「本日天気晴朗なれども浪高し」 | dai4bunkuのブログ

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「本日天気晴朗なれども浪高し」

 

 日露戦争下の1905年(明治38)。ロシア軍は日本軍に逆襲するためインド洋にいたバルチック艦隊をウラジオストックに回そうとしていた。

 敵は宗谷海峡から来るか、対馬海峡から来るかわからず、日本中が脅えていた。

 連合艦隊司令官・東郷平八郎は「敵は必ず、対馬を通る」と断言し、朝鮮の南にある鎮海湾で迎え討つ作戦に出た。

5月27日~28日にかけての戦いである。

 そして、東郷元帥の見通し通り敵艦隊は九州の西方から現れた。

 「本日天気晴朗なれども浪高し」の言葉とともに出撃し、5月27日にこれを撃滅。日本軍の大勝利となった。

 

 

 司馬遼太郎さんの作品の中でも、よく知られているのが「坂の上の雲」。その主人公の一人として登場するのが、海軍軍人の秋山真之(あきやまさねゆき)です。

 1868年に現在の愛媛県となる伊予松山に生まれた真之は、日本海軍草創期の軍人及び作戦家として活躍した人物。NHKの大河ドラマ「坂の上の雲」で知ったという方も多いことでしょう。

 

秋山真之

 秋山真之の伝説的な功績として有名な話は、1904~1905年の日露戦争において、ロシアのバルチック艦隊を迎撃する作戦を考案し、それを完全に撃滅させたことです。
 小さな島国である日本が世界最強と言わしめた大国ロシアの艦隊を打ち破ったニュースは、世界史上類を見ない奇跡の大勝利として世界中を駆け巡り、全ての人を驚愕させたのでした。
 司令長官の東郷平八郎は、都心の杜にある東郷神社に祀られています。しかしその陰には、「智謀湧くがごとし」と謳われた秋山真之が打ち立てた作戦があってのことなんですよ。

 

作戦家であり、文章界を作った人物

 秋山真之は、作戦家として明晰な頭脳を発揮する素晴らしい逸材でしたが、明治の日本で文章界を作った人物の1人でもあるんです。天才的な名文家としても、よく知られた人物なんですよ。
 彼は裕福でない家庭に育ったのですが、現在の開成高校である共立学校から、これまた現在の東大教養学部に当たる東京大学予備門に進学した超エリートだったのです。
 あの超有名な俳人・正岡子規とも親交があった人で、お互いに文学者を志していたそうです。しかし経済的な問題で秋山真之は海軍へ転身することに。やむなく文学者の道を諦めた真之でしたが、当時から抜群の成績を誇り、文学的センスも圧倒的な素晴らしさを持ち合わせていたようです。

本日天気晴朗ナレドモ波高シ

 この日本海海戦において、日本の歴史上燦然と輝く名文が誕生します。

それが

「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

日本の運命をかけた重要な戦いでした。

 

                秋山真之



 もしバルチック艦隊の1隻でも取り逃がすことになれば日本の補給船攻撃され、満州に駐在していた陸軍の補給路を断たれ、つまりは日露戦争の敗戦であり、さらには日本の滅亡を意味していたのです。

 実際にバルチック艦隊がどのコースでくるのかはわかりませんでした。日本海の対馬海峡を通ってウラジオストクに向かうのか、太平洋側へ回って寄港するのか。判断を間違うと国家存亡の危機となる状況の中で、じっと待ち構える日本艦隊。そしてついにロシアの大艦隊が対馬海峡に現れたのです。

 



 哨戒任務にあたっていた信濃丸から敵艦隊発見の報告が入ります。ついに日本海海戦の火蓋が切って落とされるときが訪れました。

 その時、秋山真之は本国に電文を送信します。それが「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス

 というもの。つまりは、敵の艦隊を発見したので、出動し戦闘を行うという意味。しかし真之は、その前にある一文を付け加えたのです。

 それが「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」という文でした。「天気晴朗」というのは視界も良好で取り逃すことはないということ、「波高シ」というのは、射撃訓練を積んだ日本に有利な状況だということを意味しているそうです。

 七五調の美しい一文を重要な情報に詰め込んだということで、この素晴らしい一文は報告文のお手本として後世に語り継がれているんですよ。しかしそれだけではありません。単なる天候描写に留まらず、壮大な叙事詩的な響きも含んでいたのです。

 日本という弱小の国家が直面した運命を分ける試練、待ち構えていた真之たちの前に強大な難敵がついに姿を現します。敵艦が姿を見せたことで、秋山真之はほっとしたでしょう。そして日本の運命を賭けた戦いは、これから始まろうとしていました。

 目の前に待ち受けるのは、試練の荒波。それを「天気晴朗ナレドモ波高シ」という天候状況を、客観的な報告に重ね詩的な表現を持たせたからこそ、後世に残る名文となったのでしょう。

 

皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ

 

 もう一つ、この日本海海戦で忘れてはいけない名言が生まれています。

 ロシア艦隊の黒煙が水平線に見え始めた時、旗艦「三笠」の艦上に「Z旗」と呼ばれる旗が掲揚されます。そうです、 あの有名な「Z旗」なんですよ。艦船にはアルファベットの数だけ信号旗があり、「Z旗」は引き船がほしいという意味を持つ信号なんです。

 しかし秋山真之らは後がないという現状を、アルファベット最後の文字となる「Z」にかけて艦上に掲揚したのです。そのとき乗組員に発した言葉が以下。
 

「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」


 日本の興廃はこの海戦で決まる。勝利のために全力を尽くせよ、という意味が込められています。これを聞いた乗組員たちは、全員が闘志を燃やして海戦に臨んだといいます。

 

 実はこの言葉も秋山真之が考案したとされています。わずか1文で、将兵たちの士気を一気に盛り上げたその力は、実際の武器より大きな威力があると言えますね。

 

                東郷平八郎