☆ ハンカチ王子 おばさん熱狂!

夏の甲子園 第88回全国高校野球選手権大会は、早稲田実(西東京)と駒大苫小牧(南北海道)が15回延長で勝負がつかず、 決勝戦再試合で、早稲田実が4―3で勝利し、27回目の出場で初優勝を果たした。

 早稲田実のエース斉藤祐樹投手が 一躍時の人となった。マウンドで汗を拭う青いハンカチから ハンカチ王子と呼ばれ韓流スター並みの 追っかけおばさんたちが出現した。


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マウンドで汗を拭うハンカチ王子?


☆秋篠宮 長男誕生

 昨年 国会で女系天皇を巡る論争が激化するなか 突然先送りになった。この時点で何が起こったかは誰もが予想したと思う。そして2006年2月7日、妃・紀子が第三子を懐妊との情報が宮内庁より発表された。9月6日午前8時27分、皇族では初めてとなる帝王切開により、めでたく身長48.8cm・体重2558gの第一男子・悠仁親王が誕生した。男子皇族の誕生は文仁親王以来41年ぶり。

現代医学では 妊娠直後でも男女の区別が概ねではなく確実に確認できることが明らかになったと思う。


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☆核実験とミサイル発射

 
北朝鮮は10月9日午前、米国との対立のなか核実験を強行した。北朝鮮外務省は10月3日に核実験の意向を表明し、朝鮮労働党結党61周年前日、咸鏡北道吉州郡豊渓里で核実験を実施した。朝鮮中央通信は同日、「わが科学研究部門は地下核実験を安全かつ成功的に進行した」と報じた。7月5日には「テポドン2号」を含む6発のミサイルを発射しており、国際社会が国連安保理の対北朝鮮決議案を採択するなど圧迫を強化するや、北朝鮮は核実験という超強硬手段で対応した。しかし核実験は周辺国の反発を買う結果となり、10月15日、国連安保理は北朝鮮決議を全会一致で採択した。

☆堀江前社長、村上前代表を逮捕

 東京地検特捜部は1月23日夜、証券取引法違反の疑いで、ライブドア社長の堀江貴文社長(33)ら同社幹部4人を逮捕した。投資事業組合や株式交換を使った一連の不正が明るみにでた。「風説の流布」など聞きなれない言葉を耳にする。



☆小泉首相、終戦記念日に靖国参拝

 何が凄いか?言い訳だった。いつ参っても問題になるのだから 最適な日「終戦記念日」を選んだ。

一ヶ月後に任期満了をむかえる 彼にとってもはや敵はいない。


2006年は皆様にとっていかがな年であったのでしょうか?

ここにはあえて掲載を控えたが いじめ自殺、悪質な殺人、飲酒による悲惨な事故など 多くあったと思う。そういう事件を報道すること事体にも問題があるのでは?と私は観る。



当ブログでは2006年第一位に輝く話題は

「悠仁親王誕生」

でしめくくりたいと思います。



来る!2007年は このような ほのぼのとした話題が飛び交う明るい年になりますように!




まだ今年最後のブログではありません。

☆ サッカー・ワールドカップ・ドイツ大会

 日本はブラジル、クロアチア、オーストラリアと戦ったが 1勝もできなかった。世界レベルには まだまだ遠いことが明らかにされてしまった。


決勝戦はイタリア対フランスでPK戦の末 イタリアが勝利した。


☆ ワールド・ベースボール・クラシック

 世界の王率いる 日本チームが見事優勝。

見どころがあった!アメリカ戦3-3で向かえた八回、三塁走者西岡のホームへのタッチアップ。一度セーフと判定された結果がアメリカベンチからの抗議によって覆った。プロレスのレフェリーのようないい加減な審判ジャッジだった。結局この試合は落とすが

なぜか すでに2敗し 戦意喪失し前日ディズニーランドで遊んでいたメキシコチームがアメリカに勝ち、まさかの同率2位に、得失点差で優位になり リーグで全勝の2度も負けた韓国と プレーオフで勝ち、優勝してしまった。審判もおかしいが ルールもおかしい大会であった。 優勝はビッツラプレゼントだったと思う。

  

☆ 夕張市 財政破綻! 炭鉱の閉山後、「炭鉱から観光へ」とテーマパーク、スキー場の開設、映画祭などのイベントの開催、企業誘致により地域経済の再生、若年層を中心とする人口流出の抑止、雇用創生などを図ったが振るわず、逆に過大な投資や放漫な経営が累積赤字として重くのしかかり、市の財政を圧迫し、事実上の財政破綻に陥った。


☆安倍内閣発足! 第90代内閣総理大臣に 安倍晋三氏が君臨した。


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寸評は控えます。がんばってください!



☆ イナ・バウアー  

 2006年のトリノオリンピック、女子フィギュアスケート・シングル競技において金メダルを獲得した荒川静香はイナバウアーを得意とし、フリー演技本番でも披露して観衆の喝采を浴びた。荒川は上半身をそらしながらイナバウアーを行った。流行語大賞にもなったが イナバウアーはフィギュアスケートの技で、足を前後に開き、つま先を180度開いて真横に滑る技である。荒川さんのように上半身をそらすのは更に複合した技であったが 体をそらすことをイナバウアーと勘違いするものが多かった。
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後編につづく

スコッパとは?  スコップの方言です。 雪すかし(これまた方言で雪かきのこと)をする時に用いる先が平たいスコップ。英語の名詞形 a scoop→scooper ではないので注意!



----スコッパの嫁入り--- 

昔々大雪の降る小さな村に スコッパの夫婦がおりました。なかなか子を授からず 神様にお願いしてやっと女の子が生まれました。その娘はずんずん大きくなり、輝くほど美しい 日本一の娘になりました。そして年頃になり お婿さんを探すことになります。


お父さん、お母さんは

「日本一の娘なのだから 雪国で一番強い お婿さんをもらわなければならない」といいました。


そして日本一強い婿を探すことになりました。大雪の季節じゃった。


まず ※ママダンプさんのところへ行き

「ママダンプさん、あなたは雪国で一番強い人です。どうか娘をもらってくださいまし」

とお願いすると ママダンプさんは

「それはありがたいが、世の中にはもっと強い人がいる。」

おとうさんはびっくりしました。

「それはどなたさまですか?」

「それはエンジンの力で雪を吹き飛ばす除雪機さんだ」

「なるほど」


お父さんは 除雪機さんのところへいきました。

「除雪機さん、あなたは雪国で一番強い人です。どうか娘をもらってくださいまし」

すると

「それはありがたいが、わたしより 世の中にはもっと強い人がいる。それは ブルドーザーさんです。」

なるほど どんなに積った雪でも あっという間に処理してしまう確かに強い人です。


そして ブルさんの家に訪れました。

「ブルさん、ブルさん、 あなたは雪国で一番強い人です。どうか娘をもらってくださいまし」

しかし

 「それは光栄です。が まだまだ強い人がいますよスキー場にいる 雪上車さんだ。3メートルの大雪でも大きなキャタピラーでスイスイ走ることが出来る人ですよ」

これまた なるほど!


そしてスキー場に向いました。

いました。ゲレンデの雪を固めるため 縦横無尽に働く 雪上車さんが・・・

「雪上車さん、雪上車さん、あなたは雪国で一番強い人です。どうか娘をもらってくださいまし」

「それはありがたいが、わたしより 世の中にはもっと強い人がいる。それは・・・」そのとたん 小さな雪崩がおきて雪上車さんが埋まってしまいました。

 

雪上車から降りてきた人の手にはスコッパが・・・埋まった雪上車を掘り起こしたのは スコッパであった。


スコッパのおとうさんは こんどこそ本当に心から感心した。


「これは 今まで気付かなかったが 私どもが雪国で一番強い人だったんだ。ありがたい、ありがたい」

にこにこしながら 帰りました。 


そして近所のスコ助を娘の婿にし、幸せに幸せに、暮らしたそうな。




※ママダンプとは、ブルドーザーのショベル部分に持ち手がついた除雪用具。スコップの5倍の破壊力を持ち 雪国の除雪アイテムとして必需品である。 

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 私の現在住む 北陸地方は今秋10月は例年にない温暖な気候が続いていた。


 各地でみられる異常気象は 竜巻をおこしたり、洪水をおこしたり とんでもない非常事態をまねいている。ただ災害を起こせば問題になるが 10月の温暖だった北陸の気候を異常気象だと誰も気付かなかったのか? もちろん報道などされていない。

しかし11月に入るやいなや 冬の足音はしっかり聞こえてきた。つい最近まで半袖でよかったのに あっという間に冬物を着込むことになった。


 少年時代過ごした 静岡や船橋は 西高東低にならば 冬晴れのよいお天気が続いていた。朝晩は寒かれ、太陽がでれば暖かい。傘も長靴もいらない。しかしそこに住んでいる時は それがどんなに幸せなことかも気付かないものだった。

 ところが 家庭の事情で突然地元金沢に 引っ越すことになった。ちょうど今の季節だった。どんどん冬に向かっていく北陸の気象を当時知るよしもない。年中 半ズボンだったのに 転校してきた小立野小学校はみんな長ズボンをはいている。なんともみっともない。だけど 雪が降らなくても 冷たい雨が降る。長ズボンを履くのがいやで我慢していたけど ついに観念した。

 今日も雨、みぞれ、そして雪 また朝晴れていても数時間でどんよりした雲,そして雷がなり暴風雪。それが冬の北陸の気候。わかってはいるが 歳を取るににつれ、年々辛くなってくる。

 なまじ 太平洋側の生活を知っているだけに 何で俺達だけが ひどい目に遭わなければならないのかと思いたくなる。

 まもなく降る雪。 車のタイヤ交換もしなければならない。また積れば 除雪作業 玄関、店先、そして駐車場、倉庫までも・・・

考えただけでもゾッとします。


 

 そこで中学校の理科の時間にふり返る。

高気圧がくると晴れ、低気圧だと雨が降ると習った。ならば 西高東低は 西側が晴れて 東側に雨が降ることになる。

「したがって 冬は 高気圧に近い北陸地方は晴天となり、低気圧に近い太平洋側は 雨になる。」

この解釈により理科の点数が伸び悩んだことは、言うまでもない。


もし 白山、立山連峰、中央アルプスがなかったら 冷たい湿った空気は東京へ新宿の高層ビル群にぶつかってフェーン現象をおこしビルの北西側で大雪、南東側は快晴・・・素晴らしい理論でしょう。


ともあれ 「典型的な冬型」 「西高東低」「シベリア寒気団」「密な縦縞の等圧線」「上空5000mに-35°以下」「寒気をともなう筋状の雲」・・・・・

私の苦手とする言葉だが 毎日聞かねばならない季節は やってくる。


まだ冬が来ていないが 早く春が来て欲しいものだ!



この所 芸能界では 昭和時代活躍したスターの 訃報が続きます。

内山田洋さん 2006/11/3 肺がんのため横浜市内の病院で死去。享年70。 ご冥福をお祈りします。


「内山田 洋とクールファイブ」

1967年に 長崎市で結成され 前川清をメインヴォーカルに「長崎は今日も雨だった」の大ヒットで1970年代の日本の歌謡界で一世風靡した。
 少年だった僕にとって 全く興味も魅力もなく 起立して歌い バックで「わわわわー」・・・なんとも不思議な光景であった。また メインボーカルをとる 前川清さんが前にいて コーラス4人が後ろにいるので 「内山田 洋&クールファイブ」と名乗る以上 メインボーカルの人が 内山田さんだと ずーと思っていた。


 当時の大人の社交場であった「キャバレー」、私の時代では なかった(あったかもしれないが行ったことはない)が おそらく ミラーボールがあるステージで歌われ、客は水割りを飲みながら ほろ酔い気分で鑑賞する。ジャンルで分けるなら ジャパニーズ※AORってところでしょう。 対抗馬には「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」もあったが こちらもまた メインボーカル&コーラス隊であり アダルトなサロンミュージックだった。

唯一 こどもでも聞けたのは「ピンキーとキラーズ」だったと記憶している。


 またこの手のグループは テレビでは 歌とコーラスだけをするが 実際はコーラスは演奏しながらやっていたようだ。デパートの屋上の特設ステージで キラーズが演奏しているのをみた。


 当時の歌謡曲は 大人向けが多く、子供が真似て歌うことは、禁じられていたように思う。後にフォークソングが流行し始め、歌謡曲のスタイルも広がっていった。 またビートルズの来日を機に 洋楽の輸入が頻繁になり、ビルボード誌のヒットチャートを取り上げる番組も放送されだし 洋楽も電波に乗りだした。


 高度経済成長期の このような文化の加速は、歌謡曲の普及でレコード業界が賑わい、ハード面では 蓄音機をセパレートステレオに、そして画期的なメディア「カセットテープレコーダー」の登場など 家電業界も賑わさせていった。ステレオにはカセットデッキが・・そして 外で聞くときは 軽量化された ラジカセなど・・・音質重視で SONYのウォークマンが生まれ これまた大流行!

家電品というよりも ファッションの一部として若者の必須のアイテムであった。


 しかし まもなく デジタル技術の進歩は これらに引導を渡し始めた。そのカセットも よもや 平成に持って来れないと 誰が思ったであろうか?

 

 昭和の歌謡曲は もはや懐メロと言われてしまうのかしれないが もたらした経済効果とともに忘れてはいけないものだと思う。


                                 ※AORとは→大人向けロックAdalto Oriented Rock 

ポールモーリア
イージーリスニング界の大御所「ポールモーリア」さんが11月3日午前1時、急性白血病でペルピニャンの病院で逝去(81歳)

1965年ポールモーリア・グランド・オーケストラを結成し 恋はみずいろの大ヒットで世界的地位を気付いた。


 かなりの日本びいきで 1968年の初来日以来1987年まで毎年全国ツァーを行い 日本中の地方都市をくまなく公演し、生の演奏を聞かせてくれたが 1998年に指揮者を引退、これが最後の来日となった。また阪神大震災の時は レイモン・ルフェーブルとともに 「カルテット・フォー・神戸」を作曲し チャリティーアルバム制作を行うなど、日本と縁の深いアーティストであった。



「蒼いノクターン」「エーゲ海の真珠 」「涙のトッカータ」など 曲目とメロディが一致しなくても 誰でもが知っている曲であろう。

特に「オリーブの首飾り」は手品のバックミュージックとして『タララ、ラララン~』と当曲の旋律は覚えられている。


ポールモーリアグランドオーケストラの来日は 比較的クリスマスシーズンが多かった。クリスマスは彼女とライブをみながらと・・・・思いつつも 当時 彼女はいなかった。


悲しいかな グレンミラーの時も  ビリーヴォーンも いっしょに 行ってくれた女は お袋だった・・・。








 昭和のレジャーとして 1970年代に ボーリングが大ブームを巻き起こした。

僕の記憶の中でも 当時 金沢市内にボーリングセンターなるものがたくさんあった。

南町 専売公社前には 金沢ボーリングセンター(隣接に冬はスケートリンク、夏はプールになる金沢スタジアムもあった)、尾山神社横には 金沢スターレーン、片町には、中央ボール、そして現存するジャンボボールがワンフロアー48レーンと名乗りオープンするや 金石街道にはそれを上回る72レーンのエバラボールがオープンした。

しかし そのブームが終わるや 次々クローズした。スターレーンは 現在石川県文教会館に、エバラボールはその後サウナに、そしておもしろいのは夏プールになるスタジアムは モータープール(駐車場)に 中央ボールは濁点をとり 中央ホールというパチンコ店に、業態変更は見事だった。


 この大ブームを引き起こしたのは中山律子プロ。律子

テレビ収録中に女子プロ初のパーフェクトゲームを達成。同期の須田開代子プロらとともにボウリングブームの立役者となった。「さわやか律子さん」の愛称とともに抜群の美貌と人気を誇り、テレビCM等にも多数出演した。花王の宣伝では「♪律子さん律子さん 爽やか律子さん~」歌われていた。また一時流行したゲームおもちゃ 「パーフェクトボール」もパッケージはさわやか律子さんだった。


 子供だった僕にとって どうってことはなかったが 投球フォームのお尻のゆれは はっきり覚えている。オジサンになった今なら 後ろにいって 拝むことは 間違いない

 律子さんは現在 日本プロボーリング協会の会長らしい。


 このブームは 僕らよりもむしろ 親の世代の流行だったと思う。「連れて行ってくれ」とねだった事はなかったが 頻繁にボーリング場へ行ったものだ。


 そして その大ブームは去ったとはいえスポーツ。国体競技にもなり 地道な人気を持ち現在に至る。


 

 先日 母の同級生(70歳)のおじさんに 挑戦を受け2ゲームトータルで競った。比較的ボーリングは得意とし自信もあり スコア も175と158で まずまずの成績だと思うが 負けた!! その おじさん180upだった。

 マイシューズでマイボールを持つ方ならあきらめもつくが ハウスシューズにハウスボール。同じ土俵の戦いで70歳に よもや負けるとは思わなかった。


 きっと このオジサン 若き時ブームにはまり 通ったのだろう。

 「昔 取った 杵柄」か ・・・もしくは 「昔 拝んだ 尻柄」か??? 


 


大木金太郎逝く

2006年10月26日、ソウル乙支病院において慢性心不全と腎臓血管異常による心臓麻痺により死去。享年77。


力道山 率いる「日本プロレス」の 若手三羽烏としてデビュー。ジャイアント馬場、アントニオ猪木と並びプロレス黄金時代の立役者であった。一本足打法ならぬ 一本足頭突き「原爆頭突き」を得意とした。

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僕の印象に残る試合は 


対「狂った野獣」ブルート バーナード戦で 頭突きを 持っていた凶器(角材)で阻止しようとした際 耳にあたり 耳が半分垂れ下がる事件があったそうだ。 この試合自体は見ていないが 数日後に行われた 何針か縫って 耳に包帯をつけた姿で リングに現れた。 もちろん 耳を狙われ 包帯が血で染まりながらも 原爆頭突きで応戦する大木に声援を送った。


ボボ・ブラジルとの頭突き世界一決定戦で インターナショナルヘビー級王座を獲得。


また 新日本プロレス時代 坂口征二との ガチンコ マッチがあった。 どういう過去があったのか「頭突き6発でKOする」と断言した大木に対し「何言ってんだ てめぇー」と ゴングがなる前に殴りかかる坂口。もはや 試合どころでなく喧嘩になってしまった。 止めに入ろうとする若手選手をすべて投げつける、坂口の暴走に手が着けられなくなり反則負けになるが なぜか坂口の目に涙が・・・


その後 大木は韓国にもどり マーク・ルーインからWWA世界ヘビー級王座を獲得し名実共に韓国プロレス界のトップに立った。

パク・ソンナンとともに 韓国プロレス界を引っ張ってきた。


昭和の日本のプロレス界を楽しませてくれた一人であろう。


安らかにお眠りください!


 

一部に 個人的中傷する発言がありましたことを認め、掲載をとりやめます。


お詫び申し上げます。






子どもの時 キャラメルを買う。 「グリコのおまけ」 昭和世代 誰でも知っている言葉になった。

どちらかというとキャラメルがほしいわけでない。おまけのおもちゃがほしかった。 そのおもちゃは(プラスチックのがらくた)すぐに捨てられてしまうものだったのに 買う時は 箱を振ってみたりして選んだものだ。中身はわからない。だから謎!開封時の一時の緊張!そこには夢があった。 そして おまけがついているから得した気分になれた。でもよーく考えてみると おまけのついてないキャラメルは個数が多く、おまけ付きは少ない。 要するに おまけというガラクタを買っていたんだ。
グリコ

ってことは、おまけでないことになる。


最近 コンビにで缶コーヒーを買うと缶の上部に クラシックカーやスーパーカーの模型や野球選手のフィギュアがついてくる。

日頃は120円で缶コーヒーだけ売っているのに そのキャンペーン期間中のみそのおまけが付く。

これぞおまけの正しい付けかただろう。


同じコーヒーでも付いているのとないものがあった。もちろん僕はおまけ付きに手をのばした。ちょうど昼時で混雑していたので皆はどうするのだろうと思い しばらく観察してみると やっぱり ほとんどの人がおまけ付きを手にしていた。昼食を買いにきている作業服を着た 30歳から50歳の職人風の人たちで年齢に関係なく おまけ付きを手にしていた。


そのおまけの中身は かつてのキャラメルのものよりは立派であったが やはりすぐどこかで捨ててしまうものなのでしょう。

でも その中身を見るとき 僕は童心に味わったあの緊張感がよぎった。

買っていった人たちも皆この気分を味わっているのか ふと気になった。


私も職柄 コンビニで缶コーヒーを買うことが多いが時々今のようなおまけ付きの時やズバリ20円安かったりすることがある。

経済面では安い方がよいだろうが そのおもちゃは20円では作れないだろうと思うと そっちの方が得なのかなあ?