過去の災害に学ぶ 1896年6月15日 明治三陸地震津波 | dai4bunkuのブログ

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過去の災害に学ぶ

1896年6月15日 明治三陸地震津波

 

 明治29年6月15日(旧暦5月5日)、朝からどんよりとし た、小雨が降ったりやんだりした日であった。三陸地方の 村々は、前年の日清戦争の勝利を祝うべく、凱旋兵ととも に端午の節句の日を過ごしていた。

 午後7時32分頃、人々 は地震の揺れを感じた。現在の震度にしてⅡ、Ⅲであると思われる小さなものであったようだ。

 緩やかな、長く続く地 震動であったが、人々はいつものこととさして気に留めることはなかった。

 この約30分後に巨大な津波が不意に来襲し、我が国の津波災害史上最大の、2万2千人にのぼる死者を出した津波災害となる予兆であるとは誰も思わなかった。

 地震の規模の割に非常に大きな津波を引き起こす地震を 「津波地震」と呼ぶが、明治三陸地震津波はこの「津波地震」 により引き起こされた津波であったと言われている。

 明治三陸地震津波は、津波そのものの大きさもさることながら、 津波来襲の警笛となるはずの地震動が小さかったために、 その被害は拡大したといわれている。

 

津波の来襲状況と人的被害

 津波の来襲状況について、三陸津波誌には次のように書かれている。

 

午後七時頃地震があった。強くはなかったが 震動時間が長かった。十数分過ぎてからまた微震があって、それが数回続いた。海岸では潮の引くべき時間でもないのに引き潮があった。それからまた潮がさし、しばらくたって8時20分頃海の方から轟然と大砲のような響きが聞こえた。しかし、人々は軍艦の演習くらいに思い、気に留める者もいなかった。まもなく、すごい音響とともに黒山のような波が耳をつんざくばかりに怒号し、一瞬の間に沿岸一帯あらゆる全てのものを流しさってしまった」。

 

 津波は青森県から宮城県にかけての太平洋沿岸を襲い、最高で38メートルもの打ち上げ高が記録として残っている。  

 

迅速な避難の重要性

 多くの人命が失われた明治三陸地震津波だが、人々の生死を分けた事例がいくつか残されている。風俗画報にはこのように記されている。

「今よ41年前に起こった津波は緩やかに来襲し、家屋の二階にいた者の多くが助かった。明治の津波においては、津波の来襲に驚き慌てて逃げた者は助かり、過去の経験から津波はゆっくりやって来るものだと信じていた者は避難が遅れたために、巻き込まれて亡くなってしまった。」 

 これは、安政3年(1856年)に三陸はるか沖で発生した地震津波を経験した者が、緩やかだった前の津波と同じであろうと油断したために命を落とした例である。すなわち、津波には個性があり、過去の経験に基づく行動や思い込みが裏目にでる場合もあるということを示唆している。

  津波災害から生き延びるための唯一の方法は避難であり、 時間との戦いでもある。

 南閉伊郡海嘯紀事に残されている記述では、「岩手県の某家に滞在していた2人のフランス人 宣教師は、津波が来たとの声で急いで逃げようとした。

 一人は靴を履く間も惜しんで慌てて逃げ、何とか急死に一生を得たが、靴を履こうとして一歩出遅れたもう一人の宣教師は巻き込まれて惜しい命を落とした」とある。

 

 逃げるときには金や物に執着せずに、高所に向かって一目散に走る ことが重要であると教えてくれている。

 

 被災地の復旧津波被災地における復旧活動は、まず遺体や瓦礫の片づけであった。

  津波による遺体は一般的に損傷が酷く、身元の確認を含めて遺体捜索、処置が難航する。

 特に、津波のあった6月は日々炎天となり死体が腐敗して、臭気が酷く遺体の捜索は難航を極めた。

 被災地では、特に全滅に近かったところほど、事後の片づけには人手が足りず、大変な苦労をせねばならなかった。被災地外からの支援に頼らざるを得なかった集落も多く、山間部からの住民の支援に加え、陸海軍からの支援も入り、ようやく片づけ作業が終了したのは、津波発生から1か月後であった。

 

 津波災害の教訓

 災害は忘れたことにやってくると言われるが、津波災害についてもまさに文字通り、忘れたころに悲劇が繰り返されてきた。私たちは、過去の悲劇から学び、その繰り返し (悪弊)を断ち切る努力を忘れてはならない。

 真に重要なことは、災害の記憶を後世に残し続けることである。それが、次に来る津波災害の被害を軽減するための重要な要件である。

 

爺さん:

 

 災害時の心理

 2011年3月11年に発生した東日本大震災から、10年以上の時が流れた。年始に能登半島地震が発生したこともあり、2024年の3月は例年にも増して「災害」を意識する人が多かったのではないだろうか。

 

 けたたましく鳴り響く非常ベルの音を聞いたとき、テレビの画面に映る津波警報のテロップを見たとき。あなたは瞬時に「逃げよう」と思えるだろうか。「点検かな?」「警報器の誤作動かな?」と考えたり、周りの人が逃げているかを確認したり……不安に感じつつも本当に「非常事態だ」と確信できるまで、動けずにいる人もいるのではないかと思う。

 

 「この状況は正常の範囲内だ」「自分は被害には遭わない」──私たちは緊急時、目の前のリスクを低く見積もってしまう心理傾向を持つ。それが「認知バイアス」と呼ばれるものだ。今回の記事では「正常性バイアス」「楽観性バイアス」を始めとする災害時の避難を妨げる認知バイアスを知り、これらに対する対処法を考えていく。

 

災害時の避難を妨げる認知バイアス

 

代表的な「正常性バイアス」と「楽観性バイアス」

 

 災害が起きたとき、避難を妨げる認知バイアス。その代表的なものとして挙げられるのが、「正常性バイアス」と「楽観性バイアス」だ。

 

正常性バイアス

 災害などの非常事態が起こったときに、その状況を「普通だ」「正常の範囲内だ」と無意識に判断し、実際のリスクや危険を過小評価してしまう心理傾向。

  例:非常ベルが鳴っても、「どうせ点検だろう」と考える

 

楽観性バイアス

 人が自分自身の将来について楽観的に考える心理傾向。正常性バイアスと楽観性バイアスは相互に補完し合い、災害時の避難を躊躇させてしまう大きな要因になっている。

 

  例:他の人が被災していたとしても、自分だけは大丈夫だと思う

 

 さらに、正常性バイアスを強化する機能を持ちうるものとして、下記のバイアスが挙げられる。

 

同化性バイアス

 異常を背景のなかに同化させてしまう傾向。じわじわと変化することに対して気づきにくい状態を表す。

 

  例:津波が迫ってきていても、潮位の変化がゆるやかであれば避難せずにいる

 

同調性バイアス

 集団の規範に従ってしまう傾向。集団と異なる行動を取りにくい心理状態を表す。

 

  例:煙が立ち込めていても、周囲の人たちが動かないので避難しない

 

 このように私たちは、自分に都合が良いようにバイアスをかけて物事を認知しがちなのだ。

 

 また、災害時の避難を妨げる心理傾向として下記のようなものも挙げられる。

 

利用可能性ヒューリスティック

 

 最近起きたことや印象的だった出来事など容易に思い浮かべられる情報をもとに物事を判断する心理傾向のこと。

 

  例:「この前も警報が出たが、大した被害はなかった」ことを思い出し、今回も大丈夫だろ

    うと考える

 

その他の心理傾向

 

オオカミ少年効果

 

 繰り返し誤情報や虚偽の情報にさらされることで、人々が本当の警告を無視するようになる心理傾向

  例:警報の空振りが続くと、警報への信頼性が落ち、「警報はあてにならないから大丈夫だ

   ろう」と考える

 

災害時、実際に避難した人の割合は

 

 避難行動がなかなかとれない傾向は、データからも見てとれる。

信州大学地域防災減災センターの資料によると、日本・欧米の研究結果を概観しても、避難指示や命令が発されても避難する人々の割合が50%を超えることはほとんどないという。

 

  東日本大震災の8年前の2003年に発生した、宮城県沖地震(震度5強~6弱)のあと、気仙沼市で行われた「避難」に関する調査結果を見てみたい。

 

 まず「実際に避難したかどうか」という問いについて、「避難した」と答えた人は1.7パーセント。また、人々が次に取った行動として、テレビで津波情報を見たり、防災行政無線を確認したり、「本当に津波が来るのか」という情報収集をしていたことがわかっている。

 

 この調査に当たった東京大学大学院情報学環特任教授・片田敏孝氏は、NHKの記事で、この結果について「気仙沼の住民が津波を意識していなかったわけではないのです。大半の人たちは津波に非常に警戒心を持たれたのは確かです。しかし、『津波が来るんじゃないか』と思ったことと、『自分の命の危険を感じたか』は、また別の話なのです」と語っていた。

 

普段は役に立つ認知バイアスが、災害時のリスクに

 

 実は、正常性バイアスや楽観性バイアスは、完全な悪者というわけではなく、日常において重要な役割を果たしている。

 

 例えば、常に最悪の事態を想定していると日常的にストレスを受けてしまうが、正常性バイアスや楽観性バイアスがあることによって過度な不安を抱くことなく生活を送ることができるというわけだ。

 

 落ち込んでいる男性のもとにやってきたメガネ売り。メガネ売りが差し出したメガネの片方には、心配なこと、嫌なことを見えなくしてくれる「自分は大丈夫レンズ」が、もう片方には、何が起きてもみんなと一緒だから大丈夫だと思わせてくれる「みんなと一緒レンズ」が入っていた。

 そのメガネをかけると、男性の不安は和らいでいく。しかし、災害が起きたときに「すぐ大丈夫になるだろう」「みんな逃げていないから大丈夫だろう」という気持ちになり、危険にさらされてしまうのだった。

 

 このように、正常時は私たちの生きやすさにつながる認知バイアスが、非常時は私たちを危険にさらしてしまうのだ。

 

認知バイアスとどう付き合うか

 

 普段私たちの役に立ってくれる認知バイアスを、非常時に悪いほうへ働かせないために、私たちはこの心理傾向とどのように付き合っていけばよいのだろうか?

 

バイアスの存在を認識す

 やはりまずは、認知バイアスがあることを理解することが大切である。災害時に、自分の思考や行動が歪められていないかをセルフチェックすること、そして、周囲の人にも「認知が偏ってしまうことがある」と分かってもらうことが重要だ。

 

状況と行動をパッケージ化する

 緊急時にはどうしても認知バイアスがネガティブな方向に働き、冷静な判断ができなくなってしまいがちだ。

 そこで、緊急時には、バイアスが生じる可能性のある「思考や判断」を行わせない、という考え方がある。この考えに基づき実行されるのが、「状況と行動のパッケージ化」だ。あらゆる災害に対してどのような危険があるかをイメージし、事前に行動計画をたて、そのための訓練を徹底的に行う──これにより、緊急時に「判断を介さず」すばやく行動を取ることができるようになるのだ。

 

とにかく行動する

 周囲の行動をうかがいながら様子を見ていると、場の雰囲気が落ち着いてしまい、次の行動を起こすことが難しくなることがある。だからこそ、機を逃さずに自ら行動することが重要だ。例えば、自分自身が「率先避難者」になることもその一つである。率先して逃げる人の存在は、「みんな逃げているから自分も逃げよう」という雰囲気づくりにつながっていく。

 

認知バイアスを逆手にとる

 上記の「率先避難者」の例ともつながるが、認知バイアスを逆手に取り、避難行動を促す手段もある。国立大学法人千葉大学が発表した研究結果によると、エリアメールを模した文章に「対象地域の人がすでに避難している」という情報を追加することで、人々が目の前の状況をより危険だと捉えやすくなり、避難の必要性をより高く評価するようになったという。認知バイアスをうまく活用すれば、避難行動を促進することもできるのだ。

 

声をかける、伝え方を変える

 今の状況が平時とは異なることがはっきり伝わるように「伝え方を変える」ことも重要である。

 本年1月に発生した能登半島地震において、ニュースキャスターが強い口調で避難を呼びかけていたことを覚えている人もいるだろう。これも、緊迫感をもって非常事態であることを伝えるための方法の一つだったと言える。避難を先導する立場の人が非常時であることを強調する伝え方をすることが大切なのだ。

 

 さらに、正常性バイアスは、身近な人から声をかけられると抑制されるため、表現や口調を工夫しながら周りの人に緊急事態であることをはっきりと伝えることも必要だ。

 

迅速な避難行動をとるために

 悲観的になりすぎることなく、未来に希望を持って人生を送れるように──私たちの心を守ってくれる認知バイアス。それが時には、未来への希望を打ち砕くものとなってしまう可能性がある。だからこそ、非常時「とにかく逃げる」という選択肢を選べるように、「認知の偏りを持つ私」という存在に自覚的でありたい。

 

☆ ☆ ☆

「札幌は、地震も少ないし、安全だ」等の、都市伝説的な考え方の市民が多い。

本当は、月寒断層帯等があり、直下型大地震の起きる可能性が高いのだ!

 阪神淡路大震災の例がある。

 災害に備えましょう! 

 災害は、忘れたころにやってくる!