以前の記事で紹介した原田マハ

 

アートに関連する作品が多い中でも

特に印象派と言われる画家を

題材にした作品が多いように

思われます

 

 

ゴッホやセザンヌのように

ポスト印象派と言われる人も

含まれていますが

 

 

いずれにせよ

そうした人々が

活躍したと言われる

19世紀後半の

芸術作品を多く収蔵しているのが

 

パリのオルセー美術館

 

 

もとは鉄道の駅舎として

使われていた建物は

改修されて

1986年に19世紀美術を専門とする

美術館として生まれ変わったとのこと。

 

 

原田マハの作品で

アートを読んではいても

やはり百聞は一見にしかず。

 

 

というわけで、

ちょっとパリに行ってきました🇫🇷

 

 

 

本当は2020年の春先に

行く予定でいたのですが、

コロナのせいでいけなくなり

 

今回はそのリベンジの意味もありました。

 

100%遊びで行く欧州は

マデイラ島以来🎶

(いつもは80%くらい😆)

 

今はオンラインで

入場時間指定のチケットを

購入できるので

待ち時間も少なくて良いですね🎫

 

 

ちなみにこちらのサイトから

https://www.getyourguide.jp/

 

スマホのアプリもあって

日本語にも対応してて便利👏

 


 

中に入ると

広々としたメインエリア

 

 

大きなドーム型の天井が

かつての駅舎の構造を彷彿とさせます

 

入ってすぐに

待ち受けるのは自由の女神像

 

ニューヨークのものは

アメリカ独立百周年を記念して

フランスから送られたもの

 

ルーブル美術館所蔵の

ドラクロワによる

「民衆を導く自由の女神」

がモデルになっているそうです

 

そしてこの中央の大きな通路には

数々の彫刻が展示されています。

 



 

 

彫刻の間を通り

左の展示室に入ると、

そこには、ミレーの「晩鐘」が🔔

 

夕方に鳴らす祈りのための鐘

「晩鐘」

 

 

その鐘はVesper Bellということを

知って以来

感慨に浸りながらカクテルのVesperを

夕暮れに飲むのが好きでしたが

 

 

 

実はこのミレーの「晩鐘」

英語タイトルは

"The Angelus"

"Angelus"とは

カトリックの信仰や信仰心そのものを

表すようです

 

 

僕自身は無宗教なので

ちょっとよくわかりませんが

どうも"angelus"という言葉自体には

「晩」という意味はないようです

 

恐らく日本へ紹介するときに

誰かがつけた邦題なんだと

推察しますが

 

色々調べてみたものの

由来や名付けた人については

全くわかりませんでした。

 

まぁそんなこともわかりつつ

念願だったミレーの「晩鐘」を

生でみられて大興奮♪

 

実は3回目のパリ

オルセー美術館は

今回が初めてでした

 

 

その隣には同じくミレーの

「落穂ひろい」

 

しかしこの絵は

単純に麦を収穫した後の

落穂を拾っている状況というのみでなく

 

 

落穂拾いという行為は

当時、収穫のみでは

命を繋ぐことができない

貧しい人々に許された

命を繋ぐための権利として

認められていた行為だそう

 

そうした知識無しに

この絵を見てしまうと

単純に落穂を拾っている

三人の女性に

目が行ってしまいますが

 

よくみれば

背景に描かれているのは

うずたかく収穫された麦の山と

その前で馬に乗る

地主らしき人であり

 

 

 

その手前の貧しさの象徴と

奥に描かれる豊かさの象徴とが

同一画面に混在し

 

当時の貧富の格差に対する

強烈は風刺のようにも思えます

 

「落穂拾い」は

単純に「もったいない」精神の

具現化ではなかったということを

知り大変勉強になりました

 

実際ミレーは

「社会主義者」と呼ばれたこともあったそう

(ちなみに本人は否定していたそうですし、

 実際にそうした活動に参加した記録も

 ないそうですが)

 

他にも多数ミレーの作品が収蔵されていて

もうテンションあげあげ⤴️⤴️

 

ジャン・フランソワ・ミレーは

19世紀中頃に活躍した画家で

マネ・モネ・ルノワールに代表される

印象派が活躍した19世紀後半よりも

少し早く活躍したようです

 

 

個人的には

華やかな絵画よりも

 

ミレーのような

(バルビゾン派という)

農民画の方が好きです

(あくまで個人の感想です)

 

 

 

とはいえ

やはり印象派の絵画は美しい

 

エドゥワール・マネの

「草上の昼食」

 

(マネは印象派と分類されることが

 多いようですが

 写実主義的な作品もあり、

 これもその一つ)

 

二組の男女が森の中で

ピックニックをしている様子を

描いたこの作品

 

手前で立膝に頬杖で

こちらを見る女性は裸体で

手前に脱ぎ捨てられた服が

あることから

 

その場で服を脱いだことが

示唆されるこの絵画

 

何じゃこりゃ?

という程度の認識しか

持っていませんでしたが

 

当時(1860年代)としては

かなりセンセーショナルであったそう

 

それ以前も

裸婦が描かれることは

ありましたが

 

それはあくまでも神話や

歴史上の人物の理想化された姿で

描かれる「高尚」なもの

 

それに対してマネの描いた裸婦は

極めて現実的で

かつ視線をこちらに

むけていることも「挑発的」

とみなされたようです

 

なので当時としては

かなり画期的なものであったと同時に

かなりの批判の対象となったそう

 

詳しい解説はWikipedia等にも

ありますが

 

いずれにせよ

このマネの作品は

 

19世紀後半以降の美術史に

多大なる影響を与えた作品の一つ

 

と評されています。

モネ、セザンヌ、さらにはピカソまで

「草上の昼食」を意識した作品を

残していることからも

その影響が伺えます

 

 

 

そして印象派の代表のモネ

モネといえば睡蓮が有名ですが

image

 

 

それ以外にも

「日傘を持つ女」

 

モネには

全部で3作の「日傘を持つ女」が

ありますが

2作目(右)と3作目(左)が

オルセー美術館にあります

(1作目は

 ワシントンナショナルギャラリー収蔵)

 

亡き妻を思って描いたとされる

この2作

いずれも顔は

はっきりとは描かれていません

 

1作目は、

実際に妻と長男をモデルとしていて

顔が描かれているのと

対照的です

この1作目がモネ34歳のとき

2作目はモネが45歳のときで、

この間に、

妻も長男も亡くなってしまっています

 

そうした背景を踏まえて

あらためて2作目、3作目を見ると

まばゆい光の中で

ぼんやりと浮かび上がる女性は

風景の一部となって見えます

 

「光の画家」とも称されたモネ

 

それまで屋内のアトリエで

描かれることが主だった絵画を

 

積極的に戸外で制作していたそうです

だからこそ自然の光の「印象」が

ダイレクトに反映されたような絵に

なっているのでしょう

 

画材としてのチューブ絵の具が

開発されたことも

戸外制作を容易にした一因

となったとされています

 

絵画とは

単純なスナップショットではなく

 

画家の人生、

社会的背景

そしてそこへ至るまでの歴史

 

それらすべての結果として

あるのだなぁと思うと

非常に興味深いですね

 

 

マネ、モネときたからには

やはり、ルノワール

 

image

↑こちらは

「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」

ムーラン・ド・ラ・ギャレットは実在した

ダンスホールで、

当時この近くに住んでいた

ルノワールは

自分のアトリエから

通いながら制作していたそう

 

華やかな光のなかで

賑やかな雰囲気が

飛び出してくるかのような作品

 

確かにこれが古典的な手法で

輪郭がきっちりと描かれていたら

ちょっと重たくなってしまいそうですね

ルーブル収蔵の「カナの婚礼」のように

 

でもこうして

改めてみてみると

世界史で

「印象派の画家といえば?」

「マネ・モネ・ルノワール!」

 

と丸暗記させられていた頃よりも

もっと情報が生き生きとしてきますね

 

 

そしてこうした

複合的な情報を

世界のどこにいても

瞬時に調べられてしまう

インターネットって

本当にすごいと思います。

 

 

他にも印象派としては

エドガー・ドガ

こちらは「バレエのレッスン」

他にもバレリーナを多数描いているドガ

興味深いのは、

その多くが有名なプリマではなく

若い「その他大勢」的な

バレリーナたちを描いているところ

 

当時広まり初めていた

写真技術にも

強い関心を示していたというドガ

 

日常の何気ない一瞬を

切り取ることにも

長けていたのでしょう。

 

晩年視力の衰えが

著名だったというドガは

下のようなデッサン用の

塑像も残しています

 

こうした状況も

原田マハの短編集

「ジヴェルニーの食卓」の中の

「エトワール」で描かれていたので

なおさら面白かったです。

 

 

 

以上のいわゆる印象派が突出した

1870年から80年代に続いて

 

80年から90年代に出てくるのが

ポスト印象派とされる

フィンセント・ファン・ゴッホ

 

 

今でこそ世界的に有名なゴッホですが

生前は一枚しか絵が売れなかったという

 

しかも若い頃は

画商の会社に勤めたり

キリスト教の伝道師になろうとしたり

と紆余曲折であった

1853年生まれのゴッホ

 

実際に絵を志したのは

1880年で27歳の時というから

かなりの遅咲き

 

そして1890年7月には

亡くなってしまっているので

通常の人の一生分を

わずか10年で駆け抜けていったことが

わかります

 

 

こちらの「ローヌ川の星月夜」は

ゴッホが南フランスのアルルに

滞在していた1888年に描かれたもの

 

どことなくメルヘンチックな

感じがしますね

 

この後

同じくポスト印象派の

ポール・ゴーギャンと共同生活を

始めますが

 



 

わずか2ヶ月で破綻

 

 

そのあとは自分で

左耳を削ぎ落として

娼婦にプレゼントしちゃったりするくらい

イッてしまうゴッホ

 

同じような構図の星月夜でも

そのあと1889年にゴッホが

精神病院にいるときに描かれたものは

全く様相が異なります

こちらはニューヨークのMOMA収蔵

 

そういえば

MOMAのレポートは

だいぶ前に書いてました📝

 

 

思い返せばこの時の体験が

それまで

自分が勝手に持っていた

印象派に対するイメージを

 

ガラリと変えたのでした

 

なので以前パリにきても

オルセーは

スキップしていたのでした

 

いずれにせよ

オルセー美術館には

他にもたくさんの彫刻もあり

 

なかなか見応えたくさん


やはり百聞は一見にしかず😊

 

もう一度復習して

また近いうちにいってみたいですね

 

 

 

 

 

 

 

 

なお自分はアートに関しては

全くの門外漢ですので


本記事の内容は、

現地でのオーディオガイドや

インターネット、書籍から得た情報を

元にしております。


引用をしたものも

極力引用元を記載し

誤情報の無いようにしてはおりますが

もし明らかな誤謬等がありましたら

お手数ですがコメントいただけると幸いです


m(_ _)m