アッツ島の「玉砕」の日(5月29日) | dai4bunkuのブログ

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アッツ島の「玉砕」の日(5月29日)

 

 山本長官の戦死が伝えられた頃、アリューシャン列島のアッツ島では絶望的な戦いが続いていました。アッツ島はアメリカ領で、山本長官が推し進めたミッドウェー作戦に連動する形で1942年6月に日本軍が占領しました。

 その目的は、北方の守りを固めるというものでしたが、濃霧や暴風、マイナス10度にもなる気象条件の悪さと資材不足から、飛行場建設は遅々として進みませんでした。

 

 1943年5月、アッツ島守備隊のおよそ4倍となる1万人あまりのアメリカ軍が島に上陸してきました。弾薬も食糧も不足するなか守備隊は頑強に抵抗しましたが、やがて一方的な攻撃にさらされていきました。

 島の周辺もアメリカ軍の制圧下に置かれ、作戦を指導する大本営では「アッツにはお気の毒なるもこれに悪アガキをして得る所もなく戦力を消耗しては大変である」といった意見があがります。 

 結局、増援部隊の派遣や補給は行われず、守備隊は孤立無援となりました。

 

 こうした中でも、守備隊の2600人は死ぬまで戦うことを求められました。日本軍は降伏して捕虜になることを禁じていたからです。兵士は銃剣や手りゅう弾を手に、夜間突撃を繰り返しました。

 ケガで動けない兵士には自決が命じられ、29日に残った100人ほどが最後の突撃を敢行。守備隊は全滅しました。

 尚、27人が意識を失うなどしてアメリカ軍に捕らえられ、戦後に帰国しています(防衛省防衛研究所所蔵「アッツ島陸軍関係戦没者連名簿(附生還者連名簿)」)。

 

札幌護国神社境内 彰徳苑 慰霊碑

アッツ島玉砕 雄魂之碑

アッツ島の戦いでの犠牲者のための碑。1968年(昭和43年)7月29日建立。幅7メートルの台座の上に、32トンの神居古潭石製の碑が載る。

 

札幌護国神社

 明治10年の西南の役に戦病没した屯田兵の霊を祀る。 

 有栖川熾仁親王により屯田兵招魂碑と題し、明治12年8月2日屯田兵司令部に於て祭祀を斎行する。

 明治40年2月中島公園に移転し、明治27・28年の日清戦争の戦病没者を合祀し、明治37・38年の日露戦争の戦病没者の合祀のため忠魂碑を建て、乃木将軍之を題す。

 昭和8年11月17日現在地に札幌招魂社を造営し官幣大社札幌神社に奉斎せる神霊を此処に奉還する。

 昭和11年昭和天皇北海道行幸の砌、祭粢料御下賜。昭和14年4月1日内務省指定の護国神社となる。

 終戦により昭和21年4月30日神社本庁に所属、同年12月12日札幌彰徳神社と改称する。昭和26年10月23日境内社多賀殿を奉斎神社本庁承認。

 昭和47年2月3日昭和天皇皇后両陛下御親拝。

 昭和54年7月6日札幌護國神社御創祀百年奉祝祭。

 平成7年8月15日天皇陛下奉幣臨時大祭執行。

 

彰徳苑

護国神社境内の一角には、上記のアッツ島玉砕 雄魂之碑戦没者慰霊碑のほか、数多くの碑が集められた「彰徳苑」がある。

屯田兵招魂碑

 1878年(明治11年)7月、西南戦争で没した屯田兵のために建てられた物で、札幌市内に現存する最古の碑と考えられる。

 当初は偕楽園にあった。1907年(明治40年)12月、日露戦争における札幌連隊区管内からの戦死者を合祀し、中島遊園地に移転。1933年(昭和8年)、招魂社境内に再移転した。

忠魂碑

日露戦争の戦死者のために建てられた。題字の揮毫は乃木希典

頌徳碑

 財団法人帝国在郷軍人会の創立者である松本謄四郎を顕彰した碑。当初は旭ヶ丘にあったが、1960年(昭和35年)3月、当社に移設され

 松本を称える正面の碑文は、佐藤昌介の撰による。1967年(昭和42年)、右側面に在郷軍人会の遺族を慰霊する文が刻字された。

尼港殉難碑

尼港事件の犠牲者のための碑。1928年(昭和3年)10月、旭ヶ丘に建てられたが、1960年(昭和35年)3月5日、当社に移設された。

ノモンハン英魂之碑

ノモンハン事件の犠牲者のための碑。1967年(昭和42年)9月16日建立。1987年(昭和62年)にはアフリカ産黒御影石製の由来碑が添えられた

メレヨン島戦没者慰霊碑

ウォレアイ環礁での犠牲者のための碑。1971年(昭和46年)10月建立。黒御影石製で、題字は堂垣内尚弘による。左後方には戦没者の氏名碑が立つ。

北千島慰霊碑

北千島での犠牲者のための碑。1975年(昭和50年)8月23日建立。日高産碑原石製で、題字は堂垣内尚弘による。

北海道全海軍 英魂の碑

北海道・千島・樺太にゆかりのあるすべての海軍関係者のための碑。1978年(昭和53年)8月20日建立。重巡洋艦で使われていた錨2基を配する

「北鎮砲兵発祥の地」碑

1896年(明治29年)12月に結成された独立野戦砲大隊を記念する碑。1985年(昭和60年)6月23日建立。アフリカ産黒御影石製で、題字は板垣武四による

旭川第七連隊砲兵哨舎

「北鎮砲兵発祥の地」碑建立の数年前に自衛隊が運んできたもの。

歩兵第26連隊軍旗奉焼の碑

歩兵第26連隊の解散に伴い、月寒神社で行われた軍旗奉焼を記念する碑。1986年(昭和61年)9月14日建立。白御影石製で、沿革碑が添えられている。