ラーメンから文化を探る。


昭和からして 永年国民的大衆食 NO.1 にあげられる。いまさら歴史云々をあえて話す気もない。


先日の連休 唐突に 安近短でお隣富山県へ来訪した。

富山名産は 「ますの寿司」は前ブログにも紹介したとおりだが 不思議と この町は おでん、ラーメン、モツ煮込みうどんなど大衆食に こだわりをもっている。


特にラーメンが旨い県であることは有名。

念のため 当局のリサーチしたお店紹介。

1、大喜 西町大和横   2、九頭竜ラーメン 不二越前  3、ぼん&てん 婦中 4、まるたかや 富山駅裏 5、一品香 中央病院近く・・・・・

どこが美味しいか? すべてです。それぞれ特徴があり個人的嗜好での順位はさけたいと思う。


金沢だと 数件美味しいと話題になる店はあれど 一般的に「8ばんらーめん」などのチェーン展開をしたお店が主流である。しかし富山は たくさんラーメン屋さんがあるにもかかわらず 「8番」などのチェーン展開のラーメン屋さんも流行っているのだ。共存できる 要するにラーメン需要が高いということになる。


 京懐石を真似た金沢懐石料理は確かに美味しいのかもしれない。しかし毎日食べれるのは殿様だけでしょう。どちらかというと見栄はりの金沢文化は 食文化のみならず すべてのことに通じ、住人でありながら嫌いな部分である。


富山県 距離も近く、同じ北陸で気候も同じ また同じ海を持ち 当然食材も同じものである。 

しかし 産物、名物は異なる


例えば

 笹寿司VSます寿司  どちらも 同じようにみえるが 鮭対鱒 ます寿司だって笹にくるんであるからささ寿司?。

 立山そばVS白山そば  駅の立ち食いそばだが 立山は関東だし、白山は関西だしで 私は関東風だしが好きだ。

 

私はどちらがよいのかを問うよりも むしろ 旨いものが身近にあってほしいただそれだけだ。


今回文章がうまくしまらない。

要するに ラーメン屋さんで注文する時 「ラーメン、ライスを注文し 最後にソフトクリームで締める 」

これぞ 私の好む 金沢にない 富山の文化。それをいいたかっただけ。



日本が経済成長期真っ只中の昭和41年の物語です。


脚本家「佐々木守」さんの作品です。


知らない人のために


ごゆるりとお読みくださいませ。


----故郷は地球だ!-------


 米ソ間の宇宙開発競争が盛んなある日、某国の打ち上げた有人衛星が遂に還って来ないという事件が発生した。その国は科学のために人間の「生命」を犠牲にした事を全世界に知れ渡られるのを恐れ、この事故をひた隠しに隠して来た。

  外交上平和目的により「名を葬り去られた」その宇宙飛行士。彼の名前が「A・ジャミラ」である。ところがジャミラは生き延びるが地球とは全く風土の異なる星に漂流しながら何十年もかけて宇宙船を作り変え地球に還って来た。変わってしまったのは宇宙船だけではない。自らの身も心も、その星の風土の中で地球人とは大きく変わってしまった。
 そしてジャミラは全人類に対する怨みと呪いの心だけを持って、醜い巨体のまま、故郷・地球に還って来た。彼が襲おうとするのは東京にある国際平和会議場。最後まで隠そうとしていた真実を遂に明かさなければならない局面に達する。その驚くべき事実を知り呆然となる。

 そして命令が下された。

「正体を明かす事なく、秘密裏に葬り去れ!宇宙から来た一匹の生物として葬り去れ!それが国際平和会議を成功させる、ただ、一つの、道だ・・・」  

 水のない星で生き延びたジャミラの弱点は、地球人が生きるためには絶対に必要な「水」である事が判明。人工降雨弾による攻撃が始まった。断末魔のジャミラの姿はあまりにも哀しすぎて正視に耐えない。泥水の中に倒れて、苦しくのたうちまわり、それでも一本でも多くの国旗を倒そうとするジャミラ。そして最後には赤ん坊が泣くような声をあげて死んで行った。

 ジャミラの手には、最期まで倒さなかった母国の国旗が握りしめられていた・・・


 後に建てられたジャミラの墓碑銘には

「人類の夢と科学の発展のために死んだ戦士の魂、ここに眠る。」
「A JAMILA」(1960-1993)
と・・・。


 寸評・・・JAMIRA ←JAMILAの姿

「A JAMILA」は 私と同い年です。

経済成長期 開発戦争の裏にはこのような犠牲になる事実はつきものだったのか?国家機密にしてまでも 隠蔽にしなければいけなかったこと。

 いわば社会風刺であった。 

 ただ 何がすごいか これが昭和41年に子供向け番組の物語として放映されたことだ。残念なことに当時子供だった私はこの内容を理解していなかった。ビデオが普及した昭和60年頃みて 感動したものであった。



 

泣いた赤鬼は日本のアンデルセンと言われた童話作家浜田広介の名作である。


僕の心に残る童話、昔話の第一位に選ばれます。

幼稚園の時 先生が読んでくれた紙芝居から話を知りました。


この童話を知らない人のために


ごゆるりと お読みくださいませ! 


---泣いた赤鬼-----

山奥に、一人の赤鬼が住んでおった。

赤鬼は、人間と仲良くしたいと願ってたが村人にとって鬼は怖い存在じゃった。

 そして自分の家の前に、「心のやさしい鬼のうちです。遊びに来てください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます。」

      aka      ao
と書いた、立て札を立てたが、人間は疑って、誰一人遊びにゃこんかった。

赤鬼は悲しみ、信用してもらえないことをくやしがり、しまいには腹を立てて、立て札を引き抜いてしまった。

 そこへ、友達の青鬼が訪ねて来た。青鬼は、わけを聞いて、赤鬼のために次のようなことを考えてやった。

「青鬼が人間の村で大暴れをする。そこへ赤鬼が出てきて、青鬼をこらしめる そうすれば、人間たちにも、赤鬼がやさしい鬼だということがわかるだろう」

 しかし、「それでは青鬼にすまない」としぶる赤鬼を 青鬼は、無理やり引っ張って村へ出かけて行った。


その計画は大成功した。

村の人たちは、安心して赤鬼のところへ遊びにくるようになった。

毎日、毎日、村から山へ三人、五人と連れ立って出かけて来た。

 こうして、赤鬼にはたくさん人間の友達ができ、とても喜んだ。


しかし、気になることがあった。それは、あの日から訪ねて来なくなった青鬼のことだ。

ある日、赤鬼は、青鬼の家を訪ねてみると 戸が かたくしまっていた。ふと、気がつくと、扉に貼り紙がしてあった。


「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、ぼくが、このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、ぼくは、旅に出るけれども いつまでも君を忘れません。さようなら。体を大事にしてください。どこまでも君の友達、青鬼。」

赤鬼は、だまって、それを読みました。二度も三度も読み返した。

                           naita

戸に手をかけて顔を押し付け、しくしくと、なみだを流して泣きました。


どうでしょう!実に感動の名作でしょう。

誰にでもこころに残る物語があると思う。


そこで僕のお気に入り物語BEST5

第2位 あんじゅとずしおう

第3位 わらしべ長者

第4位 故郷は地球だ

第5位 一寸法師



僕は静岡県旧清水市興津にある「ももはな幼稚園」の紙芝居でたくさんのお話を聞いた。当時 お袋より若干若かった独身の「萩原」先生。僕のことを「としちゃん」と呼んでいた。卒園後も街で会うと おやつを買ってくれた。テレビ「日本昔話」が流れると必ず思い出すのが萩原先生だ。今はどうしているのだろう?静岡県でこのブログをみている方。ぜひとも情報くださいませ。というか探して欲しいわけです。 僕にとって青鬼のような人が静岡にいたらきっと探し出してくれるはず!!!

 昭和45年 大阪万博開催時に京都⇔大阪間を走る快速として国鉄線に登場した。この区間は競合する阪急電鉄は、いち早くノンストップ(十三~大宮間)で ロマンスシートの特急を走らせ39分で結んでいた。並走して走る京阪電鉄はカーブが多くスピードでは 阪急に及ばないものの やはりロマンスシートの特急にテレビを付けるなど ひと時をくつろげる着席サービスを売りにし、いずれも 特急券なしで乗れる特急を走らせ 都市間移動の誘客に力をいれ始めた。 これに遅れをとるが 私鉄よりカーブの少ない国鉄線はスピードを売りに 当時急行だった車輌153系を湘南色(緑、オレンジ)から シルバー&青色に塗り替えて 快速よりさらに速い快速 「特別快速」。しかし中央線でその名を使われていたため真似をしたくなかった大阪鉄道局は「新快速」と呼び、「ブルーライナー」の愛称で京都⇔大阪間ノンストップ(当時は新大阪も通過)29分で結び、参入してきた。

ブルーライナ

 この勝負は 圧倒的なスピードをみせた国鉄だったが 残念ながら 大宮、烏丸、河原町、三条、四条を網羅する私鉄勢が常に優位だった。しかし国鉄ならではの現象が現れた。大阪から西へ延長するや 神戸、西明石、姫路から客を運んだ。東へ延長するも 大津、草津、近江八幡、彦根などから誘客が出来たのだ。

これがアーバンネットワークの始まりだった。


「新快速がくると街が栄える」 誘客だけでなく文化までも運ぶ方程式の誕生だった。


JRになるや 東は米原、長浜まで 北は 堅田、近江今津までも都会の風が吹き始めた。


そして 来月 前人未到の閉ざされていた北陸(敦賀)に延長されるが 果たして方程式は成り立つのだろうか?

降雪対策のない「新快速」電車が冬場をのりきれるのであろうか?


いろいろな課題はあろうがこの事業の成功を祈りたい。







来月10月21日 北陸線 敦賀駅まで直流化し 関西から新快速 電車がやってくる。

sinnkaisoku

現在 北陸から直通で関西圏に行くには特急電車に乗らねばならない。北陸線は電源(交流)の理由で関西圏(直流)を走る電車は入り込めない。北陸線を走る電車(交直両用)には どちらでも走れるような装置が付いている。また直流区間と交流区間のつなぎ目には電源切り替え地点(デッドセクション)がある。現在そのセクションは湖西線は敦賀より南の永原~近江塩津間に、北陸本線は長浜~虎姫間にある。新型のサンダーバード車輌では感じませんが 旧型の車輌だとこの区間を通過する時 車内照明やエアコンが一時切れてしまうことにお気付きでしょう。この間は電気が流れておらず電車は自らの惰性で走りきらねばなりません。その間に運転手は電源切り替え操作をします。北陸線を走る電車にはその設備がありますが、京阪神からの普通電車は直流専用電車のため、電源切り替え地点を越え敦賀に入ってこれなかったのです。このため、敦賀から京阪神まで直通の普通電車(快速・新快速)を走らせるために、この電源切り替え地点を敦賀より北に移し、敦賀まで直流化されることになりました。


メリットは何か 

1、運賃が安い

敦賀からは特急料金がいらない。敦賀~大阪は 特急だと3990円 新快速だと2210円で済む。

(もちろん停車駅は多いのだが新快速は加速がよく区間速度が速い。チンタラ走る北陸線の鈍行とは違うので30分程度の違いであろう)敦賀から京都1.5時間、大阪2時間になるので 関西の通勤圏になる。

2、敦賀が有名になる

関西との結びつきが強化され、産業・経済・文化の発展、振興が図られ、地域の活性化に寄与します。また、関西の各主要駅で「敦賀行き」の電車がアナウンスされることで、「敦賀市」の認知度が大幅にアップ。

3、関西人が屋台のラーメンや蒲鉾を食べにやってくる。

買物、観光、レジャー等で関西から気軽に敦賀を訪れる人(反対に敦賀から関西へ出かける人)が増大し、関西との各種の交流が促進されます。


そうなのです。金沢に住む私にとって 何のメリットもございません。

ただ 鉄道ジャーナリストとして見逃すわけには行かない話題なのでした。

ブログテーマからもはずれ、大変お騒がせいたしました。



さあ 何でしょう?

上海みやげでもらいました。


ヒント

お菓子です。

昭和38年に生まれました。

ビールの本場、ドイツでおつまみとして親しまれ、これを日本の大人向けおつまみとして製品化したのが始まりです。

最初はバター味 後に サラダ味 ロースト、ピザなどがある。またこれにチョコレートをかけると また違った商品になります。


「百力滋」商品名です。中国では百をプと発音するのか???

「格力高」は会社名 正しくは江崎格力高食品有限公司


これは 現地限定なのか「上海蟹風味」でした。なかなかの美味!でした。


もうお解かりでしょう。グリコのプリッツでした。


江崎グリコ 

これまた創業は大正8年。牡蠣エキスに含まれる栄養分「グリコーゲン」に着目。それを一番必要とする育ち盛りの子供がよろこぶキャラメルに入れ訴求。栄養菓子グリコはスタートした。


ビスコ、ジャイアントコーン、アーモンドチョコ、ポッキー、プリッツなど 往年のヒット商品はおなじみ。国民的お菓子である。

1972年1月30日(日) 昨晩からの腹痛が治らず日曜当番院であった「聖霊病院」へ 急性盲腸炎で即手術が必要と診断され すぐさま入院することになる。小学校5年生 冬だった。2日間がまんしたことがたたり 腹膜炎気味だったため 2週間ほどの入院となる。とはいえ 所詮盲腸。3日もすれば元気になり、病院内を走り回る わんぱくな患者だった。朝になると3Fの病室からその病院の横を通学する小学生めがけて 雪玉をなげる。はじめは 病室から投げられる雪玉だけに 敵も躊躇してたが ベランダの雪をかき集め5発6発と投げるうちに相手も応戦してくれた。こっちは3Fだから断然有利であった。 翌日も相手になってくれたが 3日目 敵は増員し先制攻撃をしてきた。願ってもない雪合戦になると思いきや、折も悪くも 部屋に看護婦長がいて窓ガラスにあたる雪玉に激怒・・・・ 「こらー!!」 そいつらも 逃げればよかったのに 朝から叱られていた。それ以来雪玉を 投げてくれなかった。 どうみても僕が悪い。通学時のわずか2~3分の合戦は 退屈な僕にとって朝の挨拶であり体操だった。        


 2月3日 札幌オリンピック冬季大会が 開幕した。

kasaya

テレビは病室になく 待合室でみるが チャンネルがNHKに固定されているため 好きな漫画はみれない。しかしオリンピック中継は みていると楽しいものであった。


昭和天皇の開会宣言で始まった。

「只今より たっぽろオリンピックを開催します」と聞こえたのは僕だけだったのかな・・・


競技が始まるとルールも知らないのになぜか見入ってしまう。そして真似をする。病室に戻る時は後ろに手を組んでスピードスケートのようにスリッパで廊下を滑走する。 ほうきを持てばアイスホッケーのまね。 バイアスロンもやったかな。 そしてついにやってきた70m級ジャンプ。 宮の森シャンツェに見事に咲いた日の丸の旗。 金メダルのみならず銀、銅と 日の丸で染まった。

1回目が終わった時点で 電光掲示板を1位から4位までJPNという文字が並んだ藤沢、青地、金野、笠谷選手だ!2回目日本中の期待を背負ったジャンプに 藤沢選手はつまずいたが、そのまま 金銀銅メダルを笠谷、金野、青地選手で独占した。笠谷選手の着地が決まると アナウンサーの「飛んだ、決まったー」の絶叫に近い実況に 宮の森は興奮の渦中にあった。

 ベッド上でジャンプの真似をしてみるが さすがに傷口に響いてできなかった。

    

翌日は「日の丸飛行隊 メダル独占!」と報道された。

後日行われた90m級ジャンプも 期待虚しく笠谷選手の7位にとどまる。


結局この大会も獲得できたのは この3つのメダルだけだった。


女子フィギュアスケートでは 「銀盤の妖精」といわれたアメリカのジャネット リン選手が 大会では3位でありながら1位のシューバ選手より人気があった。ずっとジャネットリン選手が優勝したと思っていた。


また クロスカントリーでは クラコワ選手、カヨスマ選手を実況は 「ママさん選手」と表現していたが 僕は赤ちゃんをおんぶして走っているのかなあと 本気で思っていた。


閉会式は 次回はデンバーで会いましょうと別れたはずが 行われたのは インスブルックだった。


この期間 札幌オリンピックの生き字引。結果はリアルタイムで知っていた。尋ねられると詳しく説明に 各病室を回っていた。

こうして僕の入院は札幌オリンピックと共に終わった。楽しい入院だった。

2016年 夏季オリンピック誘致立候補地に東京が選ばれた。 とはいえ 東京に決まったわけではなし 素人目に2008年に北京だと 次回アジア圏に戻ってくるのに五つの輪 五つの大陸順だと 20年かかると思うのだが・・・

確か ソウルが立候補した時は 名古屋が立候補し敗れた。しかし冬季大会は長野に すんなり決まった。


てなわけで 今回は1964年に行われた「東京オリンピック」を思い出してみる。

tokyo

第18回夏季オリンピックであり、アジア初のオリンピック。歴史的に見ると、戦争後の荒廃から立ち直り、復興を遂げた日本が取り組んだ国家的イベントであり、日本が国際社会に復帰するシンボルの意味を持った。


開会式が10月10日、閉会式は、10月24日であった。

開会式のあった10月10日は、1966年(昭和41年)から、国民の祝日体育の日として親しまれてきた(2000年(平成12年)からは10月の第2月曜日が体育の日)。


 当時 群馬県沼田市に住み 櫛渕学園 「ちぐさ幼稚園」に通っていた。 幼稚園で手作りした 日の丸を振り 国道を走り抜けていく 聖火リレーを見送った。 残念ながら4歳の僕にとって思いだせる 「東京オリンピック」はそれだけなのです。


 当時の記録では 金メダル16個 銀メダル5個 銅メダル8個とまずまずの成績であったと思える。このオリンピックより柔道が公式種目に認定され 若干有利だったかもしれない。

 当時は圧倒的な力を見せる、体操、レスリング、また鬼の大松率いる女子バレーは「東洋の魔女」の異名をとり、強敵ソビエトを打破し 見事金メダルを獲得した。

東洋の魔女

これぞ 御大「東洋の魔女」軍団 「ひかえおろう!」


 

 このオリンピックを景気に 戦後の復興から すざましいスピードで高度成長期が始まる。東海道新幹線が開業し、名神、東名高速道路が次々に開通し 太平洋ベルト地帯の活動は活発化し全盛期を向かえることになる。

 

 これからが 新しい昭和であろう!

 


誰もがお気付きでしょう。「時代劇の神秘」

誠実な庶民がいて 罠にはめる悪人がいる。その悪人は 得てして権力を持つ悪代官の手先である。

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通常のドラマ サスペンス物は最後まで犯人がわからないものだが 不思議と時代劇は一目瞭然 メイクでわかるようになっている。たとえ小学生がみても 悪人は誰?すべて正解するでしょう。そして しゃべる時は口を曲げる。「貢物はいかがいたした」「おぬしも悪よのう」 毎度お決まりの文句である。 


そうそう 麻生太郎外務大臣も口がまがっているが 悪人ではないのでお間違えなく。  当ブログ内容になんら関係ありません。総裁選 がんばってください。

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そして その悪人どもは 必ず女に弱い。

女


また こうなると俺も弱い。 視聴率が上がることがよーくわかる。


yumi


すぐに印籠をだせば 殺されずに済む人もいる。しかしそれだと 臭いものに蓋がされてしまい話が続かない。


そして容疑が固まれば 証人として 手先を捕まえる。もしくは 証拠書類を盗み出す。


いざ出陣 20:40 そして 格闘が始まるが 圧倒的な強さをみせ 「もういいでしょう」を合図に 20:45を向かえる。


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「ひかえおろう! この紋所が目に入らぬか!・・・・・・」

この場で初めて印籠をだしたのだから目に入るはずもないし、また顔をみてもわからないのに 印籠をみてわかるとも思えがたい。

とりあえずひかえるが 悪人たちは「身に覚えのない・・・・」  そこに先ほど捕まえた手先を連れ出し 「こいつがみんなはいちまったぜ・・・」万事休す。


そして黄門様に 悪人たちは成敗され 平和な世に戻り めでたしめでたしである。

こんなワンパターン話なのに 視聴率も安定している。昭和44年に 水戸光圀:東野英治郎、佐々木助三郎:杉良太郎、渥美格之進:横内 正で始まった。時が経つも飽きられずにきたこのワンパターンこそ 日本人にしかわからない 時代劇の方程式なのであろう。 その後 幾多のメンバーチェンジを経て現在にいたるが 佐々木助三郎役をしていた里見浩太朗さんが今の黄門様である。 なぜか太刀回りシーンが増えたように思える。 

先日息子に「黄門さんって強いんだね?」と言われ 「そうだよ 昔 助さんだったから」  「???」



 てなわけで 7/24より「美しきこの国のために黄門様御一行、新たなる世直しの旅へ」水戸黄門36部がスタートした。

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8/21放送は富山にいた。さすがに鱒の寿司を食べているシーンはなかった。

次回8月28日放送の第6話は石川県の輪島が舞台。富山を発ったご老公一行は目的地・金沢を目の前にし、能登半島を一路北上、輪島に立ち寄ります。ご老公の印籠が「輪島塗」というわけで、「輪島塗」の印籠の作者とのご対面、そして「輪島御陣乗太鼓」にご注目なのだそうだ。


ぼくも印籠持ってるぞ!


「頭が高い!ひかえおろう~!」





 大東亜戦争終結時に日本がポツダム宣言を受諾し、「大東亜戦争終結ノ詔書」これを昭和天皇が肉声によって朗読したものを録音し、翌日正午よりラジオ放送する事で国民に対して敗戦、降伏を広く告げる事とした。しかし 徹底抗戦を唱える陸軍将校らが録音版を奪取するためNHKへ乗り込むクーデター未遂(「8・15事件」、「宮城事件」)を起こして玉音放送の中止を試みるが鎮圧され、8月15日正午に無事に放送がなされた。 


玉音放送」 私がちょうど中学2年生の夏休みで、たいへん暑い日であった。


おっと!お間違えなく 私は戦後生まれ!これは実録映画「日本のいちばん長い日」をみた時の話です


「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」・・・

 たぶん昭和初期生まれの方々なら記憶にあると思われますが リアルタイムに聴いて意味を理解できたのでしょうか?皇室文書独特の言い回しまた昭和天皇独特の節回しがある。ましてやそもそも天皇陛下の声を国民が認識していたのだろうか?


今年の終戦記念日は 公約を果たす任期満了まであと1ヶ月の小泉総理にとって 「多少長かった日」であろう。

私は靖国神社参拝については 賛成だが 中国や韓国にとって A級戦犯合祀に納得できないこともわからないでもない。

ただ「いつ 参っても問題になるのなら 8/15が最適である」言い訳も 見事であったが それなら 報道関係を一切近寄らせず 変装し 首相官邸に近い 地下鉄丸の内線「国会議事堂前」から「大手町」乗り換え 東西線で「九段下」下車 徒歩5分 でこっそり行けばよかったのだ。SPを10人連れても 運賃片道160円 ×11で1760円で済む。帰りに彼は武道館に寄ったそうだが 靖国神社からはゆっくり歩いても5分で着く。 


 当時の玉音放送も クーデターを想定し、 レコードを2枚つくり 宮内庁から こっそりと変装をした2人に 別々のルートを通りNHK放送所に持ち込まれた。幸いに2枚とも 生還でき 無事に放送することが出来たそうだ。


とりあえず 私は8/27に参拝してくるが 恐れるは 参拝の是非より 「東京バナナ買ってきて!」 のお土産請求だ!私はむしろ「ひよこ」より 「しゅうびあん」が好きだ。