思っていた奴が味方だったり 味方と信じていた奴が敵だったりするスパイ大作戦風のスリル満点のゲーム。

配札時点で 最悪な手であっても強引にナポレオンに立ち 副官頼みで勝つこともある。


よく耳にする「切り札」はこのゲームが語源ではなかろうか・・・


またこのゲームのよいところは個人ゲームでないので 一人で負けない。2人以上で負けるため悔しさも緩和される。家族ゲームの場合 たいていはお父さんが負ける構図になるが このゲームは遠慮は要らないし 子供が負けて拗ねることもない。 対象年齢は 小学高学年以上です。みんなで覚えて 明るく健全なご家庭をお築きください。


これまた当家では 麻雀同様 家庭ナポレオンが可能で やりだすと時間を忘れるゲームに定着している。

また 交流戦を希望しております。


「いつでもかかってきなさい・・・・・」




 私はこれほど完璧なゲームはほかにないと思う。もちろん運もともなうが いろんな決まり手が采配で決まる画期的な遊びだと思う。

 基本的にいえば 確立の問題であるが 相手を読み裏を描く まんまと 術中にはめるとうれしいもの。

 テレビゲームにもあるがここは4人で囲んで楽しむべきでしょう。


 学生時代のカリキュラムには存在しないが、社会へでる前には ゴルフ、麻雀は 課外選択教科として どれか1つマスターしなければならないものだった。


 ゲームである以上 勝ってうれしいものなのだが 勝つことを覚えるだけでなく ある時は「最小限に負ける」もしくは「引き分ける」技術を身に着けることが その目的でもある。

 

 メンバーが足りない。入ってくれ ただし 負け分はすべて支払うから絶対に勝ってくれるな!と親友からの要請があった。

「いやー 敵いませんわ!」と接待主を褒め殺す設定だが かと言って大きく負ければ 親友の負担が多くなるわけだから 優しく負ける。気づかれないように・・・これまた技量を要する。しかし こんな時に限って手がいいものだ。社会人になってからは、こんな麻雀が多かった。

 逆に なぜか取引元の連中とすると 自然に勝つもの。これも先方の細工だったんだろう。


 家族麻雀:うちは4人家族 高校生になった時教えた。それがよいか悪いかはわからないが テレビゲームを一人でやっているより 家族コミュニケーションを考えるとよいことと思う。ジャラジャラとかき混ぜ手並べ なぜか私の手には必ず2枚の白が・・・いつも簡単に上がり パパ強いなあ・・・と父の権威を保っている。

そんなことはどうでもよい。


 麻雀を 我々の年代の男子は少なくとも8割は知っていたと思う。しかし最近の学生さんはどんなのだろう。過去にアルバイトに学生を数人雇ったが誰もやらないとのことだった。テレビゲームは 麻雀人口も食ったのかなんとなく淋しい思いになった。 

 昔は下宿学生のトラブル要因 1位に挙げられたことでしょう。ジャラジャラがうるさいから 毛布を引いてかき混ぜる。しゃべると罰金。大きい手を上がっても歓声を慎むなどそこまでしてもやりたいものだった。4人でするゲームだから悪知恵も4つ。当然仲もよくなり麻雀をしたいがゆえに下宿に尋ねてくる奴も 食品飲料、日用品など差し入れを 冬季なら灯油まで持参してきた。部屋が汚れれば掃除して帰る、それなりの礼儀はあった。

 また交友も深まったことも事実だ。


東西ルールに若干の違いはあれど共通の遊びとして頭を使う 完璧なゲームだと思う。これも昭和っ子の遊びだったのか?




 ある日 ドラ焼きの有名なお店があった。 カスタードクリーム入りとアンコ入り、どっちがいい?と問われ

もちろん ドラはアンコ(暗刻)がいい。咄嗟に答えたが わかってくれたのか?

 

 先日 並べることがやっとで七対子しか知らない へたくそ娘が 「同じものが3つづつ 4つ揃って頭待ちになったけどリーチかけてもいいの?・・・つかの間 きたわ!!」   


「やられた!」 見事な四暗刻タンキ待ちだった.。しかも親で!


ドッボーン!!!