「日本には寄付の文化が無い」と言う人もいるが、本当は
赤い羽根共同募金の不祥事により、寄附の減少が危惧されている。
赤い羽根募金と日赤募金は、昔から町内会組織を通じて寄附の割り当ての文書が届く。
いい加減に、古い”たかり”のようなシステムは廃止すべきだ。
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日本には「まったく寄付文化がない」わけではなく、欧米と比べて個人寄付が小さい一方で、独自の寄付の形があると言えます。
歴史的には寺社への奉納や布施など、宗教と結びついた寄付文化も存在してきました。
「寄付が少ない」と言われる根拠
•内閣府の国際比較では、日本の寄付総額は米英などに比べ低水準で、特に個人寄付の割合が小さいとされています。
•日本ファンドレイジング協会の「寄付白書」でも、個人寄付総額は米国の数十分の一というデータが示され、「日本には寄付文化がない」との言説の根拠になっています。
なぜ「寄付文化がない」と感じられるのか
•宗教的背景:キリスト教やイスラム教のように「寄付が信仰上の義務」という要素が弱く、日常的な寄付習慣が形成されにくいと指摘されています。
•信頼の問題:日本人の多くが「寄付金がきちんと使われているか不安」「団体への不信感が強い」と回答しており、これが寄付行動の抑制要因になっています。
日本にある「別のかたちの寄付文化」
•歴史的には、寺社への寄進や布施、地域の講・講中、災害時の義援金など、共同体ベースの寄付が行われてきました。
•現代では、赤い羽根共同募金、日本赤十字社の募金、街頭募金、学校や企業を通じたチャリティーなど、日常的な小口寄付の仕組みが各地にあります。
※この共同募金団体が多額の使途不明金、余り外に出ないが、町内会連合会宛てに共同募金や日赤募金の図々しい「期待額」と称する寄附分担金の町内会加入施多数割の割り当て数字が下りてくる。つまり、町内会加入世帯数のまとめたデータが、両募金組織に流れていることになる。
こんな図々しい話はない、いい加減にせよ!と言いたい。
•ふるさと納税やクラウドファンディング型寄付など、「税制優遇」や「プロジェクト指定」で参加しやすい新しい寄付スタイルも広がっています。
最近の変化と今後
•東日本大震災(2011年)以降、災害寄付をきっかけに寄付への関心が高まり、一時的に個人寄付総額が1兆円を超える年もありました。
•ただし、ふるさと納税分を除くと、長期的な「自発的寄付」はまだ伸び悩んでいるとの分析もあります。
まとめると、「日本には寄付文化が無い」というより、「欧米型の常時・高額寄付文化は弱いが、宗教・共同体・税制優遇と結びついた日本独自の寄付文化があり、なお発展途上」と理解するのが実態に近いです。
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日本は仏教の教えの国である。
いにしえの封建、戦国の昔から長い間、平民の貧民層は虐げられてきた。寄附と言う余裕なんかあるわけがない。
それでも。大規模災害時等には、少しずつ食べ物を出し合って生き延びてきた。
そんな中、
「ありがとう」「おかげさま」の気持ちを行動で表す身近な実践として、『雑宝蔵経』(ぞうほうぞうきょう)に説かれる「無財の七施」(むざいのしちせ)があります。
誰でも日常生活で実践できる徳積みの方法とされます。
無財の七施の内容
代表的な説明では、次の7つが挙げられます。
1.和顔施(わがんせ)
穏やかな笑顔で人に接すること。
2.眼施(がんせ/げんぜ)
優しいまなざしで見守ること。
3.言施・言辞施(ごんせ/ごんじせ)
温かく思いやりのある言葉をかけること。
4.身施(しんせ)
からだを使って奉仕すること(手伝い・行動で尽くす)。
5.心施(しんせ)
他人や生き物への思いやりの心を向けること。
6.床座施(しょうざせ)
自分の席や場所をゆずること。
7.房舎施(ぼうしゃせ)
雨露をしのげる場所や休む場を提供すること。
意味と現代的な受け止め方
•財産がなくても、態度・言葉・心がすでに「与える力」だと示す教えです。
•日常では、笑顔であいさつする、席をゆずる、困っている人を手伝うなどが具体例になります。
•見返りを求めずに行うことで、自分の心を柔らかくし、人との関係も穏やかにすると説かれます。
※ 立派な寄付文化が続いてきているのだ。キリスト教・イスラム教のように「寄付が信仰上の義務」という国ではない。自国の文化と比較し「日本には寄付の文化が無い。」指摘をまともに受けて日本の最大の募金団体「赤い羽根共同募金会」等がこの論に乗ってはいけない。
