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「生きる意味」は、一流の文学者、心理学者、哲学者でもわからない (2

 

出典:生きる意味109 長南瑞生 著 1万年堂出版

 

♦武者小路実篤

「友情」「愛と死」などの著作で知られる武者小路実篤は、「人生論」を著しますが、その冒頭で、もっと明確に書き残しています。

 

 人間は何の目的で生まれたのか。また何か目的があって自然は人間を生ま

 れるようにしたのか。僕にはそれはわからない。      (「人生論」武者小路実篤)

 

 こうして人生の特徴や、いかに生きるべきかという生き方が論じられますが、生きる目的には触れられません。

 

♦五木寛之氏

 現代の日本でも同じです。作家、五木寛之氏は、「人生の目的」という本の中で、このように宣言しています。

 

 人生に目的はあるのか。

 私は、ないと思う。何十年も考え続けてきた末に、そう思うようになった。

(「人生の目的」五木寛之)

 

 人生の物語を書きつづり、多くの人に共感を与えてきた人気作家であっても、何十年と考え続けた末、人生の目的は分からなかったのです。

 

♦アントン・チェーホフ

 海外の文学者でも変わりません。モスクワ大学医学部を卒業しながら、作家となり、当時の文学界に大きな影響を与えた19世紀のロシアの小説家チェーホフは、

 

 自分の生存の意義や目的を知ろうとしたって、なんにも教えられはしませ

 ん。教えられることといったら、どれも、つまらないばかげきったこと

 ばかりで、いくらむちゅうになってたたいてみたところで---とびらは

 開かれはしないのです。死が近づいてくるだけなのです。         (チェーホフ)

 

と書いています。

 

♦アルベール・カミュ

 20世紀フランスのノーベル賞文学者アルベール・カミュは、こう言います。

 

 こんにちの労働者は、生活の毎日毎日を同じ仕事に従事している。その

 運命はシーシュポスに劣らず無意味だ。                  (カミュ)

 

シーシュポスというのは、ギリシャ神話で、山の上まで岩を持ち上げなければならない

刑罰に処せられている人のことです。ところが、頂上まで来ると、岩は転がり落ちてし

まい、また最初から持ち上げなけらばなりません。これを永遠に繰り返すのがシーシュポス

の運命です。石を積んでも崩れてしまい、それを無限に繰り返す「賽の河原」のようなもの

ですが、毎日、同じ仕事を繰り返す現代人の運命は、それと同じように無意味なものだとい

っています。

 

 ♦ウイリアム・シェイクスピア 

 歴史上、最も優れた文学者の一人と言われるシェイクスピアも、その人生観を、このように作品に残していました。

 

  人間なんてうろちょろする影法師、あわれな役者だ、自分の出番だけ舞台

  に出て、どたばたやるが、それっきり消えてしまう。人生はうす馬鹿のた

  わごとさ、むやみに泣いたりわめくだけでまるっきり無意味だ。 (シェイクスピア)

 

 このように、豊かな感性で人生を描き出す、優れた文学者たちであっても、やはり生きる意味は分からないのです。

 

続きは人間の心の専門家、心理学者の言葉 を紹介しましょう。