昭和時代にまだ地上駅だった国鉄金沢駅に存在した櫛型のホーム(行き止まり)で0番線A,Bホームと呼ばれ、主に金沢を起点とし発着する七尾線のディーゼルカーの乗降に使われていた。


0a

まだ JRが国鉄だった頃(昭和62年4月1日以前)のお話です。 


北陸本線で遠方から列車が着くたびに 「かなっざわー かなっざわー 七尾線のりかえー・・・」と独特のアクセントで場内アナウンスが流れていた。これを聞くと 長旅から帰ってくると「ホッと」する暖か味があったように思える。


私が物心がついた頃には 北陸線は電化されており 大阪、名古屋、上野から来る長距離列車はほぼ電車だったが 七尾線の電化は遅く ディーゼルカーが使われていた。

当時の金沢駅には0番線A,Bを含め 7つのホームがあったと記憶しているが その0番線だけは 電化されておらず架線がなく青空がはっきりみえた。当然のことながら 電車が入り込めず ディーゼルカーで運行する七尾線や高山線の特急「ひだ」が発着していた。


このゼロ番線は その昔は1番2番と名乗っていたと思うが いつからかゼロになった。 確か駅長室のある場所を起点に1,2,3番と決めるとか?・・・したがっていつの日か駅長室が3番線上に移ったのか?さだかではない。


また改札口から0番ABと1番線はつながっていたが それ以外のホームに渡るには地下通路が使用されていた。地下通路からそのまま バスターミナルへつながる地下改札口もあったが あまり知られてなかったのか ほとんどの人はわざわざ階段を上がって中央改札口へ向かっていった。迎えにでる時もまず地上で待っていれば逢えたものだ。

また 待ち合わせ場所には 「郵太郎」と呼ぶ金太郎さんのポスト前が使われ、 金沢人の旅は そこから始まったものだ。


時は移り その金沢駅も平成3年の国体を期に高架化事業が進み、その後石川県庁の移転もあり、今までなかった西口が整備され、在来の東口も今では 素晴らしいガラスドームで覆われ、バスターミナルや併設する北陸鉄道線は地下化され、駅周辺は大都会を彷彿させる街づくりがなされ、来たる2014年新幹線開業の準備は着々と整ってきている。

金沢駅

近代化され確かに便利になったが 金沢駅の名物だった「場内アナウンス」や郵太郎が 消えたこと。ホームの駅弁売りやあんころ売りがいなくなったことが 残念に思う。


また ゼロ番線ホームも 先ほどの解釈が正しければ 新設される新幹線ホームは現駅長室よりマイナス側に位置してるのでマイナス1、2,3番線、もしくは0番ABCDなど・・・・の復活!  あるわけないか。



ガチャピンとは 昭和48年にはじまった フジテレビ系の子供番組「ひらけ!ポンキッキー」のキャラクターとして相棒のムックとともに有名であり 現在も継続されている。
ガチャピン
そもそもは南の島からやってきた内気な怪獣であったが いつのまにか 行動的なスポーツマンという性格が前面にでてきた。


番組内では 空、海、山とすべてのスポーツジャンルを極める万能キャラである。

スカイダイビングにハンググライダー、スキューバダイビング、ロッククライミング、そして空手やボーリング、体操。冬季はスキーにフィギュアスケート。


ぬいぐるみに入る人がその道のプロであることは 言うまでもないことなのだが 私が学生時代 アルバイトで どらえもんと怪物君の ぬいぐるみに入ったことがある。中は窮屈で視界もごくわずか、手足も満足に動かない、指にあっては野球のグローブ程度しか動かないものだった。

もちろん形状には若干違いがあるが どう見ても、運動しやすいわけがないものでしょう。


海にあってはぬいぐるみが濡れ 空気も入り 潜りにくいと思うし、少ない視界にどのようにエアーボンベから呼吸するのか?


ロッククライミングにしても どんなに握力があっても ぬいぐるみの中から岩を掴めるものなのか?


また先日 スキーのモーグル競技に特別参加していた。斜面は こぶをうまく吸収し 2つのエアーは 短い足でコザック、とヘリコプターを決め 見事ゴールインした。わたしなんか ぬいぐるみを着なくてもできないのに そのすべりはさすがであった。


本来 中に入った人を褒めるべきなのでしょうが 私はそのぬいぐるみの構造にたいへん興味を持つところだ。


ドラえもんの場合 中に入り 股下のチャックを閉める。それは自分ではできない。したがって 入ったまま誰も開けてくれないとずっと出られないわけだ。不覚にも 中で屁がでてしまったら さあたいへん。すべて自分で嗅がなければならないことになる。

実際 中ででてしまった時 子供が腹にパンチをしてきた。口元に通風孔がありその衝撃で空気が動いた。その子は「くっちゃーい」と言って ドラえもんから去って行った。おそらく夢を潰してしまったかもしれない。


ともあれ ガチャピンのぬいぐるみは どういう構造なのか。知っている方いらっしゃったら教えて欲しいものだ。


おそらく数年後には ガチャピンは宇宙遊泳もすることであろう。


♪~咲坂と桃内のごきげんいかが ワン・ツウ・スリー here we go.everybody come on rockin' roll!


昭和55年頃 前ブログの YMOが全盛期に 「増殖」という一風変ったアルバムをリリースした。


レコードは通常 LP盤は直径30cmと EP盤(ドーナツ盤と呼ぶ)は17cmだったが そのレコードは直径25cmと珍しい大きさであった。 ふざけたレコードだなあ!と思いつつ 再生してみると更にふざけていた。曲間に スネークマンショーと言う ショートコントが録音されていた。

「パンダは何食べてんだろう?・・・・ぱんだ・・・・」


「正月に 和尚が2人 通りかかり・・・・・これが本当のおしょうがつう・・・・」 


このような つまらない駄洒落風のものや ブラックユーモア的なもの、少しHなもの、また全く意味のわからないものまで 曲間に収録されている とんでもないレコードだった。


そのスネークマンショーは、当時活躍したプロデューサー 桑原茂一氏が率いたコントユニットで 主なメンバーに咲坂守こと DJの小林克也氏、そして畠山桃内こと声優の伊武雅刀氏がいた。 彼らはYMO とも交流が深く「増殖」に参加したが 何の効果があったのか全く疑問である。おそらく YMOの知名度を利用し スネークマンショーという言葉を広めたかったのだろう。

その後すぐに 彼らのファーストアルバム「スネークマンショー(急いで口で吸え!)」がリリース。そして「死ぬのは嫌だ!戦争反対」を発売し 黄金時代を迎えるが いつの間にか 自然消滅の道をたどった。


その後 2001年に復刻盤CDが発売されたようだが マニア受けしかせず いつの間にか廃盤になったとか・・・・


しかし今になって思えば それまでの常識 「レコードには 音楽が録音されているもの」 をくつがえす 新しい文化だったのかもしれない。その後 レーザーディスク、ビデオなどの 映像記録機の普及により 漫才やコント、落語など音楽以外も オーディオビィジュアルとして 栄えていくが 映像がなかった当時は ラジオのDJや声優だったからこそできた偉業で 彼らが残した 新しい文化だったような気がしてならない。


気になる方は是非 「スネークマンショー」を ご視聴あれ!

イエロー・マジック・オーケストラYellow Magic Orchestra


時は昭和54年 ちょうど私が 大学生時代に大流行した。

テクノポップと呼ばれる シンセサイザーにコンピュータを駆使した新しい音楽のジャンルを演奏する日本の音楽グループである。メンバーは細野晴臣(ベース)、高橋幸宏(ドラム・ヴォーカル)、坂本龍一(キーボード)の3人。

YMOは 音楽のみならず ファッションでも 1980年代初頭に巻き起こったテクノ/ニューウェーブ のムーブメントの中心にあった。昔のスキー服をイメージした服装に人民帽を着用。中国の人民服に似ていたため「赤い人民服」と呼ばれ、今までの長髪がすっきり刈り上げられた短髪に そしてもみ上げ部分をカットしてしまうなんともユニークな「テクノカット」が当時の若者の間で大流行した。


YMO

また当時は空前のDISCOブーム。

上記のアルバムがリリースするや否や東京を意味する「テクノポリス」、「ライディーン」が次々にディスコで 独特な振り付けで大ヒットした。


またこのアルバム(当時はレコード)は 初回プレスのみ 黄色いレコードで発売。後に発売された ライブアルバム「パブリック・プレッシャー」は 透明なレコード(レコード盤を知らない人たちへ→普通は黒い)だった。

これまた初回プレスのみのプレミヤであったため それを持っているものは 先端のシティボーイ=ナウイと称された。


当時、シンセサイザーやコンピュータを駆使した音楽は既にドイツのクラフトワーク が有名であったが、それらの技術を用いた音楽はまだ珍しい時代であった。そんな中で現れたYMOの音楽は大衆に受け入れられ、日本はもちろん英米でも大きな商業的成功を収めた。YMOはクラフトワークとともに、それまでの世界の音楽シーンの流れを大きく塗り替えたグループとして評されている。


そのYMOは最近 キリンラガーの宣伝で約30年のタイムスリップを見ることになった。

往年のミュージシャンも すべて健在でなによりです。全国ツァーをやるなら是非見に行きたいものだ。


また YMOを今回初めて知る人たちにも彼らの曲は 古く感じさせない、逆に斬新に映るかも・・・ 


往年のファンにとって たいへん嬉しいことだ!

手に入りそうで 買えないもの。


「日清のどん兵衛 きつねうどん」 

コンビニ、スーパー等で簡単に買えます。ところが 地区によって味が異なることご存知でしょうか。

概ね 関東と関西で別れているようですが・・・金沢で手に入るのは 関西(W)バージョンである。


先週 フォッサマグナを越え 栂池高原へスキーに行ってまいりました。道中のコンビニ「セブンイレブン」でカップ麺を買ってみました。 ありましたありました。どん兵衛 関東(E)バージョン。金沢以西で手に入らないものであります。


早速持ち帰り比較してみました。


まずは パッケージの違い・・・

カップ側面に書いてある成分、製造元の表示欄横のアルファベットに注目


west

 (上)関西バージョンWESTのW
east
(下)関東バージョンEASTのEだと思われます。

パッケージに対しては その他の違いは見られません。


問題のだし


E&W

色は写真のように関東風は 黒く一目でわかる。

味は Eは醤油が効いているのか 若干くどいと感じるのに対し Wは塩味が効いて しょっぱい感じである。だしの採り方も異なるのか 全く異なった味に思える。


どちらかというと私はEが好きだが  うどんはWで そばはEだという説もある。



日清は大阪の会社だから本物はWなのか?


気になる方は是非 御賞味を・・・!




 







黒い横綱 「朝青龍」!!

”史上最速のV20を決めた2007年初場所 14勝中12勝が 疑惑相撲!”

「週刊現代」のスクープが 大反響!を巻き起こした。


大鵬

日本の国技である 「大相撲」 過去にも八百長疑惑はあったが ここで検証してみよう。


☆古くは 昭和38年大鵬時代 全勝同士で向かえた大鵬と柏戸の両横綱の千秋楽対決で目下無敵の大鵬に怪しき土がついた(柏戸が勝利)試合に対し、現都知事の石原慎太郎氏(当時作家)が「八百長相撲だ!」と物言いをつけ 大騒動になったらしい。


☆その後昭和55年には 元十両力士が「週刊ポスト」に「大相撲に八百長が存在する」と告発があった。


☆また平成には 元小結の板井による八百長会見が大反響を呼んだ。


☆また若貴時代に 千代の富士VS貴乃花戦で 横綱「千代の富士」はあっさりと負けてしまった。これが何を意味するのか翌日「千代の富士」は引退表明した。 これを機に八百長に終止符が打たれたと思われた・・・そしてそれまでの千代の富士の試合にいささか疑惑があったことは闇に葬られた。


ここまでの事案は あくまでも私の記憶+聞いた話であるがゆえ 真偽の確証はございませんが 火のないところに煙は立たないわけでまんざらガセでもなさそうなので 興味をお持ちの方は各自で詳しく調べてみてください。また大鵬時代の私は 子供で「八百長」とは ある八百屋さんの名前だと思っていた。ちなみに近所に八百辰さんという1字違いの八百屋さんもあった。



1月末 ふと目にした週刊誌「週刊現代」に今回のスクープが載った。もちろん大反響があったわけだが この時点だけで終われば やれまたか!で済んだ話なのだが 今週号(2/3発売の2月10日号)にもそれを裏付ける記事を6ページにまたがって載せたのだ。 名誉棄損等での訴訟は覚悟、確かな情報を得ての記事と思われる。ましてや 八百長をやっているのは 個人力士だけではなく 協会ぐるみだと主張しているわけだ。


 プロ スポーツに欠かせないのは お金。特に相撲は個人競技で 寿命(選手生命)も短く短期間にガバッと儲けられればよいが 本気勝負だと怪我をする確立が高い。公傷制度の廃止もあって 怪我をすれば損。 普段の給金のみでは あとあとの生活も厳しいわけだ。 そこであてにするのが懸賞金。取り組み前に土俵をぐるぐる回る「永谷園のお茶漬け」「明治ブルガリアヨーグルト」「武田の新玄」の懸賞旗=金。 これが 八百長の財源になるのだが、儲かるのは勝ち力士だけではなく 手数料という名目で協会にその半分の3万円がはいるわけだ。 それが2004年までは各社1本と決まっていたのにそれが撤廃。現在は無制限にかけることができる。そのため1番で50本以上付くこともある・・・何もせずして協会はがっぽり儲かる仕組みだ。・・・


相撲をみているとお茶漬けを食べたくなるのは そのためである。←潜在意識


茶漬け


選手生命が少しでも長く怪我をせずかつ生活安泰にするために48手にないもう1つの技「八百長」が存在することはわからないでもない。


またプロレス好きの私は八百長推奨派である。

もし本当に八百長があるなら芝居が下手すぎる。もっと上手くやりなさい。そして面白くしなさい。

接戦で朝青龍が勝ち 横綱の権威を保つ。しかし 大関や関脇、小結のサプライズもほしい。そうすれば 視聴率が上がり懸賞もたくさん付くだろう。協会さん儲かりマッセ!

昭和っ子なら誰もが憧れた 故貴ノ花関の 土俵際しかも徳俵での弓なりになり 耐えに耐えての逆転劇 「打っちゃり」は 相撲ごっこの幻の技であったが ガチンコ勝負だからこそ見れた技だったのか 最近みられない。

八百長なら受身もとれるので大技も披露できるだろう。



ズバリ!私の今後の展開予想だと

週刊現代の主張は正しく 「朝青龍は 訴えない!」

相撲協会は 沈黙を通す・・・・・そして 時が忘れさせ→八百長は継続される。 



ならば 正しい八百長の仕方を習うべき 

講師は ジョー樋口さん ミスター高橋さん ラッシャー木村さんあたりがよいと思いますよ。



皆様はどう お考えでしょうか



















昭和45年に 中村梅之助さんでスタート。 小学校5年生の時 クラスで主題歌が流行っていた。

♪「お江戸の空に春を呼ぶ~ 」 あと おぼえていない・・・


その後 橋幸夫さん、杉良太郎さん 高橋英樹さん、松方弘樹さんを経て 今回は 7代目金さんに 松平健さんが抜擢された。

現在 テレビ朝日系列で放映中.


水戸黄門と同様、「さすらいの遊び人」が最後に「実は権力者」の正体を明かして悪を征する 基本的な構成だが これまた日本人ならこその快感を得られるものなのか つい見入ってしまう。


金さん

基本パターン

まずは、事件を「奉行の景元」が「遊び人の金さん」として内偵捜査をする。

証拠を押さえ 悪人どもが暴れだす。その直前に片肌を脱ぎ金さんの桜吹雪を(彫り物)を見せつけ

「この金さんの桜吹雪!散らせるものなら散らしてみろ」 

そして格闘のすえ悪人を一網打尽!皆は、御用となるがなぜか金さんだけは姿をくらましてしまう。←ここにも疑惑は残るが深く考えると話が続かない。



そして白洲の場面になり吟味が始まる。

被害者は悪行を訴えるが悪人どもは犯行を前面否認する。

そして被害者は そこにはいない金さんの存在に気付き「すべてを知っている金さんを呼んでください」と要求するが

悪人どもは流れ者で遊び人の金のことだ うまく逃げやがったと確信し 「金だか銀だかしらねぇが 証拠がないなら 早くおときはなしを!」 と釈放を要求。


 また 話によっては 悪人の仲間に幕府高官が陪席している場合がある。

その高官が「おい遠山 これは全く意味のない白洲だ!」などととぼけた様に悪人の無罪を主張する。

すると悪人の取り巻きが「金さんを出せ!」「出してみろ!」と怒鳴る。

被害者が泣きそうになる。そして取り巻きの罵声が最高潮に達した時である。

 

 奉行が やくざ言葉で「やかましい! 悪党ども!」と一喝する。

「そうかいそうかいそんなに金さんに会いたいかい!そんなに会いたきゃ会わせてやろう。この桜吹雪に見覚えがないとは言わせねえぞ」と片肌脱ぐ。

 そこには金さんと同じ桜の彫り物。しかしこの時の呼び名は「遠山桜」



 幕府の高官が悪人の仲間の場合は 往生際が悪く、その高官は「万事休す」と遠山に斬りかかろうとするが簡単に奉行に撥ね返される。

 そして一同事態を把握して愕然となり、悪人は観念する。



黄門様と同じく毎回 ワンパターンだが 印籠の代わりにだす刺青に快感がある。

悪人も メイクで一目でわかる。やはり口がひん曲がっている。


aso

安倍政権でも 外務大臣の麻生さん やっぱり口がまがっているが 悪人ではないのでお間違えなく。 

当ブログ内容になんら関係ありません。がんばってください。

 

1月スタートの 松平金さん。どうしても7人目となるとつい比較してしまうものだ。

私は個人的には 高橋英金さんがよかったと思う。

遊び人とお奉行のメリハリの付け方が好きだった。松方さんは ちょっとグレすぎだった。松平さんはちょっとまじめすぎる気がする。


まあ どーでーもいいですよ!


そこで疑惑1:格闘シーン 被害者も悪党もすべて御用になるのに なぜ金さんだけ御用にならないのか?


疑惑2 内偵捜査中の金さんと被害者、また 金さんを用心棒に使う悪党どもにとって かなりの接触時間があるにもかかわらず顔や声を忘れてしまうものなのか。 白洲で奉行入場時に 「お!金さんだ」と 誰一人気付かない。また顔見てわからないものが 刺青みて納得するものなんだろうか?


しかし 深く考えてしまうと 番組が面白くなくなるので 考えないようにしましょう。


ついでに どうでもいいこともう一つ 京都太秦の映画村に桜吹雪のTシャツが売っていた。欲しかったがあまりの高価(7000円)でためらったものだ。 しかし 黄門様の「印籠」はしっかり買ってきた。家のどこかにあるはず。


いざという時印籠をだせば助かることがあるのではと 今でも信じているが・・・・


 ともあれ 昭和からシリーズものでやってきた 「水戸黄門」「大岡越前」「銭形平次」「暴れん坊将軍」はずっと続いてほしいものだ。




冬はどこへ行ってしまったのか?

昨年より なんとなく異常気象に気付いていた。また長期予報では暖冬と予想されてはいたが ここまで的中するとは 誰も予想しなかったことと思う。

北陸地方 2007年に入って 金沢市の平野部の1月30日現在の積雪量は0cm。 私の記憶では過去 1月に雪が積らなかったことはない。 今冬に入って まだ雪かきをしていない。昨年と比較してみよう




2006冬


2006冬2

2006年1月30日 金沢市の実家前にて撮影 積雪は50cm 雪かきをすると こうなる。



2007冬
2007年1月30日 同じ場所にて撮影 あるはずのものがない。


今冬は 11月末に 車は冬用タイヤ(スタッドレスタイヤ)に交換し 除雪用スコップも新調し 万全の冬支度を整えた。

過去に暖冬は幾度かあったが 例年より若干少ないだけで雪は積る。もちろん1月末から2月にかけて積らないことはなかった。

調べてみると 過去20年の1月の平均積雪量は47cm 上記の写真のガレージの屋根雪がそれに当たります。

雪さえなければ 金沢はいいところだと思っている方も少なくないと思います。 今年は良い所ですよ!

 冬晴れのよい天気が続く まるで夢のような金沢の天気はいつまで続くのだろうか?


 最近の世間話は専ら 異常気象についてだ。「今年は水不足になる」「害虫が大量発生する」「農作物の不作」等の風説は絶えない。先日のニュースでは 例年なら積雪で覆われている(守られている)はずの麦畑が 野鳥に荒らされ、前代未聞の多額の被害だそうだ。また 私の職で考えても この季節は屋根雪でアンテナが倒れ、経済効果が生まれるが 雪解けまで仕事は出来ず 春が待ち遠しいわけだが 今年は即日 修理可能であるにもかかわらず 肝心のアンテナが倒れてくれないわけだ。

また 県内のスキー場もいまだに営業できないところもあり できても全コースは無理のようだ。また寒くないとスキーをしたいと思わないことにも気付いた。 私の想像以上に 暖冬の被害は大きいようだ。 


豪雪になればなったで被害も大きいが 降らないならないで これまた被害が出る。

また雪は嫌いと言いつつも共存するこの地に住む人達にとって冬に雪は必要であり 雪がないと落ち着かない。


「たくさんはいらないが 多少雪が降ってくれ!」と願うのは、雪を嫌っている私だけなのでしょうか?


もし 1月31日に雪が降らなかったら 金沢地区観測史上初の1月の 降雪、積雪0 を記録するそうだ。明日の天気予報 「曇り」  

記録樹立か!


 



 少し遅れましたが 新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。  新年の首相の挨拶に いざなぎ景気を抜く好景気が続く・・・と報道されていました。確かにGDP成長率や都心の地価、株価などをみればそうなんでしょうが 端末に職を持つ私にとって 実感のかけらすらないのが本音です。  

 昭和の高度成長期にあった「いざなぎ景気」では 車はパブリカ、サニーのデビューがあり、家電ではカラーテレビ、クーラーなどが一般庶民の手に届くようになり 景気向上をひっぱったことはなんとなく憶えている。当時 家には免許を持たなかった親父が突然 パブリカを買ってきたり、白黒だったテレビも いつの間にか馬場さんのトランクスは黒から赤に変った(カラーテレビになった)。しかし ここ5年に何が変ったのか全くわからないのは私だけでしょうか? 

 

しかしながら 確かに景気がよいという報道がされることはいい様に思えます。私のように実感のない人たちは 周りがさわげば そうなのか・・・と思い込むだろうし また こういった風説なら誰も迷惑はかからないように思う。それであって 景気が安定するなら そんなによろしいことはなし。へたに公定歩合をさわるより 景気安定は 「ボチボチデンガナー」「ええ おまっせ」という 風説に たよるが一番。


2007年はわたしにとって 皆様にとって よい歳になりますように!


 2006年をふり返って・・・

景気が上向きになったという割には 私の仕事にとって 何の影響もなくそれなりに進んだ。

家族にあっては 大きな行事もなかったが不幸もなく これといった病気もなく、事故事件にも遭遇せず 平凡な毎日が過ごせたこと。 それが何よりの幸せだったと思う年であった。


 そして 皆に公開できる このブログ、「その時テレビは何をみた?」 が開設できたこと。私にとって一番うれしかったことだ。

3/3 は 第一話 「ウルトラマンは赤かった」 ネットに乗った記念すべき日。

それから 約50話にもなりました。 覗いてくれた皆様に 深く御礼申し上げるとともに今年の締めの言葉にいたします。

新年も もっともっと楽しいネタで昭和を掘り起こしていきます。


北陸地方は暖冬でしたが 今日になって やっと積雪がありました。どなた様もくれぐれも風邪などひかぬよう気をつけて 元気で 明るいお正月を迎えましょう! 


ありがとうございました。